436: ◆eBIiXi2191ZO:2013/07/31(水) 12:19:54.89 :tyy0NvXR0
P「あの」
お昼近く。
リビングで、あの人は反省しきり。
P「なんか、ごめんなさい」
楓「……」
私は、特になにを言おうともしない。
朝、あの人の「うえぇ!?」という声で起こされた。
それはそうだろう。
気がつけば、下着姿の私がとなりに。
なにごとかと思うのは当たり前。
前後不覚になっていたとはいえ、あの人はおぼろげに昨夜のことを覚えていたようだ。
で。
今、こういう状況。
P「いろいろ、手を煩わせてしまって、ほんと」
楓「ふふっ、ふふふっ」
つい我慢できず、噴き出してしまう。
別に怒っているわけじゃないのだ。
楓「Pさんは、ほんと。まじめですね」
酔っぱらいの扱いは、慣れてるわけじゃないけど。
こんなもんかと思えば、別に腹を立てるもんじゃないし。
それに。
あの人の世話ができるのはうれしい。
楓「Pさんと添い寝なんて、願ったりですし?」
しきりに照れまくる。かわいい。
楓「ただ困ったなあって思うのは」
楓「私の着替えがない、ってことですね」
P「……ああ」
あの人は、ぽりぽりと頭をかく。
P「あの」
お昼近く。
リビングで、あの人は反省しきり。
P「なんか、ごめんなさい」
楓「……」
私は、特になにを言おうともしない。
朝、あの人の「うえぇ!?」という声で起こされた。
それはそうだろう。
気がつけば、下着姿の私がとなりに。
なにごとかと思うのは当たり前。
前後不覚になっていたとはいえ、あの人はおぼろげに昨夜のことを覚えていたようだ。
で。
今、こういう状況。
P「いろいろ、手を煩わせてしまって、ほんと」
楓「ふふっ、ふふふっ」
つい我慢できず、噴き出してしまう。
別に怒っているわけじゃないのだ。
楓「Pさんは、ほんと。まじめですね」
酔っぱらいの扱いは、慣れてるわけじゃないけど。
こんなもんかと思えば、別に腹を立てるもんじゃないし。
それに。
あの人の世話ができるのはうれしい。
楓「Pさんと添い寝なんて、願ったりですし?」
しきりに照れまくる。かわいい。
楓「ただ困ったなあって思うのは」
楓「私の着替えがない、ってことですね」
P「……ああ」
あの人は、ぽりぽりと頭をかく。
437: ◆eBIiXi2191ZO:2013/07/31(水) 12:20:43.41 :tyy0NvXR0
楓「で、Pさんにお話がありますけど」
楓「ここに、私の着替えとか置いても、いいですよね?」
P「……まあ、そうですね」
楓「別に同棲しましょ、っていうことじゃないですよ?」
楓「お付き合いしてるわけですし、今後もこういうことがあったりするかも、じゃないですか」
P「ん、確かに」
あの人は固いから、なし崩しになっちゃうことを心配してるんだろうな。
楓「それとも、誰かいい人を連れ込んだり」
P「それは絶対にないです!」
Pさん、顔が近いです。
いや、真剣なのはわかりますけど。
P「あ。すいません」
まったくもう、かわいいなあ。
楓「同棲なんかしたら、マスコミの格好の的になるってこと、わかりますし」
楓「なにより。Pさんがきちんとしたいってこと、理解してますから」
楓「ただ現実こうして、困ったなあって思うことがあるわけで」
楓「そのくらいは認めてくれても、いいですよね?」
あの人はこくりとうなずいた。
楓「それじゃあ、そのあたりの準備はしておきます」
楓「急ぐものじゃないですし、ね?」
P「はい」
楓「それよりせっかくのオフなのに」
楓「なんかこうして、ふたりで恐縮してるのもなんだかなあって」
楓「思いません?」
楓「で、Pさんにお話がありますけど」
楓「ここに、私の着替えとか置いても、いいですよね?」
P「……まあ、そうですね」
楓「別に同棲しましょ、っていうことじゃないですよ?」
楓「お付き合いしてるわけですし、今後もこういうことがあったりするかも、じゃないですか」
P「ん、確かに」
あの人は固いから、なし崩しになっちゃうことを心配してるんだろうな。
楓「それとも、誰かいい人を連れ込んだり」
P「それは絶対にないです!」
Pさん、顔が近いです。
いや、真剣なのはわかりますけど。
P「あ。すいません」
まったくもう、かわいいなあ。
楓「同棲なんかしたら、マスコミの格好の的になるってこと、わかりますし」
楓「なにより。Pさんがきちんとしたいってこと、理解してますから」
楓「ただ現実こうして、困ったなあって思うことがあるわけで」
楓「そのくらいは認めてくれても、いいですよね?」
あの人はこくりとうなずいた。
楓「それじゃあ、そのあたりの準備はしておきます」
楓「急ぐものじゃないですし、ね?」
P「はい」
楓「それよりせっかくのオフなのに」
楓「なんかこうして、ふたりで恐縮してるのもなんだかなあって」
楓「思いません?」
438: ◆eBIiXi2191ZO:2013/07/31(水) 12:21:25.35 :tyy0NvXR0
そう。私だけじゃなく、あの人もオフなのだ。
ツアーが終わった翌日だから、そこは無理をしていない。
P「ああ、ですね」
P「どこか、出かけてみます?」
楓「いえ?」
P「?」
やっぱり。あの人は素でわかっていない。
楓「せっかくふたりきりのオフなのに、いちゃいちゃくらい、したいじゃないですか」
楓「家でまったり。イエーイ」
楓「なんつって」
あれ?
あの人の顔が引きつってるような。
P「楓さん」
楓「はい」
P「それはないわー」
楓「……泣きますよ?」
P「でも、楓さんの提案、いただきます」
楓「はい、召し上がれ」
P「そうじゃないけど……ま、いいか」
楓「ふふっ」
P「あ、それと」
P「……女性から言わせてしまって、すいません」
楓「……いえ」
P「今日はふたりでゆっくりしようか」
P「なあ、楓?」
うわあ。うわうわ。うわあ。
呼び捨てですよ。憧れですよ。
楓「そうね。ゆっくりしましょ」
楓「あなた?」
P「……やっぱり、照れますね」
楓「……ですね」
まだまだ、恋人ごっこな私たち。
これから少しずつ、らしくなれたら、それでいい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そう。私だけじゃなく、あの人もオフなのだ。
ツアーが終わった翌日だから、そこは無理をしていない。
P「ああ、ですね」
P「どこか、出かけてみます?」
楓「いえ?」
P「?」
やっぱり。あの人は素でわかっていない。
楓「せっかくふたりきりのオフなのに、いちゃいちゃくらい、したいじゃないですか」
楓「家でまったり。イエーイ」
楓「なんつって」
あれ?
あの人の顔が引きつってるような。
P「楓さん」
楓「はい」
P「それはないわー」
楓「……泣きますよ?」
P「でも、楓さんの提案、いただきます」
楓「はい、召し上がれ」
P「そうじゃないけど……ま、いいか」
楓「ふふっ」
P「あ、それと」
P「……女性から言わせてしまって、すいません」
楓「……いえ」
P「今日はふたりでゆっくりしようか」
P「なあ、楓?」
うわあ。うわうわ。うわあ。
呼び捨てですよ。憧れですよ。
楓「そうね。ゆっくりしましょ」
楓「あなた?」
P「……やっぱり、照れますね」
楓「……ですね」
まだまだ、恋人ごっこな私たち。
これから少しずつ、らしくなれたら、それでいい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
446: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 12:19:21.55 :pNWa4Vv/0
4月。四枚目のシングルを発売した。
『こいかぜ』発売から一年。早いものだ。
発売記念のトークライヴの合間、メールが入る。
『新曲発売おめでとうございます。楓さんも忙しそうですね。
私たちもようやく一緒のオフが取れそうなので、よかったら今月女子会どうですか?
楓さんのスケジュールがいい日で(*´∀`*)』
凛ちゃんからだ。
奈緒ちゃんはよく電話をくれるし、加蓮ちゃんはメール魔だ。
ふたりとはよくやり取りをしてるけど、凛ちゃんからとは。
楓「珍しいな」
P「ん? メールですか?」
楓「ええ」
P「なんかうれしそうですけど」
楓「いとしの彼女から、ですから。ふふっ」
P「彼女?」
あの人の頭の上に浮かぶハテナマークが見える。
P「楓さんって」
楓「はい」
P「バイだったんですね」
楓「失礼な。私はいつだって、Pさん一筋ですよ?」
P「いや、ここでそういうこと言われても」
あの人を照れさせることに成功。
マンションに行けば、私が恥ずかしい思いをさせられてるのだし、このくらいの反撃はいいよね。
楓「大丈夫です。Pさんもよく知ってる子ですし」
P「ほう?」
私はスマホをひらひらさせながら、あの人に画面を向けた。
4月。四枚目のシングルを発売した。
『こいかぜ』発売から一年。早いものだ。
発売記念のトークライヴの合間、メールが入る。
『新曲発売おめでとうございます。楓さんも忙しそうですね。
私たちもようやく一緒のオフが取れそうなので、よかったら今月女子会どうですか?
楓さんのスケジュールがいい日で(*´∀`*)』
凛ちゃんからだ。
奈緒ちゃんはよく電話をくれるし、加蓮ちゃんはメール魔だ。
ふたりとはよくやり取りをしてるけど、凛ちゃんからとは。
楓「珍しいな」
P「ん? メールですか?」
楓「ええ」
P「なんかうれしそうですけど」
楓「いとしの彼女から、ですから。ふふっ」
P「彼女?」
あの人の頭の上に浮かぶハテナマークが見える。
P「楓さんって」
楓「はい」
P「バイだったんですね」
楓「失礼な。私はいつだって、Pさん一筋ですよ?」
P「いや、ここでそういうこと言われても」
あの人を照れさせることに成功。
マンションに行けば、私が恥ずかしい思いをさせられてるのだし、このくらいの反撃はいいよね。
楓「大丈夫です。Pさんもよく知ってる子ですし」
P「ほう?」
私はスマホをひらひらさせながら、あの人に画面を向けた。
447: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 12:19:49.59 :pNWa4Vv/0
P「へえ。凛ですか」
楓「意外ですか?」
P「ああ、うん。でも」
P「楓さん、奈緒や加蓮とだいぶ仲良くしてるみたいですし」
P「まあ凛も凛で、素直なとこありますからね」
楓「うーん。凛ちゃんはいつでも素直ですよ?」
P「そうかなあ。僕にはけっこうツンケンしてましたけどね」
楓「それはだって」
楓「好きな人に素直に、なれるもんでもないでしょ?」
P「そういうことです、か」
P「で、女子会ですか?」
楓「ええ。女子会です」
楓「Pさんは参加禁止ですよ?」
P「そんな野暮なことしませんよ」
そうは言っても、たぶんあの人のことだ。私が困ればきっと救いの手を差し伸べるに違いない。
いつだってそういう人だ。
楓「で、彼女たちのオフ前日にやりたいかな、とか思うんで」
楓「Pさん。スケジュールチェック、よろしくお願いしますね?」
P「はいはい、任されます」
なんだかんだ言っても、私が頼りにするのはあの人。
愛情は信頼の上に成り立っているのだ。
スタッフ「高垣さん。そろそろ二回目の準備お願いします」
もうそんな時間か。
それじゃあ、始まる前にメールを返さないと。
『凛ちゃんありがとう。
私のほうでも調整できそうだから、三人のオフにあわせられると思います。
それじゃあ……』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「へえ。凛ですか」
楓「意外ですか?」
P「ああ、うん。でも」
P「楓さん、奈緒や加蓮とだいぶ仲良くしてるみたいですし」
P「まあ凛も凛で、素直なとこありますからね」
楓「うーん。凛ちゃんはいつでも素直ですよ?」
P「そうかなあ。僕にはけっこうツンケンしてましたけどね」
楓「それはだって」
楓「好きな人に素直に、なれるもんでもないでしょ?」
P「そういうことです、か」
P「で、女子会ですか?」
楓「ええ。女子会です」
楓「Pさんは参加禁止ですよ?」
P「そんな野暮なことしませんよ」
そうは言っても、たぶんあの人のことだ。私が困ればきっと救いの手を差し伸べるに違いない。
いつだってそういう人だ。
楓「で、彼女たちのオフ前日にやりたいかな、とか思うんで」
楓「Pさん。スケジュールチェック、よろしくお願いしますね?」
P「はいはい、任されます」
なんだかんだ言っても、私が頼りにするのはあの人。
愛情は信頼の上に成り立っているのだ。
スタッフ「高垣さん。そろそろ二回目の準備お願いします」
もうそんな時間か。
それじゃあ、始まる前にメールを返さないと。
『凛ちゃんありがとう。
私のほうでも調整できそうだから、三人のオフにあわせられると思います。
それじゃあ……』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
448: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 12:20:30.47 :pNWa4Vv/0
奈緒「じゃあ。CGプロ女子会初開催に!」
凛・奈緒・加蓮・楓「かんぱーい!」
かちん。
手に飲み物を持って乾杯。
私と奈緒ちゃんはビール。加蓮ちゃんと凛ちゃんはソフトドリンク。
の、はずなのに。
加蓮「え? 私も呑めるよ?」
奈緒「おい。加蓮は未成年だろ」
加蓮「そうだけどさあ。今どき『呑めませーん』なんて子、いないよ?」
というか。凛ちゃんすでに呑んでるし。
なんとなくこういうのは、無礼講も多少は許されるんじゃないかな。
とか、勝手に言い訳をしてみたり。
楓「まあ、宅呑みだし。今日は大目にみましょ?」
凛「そうそう。普段は節制してるんだし」
乙女のぶっちゃけはこういうものか。
ファンが見たら泣くぞ。
楓「でも、凛ちゃんも加蓮ちゃんもお酒飲む機会なんてあるの?」
凛「ん? ありますよ?」
加蓮「マネージャーには怒られるけどね」
奈緒「あー、どうしてもしつこいプロモーターさんもいるんで」
凛「お付き合い程度に」
凛・加蓮「ねー」
未成年に酒を勧めるプロモーターというのもどうなんだろう。
そんなきれいごとの言える業界でもないし、まだ少々のお酒ならゆるいのかもしれない。
凛「あ、でもさすがにカクテル一杯くらいでやめてますよ?」
加蓮「マスコミにすっぱ抜かれたら、迷惑かけちゃうし」
奈緒「うちの事務所は、そのあたりのことは厳しいから」
奈緒「なんとかその程度のお付き合いで済んでるけどね」
本当にそう思う。
未成年の飲酒はスキャンダルだけど、それをとがめる事務所は、まあない。
プロモーターの意向が優先されてしまう。
さすがにプライベートの飲酒はまずいのだけど。
CGプロはそのあたりのコンプライアンスをきちんと教育していて。
マネージャーやプロデューサーが管理する。
今日はみんなここにお泊りするから、多少は大目にみたのだ。
外出しなくてもいいように、飲み物とつまみは多めに用意してる。
小腹がすいたときのカップめんもしっかりと。
奈緒「じゃあ。CGプロ女子会初開催に!」
凛・奈緒・加蓮・楓「かんぱーい!」
かちん。
手に飲み物を持って乾杯。
私と奈緒ちゃんはビール。加蓮ちゃんと凛ちゃんはソフトドリンク。
の、はずなのに。
加蓮「え? 私も呑めるよ?」
奈緒「おい。加蓮は未成年だろ」
加蓮「そうだけどさあ。今どき『呑めませーん』なんて子、いないよ?」
というか。凛ちゃんすでに呑んでるし。
なんとなくこういうのは、無礼講も多少は許されるんじゃないかな。
とか、勝手に言い訳をしてみたり。
楓「まあ、宅呑みだし。今日は大目にみましょ?」
凛「そうそう。普段は節制してるんだし」
乙女のぶっちゃけはこういうものか。
ファンが見たら泣くぞ。
楓「でも、凛ちゃんも加蓮ちゃんもお酒飲む機会なんてあるの?」
凛「ん? ありますよ?」
加蓮「マネージャーには怒られるけどね」
奈緒「あー、どうしてもしつこいプロモーターさんもいるんで」
凛「お付き合い程度に」
凛・加蓮「ねー」
未成年に酒を勧めるプロモーターというのもどうなんだろう。
そんなきれいごとの言える業界でもないし、まだ少々のお酒ならゆるいのかもしれない。
凛「あ、でもさすがにカクテル一杯くらいでやめてますよ?」
加蓮「マスコミにすっぱ抜かれたら、迷惑かけちゃうし」
奈緒「うちの事務所は、そのあたりのことは厳しいから」
奈緒「なんとかその程度のお付き合いで済んでるけどね」
本当にそう思う。
未成年の飲酒はスキャンダルだけど、それをとがめる事務所は、まあない。
プロモーターの意向が優先されてしまう。
さすがにプライベートの飲酒はまずいのだけど。
CGプロはそのあたりのコンプライアンスをきちんと教育していて。
マネージャーやプロデューサーが管理する。
今日はみんなここにお泊りするから、多少は大目にみたのだ。
外出しなくてもいいように、飲み物とつまみは多めに用意してる。
小腹がすいたときのカップめんもしっかりと。
449: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 12:21:15.76 :pNWa4Vv/0
楓「奈緒ちゃんはお酒、大丈夫なの?」
奈緒「うーん。普通じゃないですか?」
奈緒「ビールは苦いから、あんまり好きじゃないですけどね」
加蓮「おこちゃまの舌だからねー」
奈緒「うるせー。ふたりだって一緒じゃん」
楓「でも、そうよね。苦いのは苦手って子、多いもんね」
私はいつから苦手じゃなくなったかなあ。
もう覚えていない。
凛「え? 私は平気だよ?」
奈緒「え?」
加蓮「え?」
凛「だって、お母さんから『社会人になったらお付き合いもけっこうあるから』って」
凛「晩酌に付き合ってたし」
奈緒「うわー」
加蓮「凛のお母さん、豪快だねえ」
凛「え? そう?」
凛「うち花屋だから、花き組合とかのお付き合い多いしね」
凛「普通の家庭より、呑む機会はあると思うよ」
ちょっと驚いた。
お酒のことじゃなくて。凛ちゃんが意外と饒舌なこと。
楓「じゃあ凛ちゃんは、鍛えられたんだ」
凛「いや、鍛えられたってほどじゃないですけど」
凛「ね。まあ……あはは」
そう言って苦笑いする凛ちゃんがかわいい。
楓「でも、よかったな」
凛「なにが、です?」
楓「凛ちゃんとこうして、ぶっちゃけ話ができること」
楓「年末のときは、刺されるかと思ったし」
凛「……あー、あの時は」
凛「ほんと、ごめんなさい」
私と凛ちゃんは、なにも手をこまねいていたわけじゃない。
忙しいながらのメールとか。
互いに打ち解けることの模索を、行っていた。
今はこうして、年末騒動のことも笑い話にできる。
そこまでは打ち解けられた感じ。
楓「まずは、呑も?」
楓「スキャンダルにならない程度に、ね?」
凛「……はい!」
まだまだ、夜はこれから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「奈緒ちゃんはお酒、大丈夫なの?」
奈緒「うーん。普通じゃないですか?」
奈緒「ビールは苦いから、あんまり好きじゃないですけどね」
加蓮「おこちゃまの舌だからねー」
奈緒「うるせー。ふたりだって一緒じゃん」
楓「でも、そうよね。苦いのは苦手って子、多いもんね」
私はいつから苦手じゃなくなったかなあ。
もう覚えていない。
凛「え? 私は平気だよ?」
奈緒「え?」
加蓮「え?」
凛「だって、お母さんから『社会人になったらお付き合いもけっこうあるから』って」
凛「晩酌に付き合ってたし」
奈緒「うわー」
加蓮「凛のお母さん、豪快だねえ」
凛「え? そう?」
凛「うち花屋だから、花き組合とかのお付き合い多いしね」
凛「普通の家庭より、呑む機会はあると思うよ」
ちょっと驚いた。
お酒のことじゃなくて。凛ちゃんが意外と饒舌なこと。
楓「じゃあ凛ちゃんは、鍛えられたんだ」
凛「いや、鍛えられたってほどじゃないですけど」
凛「ね。まあ……あはは」
そう言って苦笑いする凛ちゃんがかわいい。
楓「でも、よかったな」
凛「なにが、です?」
楓「凛ちゃんとこうして、ぶっちゃけ話ができること」
楓「年末のときは、刺されるかと思ったし」
凛「……あー、あの時は」
凛「ほんと、ごめんなさい」
私と凛ちゃんは、なにも手をこまねいていたわけじゃない。
忙しいながらのメールとか。
互いに打ち解けることの模索を、行っていた。
今はこうして、年末騒動のことも笑い話にできる。
そこまでは打ち解けられた感じ。
楓「まずは、呑も?」
楓「スキャンダルにならない程度に、ね?」
凛「……はい!」
まだまだ、夜はこれから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
456: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 17:58:01.06 :huBve+W/0
奈緒「あー! それは、加蓮が行かせようとするから!」
加蓮「えー? そのわりにいそいそ傘持って行ったじゃない」
奈緒「あー! し……しらん! も、もう忘れた!」
女子会というのは、こんな話が好きなんだなあ。
ほどよくお酒もまわった頃、Pさんとのエピソード話になる。
奈緒「つか、加蓮だって! Pさんがお見舞いに来るって聞いて、うれしそうに」
加蓮「え? そうだっけ?」
凛「そうだよ。バレバレじゃない」
加蓮「凛だって。バレンタインのチョコ、気合入れて作ってたって」
凛「ちょ、ちょっと待った!」
加蓮「なーに」
凛「誰に訊いたの、それ」
加蓮「えー。ひみつぅ」
凛「未央だね。絶対そうだ……」
若いっていいな。なんて言うと年寄りくさくなっちゃうけど。
こんなふうに、いろいろ打ち明けられる友人がいるっていうのは、うらやましい。
モデル事務所にいたとき、一緒に呑むなんてこともそうなかったし。
ひとりで気楽なのがいちばん、なんて思ってた。
そんな私が『うらやましい』なんて。
私もだいぶ変わったものだ。あの人のせいだ。
奈緒「楓さんは」
楓「うん」
奈緒「ホッケ、ですよね?」
凛「は?」
加蓮「へ?」
奈緒「あー! それは、加蓮が行かせようとするから!」
加蓮「えー? そのわりにいそいそ傘持って行ったじゃない」
奈緒「あー! し……しらん! も、もう忘れた!」
女子会というのは、こんな話が好きなんだなあ。
ほどよくお酒もまわった頃、Pさんとのエピソード話になる。
奈緒「つか、加蓮だって! Pさんがお見舞いに来るって聞いて、うれしそうに」
加蓮「え? そうだっけ?」
凛「そうだよ。バレバレじゃない」
加蓮「凛だって。バレンタインのチョコ、気合入れて作ってたって」
凛「ちょ、ちょっと待った!」
加蓮「なーに」
凛「誰に訊いたの、それ」
加蓮「えー。ひみつぅ」
凛「未央だね。絶対そうだ……」
若いっていいな。なんて言うと年寄りくさくなっちゃうけど。
こんなふうに、いろいろ打ち明けられる友人がいるっていうのは、うらやましい。
モデル事務所にいたとき、一緒に呑むなんてこともそうなかったし。
ひとりで気楽なのがいちばん、なんて思ってた。
そんな私が『うらやましい』なんて。
私もだいぶ変わったものだ。あの人のせいだ。
奈緒「楓さんは」
楓「うん」
奈緒「ホッケ、ですよね?」
凛「は?」
加蓮「へ?」
457: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 17:59:40.01 :huBve+W/0
ふたりともきょとんとしている。
事情を知ってる奈緒ちゃんは、噴き出す。
奈緒「ぷぷっ、あははは! おまえら変な顔ー」
凛・加蓮「なーお~?」
奈緒「……はい……自重します」
楓「ふふふっ。そうね」
楓「私はホッケで釣られた女なの」
凛ちゃんと加蓮ちゃんに、あの人にスカウトされたエピソードを話す。
ころころ変わる表情が、いちいちかわいい。
加蓮「えー、居酒屋いいなー。私も行きたいなー」
凛「Pさん、そんなとこでご飯食べてたなんて。言ってくれれば一緒に」
楓「未成年と一緒には、なかなか行けるとこじゃないでしょ?」
楓「お酒が絡むしね」
凛「そりゃ……そうですけど……」
凛ちゃんは不服そうだ。
楓「それに。男の人は、自分だけになれる場所が欲しいなんて、よく言うし」
楓「凛ちゃんがこうして、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんとお話して、いろいろ気分転換できるように」
楓「たぶん気分を変えたい場所なんじゃないかしら」
楓「私にはわからないけどね」
凛「楓さん」
楓「はい?」
凛「楓さんは今でも、Pさんとそこに行くんですよね?」
ふたりともきょとんとしている。
事情を知ってる奈緒ちゃんは、噴き出す。
奈緒「ぷぷっ、あははは! おまえら変な顔ー」
凛・加蓮「なーお~?」
奈緒「……はい……自重します」
楓「ふふふっ。そうね」
楓「私はホッケで釣られた女なの」
凛ちゃんと加蓮ちゃんに、あの人にスカウトされたエピソードを話す。
ころころ変わる表情が、いちいちかわいい。
加蓮「えー、居酒屋いいなー。私も行きたいなー」
凛「Pさん、そんなとこでご飯食べてたなんて。言ってくれれば一緒に」
楓「未成年と一緒には、なかなか行けるとこじゃないでしょ?」
楓「お酒が絡むしね」
凛「そりゃ……そうですけど……」
凛ちゃんは不服そうだ。
楓「それに。男の人は、自分だけになれる場所が欲しいなんて、よく言うし」
楓「凛ちゃんがこうして、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんとお話して、いろいろ気分転換できるように」
楓「たぶん気分を変えたい場所なんじゃないかしら」
楓「私にはわからないけどね」
凛「楓さん」
楓「はい?」
凛「楓さんは今でも、Pさんとそこに行くんですよね?」
458: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/02(金) 18:00:25.11 :huBve+W/0
私とあの人の仲を探ってるのか。それとも、単にうらやんでいるのか。
楓「そうね。今でも行くわね」
楓「でも、Pさんがひとりでも行くかどうかは、わからない」
凛「そう、ですか」
凛ちゃんは缶カクテルを飲み干し。
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「今日は自分の気持ちにけりをつけようと、思って」
私より付き合いの長い彼女の、決心。
向き合いましょう。きちんと。
凛「楓さんは、Pさんと付き合ってますよね?」
奈緒ちゃんが固まる。なにか言い出そうとした彼女を、私が手で制する。
楓「ええ。お付き合いしてます」
凛「Pさんが、好き、なんですよね?」
楓「ええ」
あのときと同じ、射るようなまっすぐな瞳。
私は、その想いに向き合う。
楓「好きよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私とあの人の仲を探ってるのか。それとも、単にうらやんでいるのか。
楓「そうね。今でも行くわね」
楓「でも、Pさんがひとりでも行くかどうかは、わからない」
凛「そう、ですか」
凛ちゃんは缶カクテルを飲み干し。
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「今日は自分の気持ちにけりをつけようと、思って」
私より付き合いの長い彼女の、決心。
向き合いましょう。きちんと。
凛「楓さんは、Pさんと付き合ってますよね?」
奈緒ちゃんが固まる。なにか言い出そうとした彼女を、私が手で制する。
楓「ええ。お付き合いしてます」
凛「Pさんが、好き、なんですよね?」
楓「ええ」
あのときと同じ、射るようなまっすぐな瞳。
私は、その想いに向き合う。
楓「好きよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
469: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 12:17:02.69 :FpeG5XOu0
凛「……あの」
数十秒の沈黙ののち。
凛ちゃんがなにかを思いながら、口にする。
凛「私も……Pさんのこと……」
凛「好き……でした……」
でした?
凛「いえ、ほんとは。たぶん」
凛「やっぱり、今でも好きなんだと、思います」
凛「……あきらめ……悪いですよね。私……」
そう言って凛ちゃんはうつむいた。
奈緒「なに言ってんだよ、凛。あたしや加蓮だっているじゃ」
凛「わかってる! わかってるの……」
奈緒ちゃんの言葉を、凛ちゃんがさえぎった。
凛「この前のライヴのときから、わかってたの」
凛「あきらめなきゃ、忘れなきゃ、って」
凛「奈緒や加蓮がついててくれて、いっぱい励まされて、うん、がんばれるって」
凛「でも! 楓さんの顔を見たら、やっぱつらくて……」
凛「……あの」
数十秒の沈黙ののち。
凛ちゃんがなにかを思いながら、口にする。
凛「私も……Pさんのこと……」
凛「好き……でした……」
でした?
凛「いえ、ほんとは。たぶん」
凛「やっぱり、今でも好きなんだと、思います」
凛「……あきらめ……悪いですよね。私……」
そう言って凛ちゃんはうつむいた。
奈緒「なに言ってんだよ、凛。あたしや加蓮だっているじゃ」
凛「わかってる! わかってるの……」
奈緒ちゃんの言葉を、凛ちゃんがさえぎった。
凛「この前のライヴのときから、わかってたの」
凛「あきらめなきゃ、忘れなきゃ、って」
凛「奈緒や加蓮がついててくれて、いっぱい励まされて、うん、がんばれるって」
凛「でも! 楓さんの顔を見たら、やっぱつらくて……」
470: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 12:17:57.35 :FpeG5XOu0
ぽたり。
凛ちゃんの瞳から、涙が零れ落ちる。
そして涙もそのままに、凛ちゃんは顔を上げる。
凛「楓さん、ごめんなさい!」
凛「泣かせて……ください……」
こらえても止まらない、涙のしずく。
私は、どうしていいかわからず。
気がつけば、凛ちゃんを抱きしめていた。
凛「うっ……ううっ……」
凛「うう、うああぁ」
凛「楓、さん」
凛「うああぁぁ……ああぁぁ……」
ただひたすらに泣き続ける凛ちゃん。
その心の叫びを、私はただ受け止めるしかできなかった。
奈緒「凛」
加蓮「凛、大丈夫だよ」
奈緒「あたしたちも、いるよ」
奈緒ちゃんと加蓮ちゃんが、凛ちゃんを囲んで優しく包む。
もはや恋敵とかライバルとか。関係ない。
渋谷凛というひとりの女性を、私は全身で受け止める。
誰も、なにも。
言葉にできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぽたり。
凛ちゃんの瞳から、涙が零れ落ちる。
そして涙もそのままに、凛ちゃんは顔を上げる。
凛「楓さん、ごめんなさい!」
凛「泣かせて……ください……」
こらえても止まらない、涙のしずく。
私は、どうしていいかわからず。
気がつけば、凛ちゃんを抱きしめていた。
凛「うっ……ううっ……」
凛「うう、うああぁ」
凛「楓、さん」
凛「うああぁぁ……ああぁぁ……」
ただひたすらに泣き続ける凛ちゃん。
その心の叫びを、私はただ受け止めるしかできなかった。
奈緒「凛」
加蓮「凛、大丈夫だよ」
奈緒「あたしたちも、いるよ」
奈緒ちゃんと加蓮ちゃんが、凛ちゃんを囲んで優しく包む。
もはや恋敵とかライバルとか。関係ない。
渋谷凛というひとりの女性を、私は全身で受け止める。
誰も、なにも。
言葉にできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
471: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 12:18:33.17 :FpeG5XOu0
楓「凛ちゃん」
泣く声が収まってきた頃。凛ちゃんに声をかける。
私はまだ、彼女を抱きしめたまま。
楓「ちょっとは、落ち着いた?」
凛ちゃんはなにも言わず、こくりとうなずいた。
加蓮「凛、大丈夫。大丈夫だよ」
加蓮ちゃんは、凛ちゃんの頭をなでている。
奈緒ちゃんは凛ちゃんの背中を優しくトントンとしていたけど、今は部屋を片付けている。
凛「みんな……ごめん……」
加蓮「ううん……いいんだよ……いいの」
加蓮ちゃんはまだ、髪をなでている。
凛「楓さんも、ありがとう……ございます」
楓「ううん。いいの」
凛ちゃんは私にもたれかかったまま、訊く。
凛「楓さんは」
楓「うん?」
凛「楓さんは、どうしてそうなんですか?」
楓「そう、って?」
凛「どうして、私に優しくするんですか? 私は、楓さんを」
楓「凛ちゃん?」
私は凛ちゃんの言おうとすることを、さえぎった。
楓「嫉妬することは、悪いことなのかな」
凛「え?」
楓「私ね、思うの」
楓「嫉妬は、深い愛情のたまものなんじゃないかな、って」
そう。
かつて私は、凛ちゃんに嫉妬した。
その私が今、凛ちゃんに嫉妬されている。
いや、ちょっと違う。
楓「恥ずかしい話なんだけどね。私も、凛ちゃんに嫉妬してるんだ」
楓「凛ちゃんたちがPさんと先に出会ったこと」
楓「時間なんか巻き戻せないのにね。おかしいでしょ?」
楓「凛ちゃん」
泣く声が収まってきた頃。凛ちゃんに声をかける。
私はまだ、彼女を抱きしめたまま。
楓「ちょっとは、落ち着いた?」
凛ちゃんはなにも言わず、こくりとうなずいた。
加蓮「凛、大丈夫。大丈夫だよ」
加蓮ちゃんは、凛ちゃんの頭をなでている。
奈緒ちゃんは凛ちゃんの背中を優しくトントンとしていたけど、今は部屋を片付けている。
凛「みんな……ごめん……」
加蓮「ううん……いいんだよ……いいの」
加蓮ちゃんはまだ、髪をなでている。
凛「楓さんも、ありがとう……ございます」
楓「ううん。いいの」
凛ちゃんは私にもたれかかったまま、訊く。
凛「楓さんは」
楓「うん?」
凛「楓さんは、どうしてそうなんですか?」
楓「そう、って?」
凛「どうして、私に優しくするんですか? 私は、楓さんを」
楓「凛ちゃん?」
私は凛ちゃんの言おうとすることを、さえぎった。
楓「嫉妬することは、悪いことなのかな」
凛「え?」
楓「私ね、思うの」
楓「嫉妬は、深い愛情のたまものなんじゃないかな、って」
そう。
かつて私は、凛ちゃんに嫉妬した。
その私が今、凛ちゃんに嫉妬されている。
いや、ちょっと違う。
楓「恥ずかしい話なんだけどね。私も、凛ちゃんに嫉妬してるんだ」
楓「凛ちゃんたちがPさんと先に出会ったこと」
楓「時間なんか巻き戻せないのにね。おかしいでしょ?」
472: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 12:19:18.28 :FpeG5XOu0
凛ちゃんはちょっと考えて、首を横に振る。
凛「なんとなく、わかります」
凛「私もPさんが楓さんの担当になったってわかったとき、すごくもやもやしました」
凛「ライヴでPさんが、楓さんのサポをやるなんて思わなかったし」
凛「私の知らないPさんを知ってる楓さんがうらやましくて」
私も凛ちゃんも、互いに知らないあの人を求めてしまった。
嫉妬は当然の帰結。
楓「おんなじだね」
凛「……うん」
私の言葉に、凛ちゃんは小さく同意してくれた。
奈緒「あたしも、ほんとは」
手の空いた奈緒ちゃんが話に入ってくる。
奈緒「凛のこと、うらやましいって思ってたよ」
凛「え? 奈緒」
加蓮ちゃんも、なでていた手を止める。
加蓮「私もさ」
加蓮「凛がPさん好き好き光線出してたから、仕方ないなあって思ってたけど」
加蓮「Pさん好きだったんだよ?」
凛「加蓮……」
凛ちゃんは、少し険しい顔になって。
凛「なんで……」
奈緒「凛……」
凛「なんで……言ってくれなかったの?」
凛「なんで私に……好きな気持ち……言わなかったの? ふたりとも」
凛ちゃんはちょっと考えて、首を横に振る。
凛「なんとなく、わかります」
凛「私もPさんが楓さんの担当になったってわかったとき、すごくもやもやしました」
凛「ライヴでPさんが、楓さんのサポをやるなんて思わなかったし」
凛「私の知らないPさんを知ってる楓さんがうらやましくて」
私も凛ちゃんも、互いに知らないあの人を求めてしまった。
嫉妬は当然の帰結。
楓「おんなじだね」
凛「……うん」
私の言葉に、凛ちゃんは小さく同意してくれた。
奈緒「あたしも、ほんとは」
手の空いた奈緒ちゃんが話に入ってくる。
奈緒「凛のこと、うらやましいって思ってたよ」
凛「え? 奈緒」
加蓮ちゃんも、なでていた手を止める。
加蓮「私もさ」
加蓮「凛がPさん好き好き光線出してたから、仕方ないなあって思ってたけど」
加蓮「Pさん好きだったんだよ?」
凛「加蓮……」
凛ちゃんは、少し険しい顔になって。
凛「なんで……」
奈緒「凛……」
凛「なんで……言ってくれなかったの?」
凛「なんで私に……好きな気持ち……言わなかったの? ふたりとも」
473: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 12:20:11.50 :FpeG5XOu0
奈緒「なあ、凛」
奈緒「あたしも加蓮も、さ。凛が大好きなんだ。大親友だって思ってる」
加蓮「そりゃPさんのことは好きだよ? でも」
加蓮「私は『あこがれ』なんだなあって、気づいちゃったし」
加蓮「親友の恋愛を応援するの、あたりまえじゃん?」
凛「奈緒。加蓮……なんで?」
凛ちゃんはまた、涙声になる。
凛「わかんない……わかんないよ……」
凛「こんな私を応援するなんて……気持ちあきらめて……」
凛「なんで、ふたりとも……わかんないよ……」
奈緒「ばーか。わかんなくていいよ」
奈緒「あたしは凛が好き。凛を大切にしたい」
加蓮「私も凛が大事。ずっと親友でいたい」
加蓮「それだけのことだよ。凛がいるから、私たちがいる」
凛「……ふたりとも……ばかじゃん」
凛「こんな私をかばって……つらい思いして」
奈緒「ああ! もう!」
奈緒ちゃんは、私から凛ちゃんを奪い取るように抱きしめる。
奈緒「うじうじ言ってんじゃねえ。あたしは凛が一番大切」
加蓮「凛。私も奈緒も、凛がいてくれたからここまでがんばれたんだよ?」
加蓮「ずっと三人で、やっていきたいんだ」
奈緒「わかれよ、そんくらい」
凛「奈緒……加蓮……」
凛ちゃんは、奈緒ちゃんにされるがまま。
凛「……ありがと……」
そう言うのがせいいっぱいだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
奈緒「なあ、凛」
奈緒「あたしも加蓮も、さ。凛が大好きなんだ。大親友だって思ってる」
加蓮「そりゃPさんのことは好きだよ? でも」
加蓮「私は『あこがれ』なんだなあって、気づいちゃったし」
加蓮「親友の恋愛を応援するの、あたりまえじゃん?」
凛「奈緒。加蓮……なんで?」
凛ちゃんはまた、涙声になる。
凛「わかんない……わかんないよ……」
凛「こんな私を応援するなんて……気持ちあきらめて……」
凛「なんで、ふたりとも……わかんないよ……」
奈緒「ばーか。わかんなくていいよ」
奈緒「あたしは凛が好き。凛を大切にしたい」
加蓮「私も凛が大事。ずっと親友でいたい」
加蓮「それだけのことだよ。凛がいるから、私たちがいる」
凛「……ふたりとも……ばかじゃん」
凛「こんな私をかばって……つらい思いして」
奈緒「ああ! もう!」
奈緒ちゃんは、私から凛ちゃんを奪い取るように抱きしめる。
奈緒「うじうじ言ってんじゃねえ。あたしは凛が一番大切」
加蓮「凛。私も奈緒も、凛がいてくれたからここまでがんばれたんだよ?」
加蓮「ずっと三人で、やっていきたいんだ」
奈緒「わかれよ、そんくらい」
凛「奈緒……加蓮……」
凛ちゃんは、奈緒ちゃんにされるがまま。
凛「……ありがと……」
そう言うのがせいいっぱいだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
478: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 17:40:02.94 :Re4cOPTz0
続いて呑む雰囲気ではなくなったので。
部屋に布団を敷き詰める。そして四人で雑魚寝。
でも。
凛「楓さん」
楓「え?」
凛「起きてます?」
楓「ええ」
眠れるはずがない。
楓「凛ちゃんは、眠れない?」
凛「……はい」
楓「ん……そっか」
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「2月のライヴで、ほんとあきらめようって」
凛「そう、思ったんです」
楓「どうして?」
凛「うーん」
凛ちゃんの悩む声が、狭い部屋にただよう。
続いて呑む雰囲気ではなくなったので。
部屋に布団を敷き詰める。そして四人で雑魚寝。
でも。
凛「楓さん」
楓「え?」
凛「起きてます?」
楓「ええ」
眠れるはずがない。
楓「凛ちゃんは、眠れない?」
凛「……はい」
楓「ん……そっか」
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「2月のライヴで、ほんとあきらめようって」
凛「そう、思ったんです」
楓「どうして?」
凛「うーん」
凛ちゃんの悩む声が、狭い部屋にただよう。
479: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 17:40:51.90 :Re4cOPTz0
凛「かなわないなって」
楓「かなわない?」
凛「なんか。楓さんにはかなわないって」
凛「そう、直感で思いました」
楓「直感、か」
凛「うん。ですね」
凛「理由とかいろいろ考えたりもしたけど、よくわかんなくて」
凛「でも、理由がわからないから、すっごく不安で」
凛「これでいいの? ほんとにいいの? って」
凛「ずっと考えてました」
凛ちゃんの言葉をかみしめる。
理由なんかない。その通りだ。
好きになるのに、理由なんかないし。
凛ちゃんの直感というのも、なんとなくわかるような気がする。
凛「楓さんがなにか言ってくれたら、あきらめられるかも、とか」
凛「逆に、奪い取ってやるとか」
凛「そう思えたかも、知れない」
凛「でも楓さん。なんにも言わないで。ただ、抱きしめてくれて」
凛「なんだろう……やっぱりよくわからないけど」
楓「けど?」
凛「けど……ちょっとだけ、腑に落ちた気がします」
凛「楓さんとPさん、お似合いです」
凛「……悔しいなあ……」
暗闇の中。凛ちゃんは泣いているようにも思えた。
凛「楓さん、ごめんなさい」
凛「自分がPさんのとなりにいられなかったって、それを認めるのがこわいです」
凛「素直に、楓さんとPさんをお祝いしたいのに」
楓「凛ちゃん」
凛「はい」
楓「私が言っても、いやみにしかならないかもだけど」
楓「聞いてね?」
凛「……はい」
凛「かなわないなって」
楓「かなわない?」
凛「なんか。楓さんにはかなわないって」
凛「そう、直感で思いました」
楓「直感、か」
凛「うん。ですね」
凛「理由とかいろいろ考えたりもしたけど、よくわかんなくて」
凛「でも、理由がわからないから、すっごく不安で」
凛「これでいいの? ほんとにいいの? って」
凛「ずっと考えてました」
凛ちゃんの言葉をかみしめる。
理由なんかない。その通りだ。
好きになるのに、理由なんかないし。
凛ちゃんの直感というのも、なんとなくわかるような気がする。
凛「楓さんがなにか言ってくれたら、あきらめられるかも、とか」
凛「逆に、奪い取ってやるとか」
凛「そう思えたかも、知れない」
凛「でも楓さん。なんにも言わないで。ただ、抱きしめてくれて」
凛「なんだろう……やっぱりよくわからないけど」
楓「けど?」
凛「けど……ちょっとだけ、腑に落ちた気がします」
凛「楓さんとPさん、お似合いです」
凛「……悔しいなあ……」
暗闇の中。凛ちゃんは泣いているようにも思えた。
凛「楓さん、ごめんなさい」
凛「自分がPさんのとなりにいられなかったって、それを認めるのがこわいです」
凛「素直に、楓さんとPさんをお祝いしたいのに」
楓「凛ちゃん」
凛「はい」
楓「私が言っても、いやみにしかならないかもだけど」
楓「聞いてね?」
凛「……はい」
480: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 17:42:19.65 :Re4cOPTz0
楓「私はね。今Pさんとお付き合いしてるよね」
楓「私は、Pさんのことが好き。ずっと一緒にいたい」
楓「……でも、先のことは、わからない」
凛「……」
楓「不安だけど、それも現実」
楓「私が振られてしまうかもしれないし、事故かなにかで、私が死んじゃうかもしれない」
凛「楓さん、そんなこと」
楓「ううん、私も不安なんだ。自分の未来がね」
楓「ただ、決めてることがあるの」
楓「今をせいいっぱい、生きよう、って」
楓「こうして、凛ちゃんや奈緒ちゃん、加蓮ちゃんの想いも背負ってるんだし」
楓「自分自身、後悔のある生き方をしたくない」
楓「だから、凛ちゃんに宣言します」
楓「Pさんと、全力で生きていく」
楓「ぜったい幸せになる」
楓「もし、凛ちゃんが『今の高垣楓に任せるなんてできない』って思ったときは」
楓「全力で、奪って」
楓「もちろん、負けるつもりは、ないけどね」
楓「凛ちゃんには怒られちゃうかな。刹那的だって」
凛「……いえ。そんなことないです」
凛「やっぱり、楓さんは楓さんです」
凛「……えっと」
楓「なに?」
凛「Pさんを、よろしくお願いします」
楓「私はね。今Pさんとお付き合いしてるよね」
楓「私は、Pさんのことが好き。ずっと一緒にいたい」
楓「……でも、先のことは、わからない」
凛「……」
楓「不安だけど、それも現実」
楓「私が振られてしまうかもしれないし、事故かなにかで、私が死んじゃうかもしれない」
凛「楓さん、そんなこと」
楓「ううん、私も不安なんだ。自分の未来がね」
楓「ただ、決めてることがあるの」
楓「今をせいいっぱい、生きよう、って」
楓「こうして、凛ちゃんや奈緒ちゃん、加蓮ちゃんの想いも背負ってるんだし」
楓「自分自身、後悔のある生き方をしたくない」
楓「だから、凛ちゃんに宣言します」
楓「Pさんと、全力で生きていく」
楓「ぜったい幸せになる」
楓「もし、凛ちゃんが『今の高垣楓に任せるなんてできない』って思ったときは」
楓「全力で、奪って」
楓「もちろん、負けるつもりは、ないけどね」
楓「凛ちゃんには怒られちゃうかな。刹那的だって」
凛「……いえ。そんなことないです」
凛「やっぱり、楓さんは楓さんです」
凛「……えっと」
楓「なに?」
凛「Pさんを、よろしくお願いします」
481: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/05(月) 17:43:38.00 :Re4cOPTz0
そう凛ちゃんが言ってくれたとき。
ぐすっ。鼻をすする音。
凛「奈緒? 加蓮? 起きてるでしょ」
奈緒「……なんだよ。悪いか」
加蓮「私だって眠れないの。わかんない?」
凛「もう、しょうがないなあ、ふたりとも」
奈緒「誰のせいだと思ってんだよ、凛」
凛「さあ。楓さん?」
奈緒「おい」
凛「うふふっ」
楓「ふふっ」
加蓮「奈緒ったら。単純なんだから」
奈緒「なんだよ……文句あんのか?」
楓「ねえ、三人とも」
楓「朝起きたら、出かけてみようか」
楓「おいしいもの食べて、いっぱい遊んで、ゆっくり寝たら、忘れられるなんて言うけど」
楓「そんな簡単なものじゃないと思うの」
楓「でも、そんなに言うなら、実体験しようと思うんだけど」
楓「どうかな?」
凛「くすっ」
凛「賛成ですね」
加蓮「いいですね」
奈緒「うん」
楓「じゃあ、そうしよっか」
楓「近くに、パンケーキのお店あるし、甘いもの食べて元気だそっか」
凛「はい」
奈緒「うん」
加蓮「ええ」
いまだ暗い部屋で。女四人の企みごと。
楓「じゃあ、決まり」
そうと決まれば。少しは眠りにつこう。
睡眠不足はお肌の天敵だ。
みんなそう自分に言い聞かせて、眠りにつく。
カーテンの先では、月明かりが四人を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そう凛ちゃんが言ってくれたとき。
ぐすっ。鼻をすする音。
凛「奈緒? 加蓮? 起きてるでしょ」
奈緒「……なんだよ。悪いか」
加蓮「私だって眠れないの。わかんない?」
凛「もう、しょうがないなあ、ふたりとも」
奈緒「誰のせいだと思ってんだよ、凛」
凛「さあ。楓さん?」
奈緒「おい」
凛「うふふっ」
楓「ふふっ」
加蓮「奈緒ったら。単純なんだから」
奈緒「なんだよ……文句あんのか?」
楓「ねえ、三人とも」
楓「朝起きたら、出かけてみようか」
楓「おいしいもの食べて、いっぱい遊んで、ゆっくり寝たら、忘れられるなんて言うけど」
楓「そんな簡単なものじゃないと思うの」
楓「でも、そんなに言うなら、実体験しようと思うんだけど」
楓「どうかな?」
凛「くすっ」
凛「賛成ですね」
加蓮「いいですね」
奈緒「うん」
楓「じゃあ、そうしよっか」
楓「近くに、パンケーキのお店あるし、甘いもの食べて元気だそっか」
凛「はい」
奈緒「うん」
加蓮「ええ」
いまだ暗い部屋で。女四人の企みごと。
楓「じゃあ、決まり」
そうと決まれば。少しは眠りにつこう。
睡眠不足はお肌の天敵だ。
みんなそう自分に言い聞かせて、眠りにつく。
カーテンの先では、月明かりが四人を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
489: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/07(水) 12:17:17.92 :beDd4TrD0
大将「ほう、つまり」
女子会から二週間あまり。今日はカウンターではなく、奥の座敷にいる。
というのも。
凛「Pさんのなじみのお店に、来てみたかったんです」
加蓮「私たちには、ぜーんぜん教えてくれなかったのにねー」
奈緒「……」
奈緒ちゃんは、あいかわらず気苦労を抱えているみたい。
そう。トライアドの三人、私、そして。
あの人。
大将「モテ期到来、ってやつか?」
P「……大将、勘弁してください」
大将を除けば、Pさんのハーレム状態。と言えなくもない。
でも、あの人は居心地が悪そうだ。
大将「ほう、つまり」
女子会から二週間あまり。今日はカウンターではなく、奥の座敷にいる。
というのも。
凛「Pさんのなじみのお店に、来てみたかったんです」
加蓮「私たちには、ぜーんぜん教えてくれなかったのにねー」
奈緒「……」
奈緒ちゃんは、あいかわらず気苦労を抱えているみたい。
そう。トライアドの三人、私、そして。
あの人。
大将「モテ期到来、ってやつか?」
P「……大将、勘弁してください」
大将を除けば、Pさんのハーレム状態。と言えなくもない。
でも、あの人は居心地が悪そうだ。
490: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/07(水) 12:17:50.63 :beDd4TrD0
きっかけはもちろん、女子会。
四人でパンケーキの朝食を食べているとき。
凛「あの、楓さん」
楓「なに?」
凛「もしよかったら」
凛「楓さんとPさんの行きつけの居酒屋。行ってみたいかな、って」
加蓮「あ、私も興味ある!」
奈緒「おい、あんまり無茶言うなよ」
奈緒「……あたしも、興味あるけど……」
かわいいツンデレは正義だね。
楓「んー。私はいいけど」
楓「Pさんがオッケーなら、いいんじゃない?」
楓「もともと、Pさんの息抜きの場所だし」
正直言えば。
私とあの人の隠れ家のつもりなので、あまり連れて行きたくない気持ちも、ちょっとだけ。
でもこの三人だったら、いいかな。
かわいい妹たちだし。
私が返答すると、早速動いたのは。
凛「あ、ちひろさん。凛です」
凛「えっと、Pさんと連絡取りたいんですけど……ええ……はい……」
凛「じゃあ、私の携帯に電話欲しいと。はい。では」
楓「……」
なんとまあ。
凛ちゃんって、こんなにアクティブだったのか。
楓「凛ちゃん」
凛「吹っ切れたんで、我慢するのやめました」
凛「Pさんと楓さんと、大いに絡んじゃいます」
凛「よろしくお願いしますね」
そう言って、凛ちゃんは私に指を向け。
凛「ばーん!」
ピストルを撃つまねをした。
楓「ふふっ。ふふふっ」
楓「こっちこそ、よろしくね」
手のかかる妹だなあ。
よろしくされましょう。ええ。
加蓮ちゃんはその様子をニコニコと見つめ、奈緒ちゃんは額に手を当てて天を仰いだ。
きっかけはもちろん、女子会。
四人でパンケーキの朝食を食べているとき。
凛「あの、楓さん」
楓「なに?」
凛「もしよかったら」
凛「楓さんとPさんの行きつけの居酒屋。行ってみたいかな、って」
加蓮「あ、私も興味ある!」
奈緒「おい、あんまり無茶言うなよ」
奈緒「……あたしも、興味あるけど……」
かわいいツンデレは正義だね。
楓「んー。私はいいけど」
楓「Pさんがオッケーなら、いいんじゃない?」
楓「もともと、Pさんの息抜きの場所だし」
正直言えば。
私とあの人の隠れ家のつもりなので、あまり連れて行きたくない気持ちも、ちょっとだけ。
でもこの三人だったら、いいかな。
かわいい妹たちだし。
私が返答すると、早速動いたのは。
凛「あ、ちひろさん。凛です」
凛「えっと、Pさんと連絡取りたいんですけど……ええ……はい……」
凛「じゃあ、私の携帯に電話欲しいと。はい。では」
楓「……」
なんとまあ。
凛ちゃんって、こんなにアクティブだったのか。
楓「凛ちゃん」
凛「吹っ切れたんで、我慢するのやめました」
凛「Pさんと楓さんと、大いに絡んじゃいます」
凛「よろしくお願いしますね」
そう言って、凛ちゃんは私に指を向け。
凛「ばーん!」
ピストルを撃つまねをした。
楓「ふふっ。ふふふっ」
楓「こっちこそ、よろしくね」
手のかかる妹だなあ。
よろしくされましょう。ええ。
加蓮ちゃんはその様子をニコニコと見つめ、奈緒ちゃんは額に手を当てて天を仰いだ。
491: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/07(水) 12:18:27.87 :beDd4TrD0
Pさんは電話口でだいぶ困っていたようだけど、結局は凛ちゃんに押し切られ。
そして。
大将「俺は来てくれてうれしいけどな」
大将「売れっ子の三人娘と、神秘の歌姫さまが、こんなしがない店にいるなんてな」
楓「大将?」
楓「しがない店なんて言わないでくださいね?」
楓「私はここ、大好きなんですから」
大将「がはは! 楓さんに怒られちまったな!」
大将「ああ、ここは俺の城だから。ま、ゆっくりしてくれや」
そう言うと大将は厨房へ戻っていった。
凛「おもしろい大将さんですね」
P「ま、いっつもあんな調子だけどな」
奈緒「Pさんの顔つぶさないようにって気ぃ遣ったのに、あたし馬鹿みたいじゃん」
加蓮「奈緒は損な性格だよねー」
加蓮ちゃんはからから笑う。
P「んで? なんでまたこんな普通の店に来たいなんて」
凛「んー」
凛ちゃんは首をかしげて。
凛「……やじうま根性?」
P「……おい」
凛「うそじゃないよ。Pさんと楓さんのデート場所、見てみたかったのはほんと」
凛「あ、そうそう」
凛「Pさん。楓さんとうまくやってくださいね」
P「凛……」
凛ちゃんのその言葉に、加蓮ちゃんも奈緒ちゃんも安堵の表情。
あの人も、その言葉の意味を理解したのか。
P「承知した。まかせとけ」
P「あ、でもお前と加蓮はお酒呑むのだめな。奈緒はいいけど」
加蓮「えー、Pさんかたーい」
P「堅くて結構。なんとでも言え」
凛「ふふ。Pさんあいかわらずだね」
凛「やっぱり、私の好きなPさんだな」
楓「……あげませんよ?」
凛「……ください」
楓「ふふっ」
凛「ふふっ」
P「僕は粗品ですか……」
Pさんは電話口でだいぶ困っていたようだけど、結局は凛ちゃんに押し切られ。
そして。
大将「俺は来てくれてうれしいけどな」
大将「売れっ子の三人娘と、神秘の歌姫さまが、こんなしがない店にいるなんてな」
楓「大将?」
楓「しがない店なんて言わないでくださいね?」
楓「私はここ、大好きなんですから」
大将「がはは! 楓さんに怒られちまったな!」
大将「ああ、ここは俺の城だから。ま、ゆっくりしてくれや」
そう言うと大将は厨房へ戻っていった。
凛「おもしろい大将さんですね」
P「ま、いっつもあんな調子だけどな」
奈緒「Pさんの顔つぶさないようにって気ぃ遣ったのに、あたし馬鹿みたいじゃん」
加蓮「奈緒は損な性格だよねー」
加蓮ちゃんはからから笑う。
P「んで? なんでまたこんな普通の店に来たいなんて」
凛「んー」
凛ちゃんは首をかしげて。
凛「……やじうま根性?」
P「……おい」
凛「うそじゃないよ。Pさんと楓さんのデート場所、見てみたかったのはほんと」
凛「あ、そうそう」
凛「Pさん。楓さんとうまくやってくださいね」
P「凛……」
凛ちゃんのその言葉に、加蓮ちゃんも奈緒ちゃんも安堵の表情。
あの人も、その言葉の意味を理解したのか。
P「承知した。まかせとけ」
P「あ、でもお前と加蓮はお酒呑むのだめな。奈緒はいいけど」
加蓮「えー、Pさんかたーい」
P「堅くて結構。なんとでも言え」
凛「ふふ。Pさんあいかわらずだね」
凛「やっぱり、私の好きなPさんだな」
楓「……あげませんよ?」
凛「……ください」
楓「ふふっ」
凛「ふふっ」
P「僕は粗品ですか……」
492: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/07(水) 12:18:54.63 :beDd4TrD0
P「ま、ふたりが仲良しなのは僕もうれしいことです」
P「お前らとりあえず、好きなの頼め。店は普通だが料理は間違いなくうまい」
凛・奈緒・加蓮「はーい」
楓「じゃあ私は、冷酒を」
P「はいはい、どうぞどうぞ」
P「とりあえず今日はおごり。でも、サイフの負担は考えてくれ」
加蓮「じゃあいっぱい頼んじゃおうっと」
P「加蓮は、お残し禁止な」
加蓮「えー、私食細いの知ってるでしょ?」
P「なら考えて頼め」
女三人寄ればかしましい、と言うけど。
四人ならどうなんだろうか。
Pさん、お疲れさまです。そして、ごちそうさま。
ふふっ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「ま、ふたりが仲良しなのは僕もうれしいことです」
P「お前らとりあえず、好きなの頼め。店は普通だが料理は間違いなくうまい」
凛・奈緒・加蓮「はーい」
楓「じゃあ私は、冷酒を」
P「はいはい、どうぞどうぞ」
P「とりあえず今日はおごり。でも、サイフの負担は考えてくれ」
加蓮「じゃあいっぱい頼んじゃおうっと」
P「加蓮は、お残し禁止な」
加蓮「えー、私食細いの知ってるでしょ?」
P「なら考えて頼め」
女三人寄ればかしましい、と言うけど。
四人ならどうなんだろうか。
Pさん、お疲れさまです。そして、ごちそうさま。
ふふっ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
497: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/08(木) 12:19:15.49 :obCwGaab0
凛「Pさんはさ」
P「ん?」
凛「どうしてここに来るようになったの?」
奈緒「あ、それあたしも訊きたい」
加蓮ちゃんもなにか言おうとしてるけど、ネギマを食べていてしゃべれない。
P「そうだなー。ここを知ったのは酒屋のあんちゃんの紹介」
楓「そうなんですか?」
P「僕の地元の酒を扱ってるって、教えてくれたんです」
加蓮「んぐっ……へえ、Pさんが酒屋さんなんて」
奈緒「うん、意外」
P「まあ、アルコールは弱いけどな。でも酒はきらいじゃない」
P「それにそういう情報持ってると、営業するときに役に立つしな」
あの人にとっては、なにをするのも仕事につながってるんだな。
楓「あんまり仕事ばっかりしてると」
楓「『仕事と私と、どっちが大事なの!』って、叫んじゃいますよ?」
P「そのときは迷わず『仕事』って、言いますよ」
あら。
あとでもう一度うかがいましょうか? ベッドの中でとか。
楓「まあ、ひどい」
P「ま、冗談にお付き合いするのはこのくらいで」
加蓮ちゃんがにやにやとやり取りを見ている。
凛ちゃんは呆れるように。
凛「まったく、ごちそうさまです……」
と、一言。
奈緒「……もう結婚しちゃえばいいじゃん」
奈緒ちゃんはビールを呑みながら言う。
結婚。
その響きに、私はどきりとする。
凛「Pさんはさ」
P「ん?」
凛「どうしてここに来るようになったの?」
奈緒「あ、それあたしも訊きたい」
加蓮ちゃんもなにか言おうとしてるけど、ネギマを食べていてしゃべれない。
P「そうだなー。ここを知ったのは酒屋のあんちゃんの紹介」
楓「そうなんですか?」
P「僕の地元の酒を扱ってるって、教えてくれたんです」
加蓮「んぐっ……へえ、Pさんが酒屋さんなんて」
奈緒「うん、意外」
P「まあ、アルコールは弱いけどな。でも酒はきらいじゃない」
P「それにそういう情報持ってると、営業するときに役に立つしな」
あの人にとっては、なにをするのも仕事につながってるんだな。
楓「あんまり仕事ばっかりしてると」
楓「『仕事と私と、どっちが大事なの!』って、叫んじゃいますよ?」
P「そのときは迷わず『仕事』って、言いますよ」
あら。
あとでもう一度うかがいましょうか? ベッドの中でとか。
楓「まあ、ひどい」
P「ま、冗談にお付き合いするのはこのくらいで」
加蓮ちゃんがにやにやとやり取りを見ている。
凛ちゃんは呆れるように。
凛「まったく、ごちそうさまです……」
と、一言。
奈緒「……もう結婚しちゃえばいいじゃん」
奈緒ちゃんはビールを呑みながら言う。
結婚。
その響きに、私はどきりとする。
498: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/08(木) 12:19:50.98 :obCwGaab0
楓「……」
P「ま、そういうタイミングがあれば、そういうのもあるかもな」
あの人は余裕の態度だ。なんか悔しい。
P「でも、先のことなんか全然わからんし」
P「だいいち、一般人でさえ結婚なんて一大事だ」
P「今はとても考えられないよ」
どきりとした気持ちが、一気にしおれてしまう。
わかってる。ええ、わかってますとも。
まだお互いに、付き合いを始めて長くもないし。
アイドルが結婚とか、夢を売る商売である以上タブー視されているのだし。
でも。
私だって、少しくらい夢を見たいじゃないか。
あの人に、文句のひとつでも言いたくなるけど、言葉が見つからない。
確かに、今まで結婚ということを真剣に考えたことはなかったけど。
そのハードルのあまりに高いこと。
かえってそのことが、私に結婚を意識させる。
『惚れた腫れたでいられたら、非常に困るんです』
かつてここで、社長が言った一言が胸に刺さる。
アイドルは、ファンに夢を見せる商売。
自分は夢見てはいけないのか?
凛「楓さん?」
楓「……え?」
凛「ぼうっとして。大丈夫ですか?」
楓「え、ええ。うん。大丈夫」
因果な商売だな。
口をつけるお酒の味が、ほろ苦い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「……」
P「ま、そういうタイミングがあれば、そういうのもあるかもな」
あの人は余裕の態度だ。なんか悔しい。
P「でも、先のことなんか全然わからんし」
P「だいいち、一般人でさえ結婚なんて一大事だ」
P「今はとても考えられないよ」
どきりとした気持ちが、一気にしおれてしまう。
わかってる。ええ、わかってますとも。
まだお互いに、付き合いを始めて長くもないし。
アイドルが結婚とか、夢を売る商売である以上タブー視されているのだし。
でも。
私だって、少しくらい夢を見たいじゃないか。
あの人に、文句のひとつでも言いたくなるけど、言葉が見つからない。
確かに、今まで結婚ということを真剣に考えたことはなかったけど。
そのハードルのあまりに高いこと。
かえってそのことが、私に結婚を意識させる。
『惚れた腫れたでいられたら、非常に困るんです』
かつてここで、社長が言った一言が胸に刺さる。
アイドルは、ファンに夢を見せる商売。
自分は夢見てはいけないのか?
凛「楓さん?」
楓「……え?」
凛「ぼうっとして。大丈夫ですか?」
楓「え、ええ。うん。大丈夫」
因果な商売だな。
口をつけるお酒の味が、ほろ苦い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
502: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/08(木) 18:00:56.00 :A4C9BIa+0
からん。
手に持つグラスの氷が揺れる。
気分を変えて、今はスミノフのロック。
ひとり酒。
大将の店から帰ってきても、どことなく居心地が悪い。
五人で呑んでいても、会話しても、さっぱり頭に入ってこない。
気がつけば、いつのまにかお開きになっていた。
私はふらふらと帰宅。
そして今。
楓「『結婚』、か」
もうすぐ27歳になんなんとする自分には、わりと現実めいた言葉だ。
ただ。
楓「アイドル、と、結婚」
職業、アイドル。
あの人との縁で仕事をはじめて、二年がせまる。
歌を聴かせ、踊りを舞い、ファンを楽しませる。
普通なら経験することのない、ハレの仕事。
やりがいもあるし、やってきたという自負もある。
かたや、結婚。
もちろん、相手はあの人以外に考えられない。
あの人と生活し、家庭を作り、こじんまりとした普通の生き方。
両立するという選択肢もあるだろう。けど。
アイドルの賞味期限は思う以上に、短い。
楓「引退、とか?」
まだ二年も仕事をしてないのに、引退なんて。
だいいち、あの人と成し遂げるって、約束したじゃないか。
楓「……ふぅ」
ウォッカの焼けるような刺激が、のどを通り抜ける。
なんというか。
考えるほど、泥沼。
ふと目に付く、スマホ。
楓「メール?」
タップして開いたメールは、凛ちゃんから。
『楓さん、無事着きました?
なんかお店出ても、心ここにあらずって感じだったから、心配です(´・ω・`)
なにかありました?』
楓「凛ちゃん……」
私は動きの悪い頭を回転させながら返信文を書いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
からん。
手に持つグラスの氷が揺れる。
気分を変えて、今はスミノフのロック。
ひとり酒。
大将の店から帰ってきても、どことなく居心地が悪い。
五人で呑んでいても、会話しても、さっぱり頭に入ってこない。
気がつけば、いつのまにかお開きになっていた。
私はふらふらと帰宅。
そして今。
楓「『結婚』、か」
もうすぐ27歳になんなんとする自分には、わりと現実めいた言葉だ。
ただ。
楓「アイドル、と、結婚」
職業、アイドル。
あの人との縁で仕事をはじめて、二年がせまる。
歌を聴かせ、踊りを舞い、ファンを楽しませる。
普通なら経験することのない、ハレの仕事。
やりがいもあるし、やってきたという自負もある。
かたや、結婚。
もちろん、相手はあの人以外に考えられない。
あの人と生活し、家庭を作り、こじんまりとした普通の生き方。
両立するという選択肢もあるだろう。けど。
アイドルの賞味期限は思う以上に、短い。
楓「引退、とか?」
まだ二年も仕事をしてないのに、引退なんて。
だいいち、あの人と成し遂げるって、約束したじゃないか。
楓「……ふぅ」
ウォッカの焼けるような刺激が、のどを通り抜ける。
なんというか。
考えるほど、泥沼。
ふと目に付く、スマホ。
楓「メール?」
タップして開いたメールは、凛ちゃんから。
『楓さん、無事着きました?
なんかお店出ても、心ここにあらずって感じだったから、心配です(´・ω・`)
なにかありました?』
楓「凛ちゃん……」
私は動きの悪い頭を回転させながら返信文を書いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
508: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/09(金) 12:17:45.15 :T9hpjsxW0
『凛ちゃんありがとう。ちゃんと着きました。
特になにもないですよ。大丈夫。
凛ちゃんこそ、無事着いたのかな?』
『私はメール送る前に着きました。ありがとうございます。
私たちが無理にPさんと楓さんのなじみのお店に突入したから、気を遣わせてしまったかなって。
無理させたんならごめんなさい(´・ω・`)』
『私も楽しかったですよ。Pさんも楽しんでたと思います。
またゆっくり呑めたらいいね』
『それならよかったです(*´∀`*)
でも、楓さんの様子がすぐれない感じだったんで。
ひょっとして、奈緒の言ったこと気にしてます?』
『気にしてないと言ったらうそになっちゃうかな。そういう年齢だしね。
でも今は仕事が忙しいし、事務所でも中堅にも満たないからね』
『えっと、楓さんは、Pさんと結婚したくないんですか?』
『そりゃしたいと思ってるし、そういうお付き合いのつもりですよ。
ただ、まだまだそれを許してくれる環境じゃないし。』
『それはただ逃げてるだけじゃないですか?
自分の幸せが一番優先されるべきです。』
『そうね。逃げてるかもしれない。
でも、自分のわがままで、Pさんの立場を悪くするのはいやだしね。
私はPさんが批判にさらされるのを見たくはないかな。』
『言い過ぎました、ごめんなさい(´・ω・`)
結婚するってことは、ファンへの裏切りになるかもっていうの、わかります。
でも、自分が幸せになりたい行動を、誰も祝福してくれないなんてことないと思います。
そんな冷たいファンじゃないって信じてます(`・ω・´)』
『ありがとう。そうだね。
ファンのみんなは応援してくれるよね。
私がむしろ心配なのは、業界の反応かな。
アイドルに手をつけて、結婚までしたプロデューサーって評判は、マイナスにしかならない気がする。』
『でも、ぶっちゃけこの業界なんて売れてナンボじゃないですか。
楓さんがPさんの手腕で売れていたら、決して悪評にならない気がします。』
『でも、お手つきってのは別だと思いますよ。
もしそういう評判がついてまわってたら、そういうプロデューサーに大事なアイドルを任せるなんてできる?』
凛ちゃんから、反応がなかなかかえってこない。
そして。
『今度、ゆっくり話をしませんか?』
うん、そうだね。
お互いに頭沸騰してるし、ちょっと時間を置いたほうがいいかもしれないね。
『そうしましょう。今日はもう遅いし。』
『ですね。じゃあおやすみなさい。』
『はい、おやすみなさい。』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『凛ちゃんありがとう。ちゃんと着きました。
特になにもないですよ。大丈夫。
凛ちゃんこそ、無事着いたのかな?』
『私はメール送る前に着きました。ありがとうございます。
私たちが無理にPさんと楓さんのなじみのお店に突入したから、気を遣わせてしまったかなって。
無理させたんならごめんなさい(´・ω・`)』
『私も楽しかったですよ。Pさんも楽しんでたと思います。
またゆっくり呑めたらいいね』
『それならよかったです(*´∀`*)
でも、楓さんの様子がすぐれない感じだったんで。
ひょっとして、奈緒の言ったこと気にしてます?』
『気にしてないと言ったらうそになっちゃうかな。そういう年齢だしね。
でも今は仕事が忙しいし、事務所でも中堅にも満たないからね』
『えっと、楓さんは、Pさんと結婚したくないんですか?』
『そりゃしたいと思ってるし、そういうお付き合いのつもりですよ。
ただ、まだまだそれを許してくれる環境じゃないし。』
『それはただ逃げてるだけじゃないですか?
自分の幸せが一番優先されるべきです。』
『そうね。逃げてるかもしれない。
でも、自分のわがままで、Pさんの立場を悪くするのはいやだしね。
私はPさんが批判にさらされるのを見たくはないかな。』
『言い過ぎました、ごめんなさい(´・ω・`)
結婚するってことは、ファンへの裏切りになるかもっていうの、わかります。
でも、自分が幸せになりたい行動を、誰も祝福してくれないなんてことないと思います。
そんな冷たいファンじゃないって信じてます(`・ω・´)』
『ありがとう。そうだね。
ファンのみんなは応援してくれるよね。
私がむしろ心配なのは、業界の反応かな。
アイドルに手をつけて、結婚までしたプロデューサーって評判は、マイナスにしかならない気がする。』
『でも、ぶっちゃけこの業界なんて売れてナンボじゃないですか。
楓さんがPさんの手腕で売れていたら、決して悪評にならない気がします。』
『でも、お手つきってのは別だと思いますよ。
もしそういう評判がついてまわってたら、そういうプロデューサーに大事なアイドルを任せるなんてできる?』
凛ちゃんから、反応がなかなかかえってこない。
そして。
『今度、ゆっくり話をしませんか?』
うん、そうだね。
お互いに頭沸騰してるし、ちょっと時間を置いたほうがいいかもしれないね。
『そうしましょう。今日はもう遅いし。』
『ですね。じゃあおやすみなさい。』
『はい、おやすみなさい。』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
509: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/09(金) 12:18:25.78 :T9hpjsxW0
三日経って。
レッスンルームの休憩室で、凛ちゃんと偶然会った。
楓「あら、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんは?」
凛「今日は別々にロケ行ってます。私はレッスンにあててもらいました」
楓「オフだったの?」
凛「うーん。なんか」
凛「体動かしてるほうが、気がまぎれるんで」
楓「そっか」
凛ちゃんは自分自身で、気持ちを昇華しようとしてる。すごいなあ。
凛「えっと」
凛「この前は、メールでえらそうなこと書いて、ごめんなさい」
楓「ううん。私こそごめんね」
凛「いえ。私こそ、甘っちょろいなって」
凛「こういう仕事してると、ままならないこと多いですよね……」
楓「そうね。そう思う」
凛「社長は」
楓「ん?」
凛「Pさんと楓さんのこと、知ってるんですか?」
楓「ええ。知ってる」
凛「そう、なんだ」
楓「だって、一番最初に見抜いたの」
楓「社長だもん」
凛「……」
三日経って。
レッスンルームの休憩室で、凛ちゃんと偶然会った。
楓「あら、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんは?」
凛「今日は別々にロケ行ってます。私はレッスンにあててもらいました」
楓「オフだったの?」
凛「うーん。なんか」
凛「体動かしてるほうが、気がまぎれるんで」
楓「そっか」
凛ちゃんは自分自身で、気持ちを昇華しようとしてる。すごいなあ。
凛「えっと」
凛「この前は、メールでえらそうなこと書いて、ごめんなさい」
楓「ううん。私こそごめんね」
凛「いえ。私こそ、甘っちょろいなって」
凛「こういう仕事してると、ままならないこと多いですよね……」
楓「そうね。そう思う」
凛「社長は」
楓「ん?」
凛「Pさんと楓さんのこと、知ってるんですか?」
楓「ええ。知ってる」
凛「そう、なんだ」
楓「だって、一番最初に見抜いたの」
楓「社長だもん」
凛「……」
510: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/09(金) 12:19:32.92 :T9hpjsxW0
凛「……」
楓「ねえ、凛ちゃん」
凛「はい」
楓「今こうしてPさんとお付き合いしてて、一応ゴシップとか気をつけてはいるけど」
楓「今のところそういう記事にはなっていない」
楓「……どうしてだと思う?」
凛「社長……ですか?」
楓「たぶん、ね」
こういう業界で生きていくには、清濁併せ呑む気構えがないと、やっていけないだろう。
そしてうちの事務所は、アイドルたちがいきいきと仕事をしている。とするなら。
濁りを引き受けるのは、上層部。
楓「だから、自分が結婚とか言い出すなら」
楓「まず、社長を納得させられないと無理だと、思うの」
楓「ひどい話だとは思うけど、まだ私には主張する権利は与えられていない」
楓「結果を出してからきやがれ、ってとこ」
凛「そう……ですか」
楓「凛ちゃんは、この業界で先輩だからわかっていると思うけど」
楓「でも、私もモデル業界にいたし。もっとも、そっちはここよりだいぶゆるいけどね」
楓「ダーティーな部分があるってことくらいは、たぶん理解してる」
楓「凛ちゃんや私がこうして、普通にお仕事をしていられるのは」
楓「誰か裏方さんが、ダーティーな部分を引き受けてくれてるから」
楓「それに恩返ししないとね。まずは」
凛「楓さんって」
凛ちゃんは、言葉を確かめるようにつぶやいた。
凛「……」
楓「ねえ、凛ちゃん」
凛「はい」
楓「今こうしてPさんとお付き合いしてて、一応ゴシップとか気をつけてはいるけど」
楓「今のところそういう記事にはなっていない」
楓「……どうしてだと思う?」
凛「社長……ですか?」
楓「たぶん、ね」
こういう業界で生きていくには、清濁併せ呑む気構えがないと、やっていけないだろう。
そしてうちの事務所は、アイドルたちがいきいきと仕事をしている。とするなら。
濁りを引き受けるのは、上層部。
楓「だから、自分が結婚とか言い出すなら」
楓「まず、社長を納得させられないと無理だと、思うの」
楓「ひどい話だとは思うけど、まだ私には主張する権利は与えられていない」
楓「結果を出してからきやがれ、ってとこ」
凛「そう……ですか」
楓「凛ちゃんは、この業界で先輩だからわかっていると思うけど」
楓「でも、私もモデル業界にいたし。もっとも、そっちはここよりだいぶゆるいけどね」
楓「ダーティーな部分があるってことくらいは、たぶん理解してる」
楓「凛ちゃんや私がこうして、普通にお仕事をしていられるのは」
楓「誰か裏方さんが、ダーティーな部分を引き受けてくれてるから」
楓「それに恩返ししないとね。まずは」
凛「楓さんって」
凛ちゃんは、言葉を確かめるようにつぶやいた。
511: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/09(金) 12:20:03.45 :T9hpjsxW0
凛「……おとな、ですね」
楓「そう、かな?」
楓「みんなにおんぶにだっこ、だけどね」
凛「私は、ファンが一番大事で」
凛「ファンのみんなに喜んでもらえるようにって、やってるだけで」
凛「裏方さんとは、同志って感じで」
楓「でも、アイドルってそれが」
楓「一番大事じゃない?」
凛「ええ。そう、思うんです」
とどのつまりは、そういうことだ。
楓「ファンに祝福されるような引き際、って言うのかな」
楓「そういうのって、たぶんあるんじゃないかな」
凛「そうですね。うん、そうだ」
凛「今は引き際とか、ぜんぜんわからないですけど」
楓「それは私も同じ」
楓「やれることを、やるしかない」
楓「かな?」
凛「くすっ……そうですね」
凛「なーんだろ。前よりずっと」
凛「楓さんと一緒に仕事。したくなっちゃいました」
凛ちゃんが笑う。
楓「奇遇ね。私も」
楓「そう思ってます」
凛「うふふっ」
楓「ふふふっ」
引き際を考える余裕なんか、まだない。
今はこうして、大好きな人たちと一緒に仕事ができる、幸せ。
私は恵まれてるなあ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「……おとな、ですね」
楓「そう、かな?」
楓「みんなにおんぶにだっこ、だけどね」
凛「私は、ファンが一番大事で」
凛「ファンのみんなに喜んでもらえるようにって、やってるだけで」
凛「裏方さんとは、同志って感じで」
楓「でも、アイドルってそれが」
楓「一番大事じゃない?」
凛「ええ。そう、思うんです」
とどのつまりは、そういうことだ。
楓「ファンに祝福されるような引き際、って言うのかな」
楓「そういうのって、たぶんあるんじゃないかな」
凛「そうですね。うん、そうだ」
凛「今は引き際とか、ぜんぜんわからないですけど」
楓「それは私も同じ」
楓「やれることを、やるしかない」
楓「かな?」
凛「くすっ……そうですね」
凛「なーんだろ。前よりずっと」
凛「楓さんと一緒に仕事。したくなっちゃいました」
凛ちゃんが笑う。
楓「奇遇ね。私も」
楓「そう思ってます」
凛「うふふっ」
楓「ふふふっ」
引き際を考える余裕なんか、まだない。
今はこうして、大好きな人たちと一緒に仕事ができる、幸せ。
私は恵まれてるなあ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
515: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/12(月) 12:15:54.13 :+ZwvBcOQ0
事務所に来て二度目の6月。
27歳の誕生日に、やっぱり来ているのは大将の店。
P「呑みなおしたいって楓さんが言うと思ったら、ここですか」
楓「ええ、ここです」
今年は旅行とか行けませんから、と。あの人はディナーの予約をしてくれていた。
もちろん、それはそれで楽しい。雰囲気も違って。
でもやはり、あの人となら。
P「なんかいつもと変わりませんけどね」
楓「でも」
楓「Pさんとの場所ですからね。ふふっ」
大将「お前なにげに失礼なこと言うよな」
こうして気心の知れた人たちに囲まれて、バースデーを祝ってくれることが、なによりうれしい。
大将「ま、なにより。楓さんのめでたい日だし」
大将「改めて」
P「乾杯」
かちん。
グラスの音がここちよい。
楓「これ、すごく甘いお酒ですね」
大将「『一の蔵』の『ひめぜん』って酒だな」
大将「まあ、Pに頼まれてな」
P「だから大将、ネタばらしはやめましょうって何度も」
大将「べーつにいいじゃねえか。お前と楓さんの仲だし」
大将「それとも、言えないようなやましいことでもあんのか?」
P「ありません、って。それ何番煎じのいじりですか」
楓「ふふふっ」
あの人と大将はあいかわらずの仲だ。
でも。
大将「まあ最近、ふたりとも忙しいみたいだからさ。俺としては淋しいけど」
大将「でも、忙しいのはいいことだ」
P「おかげさまで」
実は、結構ごぶさただった。
というのも。
事務所に来て二度目の6月。
27歳の誕生日に、やっぱり来ているのは大将の店。
P「呑みなおしたいって楓さんが言うと思ったら、ここですか」
楓「ええ、ここです」
今年は旅行とか行けませんから、と。あの人はディナーの予約をしてくれていた。
もちろん、それはそれで楽しい。雰囲気も違って。
でもやはり、あの人となら。
P「なんかいつもと変わりませんけどね」
楓「でも」
楓「Pさんとの場所ですからね。ふふっ」
大将「お前なにげに失礼なこと言うよな」
こうして気心の知れた人たちに囲まれて、バースデーを祝ってくれることが、なによりうれしい。
大将「ま、なにより。楓さんのめでたい日だし」
大将「改めて」
P「乾杯」
かちん。
グラスの音がここちよい。
楓「これ、すごく甘いお酒ですね」
大将「『一の蔵』の『ひめぜん』って酒だな」
大将「まあ、Pに頼まれてな」
P「だから大将、ネタばらしはやめましょうって何度も」
大将「べーつにいいじゃねえか。お前と楓さんの仲だし」
大将「それとも、言えないようなやましいことでもあんのか?」
P「ありません、って。それ何番煎じのいじりですか」
楓「ふふふっ」
あの人と大将はあいかわらずの仲だ。
でも。
大将「まあ最近、ふたりとも忙しいみたいだからさ。俺としては淋しいけど」
大将「でも、忙しいのはいいことだ」
P「おかげさまで」
実は、結構ごぶさただった。
というのも。
516: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/12(月) 12:17:15.44 :+ZwvBcOQ0
5月。ゴールデンウィーク明けに、私とあの人は企画会議に出ていた。
スタッフ「トライアドの恒例アリーナライヴですが、チケット予約完売です!」
ぱちぱちぱち。
さすがにうちの看板。人気の高さはすさまじいものがある。
ス「それで、高垣さんに今日、会議に参加してもらったのは」
ス「追加公演のゲスト出演をお願いするためです」
楓「ゲスト、ですか?」
ス「はい。アリーナの予備日を追加公演にあてることにしましたので」
ス「サプライズゲストという形でお願いしようかと思ってます」
P「えーとそれは、トライアドとのジョイント、ということですか?」
ス「はい。実は」
ス「社長から直々の要請です」
P「ちょっと待ってください! えーと……」
P「うちの高垣もライヴツアー中ですが」
ス「ブッキングは確認してます。それと」
ス「確定ではありませんけど、これは高垣さんとのクロスジョイントとする予定です」
P「クロス、ですか?」
ス「はい。高垣さんのツアー最終日にトライアドとの共演を入れようということです」
えらいことになった。
どうやら事務所としては、私とトライアドを二枚看板にして、今度のツアーで共演させるつもりらしい。
すでに私のツアーはある程度企画が固まっている。そこに、いわゆるブッコミだ。
P「うちのほうはすでに企画が動いてるので……なんでまた社長が」
ス「一応、上層部の意見はそれでということだそうですが……」
同じ事務所であっても、担当アイドルごとにスタッフが動いているわけで。
そこを横断してイベントを行うのは、初期の頃から根回ししておかないとなかなか厳しい。
ただ。そこはご意向に逆らうというわけにはいかない。
P「うーん。確認ですけど」
P「最終日だけで、いいんですね?」
ス「そういうことになります」
P「まあ、トライアドの追加分に参加は大丈夫だと思いますけど」
P「こっちのツアーはどうかなあ……」
悩ましい。
そりゃあ、凛ちゃんたちと共演したい気持ちは強い。
でも、私の一存では決められない。
それでも、ここは。
楓「Pさん?」
P「はい」
楓「もし、やれるようなら」
楓「私はこのお話、お受けしたいんですが」
5月。ゴールデンウィーク明けに、私とあの人は企画会議に出ていた。
スタッフ「トライアドの恒例アリーナライヴですが、チケット予約完売です!」
ぱちぱちぱち。
さすがにうちの看板。人気の高さはすさまじいものがある。
ス「それで、高垣さんに今日、会議に参加してもらったのは」
ス「追加公演のゲスト出演をお願いするためです」
楓「ゲスト、ですか?」
ス「はい。アリーナの予備日を追加公演にあてることにしましたので」
ス「サプライズゲストという形でお願いしようかと思ってます」
P「えーとそれは、トライアドとのジョイント、ということですか?」
ス「はい。実は」
ス「社長から直々の要請です」
P「ちょっと待ってください! えーと……」
P「うちの高垣もライヴツアー中ですが」
ス「ブッキングは確認してます。それと」
ス「確定ではありませんけど、これは高垣さんとのクロスジョイントとする予定です」
P「クロス、ですか?」
ス「はい。高垣さんのツアー最終日にトライアドとの共演を入れようということです」
えらいことになった。
どうやら事務所としては、私とトライアドを二枚看板にして、今度のツアーで共演させるつもりらしい。
すでに私のツアーはある程度企画が固まっている。そこに、いわゆるブッコミだ。
P「うちのほうはすでに企画が動いてるので……なんでまた社長が」
ス「一応、上層部の意見はそれでということだそうですが……」
同じ事務所であっても、担当アイドルごとにスタッフが動いているわけで。
そこを横断してイベントを行うのは、初期の頃から根回ししておかないとなかなか厳しい。
ただ。そこはご意向に逆らうというわけにはいかない。
P「うーん。確認ですけど」
P「最終日だけで、いいんですね?」
ス「そういうことになります」
P「まあ、トライアドの追加分に参加は大丈夫だと思いますけど」
P「こっちのツアーはどうかなあ……」
悩ましい。
そりゃあ、凛ちゃんたちと共演したい気持ちは強い。
でも、私の一存では決められない。
それでも、ここは。
楓「Pさん?」
P「はい」
楓「もし、やれるようなら」
楓「私はこのお話、お受けしたいんですが」
517: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/12(月) 12:17:57.16 :+ZwvBcOQ0
P「……」
あの人は悩んでいる。
P「わかりました。できるだけ努力はしましょう」
P「ただ、トライアドの参加決定は、早めに。できれば一両日中にも」
P「お願いします」
ス「……了解しました」
あの人も駆け引きをする。
そっちがぶっこんできたのだから、こっちの無理も聞け。
そういうことだ。
P「まあ、同じ事務所ですし」
P「お互いにがんばりましょう」
急な話ではあるが、凛ちゃんたちとの共演が決まる。
思ったよりずっと早くに実現することに、私はとまどう。
楓「あんなこと言っちゃいましたけど」
楓「私、大丈夫ですか、ね?」
あの人はにっこり笑って。
P「大丈夫です」
P「楓さんはもううちの看板ですから。自信持って」
P「僕もいますから」
ああ、そうだ。
あの人がいる安心感。
楓「なんか頼ってばかりですけど」
P「いいんじゃないですか?」
P「役得ですし」
楓「……はい」
忙しくなるのは確定。でも。
あの人と一緒にまた、がんばれる。
今はそれで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「……」
あの人は悩んでいる。
P「わかりました。できるだけ努力はしましょう」
P「ただ、トライアドの参加決定は、早めに。できれば一両日中にも」
P「お願いします」
ス「……了解しました」
あの人も駆け引きをする。
そっちがぶっこんできたのだから、こっちの無理も聞け。
そういうことだ。
P「まあ、同じ事務所ですし」
P「お互いにがんばりましょう」
急な話ではあるが、凛ちゃんたちとの共演が決まる。
思ったよりずっと早くに実現することに、私はとまどう。
楓「あんなこと言っちゃいましたけど」
楓「私、大丈夫ですか、ね?」
あの人はにっこり笑って。
P「大丈夫です」
P「楓さんはもううちの看板ですから。自信持って」
P「僕もいますから」
ああ、そうだ。
あの人がいる安心感。
楓「なんか頼ってばかりですけど」
P「いいんじゃないですか?」
P「役得ですし」
楓「……はい」
忙しくなるのは確定。でも。
あの人と一緒にまた、がんばれる。
今はそれで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
523: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/13(火) 17:47:40.58 :O8xMtBT80
それにしても、なぜ社長が。
このタイミングで。
なんとも釈然としないところに、メールが届く。
『なんかスタッフがご迷惑をおかけしたみたいで、ごめんなさい!』
凛ちゃんだ。
『共演したかったのだから、こっちこそお礼を言うことですよ。
でも急な話だったから、正直とまどったのは確か。とくにPさんがね』
『私がついライブのキックオフミーティングで、楓さんとやれたらって言っちゃったから(´・ω・`)
キックオフだったしたまたま社長がいて、覚えてたみたいです(;´・ω・`)』
ああ、そういうことか。
なら凛ちゃんに罪はないし、社長が主導なのだから仕方ない。
『気にしないで。とにかく私は楽しみにしてるからね』
『はい、わかりました。
あ。奈緒も加蓮も、楽しみにしてますよ!』
そうだろうなあ。
凛ちゃんのメールの前に、加蓮ちゃんからも来てたし。
奈緒ちゃんにいたっては、電話口でぺこぺこ謝ってたし。
『近いうちに打合せもあるでしょうから、またそのときにね』
三人とも、一緒に話を聞いてるだろうに。
それぞれ私にメールとか電話とか。みんなかわいいなあ。
それにしても、なぜ社長が。
このタイミングで。
なんとも釈然としないところに、メールが届く。
『なんかスタッフがご迷惑をおかけしたみたいで、ごめんなさい!』
凛ちゃんだ。
『共演したかったのだから、こっちこそお礼を言うことですよ。
でも急な話だったから、正直とまどったのは確か。とくにPさんがね』
『私がついライブのキックオフミーティングで、楓さんとやれたらって言っちゃったから(´・ω・`)
キックオフだったしたまたま社長がいて、覚えてたみたいです(;´・ω・`)』
ああ、そういうことか。
なら凛ちゃんに罪はないし、社長が主導なのだから仕方ない。
『気にしないで。とにかく私は楽しみにしてるからね』
『はい、わかりました。
あ。奈緒も加蓮も、楽しみにしてますよ!』
そうだろうなあ。
凛ちゃんのメールの前に、加蓮ちゃんからも来てたし。
奈緒ちゃんにいたっては、電話口でぺこぺこ謝ってたし。
『近いうちに打合せもあるでしょうから、またそのときにね』
三人とも、一緒に話を聞いてるだろうに。
それぞれ私にメールとか電話とか。みんなかわいいなあ。
524: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/13(火) 17:48:27.29 :O8xMtBT80
翌日にトライアドのツアー参加が決定する。
そしてほどなく、合同の打合せ。
チーフプロデューサー「おお! Pくん久しぶり!」
P「お久しぶりです」
チーフ「まだPくんがアシやってたときからだから、4年ぶりくらいか?」
P「ですね。まさかチーフがトライアドのプロデュースやってくれてるなんて」
楓「あの。こちらの方は?」
P「ああ、僕がアシスタントのときお世話になった方で」
チーフ「高垣さんはじめまして。画面では何度も拝見しております」
チーフさんから名刺をいただく。
ああ。外部委託の方か。
でも、このプロデュース会社、確かフリーの大手だったような気が。
あれ? 代表取締役……
P「チーフさんは、うちの社長と一緒にプロデューサーやってた方ですよ」
チーフ「CGプロの看板と一緒に仕事させていただくので」
チーフ「私が出なきゃいかんな、と思いまして。あはは」
楓「まあ」
チーフ「今は独立してますけど。こうして仕事もいただいてますし」
チーフ「ありがたいことです」
楓「そうでしたか」
チーフ「いや、高垣さんのご活躍、うかがっておりますよ」
楓「いえ、Pさんのおかげですから」
チーフ「Pくんは実直だから、スタッフメンバーからも評判がいいんですよ」
楓「そうですか。それなら私は運がよかったですね」
チーフさんは、あの人と私を温かい目で見ている。
チーフ「まあ、まさかPくんがプレイングプロデューサーやってるとは思わなかったけどな」
P「いや、それは勘弁してくださいよ」
チーフ「でもそれはそれで、いろいろ楽しそうだからねえ」
P「だから勘弁してください。たのんます」
旧知の仲なのか、あの人とチーフさんのやりとりを見てると、おもしろいと感じる。
チーフ「そうそう、高垣さん」
楓「はい?」
チーフ「ぜひ機会があれば、プロデュースさせていただきたいですな」
楓「いえ、こちらこそ」
チーフ「ま。Pくんがいる間は無理そうですけど?」
翌日にトライアドのツアー参加が決定する。
そしてほどなく、合同の打合せ。
チーフプロデューサー「おお! Pくん久しぶり!」
P「お久しぶりです」
チーフ「まだPくんがアシやってたときからだから、4年ぶりくらいか?」
P「ですね。まさかチーフがトライアドのプロデュースやってくれてるなんて」
楓「あの。こちらの方は?」
P「ああ、僕がアシスタントのときお世話になった方で」
チーフ「高垣さんはじめまして。画面では何度も拝見しております」
チーフさんから名刺をいただく。
ああ。外部委託の方か。
でも、このプロデュース会社、確かフリーの大手だったような気が。
あれ? 代表取締役……
P「チーフさんは、うちの社長と一緒にプロデューサーやってた方ですよ」
チーフ「CGプロの看板と一緒に仕事させていただくので」
チーフ「私が出なきゃいかんな、と思いまして。あはは」
楓「まあ」
チーフ「今は独立してますけど。こうして仕事もいただいてますし」
チーフ「ありがたいことです」
楓「そうでしたか」
チーフ「いや、高垣さんのご活躍、うかがっておりますよ」
楓「いえ、Pさんのおかげですから」
チーフ「Pくんは実直だから、スタッフメンバーからも評判がいいんですよ」
楓「そうですか。それなら私は運がよかったですね」
チーフさんは、あの人と私を温かい目で見ている。
チーフ「まあ、まさかPくんがプレイングプロデューサーやってるとは思わなかったけどな」
P「いや、それは勘弁してくださいよ」
チーフ「でもそれはそれで、いろいろ楽しそうだからねえ」
P「だから勘弁してください。たのんます」
旧知の仲なのか、あの人とチーフさんのやりとりを見てると、おもしろいと感じる。
チーフ「そうそう、高垣さん」
楓「はい?」
チーフ「ぜひ機会があれば、プロデュースさせていただきたいですな」
楓「いえ、こちらこそ」
チーフ「ま。Pくんがいる間は無理そうですけど?」
525: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/13(火) 17:49:41.81 :O8xMtBT80
楓「そうですね。ふふっ」
チーフ「いやあ、Pくんもいい仕事してるようだし、将来が楽しみですよ」
P「でも事務所の意向で配置換えになるかもですしね」
チーフ「そのときはうちに来なさい」
チーフ「なあに、Pくんほどの力量なら、かなりの案件を任せられるからね」
P「さすがに、社長に恨まれそうなんで、やめときます」
チーフ「ああ、あいつなら大丈夫。いやでもオーケーと言わす」
P「ははっ、そのときはぜひ」
チーフ「はははっ」
チーフ「ま、時間もおしてるから、さっそく打合せに入ろうか」
P「ええ、よろしくお願いします」
私は私で、妹たち三人とグループを組んでいる。
奈緒「なんか楓さんとPさんに無理させちゃったみたいで、ほんとごめんなさい!」
楓「奈緒ちゃん、電話でも謝ってくれてたじゃない。わざわざいいのに」
加蓮「奈緒って、ちょっと気にしすぎじゃない?」
奈緒「いや、こういうのは形からきっちりしておかないとさ」
凛「でも楓さんもいいって言ってるんだし、もういいんじゃない?」
奈緒「……ううっ、なんか釈然としない……」
奈緒ちゃんはリーダー気質なんだろうな。やはり手順が大事だと思ってるみたい。
凛ちゃんや加蓮ちゃんの面倒を見れるのも、こういうパーソナリティがあるからだろうな。
楓「でも、こうして一緒にできる機会が与えられたんだし」
楓「がんばりましょ?」
凛「……はい」
凛ちゃんはいっそう気を引き締めているようだ。
加蓮「みんなー、打合せ始まるってさー」
奈緒「はーい」
凛「はーい」
さあ、私も行こう。
楓「はい。今行きます」
楓「そうですね。ふふっ」
チーフ「いやあ、Pくんもいい仕事してるようだし、将来が楽しみですよ」
P「でも事務所の意向で配置換えになるかもですしね」
チーフ「そのときはうちに来なさい」
チーフ「なあに、Pくんほどの力量なら、かなりの案件を任せられるからね」
P「さすがに、社長に恨まれそうなんで、やめときます」
チーフ「ああ、あいつなら大丈夫。いやでもオーケーと言わす」
P「ははっ、そのときはぜひ」
チーフ「はははっ」
チーフ「ま、時間もおしてるから、さっそく打合せに入ろうか」
P「ええ、よろしくお願いします」
私は私で、妹たち三人とグループを組んでいる。
奈緒「なんか楓さんとPさんに無理させちゃったみたいで、ほんとごめんなさい!」
楓「奈緒ちゃん、電話でも謝ってくれてたじゃない。わざわざいいのに」
加蓮「奈緒って、ちょっと気にしすぎじゃない?」
奈緒「いや、こういうのは形からきっちりしておかないとさ」
凛「でも楓さんもいいって言ってるんだし、もういいんじゃない?」
奈緒「……ううっ、なんか釈然としない……」
奈緒ちゃんはリーダー気質なんだろうな。やはり手順が大事だと思ってるみたい。
凛ちゃんや加蓮ちゃんの面倒を見れるのも、こういうパーソナリティがあるからだろうな。
楓「でも、こうして一緒にできる機会が与えられたんだし」
楓「がんばりましょ?」
凛「……はい」
凛ちゃんはいっそう気を引き締めているようだ。
加蓮「みんなー、打合せ始まるってさー」
奈緒「はーい」
凛「はーい」
さあ、私も行こう。
楓「はい。今行きます」
526: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/13(火) 17:50:14.60 :O8xMtBT80
初回の打合せなので、まずは自己紹介。
そして、互いのライヴコンセプトの説明と、セットリストの交換。
期間も限られているため、今回持ち寄った案をもとに、トライアドの演出はチーフさんが。
私のジョイントに関してはあの人が担当することとなる。
チーフ「あとの詳細は、私とPくんで詰めていくとして」
チーフ「全体レッスンはどうするかね」
P「そこはお互いプロ同士ですし、経験もあるわけですから」
P「それぞれ仮想レッスンを行って、本番近くに通しでやればいいんじゃないでしょうか」
チーフ「そのあたりのマネジメントは、事務所統括としてPくんにお願いしたいんだけど」
P「わかりました。そのほうがたぶん通りがいいと思います」
チーフ「うん。よろしくお願いするよ」
ざっくりとしたスケジュールを決め、解散。
トライアドの三人は、これからグループレッスンということで、ルームに向かった。
楓「なんか、Pさんの負担が大きくなっちゃいましたけど」
楓「大丈夫ですか?」
P「まあ二組分ですから、正直いっぱいいっぱいだなと思いますけど」
P「でも、やりがいありますよ」
そんなことがあって、ひと月。
私はレッスンと営業に。あの人はチーフさんと打合せに。
お互いにすれ違いが続き。
大将「で、今日顔合わせできたってことか」
あの人は頭をかいている。
初回の打合せなので、まずは自己紹介。
そして、互いのライヴコンセプトの説明と、セットリストの交換。
期間も限られているため、今回持ち寄った案をもとに、トライアドの演出はチーフさんが。
私のジョイントに関してはあの人が担当することとなる。
チーフ「あとの詳細は、私とPくんで詰めていくとして」
チーフ「全体レッスンはどうするかね」
P「そこはお互いプロ同士ですし、経験もあるわけですから」
P「それぞれ仮想レッスンを行って、本番近くに通しでやればいいんじゃないでしょうか」
チーフ「そのあたりのマネジメントは、事務所統括としてPくんにお願いしたいんだけど」
P「わかりました。そのほうがたぶん通りがいいと思います」
チーフ「うん。よろしくお願いするよ」
ざっくりとしたスケジュールを決め、解散。
トライアドの三人は、これからグループレッスンということで、ルームに向かった。
楓「なんか、Pさんの負担が大きくなっちゃいましたけど」
楓「大丈夫ですか?」
P「まあ二組分ですから、正直いっぱいいっぱいだなと思いますけど」
P「でも、やりがいありますよ」
そんなことがあって、ひと月。
私はレッスンと営業に。あの人はチーフさんと打合せに。
お互いにすれ違いが続き。
大将「で、今日顔合わせできたってことか」
あの人は頭をかいている。
527: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/13(火) 17:50:44.98 :O8xMtBT80
大将「ま、なんだ。彼女を置き去りにしてる感じは否めないわな」
P「そこはほんと、申し訳ない」
楓「いえ。メールとかでやりとりはしてたので」
大将「ま、それでも誕生日をちゃーんと祝ってやったってのは」
大将「合格だな」
P「そこは、大事な日ですから」
楓「それだけで、私はうれしいですよ?」
大将「ほう? Pは愛されてるねえ」
大将「がははは!」
大将がいてくれると、それだけで明るくなる。
正直私もあの人も、ちょっと煮詰まっていたきらいはあるのだ。
ディナーはうれしかったし、久々にふたりきりというのもうれしかった。
でも、間が持たない。
誤算だった。
ひと月会えないだけで、こうもギクシャクするとは。
楓「でもここに来ると、なんか自分の居場所に帰ってきた感じで」
楓「和むんです」
大将「そいつあうれしいねえ」
P「僕も正直、レストランで食事とかって」
P「なんか変な汗出てて、落ち着かなかったんですよ」
楓「そうなんですか?」
P「楓さんには感謝してますよ?」
楓「あら?」
P「こうして気の許せるところで二次会とか」
P「まあ、息の抜けない日々でしたからね」
大将「そうかい。ま、気が楽になったってんなら」
大将「俺もうれしいよ」
P「大将、感謝します!」
楓「ふふっ」
大将「おう、もっと日頃から感謝しとけ。な」
私は手に冷酒のグラスを持つ。
楓「なら、大将の心遣いに」
楓「乾杯」
P「僕も、乾杯」
張り詰めた気持ちをほぐしてくれる、この時間。
大事にしたい。
大将「おう。俺も、お前らの幸せに」
大将「乾杯、だ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大将「ま、なんだ。彼女を置き去りにしてる感じは否めないわな」
P「そこはほんと、申し訳ない」
楓「いえ。メールとかでやりとりはしてたので」
大将「ま、それでも誕生日をちゃーんと祝ってやったってのは」
大将「合格だな」
P「そこは、大事な日ですから」
楓「それだけで、私はうれしいですよ?」
大将「ほう? Pは愛されてるねえ」
大将「がははは!」
大将がいてくれると、それだけで明るくなる。
正直私もあの人も、ちょっと煮詰まっていたきらいはあるのだ。
ディナーはうれしかったし、久々にふたりきりというのもうれしかった。
でも、間が持たない。
誤算だった。
ひと月会えないだけで、こうもギクシャクするとは。
楓「でもここに来ると、なんか自分の居場所に帰ってきた感じで」
楓「和むんです」
大将「そいつあうれしいねえ」
P「僕も正直、レストランで食事とかって」
P「なんか変な汗出てて、落ち着かなかったんですよ」
楓「そうなんですか?」
P「楓さんには感謝してますよ?」
楓「あら?」
P「こうして気の許せるところで二次会とか」
P「まあ、息の抜けない日々でしたからね」
大将「そうかい。ま、気が楽になったってんなら」
大将「俺もうれしいよ」
P「大将、感謝します!」
楓「ふふっ」
大将「おう、もっと日頃から感謝しとけ。な」
私は手に冷酒のグラスを持つ。
楓「なら、大将の心遣いに」
楓「乾杯」
P「僕も、乾杯」
張り詰めた気持ちをほぐしてくれる、この時間。
大事にしたい。
大将「おう。俺も、お前らの幸せに」
大将「乾杯、だ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
532: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/14(水) 17:29:07.30 :ZbL4CVt30
楓「んふふー」
私はすこぶる機嫌がいい。
大将の店からの帰り道。久々にあの人と打ち解けることができたのだ。
多少呑みすぎても、ばちは当たらないと、思う。
P「楓さん、ほら、危ない」
あの人が、車道側へふらついた私の腕をつかむ。
楓「あ、Pさん。セクハラですよー」
P「なんか今日は、だいぶ酔ってるんじゃないですか?」
楓「んふー。たまにはいいじゃないですかあ。だって」
楓「Pさんと久々の、で・え・と。ですしー」
P「……ま、いいですか」
あの人はやれやれといったそぶりをする。
P「それはそうと、僕から誕生日のプレゼントがあるんですけど」
楓「プレゼントですかあ? あら、なにかしらー」
P「ちょっとあぶなっかしくて、見てらんないです。ほら」
あの人と私は、小さな公園へ立ち寄った。
楓「ぶらんこー。えへへー」
P「ほら、漕がない漕がない。酔いがまわりますよ?」
楓「はあい」
ブランコに座る私に向き合って、あの人が私の手の上から優しくつかむ。
P「ほら、これで漕げない」
楓「いいですー。乗ってるだけで楽しいですー」
下から見上げる私と、上から見つめるあの人。
見つめあうまま、あの人が口を開く。
P「で、プレゼントです」
楓「……はい」
P「あんまりお金はかかってないですけど」
そう言ってあの人は、スーツのポケットからなにかを出した。
楓「……これ」
P「……キザですか」
楓「んふふー」
私はすこぶる機嫌がいい。
大将の店からの帰り道。久々にあの人と打ち解けることができたのだ。
多少呑みすぎても、ばちは当たらないと、思う。
P「楓さん、ほら、危ない」
あの人が、車道側へふらついた私の腕をつかむ。
楓「あ、Pさん。セクハラですよー」
P「なんか今日は、だいぶ酔ってるんじゃないですか?」
楓「んふー。たまにはいいじゃないですかあ。だって」
楓「Pさんと久々の、で・え・と。ですしー」
P「……ま、いいですか」
あの人はやれやれといったそぶりをする。
P「それはそうと、僕から誕生日のプレゼントがあるんですけど」
楓「プレゼントですかあ? あら、なにかしらー」
P「ちょっとあぶなっかしくて、見てらんないです。ほら」
あの人と私は、小さな公園へ立ち寄った。
楓「ぶらんこー。えへへー」
P「ほら、漕がない漕がない。酔いがまわりますよ?」
楓「はあい」
ブランコに座る私に向き合って、あの人が私の手の上から優しくつかむ。
P「ほら、これで漕げない」
楓「いいですー。乗ってるだけで楽しいですー」
下から見上げる私と、上から見つめるあの人。
見つめあうまま、あの人が口を開く。
P「で、プレゼントです」
楓「……はい」
P「あんまりお金はかかってないですけど」
そう言ってあの人は、スーツのポケットからなにかを出した。
楓「……これ」
P「……キザですか」
533: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/14(水) 17:30:08.04 :ZbL4CVt30
渡されたのは、カギ。
『P』のイニシャルが入った、キーホルダー付きの。
楓「あい、カギ」
楓「ですよ、ね?」
P「……です」
あの人はズボンのポケットからカギを出す。そこには『K』のイニシャルのキーホルダー。
どくん。
鼓動が速くなるのが、わかる。
楓「いいん、です、か?」
P「……社長がですね、言うんです」
P「お前たちのことは、なんとかしてやる、って」
楓「……」
P「まあ、まだまだ成し遂げてない気はしますけど」
P「社長にそこまで言われたら、ねえ」
楓「……」
P「というわけで、楓さん」
P「これからも、ずっと一緒に、いてください」
言葉にならない。
ぽろぽろ。
ぽろぽろ。
なぜだろう。涙が出てくる。
ああ。うれし涙、か。
うれしくても、泣けるものなんだ。
私は、ブランコから立ち上がる。
目の前にはあの人。
そのまま、私はあの人の口をふさぐ。
大人のキス。ただ気持ちのおもむくままに。
何度も。何度でも。
楓「はい……はい……」
楓「一緒にいさせて、ください」
そしてまた、大人のキス。
むさぼるように、何度も。
小さな公園で、人目もはばからず。
そのとき、その空間が、私の世界の全てだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
渡されたのは、カギ。
『P』のイニシャルが入った、キーホルダー付きの。
楓「あい、カギ」
楓「ですよ、ね?」
P「……です」
あの人はズボンのポケットからカギを出す。そこには『K』のイニシャルのキーホルダー。
どくん。
鼓動が速くなるのが、わかる。
楓「いいん、です、か?」
P「……社長がですね、言うんです」
P「お前たちのことは、なんとかしてやる、って」
楓「……」
P「まあ、まだまだ成し遂げてない気はしますけど」
P「社長にそこまで言われたら、ねえ」
楓「……」
P「というわけで、楓さん」
P「これからも、ずっと一緒に、いてください」
言葉にならない。
ぽろぽろ。
ぽろぽろ。
なぜだろう。涙が出てくる。
ああ。うれし涙、か。
うれしくても、泣けるものなんだ。
私は、ブランコから立ち上がる。
目の前にはあの人。
そのまま、私はあの人の口をふさぐ。
大人のキス。ただ気持ちのおもむくままに。
何度も。何度でも。
楓「はい……はい……」
楓「一緒にいさせて、ください」
そしてまた、大人のキス。
むさぼるように、何度も。
小さな公園で、人目もはばからず。
そのとき、その空間が、私の世界の全てだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
538: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:27:31.79 :k/W6vBHb0
翌日。
あの人とともに出社した私は、報告をするために社長室へ向かう。
社長「そうですか。とりあえず、おめでとうと言っておきましょう」
楓「ありがとうございます」
P「ありがとうございます」
社長「いえ。私もおせっかいだとは思いますけどね」
社長「高垣さんも、もううちの看板になっていると思ってますし」
楓「光栄です」
社長「あ、それと」
社長「これだけ有名になると、やはり」
社長「パパラッチもうるさくなってるのでね」
そうか。そうだろうな。
移動や外出にも、かなり気を遣っている。
あの人のマンションに行くときでも、ここのところはタクシーなどで移動する。
偽の行動スケジュールを流しておくこともある。
どこから情報が漏れるか、わからないからだ。
社長「ああ、あの居酒屋ですけど」
社長「もうマークされてますよ」
そうなのか。だとしたら、大将に迷惑をかけてしまってる。
楓「じゃあ、あのお店には」
社長「いえ? そのままどうぞ。行ってもらって結構です」
楓「え?」
社長「大将には、すでにお願いしてありますので」
どういうこと?
社長の言ってることが、よくわからない。
P「僕と社長で、大将とお話させてもらいました」
P「楓さんを守りたいから、協力してくれないか、と」
社長「そういうことです。気がつきませんでしたか?」
社長「高垣さんがいるときは常に、大将が近くにいませんか?」
あ。そういえば。
なにかにつけ、大将は私に声をかける。
P「あと、いつものカウンター。あそこも『予約席』にしてます」
P「お店で一番死角になるとこですから」
なんてことだ。
私は、私のわがままで、これほどの人たちを巻き込んでいる。
そんなこともいっさい見せることなく、大将は普段どおり私に接してくれた。
ああ。
楓「私……あの……なんと言えば」
社長「いえ、高垣さんは気にする必要はないんです」
社長「私は言ったでしょう? 本気ですか、と」
翌日。
あの人とともに出社した私は、報告をするために社長室へ向かう。
社長「そうですか。とりあえず、おめでとうと言っておきましょう」
楓「ありがとうございます」
P「ありがとうございます」
社長「いえ。私もおせっかいだとは思いますけどね」
社長「高垣さんも、もううちの看板になっていると思ってますし」
楓「光栄です」
社長「あ、それと」
社長「これだけ有名になると、やはり」
社長「パパラッチもうるさくなってるのでね」
そうか。そうだろうな。
移動や外出にも、かなり気を遣っている。
あの人のマンションに行くときでも、ここのところはタクシーなどで移動する。
偽の行動スケジュールを流しておくこともある。
どこから情報が漏れるか、わからないからだ。
社長「ああ、あの居酒屋ですけど」
社長「もうマークされてますよ」
そうなのか。だとしたら、大将に迷惑をかけてしまってる。
楓「じゃあ、あのお店には」
社長「いえ? そのままどうぞ。行ってもらって結構です」
楓「え?」
社長「大将には、すでにお願いしてありますので」
どういうこと?
社長の言ってることが、よくわからない。
P「僕と社長で、大将とお話させてもらいました」
P「楓さんを守りたいから、協力してくれないか、と」
社長「そういうことです。気がつきませんでしたか?」
社長「高垣さんがいるときは常に、大将が近くにいませんか?」
あ。そういえば。
なにかにつけ、大将は私に声をかける。
P「あと、いつものカウンター。あそこも『予約席』にしてます」
P「お店で一番死角になるとこですから」
なんてことだ。
私は、私のわがままで、これほどの人たちを巻き込んでいる。
そんなこともいっさい見せることなく、大将は普段どおり私に接してくれた。
ああ。
楓「私……あの……なんと言えば」
社長「いえ、高垣さんは気にする必要はないんです」
社長「私は言ったでしょう? 本気ですか、と」
539: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:28:14.85 :k/W6vBHb0
社長「アイドルを守るのは、私やPくんの仕事であり、義務です」
社長「そして大将は、宝生はづきの夫であって、その苦労も知っている」
社長「大将は言ってましたよ? 『楓さんが幸せになるなら、協力を惜しまない』と」
楓「……」
社長「そうそう。トライアドの三人も、協力したいって言ってます」
楓「え?」
社長「彼女たちと良好な関係以上のものが、できている。喜ばしいことです」
社長「だから、彼女たちとのジョイント、組んだのですよ?」
社長「外野がとやかく言えないくらい、高垣さんの実力を見せる、絶好の機会じゃないですか」
三人の顔が浮かぶ。
彼女たちも、彼女たちなりに応援してくれてるんだ。
いろんな人の、いろんな想い。
私は泣きそうになる。
楓「こんなにも、みんなを巻き込んで……私」
社長「いえ? ちょっと違いますね」
社長「みんな高垣さんが好きで、みんな勝手に応援してるだけです」
社長「私も含めて」
楓「……ああ」
それ以上、なにも言えなくなる。
私は、幸せ者だ。
楓「ほんとに、ありがとう、ございます」
社長「我ながら甘いなあと、思うんですよ」
社長「でも、私も人のことは、言えませんからねえ」
社長「妻に怒られてしまいます」
私は深くおじぎをする。
社長は「期待してます」と言い、私とあの人を部屋から送り出した。
社長「アイドルを守るのは、私やPくんの仕事であり、義務です」
社長「そして大将は、宝生はづきの夫であって、その苦労も知っている」
社長「大将は言ってましたよ? 『楓さんが幸せになるなら、協力を惜しまない』と」
楓「……」
社長「そうそう。トライアドの三人も、協力したいって言ってます」
楓「え?」
社長「彼女たちと良好な関係以上のものが、できている。喜ばしいことです」
社長「だから、彼女たちとのジョイント、組んだのですよ?」
社長「外野がとやかく言えないくらい、高垣さんの実力を見せる、絶好の機会じゃないですか」
三人の顔が浮かぶ。
彼女たちも、彼女たちなりに応援してくれてるんだ。
いろんな人の、いろんな想い。
私は泣きそうになる。
楓「こんなにも、みんなを巻き込んで……私」
社長「いえ? ちょっと違いますね」
社長「みんな高垣さんが好きで、みんな勝手に応援してるだけです」
社長「私も含めて」
楓「……ああ」
それ以上、なにも言えなくなる。
私は、幸せ者だ。
楓「ほんとに、ありがとう、ございます」
社長「我ながら甘いなあと、思うんですよ」
社長「でも、私も人のことは、言えませんからねえ」
社長「妻に怒られてしまいます」
私は深くおじぎをする。
社長は「期待してます」と言い、私とあの人を部屋から送り出した。
540: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:28:50.73 :k/W6vBHb0
緊張から開放されたふたり。
そこにちひろさんがやってくる。
ちひろ「お疲れさまです。まあ、お茶とかいかがです?」
P「ちひろさん、ありがとう」
楓「ええ、いただきます」
事務所のソファーで三人。ちひろさんの入れてくれたお茶がおいしい。
ちひろ「楓さん?」
楓「はい?」
ちひろ「幸せになってくださいね?」
自分の湯飲みを持ち、やさしく微笑むちひろさん。
ちひろ「事務所みんなの、総意ですから」
周りを見ると、みんな私たちをやさしく見つめてる。
そうか。そうだよな。
誰かを守るってことは、みんなの協力がないと。
楓「責任重大ですね」
ちひろ「いえ? 責任重大なのはPさんですよ」
P「重々承知してます」
ちひろ「楓さんは、自分の思ったとおりに、ね」
ちひろ「あとちょっとだけでも、私に幸せのおすそ分け、くださいね?」
くすっ。
楓「はい」
私の、大きな大きな変化。
みんなに見守られて、生きていく。あの人と。
この事務所でよかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
緊張から開放されたふたり。
そこにちひろさんがやってくる。
ちひろ「お疲れさまです。まあ、お茶とかいかがです?」
P「ちひろさん、ありがとう」
楓「ええ、いただきます」
事務所のソファーで三人。ちひろさんの入れてくれたお茶がおいしい。
ちひろ「楓さん?」
楓「はい?」
ちひろ「幸せになってくださいね?」
自分の湯飲みを持ち、やさしく微笑むちひろさん。
ちひろ「事務所みんなの、総意ですから」
周りを見ると、みんな私たちをやさしく見つめてる。
そうか。そうだよな。
誰かを守るってことは、みんなの協力がないと。
楓「責任重大ですね」
ちひろ「いえ? 責任重大なのはPさんですよ」
P「重々承知してます」
ちひろ「楓さんは、自分の思ったとおりに、ね」
ちひろ「あとちょっとだけでも、私に幸せのおすそ分け、くださいね?」
くすっ。
楓「はい」
私の、大きな大きな変化。
みんなに見守られて、生きていく。あの人と。
この事務所でよかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
541: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:29:36.25 :k/W6vBHb0
あわただしく日々が過ぎていく。8月。
『トライアドプリムス・サマーヴァケイション・アクト2』
彼女たちのライヴに、ゲスト参加をする。
6月のあの日から、私は打合せとレッスンと営業と。ほとんど休みのない日々。
あの人は二つのライヴの統括と、私のツアーのレッスンと。
これまた休みのない日々。
今まで以上に、ふたりでいることも難しくなってしまった。
でも、私はそれでいいと思っている。
楓「いつも、一緒だもんね」
キーホルダーに語りかける。
みんなが私を守ってくれるとわかってる以上、私もよりプロらしくあらねばならない。
忙しさを理由にして、あの人とプライベートで会うことを減らす。
もちろん事務所やレッスン先で会っているし、全然会話がないということはない。
大将の店も、ふたりで行くことがなくなった。
大将「なんかPに、言っておくこと、あるか?」
大将は気を遣ってくれるけど。
楓「いえ。Pさんとは仕事で会ってますから。大丈夫」
私は笑顔を貼り付ける。
今、私とあの人をつないでいるのは、仕事と電話。それと。
キーホルダー。
淋しい。
淋しい。
でも、泣かない。
私は、私自身をだますことに成功した。
凛「楓さん?」
楓「ん?」
凛「Pさんと、うまくいってます?」
楓「……もちろん。心配しないで?」
楓「それより。レッスンの続きでしょ? がんばらなくちゃね?」
凛「え、ええ……」
このクロスジョイントを成功させる。
その思いひとつで、私は私を動かしている。
私は、プロだから。
あわただしく日々が過ぎていく。8月。
『トライアドプリムス・サマーヴァケイション・アクト2』
彼女たちのライヴに、ゲスト参加をする。
6月のあの日から、私は打合せとレッスンと営業と。ほとんど休みのない日々。
あの人は二つのライヴの統括と、私のツアーのレッスンと。
これまた休みのない日々。
今まで以上に、ふたりでいることも難しくなってしまった。
でも、私はそれでいいと思っている。
楓「いつも、一緒だもんね」
キーホルダーに語りかける。
みんなが私を守ってくれるとわかってる以上、私もよりプロらしくあらねばならない。
忙しさを理由にして、あの人とプライベートで会うことを減らす。
もちろん事務所やレッスン先で会っているし、全然会話がないということはない。
大将の店も、ふたりで行くことがなくなった。
大将「なんかPに、言っておくこと、あるか?」
大将は気を遣ってくれるけど。
楓「いえ。Pさんとは仕事で会ってますから。大丈夫」
私は笑顔を貼り付ける。
今、私とあの人をつないでいるのは、仕事と電話。それと。
キーホルダー。
淋しい。
淋しい。
でも、泣かない。
私は、私自身をだますことに成功した。
凛「楓さん?」
楓「ん?」
凛「Pさんと、うまくいってます?」
楓「……もちろん。心配しないで?」
楓「それより。レッスンの続きでしょ? がんばらなくちゃね?」
凛「え、ええ……」
このクロスジョイントを成功させる。
その思いひとつで、私は私を動かしている。
私は、プロだから。
542: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:30:36.40 :k/W6vBHb0
そして当日。
トライアドの三人と、同じ楽屋。
奈緒「それじゃあ、行こうか」
ゴシックスタイルの三人は、円陣を組んで左手を重ねる。
凛「りん」
奈緒「なお」
加蓮「かれん」
奈緒「トライアドプリムス。レッツゴー!」
凛・奈緒・加蓮「おー!」
掛け声とともに気合を入れる。
凛「じゃあ、楓さん」
凛「ステージで、待ってます」
凛ちゃんが振り向きざまに、声をかけてくれる。
楓「ええ」
楓「また、あとで」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして当日。
トライアドの三人と、同じ楽屋。
奈緒「それじゃあ、行こうか」
ゴシックスタイルの三人は、円陣を組んで左手を重ねる。
凛「りん」
奈緒「なお」
加蓮「かれん」
奈緒「トライアドプリムス。レッツゴー!」
凛・奈緒・加蓮「おー!」
掛け声とともに気合を入れる。
凛「じゃあ、楓さん」
凛「ステージで、待ってます」
凛ちゃんが振り向きざまに、声をかけてくれる。
楓「ええ」
楓「また、あとで」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
543: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:31:58.23 :k/W6vBHb0
加蓮「みんなー! もりあがってるー!」
客席「うおおおーーー!!」
舞台袖。出番が近づく。
あいかわらず、すごい熱気だ。
チーフ「高垣さん」
楓「チーフさん、今日はよろしくお願いします」
チーフ「いえ。彼女たちも高垣さんがいることで、今まで以上に燃えてますから」
楓「そうですか。私もがんばらないと」
ぽん。
肩を叩かれて振り向くと。
P「しっ」
あの人が指を立てて口を押さえている。
今日は渉外で来れないはずなのに。
もう。
あの人の手をとり、袖裏のスペースへ誘導する。
楓「Pさん、今日は来れなかったんじゃ」
P「案外スムーズにいったので。それに」
P「彼女の舞台に彼氏がいないなんて、カッコつかないじゃないですか」
いつも、あの人はずるい。
思ってても言えなかった私の気持ちを汲んで、こうして。
『私を、見てください』
いつも、そう思ってるのに。
楓「Pさん……」
私はすばやく、あの人の唇に触れる。
P「ちょっ、楓さん」
楓「ずっと緊張してたんですよ?」
楓「これで、勇気をもらいました。ふふっ」
あの人は、あいかわらず頭をかく。
P「行けますね?」
楓「ええ」
私は、舞台袖へと戻る。
いよいよ。
加蓮「みんなー! もりあがってるー!」
客席「うおおおーーー!!」
舞台袖。出番が近づく。
あいかわらず、すごい熱気だ。
チーフ「高垣さん」
楓「チーフさん、今日はよろしくお願いします」
チーフ「いえ。彼女たちも高垣さんがいることで、今まで以上に燃えてますから」
楓「そうですか。私もがんばらないと」
ぽん。
肩を叩かれて振り向くと。
P「しっ」
あの人が指を立てて口を押さえている。
今日は渉外で来れないはずなのに。
もう。
あの人の手をとり、袖裏のスペースへ誘導する。
楓「Pさん、今日は来れなかったんじゃ」
P「案外スムーズにいったので。それに」
P「彼女の舞台に彼氏がいないなんて、カッコつかないじゃないですか」
いつも、あの人はずるい。
思ってても言えなかった私の気持ちを汲んで、こうして。
『私を、見てください』
いつも、そう思ってるのに。
楓「Pさん……」
私はすばやく、あの人の唇に触れる。
P「ちょっ、楓さん」
楓「ずっと緊張してたんですよ?」
楓「これで、勇気をもらいました。ふふっ」
あの人は、あいかわらず頭をかく。
P「行けますね?」
楓「ええ」
私は、舞台袖へと戻る。
いよいよ。
544: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:33:11.44 :k/W6vBHb0
舞台が暗転する。ひとときの静寂。
楓「♪~」
ハミング。私自身の声で歌いだす、前奏。
客席がざわめく。
ようこそ。いらっしゃいませ。
あなたの後姿を 見つめるだけの私
歌いだしたとたん、歓声に変わる。
客席「うおおーーー!!」
追いかけて 追いかけて
あなたの行方 見えなくならないように
歌にあわせ、トライアドの三人が舞う。
ただ 歩き続ける Straight Road
私はただひたすらに歌う。みなさん、聴こえますか?
三人の乙女の舞が、舞台を彩る。
歌は駆け抜け、ラストへ。
そして、再び暗転。
楓「みなさん、こんばんは。高垣楓です」
客席「わああーーー!!」
奈緒「本日のスペシャルゲスト! 高垣楓さんです!」
客席「わああーーー!!」
袖で聞いていた以上の、揺れるような歓声。
思わずうれしくなる。
凛「最後の公演にふさわしく、サプライズを仕掛けましたー!」
加蓮「みんなー! よろこんでくれたかなー!」
客席「いぇーーーす!!」
楓「ふふっ。ありがとうございます」
奈緒「でも、楓さんが出てきたほうが、なんか盛り上がってない?」
加蓮「うんするするー。私たちの立場ないよねー」
楓「そんなことないですよ、ね? みなさん、トライアドの大ファンですもんね?」
客席「いぇーーーい!!」
楓「ほら。奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、安心してね?」
凛「みんな驚かせてごめんねー。でも、今日来てくれたみんなは、ラッキーだよ?」
凛「チケット一枚で、CGプロのアイドル二組の歌聴けるなんて。ねえ」
加蓮「お得すぎてクレームこない?」
奈緒「いや、それはまずいだろ。営業的に?」
客席「わははは」
凛「でも、私たちもうれしいよ。こうして一緒にステージ立てるの」
楓「そうねえ。テレビでも共演ってなかったね」
加蓮「うん、事務所の圧力だね、これは」
奈緒「同じ事務所だし。圧力とかないし」
客席「わははは」
舞台が暗転する。ひとときの静寂。
楓「♪~」
ハミング。私自身の声で歌いだす、前奏。
客席がざわめく。
ようこそ。いらっしゃいませ。
あなたの後姿を 見つめるだけの私
歌いだしたとたん、歓声に変わる。
客席「うおおーーー!!」
追いかけて 追いかけて
あなたの行方 見えなくならないように
歌にあわせ、トライアドの三人が舞う。
ただ 歩き続ける Straight Road
私はただひたすらに歌う。みなさん、聴こえますか?
三人の乙女の舞が、舞台を彩る。
歌は駆け抜け、ラストへ。
そして、再び暗転。
楓「みなさん、こんばんは。高垣楓です」
客席「わああーーー!!」
奈緒「本日のスペシャルゲスト! 高垣楓さんです!」
客席「わああーーー!!」
袖で聞いていた以上の、揺れるような歓声。
思わずうれしくなる。
凛「最後の公演にふさわしく、サプライズを仕掛けましたー!」
加蓮「みんなー! よろこんでくれたかなー!」
客席「いぇーーーす!!」
楓「ふふっ。ありがとうございます」
奈緒「でも、楓さんが出てきたほうが、なんか盛り上がってない?」
加蓮「うんするするー。私たちの立場ないよねー」
楓「そんなことないですよ、ね? みなさん、トライアドの大ファンですもんね?」
客席「いぇーーーい!!」
楓「ほら。奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、安心してね?」
凛「みんな驚かせてごめんねー。でも、今日来てくれたみんなは、ラッキーだよ?」
凛「チケット一枚で、CGプロのアイドル二組の歌聴けるなんて。ねえ」
加蓮「お得すぎてクレームこない?」
奈緒「いや、それはまずいだろ。営業的に?」
客席「わははは」
凛「でも、私たちもうれしいよ。こうして一緒にステージ立てるの」
楓「そうねえ。テレビでも共演ってなかったね」
加蓮「うん、事務所の圧力だね、これは」
奈緒「同じ事務所だし。圧力とかないし」
客席「わははは」
545: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/15(木) 18:33:46.61 :k/W6vBHb0
ステージトークを繰り広げ、もう二曲。
会場のボルテージは、いやでも盛り上がる。
凛「スペシャルゲスト、高垣楓さんでしたー! みなさん拍手!」
客席「ぱちぱちぱち」
楓「ありがとうございます」
深々とおじぎ。
奈緒「さあ! こっからラストまで、突っ走っていくぜー!」
客席「うおおーーー!!」
喧騒に後押しされながら、退場。
袖口ではあの人が待っていた。
P「楓さん、おつかれ」
チーフ「よかったですよ!」
楓「Pさん。チーフさん」
楓「ありがとうございます!」
ふたりに向かって、おじぎ。
でも、まだ終わりじゃない。
サプライズはこれから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ステージトークを繰り広げ、もう二曲。
会場のボルテージは、いやでも盛り上がる。
凛「スペシャルゲスト、高垣楓さんでしたー! みなさん拍手!」
客席「ぱちぱちぱち」
楓「ありがとうございます」
深々とおじぎ。
奈緒「さあ! こっからラストまで、突っ走っていくぜー!」
客席「うおおーーー!!」
喧騒に後押しされながら、退場。
袖口ではあの人が待っていた。
P「楓さん、おつかれ」
チーフ「よかったですよ!」
楓「Pさん。チーフさん」
楓「ありがとうございます!」
ふたりに向かって、おじぎ。
でも、まだ終わりじゃない。
サプライズはこれから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
550: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 12:25:29.82 :2mfAYLj10
ライヴのアンコール。
すでに一曲終え、もう一曲。
私は、椅子に座っている。
楓「よし」
声にならない声で、つぶやいた。そして。
私は、鍵盤に手を添える。
こうなったのも。
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「実は、ライヴでやりたいことがあるんですけど」
楓「あら」
凛ちゃんの提案。それは、私との共演。
もちろんトライアドのライヴに参加するのだから、それは共演に違いないのだが。
凛「楓さんとふたりだけで、やってみたいんです」
楓「どうして?」
凛「どうしてって言われると、困っちゃうんですけどね」
凛「うーん。大切な人と一緒にやってみたい」
凛「これじゃ、ダメですか?」
大切な人。凛ちゃんから、そう言われたことが。
楓「ありがとう。うれしい」
楓「なら、凛ちゃんに歌って欲しい曲があるんだ」
凛「私に、ですか?」
楓「うん。私もキーボード練習するから」
凛「え?」
普通の人生を歩んできた私。ピアノとかエレクトーンを習った経験はない。
だから、これはチャレンジなのだ。
そして、凛ちゃんに曲の譜面とCD-Rを渡し、私はキーボードを練習するため。
楓「お願いします?」
P「なんで僕なんです?」
作「いや、俺も手伝うんだし」
キーボード経験のあるあの人と、プロである作曲家の先生に手ほどきをお願いすることにした。
作「二ヶ月なら、まあ多少は形になるかなあ」
P「大変だと思いますよ?」
楓「でも、凛ちゃんとやりたいかな、なんて思ってるんで」
楓「このくらい、どうってことないです」
自分のツアーレッスンの合間と、レッスン後に時間を作り、ふたりに特訓を受ける。
何度か、凛ちゃんがこっちのレッスンスタジオに足を運んで、音合わせをした。
楓「やっぱり、凛ちゃんすごい!」
凛「最初にCD聴いたとき、私には無理って思いましたよ?」
凛「でも、今は大好きです。うん」
作「いや、よくこんな古い曲知ってましたね、楓さん」
楓「さて、どうしてでしょう? ふふっ」
ライヴのアンコール。
すでに一曲終え、もう一曲。
私は、椅子に座っている。
楓「よし」
声にならない声で、つぶやいた。そして。
私は、鍵盤に手を添える。
こうなったのも。
凛「楓さん」
楓「なに?」
凛「実は、ライヴでやりたいことがあるんですけど」
楓「あら」
凛ちゃんの提案。それは、私との共演。
もちろんトライアドのライヴに参加するのだから、それは共演に違いないのだが。
凛「楓さんとふたりだけで、やってみたいんです」
楓「どうして?」
凛「どうしてって言われると、困っちゃうんですけどね」
凛「うーん。大切な人と一緒にやってみたい」
凛「これじゃ、ダメですか?」
大切な人。凛ちゃんから、そう言われたことが。
楓「ありがとう。うれしい」
楓「なら、凛ちゃんに歌って欲しい曲があるんだ」
凛「私に、ですか?」
楓「うん。私もキーボード練習するから」
凛「え?」
普通の人生を歩んできた私。ピアノとかエレクトーンを習った経験はない。
だから、これはチャレンジなのだ。
そして、凛ちゃんに曲の譜面とCD-Rを渡し、私はキーボードを練習するため。
楓「お願いします?」
P「なんで僕なんです?」
作「いや、俺も手伝うんだし」
キーボード経験のあるあの人と、プロである作曲家の先生に手ほどきをお願いすることにした。
作「二ヶ月なら、まあ多少は形になるかなあ」
P「大変だと思いますよ?」
楓「でも、凛ちゃんとやりたいかな、なんて思ってるんで」
楓「このくらい、どうってことないです」
自分のツアーレッスンの合間と、レッスン後に時間を作り、ふたりに特訓を受ける。
何度か、凛ちゃんがこっちのレッスンスタジオに足を運んで、音合わせをした。
楓「やっぱり、凛ちゃんすごい!」
凛「最初にCD聴いたとき、私には無理って思いましたよ?」
凛「でも、今は大好きです。うん」
作「いや、よくこんな古い曲知ってましたね、楓さん」
楓「さて、どうしてでしょう? ふふっ」
551: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 12:25:56.70 :2mfAYLj10
せっかくのサプライズなのだから、自分でなにかを成し遂げてみたかった。
これは、その足がかり。
舞台のスポットライトが私を映す。
ざわめく客席。
私は、前奏を弾きはじめる。アリーナに響くハモンドオルガン風の調べ。
If it's getting harder to face every day
Don't let it show, don't let it show
Though it's getting harder to take what they say
Just let it go, just let it go
凛ちゃんにスポットライトがあたり、彼女は静かに歌いだした。『Don't let it show』
And if it hurts when they mention my name
Say you don't know me
And if it helps when they say I'm to blame
Say you don't own me
母親が洋楽好きで、この曲をなんとなしに聴いた覚えがある。
その女性ヴォーカルのせつない声。
初めて凛ちゃんの歌声を聴いたとき、この曲が思い浮かんだ。
Even if it's taking the easy way out
Keep it inside of you
Don't give in
Don't tell them anything
Don't let it
Don't let it show
二ヶ月でやれることは限られている。
だからバンドのサポートと、打ち込みに大半を任せ、メロディーラインを弾く。
凛ちゃんの切なくて力強い声が、アリーナの隅々まで響き渡る。
Even if you feel you've got nothing to hide
Keep it inside of you
Don't give in
Don't tell them anything
Don't let it
Don't let it show――
凛ちゃんのロングトーンはどこまでも伸びていく。
すごい。さすが凛ちゃんだ。
一緒にやれて、本当によかった。
凛「どうもありがとう……オン・キーボード。高垣楓!」
凛ちゃんに促されて、私は立ち上がり客席にお辞儀をする。
暖かい拍手。ファンのみんなの気持ちが、心地よい。
拍手が鳴り止まぬ中ステージへ下がると、あの人とチーフさん、そして、スタッフのみんなが暖かく迎えてくれた。
私は、再び深々とお辞儀をした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
せっかくのサプライズなのだから、自分でなにかを成し遂げてみたかった。
これは、その足がかり。
舞台のスポットライトが私を映す。
ざわめく客席。
私は、前奏を弾きはじめる。アリーナに響くハモンドオルガン風の調べ。
If it's getting harder to face every day
Don't let it show, don't let it show
Though it's getting harder to take what they say
Just let it go, just let it go
凛ちゃんにスポットライトがあたり、彼女は静かに歌いだした。『Don't let it show』
And if it hurts when they mention my name
Say you don't know me
And if it helps when they say I'm to blame
Say you don't own me
母親が洋楽好きで、この曲をなんとなしに聴いた覚えがある。
その女性ヴォーカルのせつない声。
初めて凛ちゃんの歌声を聴いたとき、この曲が思い浮かんだ。
Even if it's taking the easy way out
Keep it inside of you
Don't give in
Don't tell them anything
Don't let it
Don't let it show
二ヶ月でやれることは限られている。
だからバンドのサポートと、打ち込みに大半を任せ、メロディーラインを弾く。
凛ちゃんの切なくて力強い声が、アリーナの隅々まで響き渡る。
Even if you feel you've got nothing to hide
Keep it inside of you
Don't give in
Don't tell them anything
Don't let it
Don't let it show――
凛ちゃんのロングトーンはどこまでも伸びていく。
すごい。さすが凛ちゃんだ。
一緒にやれて、本当によかった。
凛「どうもありがとう……オン・キーボード。高垣楓!」
凛ちゃんに促されて、私は立ち上がり客席にお辞儀をする。
暖かい拍手。ファンのみんなの気持ちが、心地よい。
拍手が鳴り止まぬ中ステージへ下がると、あの人とチーフさん、そして、スタッフのみんなが暖かく迎えてくれた。
私は、再び深々とお辞儀をした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
552: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 12:26:42.58 :2mfAYLj10
あの喧騒から一週間経ち。今度は私のツアー。
サプライズ第二弾。さて。
楓「えーと。次の曲の前に」
楓「先日、実はですね。とあるところにお邪魔しまして」
楓「ネットとかで記事を見た方もいるかもですね」
客席「見たーー!」
楓「ありがとうございます。そうです、トライアドプリムスのライヴにお邪魔しまして」
楓「なかなか刺激的で、楽しいひとときでした」
楓「皆さんの中に、そのライヴ行った! って方、おられますか?」
客席をみると、結構な人数が行ったらしい。
楓「ありがとうございます。行かれた方はラッキーでしたね?」
客席「いいなーー!!」
楓「ですよねー。行けなかった方のほうが多いですよね」
楓「じゃあ、そんな方のために。雰囲気だけでも味わっていただこうかと」
楓「私から魔法をかけたいと思います」
客席「おおーー」
楓「では」
楓「……アイヤ~~ホンニャ~~マ~~カシ~~……」
楓「あ、ひかないでくださいね?」
客席「わははは」
楓「さあ、これで準備は整いました!」
楓「では、ライヴの雰囲気を堪能してくださいね?」
突然の暗転。客席がざわめく。
そこに。
あの喧騒から一週間経ち。今度は私のツアー。
サプライズ第二弾。さて。
楓「えーと。次の曲の前に」
楓「先日、実はですね。とあるところにお邪魔しまして」
楓「ネットとかで記事を見た方もいるかもですね」
客席「見たーー!」
楓「ありがとうございます。そうです、トライアドプリムスのライヴにお邪魔しまして」
楓「なかなか刺激的で、楽しいひとときでした」
楓「皆さんの中に、そのライヴ行った! って方、おられますか?」
客席をみると、結構な人数が行ったらしい。
楓「ありがとうございます。行かれた方はラッキーでしたね?」
客席「いいなーー!!」
楓「ですよねー。行けなかった方のほうが多いですよね」
楓「じゃあ、そんな方のために。雰囲気だけでも味わっていただこうかと」
楓「私から魔法をかけたいと思います」
客席「おおーー」
楓「では」
楓「……アイヤ~~ホンニャ~~マ~~カシ~~……」
楓「あ、ひかないでくださいね?」
客席「わははは」
楓「さあ、これで準備は整いました!」
楓「では、ライヴの雰囲気を堪能してくださいね?」
突然の暗転。客席がざわめく。
そこに。
553: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 12:27:15.29 :2mfAYLj10
ずっと強く そう強く あの場所へ 走り出そう
突然の歌声。そして耳になじんだ曲。
『Never say never』
客席「うおおおーーー!!」
過ぎてゆく 時間とり戻すように
駆けてゆく 輝く靴
今はまだ 届かない 背伸びしても
諦めない いつか辿り着ける日まで
ステージを縦横無尽に駆ける凛ちゃん。
客席は突然のサプライズに興奮が高まる。
目を閉じれば 抑えきれない
無限大の未来が そこにあるから
凛ちゃんの合図につられ、客席から合いの手があがる。
色とりどりのスティックライトが揺れる。
振り返らず前を向いて そして沢山の笑顔をあげる
いつも いつも 真っすぐに 見つめて
弱気になったりもするよ そんな時には強く抱きしめて
強く そう強く あの場所へ 走り出そう
ギターソロの代わりに、あの人のヴァイオリンソロ。
凛ちゃんはあの人に寄り添い、歌い上げる。
どこまでも走ってゆくよ いつか辿り着けるその日まで
曲とともに駆け抜けていく凛ちゃん。いつ見ても彼女はすごい。
躍動感あふれるステージ。
そして、曲が終わる。
凛「みんなこんばんはーー!! 渋谷凛でーす!!」
客席「うおおおーーー!!」
凛「今日は楓さんのライヴに乱入しちゃいましたー! どうぞよろしくー!」
客席「うおおーー!!」
凛「そしてー!」
???「そしてー!」
客席「おおー!!」
加蓮「私ももちろん、歌っちゃうよーー!!」
加蓮ちゃんがひょっこり登場する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ずっと強く そう強く あの場所へ 走り出そう
突然の歌声。そして耳になじんだ曲。
『Never say never』
客席「うおおおーーー!!」
過ぎてゆく 時間とり戻すように
駆けてゆく 輝く靴
今はまだ 届かない 背伸びしても
諦めない いつか辿り着ける日まで
ステージを縦横無尽に駆ける凛ちゃん。
客席は突然のサプライズに興奮が高まる。
目を閉じれば 抑えきれない
無限大の未来が そこにあるから
凛ちゃんの合図につられ、客席から合いの手があがる。
色とりどりのスティックライトが揺れる。
振り返らず前を向いて そして沢山の笑顔をあげる
いつも いつも 真っすぐに 見つめて
弱気になったりもするよ そんな時には強く抱きしめて
強く そう強く あの場所へ 走り出そう
ギターソロの代わりに、あの人のヴァイオリンソロ。
凛ちゃんはあの人に寄り添い、歌い上げる。
どこまでも走ってゆくよ いつか辿り着けるその日まで
曲とともに駆け抜けていく凛ちゃん。いつ見ても彼女はすごい。
躍動感あふれるステージ。
そして、曲が終わる。
凛「みんなこんばんはーー!! 渋谷凛でーす!!」
客席「うおおおーーー!!」
凛「今日は楓さんのライヴに乱入しちゃいましたー! どうぞよろしくー!」
客席「うおおーー!!」
凛「そしてー!」
???「そしてー!」
客席「おおー!!」
加蓮「私ももちろん、歌っちゃうよーー!!」
加蓮ちゃんがひょっこり登場する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
554: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 12:31:15.97 :2mfAYLj10
※ とりあえずここまで ※
スレが長くなって、ダレちゃってるかなあ。だとしたら申し訳ないです
しかも、もうしばらくライヴ描写が続くので、なおさら申し訳ない
凛の歌った曲
・パット・ベネター「Don't let it show」
・渋谷凛「Never say never」
です
飯食います
※ とりあえずここまで ※
スレが長くなって、ダレちゃってるかなあ。だとしたら申し訳ないです
しかも、もうしばらくライヴ描写が続くので、なおさら申し訳ない
凛の歌った曲
・パット・ベネター「Don't let it show」
・渋谷凛「Never say never」
です
飯食います
555:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2013/08/19(月) 12:56:04.17 :KDeKbiyIo
おつおつ
560: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:01:29.25 :orJXVdIM0
前奏が始まり、凛ちゃんと入れ替えに加蓮ちゃんがステージ中央へ。
加蓮「私のソロ。楽しんじゃってね!」
人に任せて 気まぐれ わたし
誰もうらやむ UP TOWN GIRL
しゃれたデートの誘いも どうせ
より取りみどり あきあき
ステージをかわいらしいしぐさで往復する加蓮ちゃん。
小悪魔の雰囲気に、客席も和らいだ雰囲気になる。
誰か 教えてよ
トキメキって なにそれ
ひとりで探す気も おきない世の中
ステージから見えるスティックライトが、まるで波のうねりのよう。
Tell me what can I do
かわいい人と言われたいけど 今はまだ
風に吹かれて探したいの 素直になれるそのときを
ちょこんとフロアスピーカーに座り、そのまま歌いだす。
そのしぐさがとても愛らしい。
こんな私でも 優しくなることが
あるのよ
見落としているんじゃないこと?
歌い終わり、一礼。
加蓮「どうもありがとー!」
客席「うおおーー!!」
???「ちょっと待ったー!」
前奏が始まり、凛ちゃんと入れ替えに加蓮ちゃんがステージ中央へ。
加蓮「私のソロ。楽しんじゃってね!」
人に任せて 気まぐれ わたし
誰もうらやむ UP TOWN GIRL
しゃれたデートの誘いも どうせ
より取りみどり あきあき
ステージをかわいらしいしぐさで往復する加蓮ちゃん。
小悪魔の雰囲気に、客席も和らいだ雰囲気になる。
誰か 教えてよ
トキメキって なにそれ
ひとりで探す気も おきない世の中
ステージから見えるスティックライトが、まるで波のうねりのよう。
Tell me what can I do
かわいい人と言われたいけど 今はまだ
風に吹かれて探したいの 素直になれるそのときを
ちょこんとフロアスピーカーに座り、そのまま歌いだす。
そのしぐさがとても愛らしい。
こんな私でも 優しくなることが
あるのよ
見落としているんじゃないこと?
歌い終わり、一礼。
加蓮「どうもありがとー!」
客席「うおおーー!!」
???「ちょっと待ったー!」
561: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:02:12.16 :orJXVdIM0
奈緒「今度はあたしの出番だよ?」
客席「いえーーい!!」
さっそうと奈緒ちゃんが登場する。
奈緒「さあみんな盛り上がっていくぜー!」
客席「おおーー!!」
What's this crazy feeling
That's come over me
I keep falling deeper in his spell
What can it be
He's got my senses reeling
Spinning dizzily
In the magic that he weaves so well
右に左に揺れながら、奈緒ちゃんが歌う。
『It's magic』
その光景はほんとうに、魔法のようだ。
And whenever he is near, it's magic
Feel the room start swaying
Gypsy violins are playing
Melodies haunting me
Endlessly taunting me
ベースとドラムの刻む8ビートに、奈緒ちゃんが乗る。
先生もノリノリだ。
Fantasy in the air
Sparks flying everywhere
Suddenly he is there
Calling me
Promises in his eyes
Paradise in his smile
Fire is in his kiss
Ecstasy
サックスの代わりに、あの人がヴァイオリンのアドリブを奏でる。
その演奏をあおるように、トライアドの三人が取り囲む。
Fantasy in the air
Sparks flying everywhere
Suddenly he is there
Calling me
Promises in his eyes
Paradise in his smile
Fire is in his kiss
Ecstasy
奈緒「はーい、どうもー! トライアドプリムスでーす!」
客席「いえーーーい!!」
奈緒「今度はあたしの出番だよ?」
客席「いえーーい!!」
さっそうと奈緒ちゃんが登場する。
奈緒「さあみんな盛り上がっていくぜー!」
客席「おおーー!!」
What's this crazy feeling
That's come over me
I keep falling deeper in his spell
What can it be
He's got my senses reeling
Spinning dizzily
In the magic that he weaves so well
右に左に揺れながら、奈緒ちゃんが歌う。
『It's magic』
その光景はほんとうに、魔法のようだ。
And whenever he is near, it's magic
Feel the room start swaying
Gypsy violins are playing
Melodies haunting me
Endlessly taunting me
ベースとドラムの刻む8ビートに、奈緒ちゃんが乗る。
先生もノリノリだ。
Fantasy in the air
Sparks flying everywhere
Suddenly he is there
Calling me
Promises in his eyes
Paradise in his smile
Fire is in his kiss
Ecstasy
サックスの代わりに、あの人がヴァイオリンのアドリブを奏でる。
その演奏をあおるように、トライアドの三人が取り囲む。
Fantasy in the air
Sparks flying everywhere
Suddenly he is there
Calling me
Promises in his eyes
Paradise in his smile
Fire is in his kiss
Ecstasy
奈緒「はーい、どうもー! トライアドプリムスでーす!」
客席「いえーーーい!!」
562: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:03:06.19 :orJXVdIM0
凛「今日は楓さんのツアー最終日ということで!」
加蓮「私たちがお手伝いしちゃいます!」
客席「うおおーーー!!」
地鳴りのような歓声。まさかの展開に、みんな総立ちだ。
奈緒「で、なにを手伝うって?」
客席「わははは」
楓「いやいや、もうこうして来てくれただけで、みなさんうれしいですよね?」
客席「いえーーす!」
楓「ね? ありがとうございました。トライアドプ」
奈緒「楓さん、それもう『お帰りください』言っちゃってるから」
客席「わはは」
凛「せっかくこうして乱入したんだから、なんか楓さんとやりたいよね?」
加蓮「え? そのつもりで乱入したんだけど」
客席「ぱちぱちぱちぱち」
加蓮「ほら。みんな期待してるよ?」
楓「えー、でもなんにも用意してないし」
すると、後ろであの人がなにかをひらつかせる。
凛「あー、こんなところに譜面がー」
奈緒「凛さあ。なんだよその棒読み」
客席「わはは」
凛「今日は楓さんのツアー最終日ということで!」
加蓮「私たちがお手伝いしちゃいます!」
客席「うおおーーー!!」
地鳴りのような歓声。まさかの展開に、みんな総立ちだ。
奈緒「で、なにを手伝うって?」
客席「わははは」
楓「いやいや、もうこうして来てくれただけで、みなさんうれしいですよね?」
客席「いえーーす!」
楓「ね? ありがとうございました。トライアドプ」
奈緒「楓さん、それもう『お帰りください』言っちゃってるから」
客席「わはは」
凛「せっかくこうして乱入したんだから、なんか楓さんとやりたいよね?」
加蓮「え? そのつもりで乱入したんだけど」
客席「ぱちぱちぱちぱち」
加蓮「ほら。みんな期待してるよ?」
楓「えー、でもなんにも用意してないし」
すると、後ろであの人がなにかをひらつかせる。
凛「あー、こんなところに譜面がー」
奈緒「凛さあ。なんだよその棒読み」
客席「わはは」
563: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:04:26.90 :orJXVdIM0
加蓮「台本どおり?」
楓「えー、そうね。台本どおりね」
奈緒「いや、ネタばらさなくていいから」
客席「わはは」
楓「じゃあ、みんなとやったことがないこと。しましょうか」
凛「おっけー。じゃあ」
凛ちゃんの合図で、先生がキーボードで和音を出した。
そして、私たち四人はアカペラで歌いだす。
ああ あなたにときめく心のまま
人知れず よりそいたい
夕やみのブルーにまぎれて今
さまよう トワイライト・アヴェニュー
トライアドの三人が参加することが決まって、打合せをする中。
凛「楓さんはソロだから、なんかコーラスみたいなのやってみるって、どうかな」
そんな凛ちゃんの提案から話が転がった。
P「ほう? なら『アカペラ』なんかどうだ?」
奈緒「え?」
加蓮「え?」
ステージでもメインヴォーカルをとらないふたりには、ちょっと荷が重そうだ。
でも。
奈緒「やる」
加蓮「やるよ」
いつになくやる気十分のふたり。
奈緒「楓さんとの共演だから、あたしたちも高みを目指したい」
加蓮「それに、なんかやれそうな気がするんだよね」
加蓮「台本どおり?」
楓「えー、そうね。台本どおりね」
奈緒「いや、ネタばらさなくていいから」
客席「わはは」
楓「じゃあ、みんなとやったことがないこと。しましょうか」
凛「おっけー。じゃあ」
凛ちゃんの合図で、先生がキーボードで和音を出した。
そして、私たち四人はアカペラで歌いだす。
ああ あなたにときめく心のまま
人知れず よりそいたい
夕やみのブルーにまぎれて今
さまよう トワイライト・アヴェニュー
トライアドの三人が参加することが決まって、打合せをする中。
凛「楓さんはソロだから、なんかコーラスみたいなのやってみるって、どうかな」
そんな凛ちゃんの提案から話が転がった。
P「ほう? なら『アカペラ』なんかどうだ?」
奈緒「え?」
加蓮「え?」
ステージでもメインヴォーカルをとらないふたりには、ちょっと荷が重そうだ。
でも。
奈緒「やる」
加蓮「やるよ」
いつになくやる気十分のふたり。
奈緒「楓さんとの共演だから、あたしたちも高みを目指したい」
加蓮「それに、なんかやれそうな気がするんだよね」
564: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:06:02.71 :orJXVdIM0
そんな感じですんなりと企画が通った。
選曲はあの人にお任せ。そしたら、この曲がまわってきた。
凛「これ」
P「ん? いいだろう?」
凛「ん。Pさんらしいなって」
私は歌詞を見て、胸がきゅんとなった。
私自身を書いたみたいに。
会わないで いられるよな恋なら
半分も気楽に暮せるね
友達と呼びあう仲がいつか
知らぬまに それ以上のぞんでた
So you will be, be my love
恋は逃げちゃだめね
たとえ 痛手がふえる日がこようと
客席はしんとして、歌に聞き入っている。
私は、震える心もそのままに、歌う。
ああ 恋する想いは なぜかいつも
少しだけ まわり道ね
ああ このまま この手を離さないで
さまよう トワイライト・アヴェニュー
歌い終わる。客席はしんとしたまま。
楓「ありがとうございます」
客席「うおおーーー!!」
客席「ぱちぱちぱち」
そして。
割れんばかりの拍手が、会場を埋めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな感じですんなりと企画が通った。
選曲はあの人にお任せ。そしたら、この曲がまわってきた。
凛「これ」
P「ん? いいだろう?」
凛「ん。Pさんらしいなって」
私は歌詞を見て、胸がきゅんとなった。
私自身を書いたみたいに。
会わないで いられるよな恋なら
半分も気楽に暮せるね
友達と呼びあう仲がいつか
知らぬまに それ以上のぞんでた
So you will be, be my love
恋は逃げちゃだめね
たとえ 痛手がふえる日がこようと
客席はしんとして、歌に聞き入っている。
私は、震える心もそのままに、歌う。
ああ 恋する想いは なぜかいつも
少しだけ まわり道ね
ああ このまま この手を離さないで
さまよう トワイライト・アヴェニュー
歌い終わる。客席はしんとしたまま。
楓「ありがとうございます」
客席「うおおーーー!!」
客席「ぱちぱちぱち」
そして。
割れんばかりの拍手が、会場を埋めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
565: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/19(月) 18:10:09.13 :orJXVdIM0
※ とりあえずここまで ※
加蓮の歌:角松敏生「UP TOWN GIRL」
奈緒の歌:マリーン「It's magic」
四人のアカペラ:スターダスト・レビュー「トワイライト・アヴェニュー」
です
加蓮も奈緒もソロとってると思うんですよね。自分のライヴでは
ではまた ノシ
※ とりあえずここまで ※
加蓮の歌:角松敏生「UP TOWN GIRL」
奈緒の歌:マリーン「It's magic」
四人のアカペラ:スターダスト・レビュー「トワイライト・アヴェニュー」
です
加蓮も奈緒もソロとってると思うんですよね。自分のライヴでは
ではまた ノシ
566:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2013/08/19(月) 18:33:50.98 :jxr60KD7o
だろうね、>>1の選曲センスが好きよ
そしてなんて不吉な!やめてくれよぅ…
そしてなんて不吉な!やめてくれよぅ…
568: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/20(火) 17:46:32.98 :INScl0Fh0
P「おかげさまで無事成功いたしました。ご協力感謝します」
そう言ってあの人は、担当者に販促グッズと金券を渡す。
ツアー終了から二日後。
私たちは、関係先にあいさつ回りをしている。
ツアー翌日は完全休息日としているが、その先は当然、次の営業へと向かう。
楓「午前中はここまでですか?」
P「ええ、そうですね。ふぅ」
まだ残暑厳しい中、地味な仕事だ。体力的にも堪える。
楓「Pさん、まだずいぶんお疲れのようですけど」
P「ああ、まあそうですかねえ。うーん」
ひとつ、伸びをする。
P「僕も歳ですからねえ」
私の5歳上だから、そんな歳とかいう年齢でもないと思うんだけど。
でも、たかが一日の休みでは。
楓「疲れ、抜けませんか」
P「ちひろさんのドリンクのお世話になろうかなあ。あはは」
そう言ってあの人は笑う。
楓「ちひろさんのドリンクって、冷蔵庫のあれですか?」
P「ええ、ちひろさんの趣味らしいですからね」
楓「へえ」
P「グリーンスムージーとか、やってるそうですから」
楓「意外と健康オタクなんですかね?」
P「まあその分、スタッフの健康管理に気を遣ってくれてるんで、ありがたいですよ」
私も気になっているけど、正直面倒がっていまだ手をつけていない。
楓「ちひろさんに、悪酔いしないドリンクでも作ってもらおうかしら」
P「あはは。楓さんらしいですね」
P「おっと」
楓「きゃっ」
P「おかげさまで無事成功いたしました。ご協力感謝します」
そう言ってあの人は、担当者に販促グッズと金券を渡す。
ツアー終了から二日後。
私たちは、関係先にあいさつ回りをしている。
ツアー翌日は完全休息日としているが、その先は当然、次の営業へと向かう。
楓「午前中はここまでですか?」
P「ええ、そうですね。ふぅ」
まだ残暑厳しい中、地味な仕事だ。体力的にも堪える。
楓「Pさん、まだずいぶんお疲れのようですけど」
P「ああ、まあそうですかねえ。うーん」
ひとつ、伸びをする。
P「僕も歳ですからねえ」
私の5歳上だから、そんな歳とかいう年齢でもないと思うんだけど。
でも、たかが一日の休みでは。
楓「疲れ、抜けませんか」
P「ちひろさんのドリンクのお世話になろうかなあ。あはは」
そう言ってあの人は笑う。
楓「ちひろさんのドリンクって、冷蔵庫のあれですか?」
P「ええ、ちひろさんの趣味らしいですからね」
楓「へえ」
P「グリーンスムージーとか、やってるそうですから」
楓「意外と健康オタクなんですかね?」
P「まあその分、スタッフの健康管理に気を遣ってくれてるんで、ありがたいですよ」
私も気になっているけど、正直面倒がっていまだ手をつけていない。
楓「ちひろさんに、悪酔いしないドリンクでも作ってもらおうかしら」
P「あはは。楓さんらしいですね」
P「おっと」
楓「きゃっ」
569: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/20(火) 17:47:48.14 :INScl0Fh0
がくん。
あの人は急ブレーキをかけた。
楓「Pさん、どうしました?」
P「いや、車が迫ってきたので。ほんとごめんなさい」
楓「いえ、私なら大丈夫ですけど。Pさんこそ大丈夫ですか?」
P「ええ、より安全運転で行きますよ」
あの人はうっすら汗をかいている。
私は自分のハンカチをあの人に当てて、汗を拭いた。
P「ああ、楓さん。ありがとう」
楓「いえ、どういたしまして?」
P「疑問形ですか」
楓「ふふっ」
営業まわりでふたりきり。
ここのところすれ違いばかりだったから、こういう機会はうれしい。
P「そろそろお昼ですから、どこかで昼ごはんにしますか」
P「なにか、食べたいものあります?」
楓「お酒」
P「それは却下で」
楓「ふふっ、冗談です。お任せします」
P「じゃあ、今日は冷たいそばとか、どうですか」
楓「じゃあ私は、それに枡酒ですね」
P「どこの江戸っ子ですか」
楓「ここは東京ですよ?」
きゅっと一杯あおりながら、そばを手繰る。粋じゃないですか。
P「ま、軽くそば行っときましょう。あんまり食欲ないので」
楓「あら、夏ばてですか?」
P「そうなんですかねえ」
そう言いながら、あの人はスマホでお店を探す。
がくん。
あの人は急ブレーキをかけた。
楓「Pさん、どうしました?」
P「いや、車が迫ってきたので。ほんとごめんなさい」
楓「いえ、私なら大丈夫ですけど。Pさんこそ大丈夫ですか?」
P「ええ、より安全運転で行きますよ」
あの人はうっすら汗をかいている。
私は自分のハンカチをあの人に当てて、汗を拭いた。
P「ああ、楓さん。ありがとう」
楓「いえ、どういたしまして?」
P「疑問形ですか」
楓「ふふっ」
営業まわりでふたりきり。
ここのところすれ違いばかりだったから、こういう機会はうれしい。
P「そろそろお昼ですから、どこかで昼ごはんにしますか」
P「なにか、食べたいものあります?」
楓「お酒」
P「それは却下で」
楓「ふふっ、冗談です。お任せします」
P「じゃあ、今日は冷たいそばとか、どうですか」
楓「じゃあ私は、それに枡酒ですね」
P「どこの江戸っ子ですか」
楓「ここは東京ですよ?」
きゅっと一杯あおりながら、そばを手繰る。粋じゃないですか。
P「ま、軽くそば行っときましょう。あんまり食欲ないので」
楓「あら、夏ばてですか?」
P「そうなんですかねえ」
そう言いながら、あの人はスマホでお店を探す。
570: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/20(火) 17:48:57.01 :INScl0Fh0
P「ああ、ここがよさそうだなあ。十割そばなのか」
楓「いいですね。じゃあそこで」
ナビをセットして、しばらく。
お店近くのコインパーキングに車を止める。
日差しはまだ痛いくらいだ。
P「ふぅ。いつまで暑さが続くのかなあ」
直射日光を避けるようにして、お店へと急ぐ。
中はとても涼しい。座敷に案内され、もりそばを二枚注文する。
楓「あら、Pさん。どうかされたんですか?」
普段ならいろいろと話しだすあの人が、うつむいたままだんまり。
P「うーん。なんかちょっとね、うん」
歯切れが悪い。
楓「具合悪いんじゃないですか?」
P「いや、そういうことでもないと思いますよ」
P「ちょっとだるいかな、って感じですし。やっぱり夏ばてかな?」
そう言って笑う顔に、力強さがない。
楓「だいぶ無理してるんじゃないですか? 心配です」
P「いやいや、このくらいどうってことないですよ。ははっ」
出されたそばは更科の白くきれいな細切り。つゆとの相性もいい。
でもあの人は、ちっとも食が進まない。
P「……」
楓「P、さん?」
P「ああ、大丈夫。ゆっくり食べてますから」
楓「あいさつ回りが一段落したら、病院行ったほうがいいんじゃないですか?」
P「まあ、ゆっくり寝れば大丈夫ですよ。うん」
そう言って、そばをかっ込んだ。
これは。
あの人の悪い癖。
楓「Pさん」
P「はい」
楓「具合が悪いなら悪いと、正直に言ってください」
楓「お互い、隠し事はなし、でしょう?」
P「……いや、隠し事とかそういうんじゃ」
楓「どうなんです?」
P「ああ、ここがよさそうだなあ。十割そばなのか」
楓「いいですね。じゃあそこで」
ナビをセットして、しばらく。
お店近くのコインパーキングに車を止める。
日差しはまだ痛いくらいだ。
P「ふぅ。いつまで暑さが続くのかなあ」
直射日光を避けるようにして、お店へと急ぐ。
中はとても涼しい。座敷に案内され、もりそばを二枚注文する。
楓「あら、Pさん。どうかされたんですか?」
普段ならいろいろと話しだすあの人が、うつむいたままだんまり。
P「うーん。なんかちょっとね、うん」
歯切れが悪い。
楓「具合悪いんじゃないですか?」
P「いや、そういうことでもないと思いますよ」
P「ちょっとだるいかな、って感じですし。やっぱり夏ばてかな?」
そう言って笑う顔に、力強さがない。
楓「だいぶ無理してるんじゃないですか? 心配です」
P「いやいや、このくらいどうってことないですよ。ははっ」
出されたそばは更科の白くきれいな細切り。つゆとの相性もいい。
でもあの人は、ちっとも食が進まない。
P「……」
楓「P、さん?」
P「ああ、大丈夫。ゆっくり食べてますから」
楓「あいさつ回りが一段落したら、病院行ったほうがいいんじゃないですか?」
P「まあ、ゆっくり寝れば大丈夫ですよ。うん」
そう言って、そばをかっ込んだ。
これは。
あの人の悪い癖。
楓「Pさん」
P「はい」
楓「具合が悪いなら悪いと、正直に言ってください」
楓「お互い、隠し事はなし、でしょう?」
P「……いや、隠し事とかそういうんじゃ」
楓「どうなんです?」
571: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/20(火) 17:49:58.96 :INScl0Fh0
沈黙。
この時間が、たまらなくつらい。
P「大丈夫ですよ?」
ほんとかしら?
あの人が仕事の虫なのは、お付き合いをする前からわかっているけど。
でも……
いや、あまり深く追求するのはやめよう。
お互い気を悪くしたって、なんにもならない。
まして、久々のふたりきりだもん。
楓「なら、ゆっくり休んでから次行きましょうか」
P「そうですね」
なんとなくぎくしゃくしたまま、そば湯を飲む私たち。
そばの味など、すっかり忘れてしまった。
私に言われたからか、すぐにお店を出ることもなく。多少休憩はしているものの。
会話がない。
P「そろそろ頃合いもいいとこですから、行きましょうか」
楓「え、ええ」
あの人に促され、座敷を立つ。
外はあいかわらずの日差し。
P「いやあ、この日差しはいつ……」
あの人が上を向いたとたん。
P「あ……れ……?」
……ばたっ。
楓「P、さん?」
あの人が倒れこむ。
楓「Pさん!」
あ……あ……
どう、したら……
楓「Pさん!!」
何も考えられない。何も思いつかない。
楓「だれか!……だれかー!!」
私は狂ったように叫びだす。
世界が白くなり、そして、暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
沈黙。
この時間が、たまらなくつらい。
P「大丈夫ですよ?」
ほんとかしら?
あの人が仕事の虫なのは、お付き合いをする前からわかっているけど。
でも……
いや、あまり深く追求するのはやめよう。
お互い気を悪くしたって、なんにもならない。
まして、久々のふたりきりだもん。
楓「なら、ゆっくり休んでから次行きましょうか」
P「そうですね」
なんとなくぎくしゃくしたまま、そば湯を飲む私たち。
そばの味など、すっかり忘れてしまった。
私に言われたからか、すぐにお店を出ることもなく。多少休憩はしているものの。
会話がない。
P「そろそろ頃合いもいいとこですから、行きましょうか」
楓「え、ええ」
あの人に促され、座敷を立つ。
外はあいかわらずの日差し。
P「いやあ、この日差しはいつ……」
あの人が上を向いたとたん。
P「あ……れ……?」
……ばたっ。
楓「P、さん?」
あの人が倒れこむ。
楓「Pさん!」
あ……あ……
どう、したら……
楓「Pさん!!」
何も考えられない。何も思いつかない。
楓「だれか!……だれかー!!」
私は狂ったように叫びだす。
世界が白くなり、そして、暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
577: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:04:43.28 :wbeyt9c30
医師「メニエールかもしれないですね」
楓「……」
ちひろ「そう、ですか」
Pさんは今、総合病院の処置室で横になっている。
うなされることもないが、ごろごろと落ち着いてない。
医師「耳の病気です。ぐるぐるめまいがします」
医師「目を見るとわかるんですよ。眼振と言って、目玉が細かく揺れるんですね」
ちひろ「はあ」
医師「ま、命に関わるものじゃないですし。疲れとかで起きる人もいますし」
医師「念のために、MRI撮ってみますから、今日は入院されたほうがいいかと」
ちひろ「ありがとうございます」
楓「……」
ちひろ「楓さん、私は受付で手続きをしてくるんで」
ちひろ「Pさんのそばに、ついていてくれますか?」
楓「……はい」
先生からの説明もよく入ってこなかった。
Pさん……
あの人が横になっている、その状況だけでどうにかなってしまいそうだ。
医師「メニエールかもしれないですね」
楓「……」
ちひろ「そう、ですか」
Pさんは今、総合病院の処置室で横になっている。
うなされることもないが、ごろごろと落ち着いてない。
医師「耳の病気です。ぐるぐるめまいがします」
医師「目を見るとわかるんですよ。眼振と言って、目玉が細かく揺れるんですね」
ちひろ「はあ」
医師「ま、命に関わるものじゃないですし。疲れとかで起きる人もいますし」
医師「念のために、MRI撮ってみますから、今日は入院されたほうがいいかと」
ちひろ「ありがとうございます」
楓「……」
ちひろ「楓さん、私は受付で手続きをしてくるんで」
ちひろ「Pさんのそばに、ついていてくれますか?」
楓「……はい」
先生からの説明もよく入ってこなかった。
Pさん……
あの人が横になっている、その状況だけでどうにかなってしまいそうだ。
578: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:05:44.17 :wbeyt9c30
Pさんが倒れた。
目の前の出来事に、私の思考は完全に止まってしまう。
なにをしたら。どうしたら。
まったくわからない。
通りすがりの女性が、声をかけてくれる。
通行人「大丈夫ですか?」
楓「あの……あの……」
通行人「あれ? ひょっとして歌手の高垣楓、さん?」
楓「あ……あの」
あの人が。あの人が倒れてるの。
お願い、なんとか。
通行人「そっちの人は」
楓「あの……事務所の……」
通行人「とにかく、救急車呼びますね! 大丈夫。大丈夫ですから」
私はどんな顔色をしてたんだろう。
要領を得ない私の代わりに、通行していた人が自分の携帯で119番をしてくれる。
119「はい、こちら119番」
楓「あの……あの……」
119「はい、大丈夫ですよ。ゆっくり話してくださいね。……どうされましたか?」
楓「事務所のプロデューサーが、倒れまして……」
119「はい、救急ですね。場所はどこか、言えますか? 近くの方に聞いてもいいですよ?」
楓「あ、あ」
楓「あの、ここは」
混乱してどうしたらいいか、頭から出てこなくなっている。
私はただ、電話をしてくれた人に、携帯を手渡すしかできなかった。
通行人「変わりました。はい。はい。えっと……」
代わりの人がいろいろ説明してくれる。その説明がなにを言ってるのかさえ、私には入らない。
Pさんが倒れた。
目の前の出来事に、私の思考は完全に止まってしまう。
なにをしたら。どうしたら。
まったくわからない。
通りすがりの女性が、声をかけてくれる。
通行人「大丈夫ですか?」
楓「あの……あの……」
通行人「あれ? ひょっとして歌手の高垣楓、さん?」
楓「あ……あの」
あの人が。あの人が倒れてるの。
お願い、なんとか。
通行人「そっちの人は」
楓「あの……事務所の……」
通行人「とにかく、救急車呼びますね! 大丈夫。大丈夫ですから」
私はどんな顔色をしてたんだろう。
要領を得ない私の代わりに、通行していた人が自分の携帯で119番をしてくれる。
119「はい、こちら119番」
楓「あの……あの……」
119「はい、大丈夫ですよ。ゆっくり話してくださいね。……どうされましたか?」
楓「事務所のプロデューサーが、倒れまして……」
119「はい、救急ですね。場所はどこか、言えますか? 近くの方に聞いてもいいですよ?」
楓「あ、あ」
楓「あの、ここは」
混乱してどうしたらいいか、頭から出てこなくなっている。
私はただ、電話をしてくれた人に、携帯を手渡すしかできなかった。
通行人「変わりました。はい。はい。えっと……」
代わりの人がいろいろ説明してくれる。その説明がなにを言ってるのかさえ、私には入らない。
579: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:06:36.78 :wbeyt9c30
通行人「大丈夫。すぐ救急車来ますよ。落ち着いて」
楓「え、ええ。ありがとう、ございます」
通行人「会社とか電話しなくて大丈夫ですか?」
楓「あ、ああ! そう、ですね。はい、そうします!」
そう言われて、少し正気に戻った私は、事務所に連絡する。
楓「もしもし、ちひろさん? あ、あの。高垣です」
ちひろ『楓さん? どうしました?』
楓「あの、P、Pさんが。倒れて」
ちひろ『はい? Pさん? 倒れたって……』
楓「えっと、移動中に路上で、ぱたりと」
ちひろ『それで! Pさんはどうなんですか? Pさんは』
楓「あ、あの。今救急車を呼んでいただいて」
ちひろ『救急車ですね! 病院決まったら連絡してくださいね。必ずですよ』
楓「は、はい……」
どうにか一報を入れた私は、急に体の力が抜ける。
楓「はあ……はあ……」
へたりこむ私に、立ち止まってくれた人が声をかける。
通行人「よかった、連絡ついたみたいですね」
楓「あの」
通行人「もうすぐ救急車来るでしょうから。それまで待ってて」
通行人「じゃあ」
楓「あ、あの。せめてお名前と住所」
通行人「いいですいいです!」
通行人「大丈夫。すぐ救急車来ますよ。落ち着いて」
楓「え、ええ。ありがとう、ございます」
通行人「会社とか電話しなくて大丈夫ですか?」
楓「あ、ああ! そう、ですね。はい、そうします!」
そう言われて、少し正気に戻った私は、事務所に連絡する。
楓「もしもし、ちひろさん? あ、あの。高垣です」
ちひろ『楓さん? どうしました?』
楓「あの、P、Pさんが。倒れて」
ちひろ『はい? Pさん? 倒れたって……』
楓「えっと、移動中に路上で、ぱたりと」
ちひろ『それで! Pさんはどうなんですか? Pさんは』
楓「あ、あの。今救急車を呼んでいただいて」
ちひろ『救急車ですね! 病院決まったら連絡してくださいね。必ずですよ』
楓「は、はい……」
どうにか一報を入れた私は、急に体の力が抜ける。
楓「はあ……はあ……」
へたりこむ私に、立ち止まってくれた人が声をかける。
通行人「よかった、連絡ついたみたいですね」
楓「あの」
通行人「もうすぐ救急車来るでしょうから。それまで待ってて」
通行人「じゃあ」
楓「あ、あの。せめてお名前と住所」
通行人「いいですいいです!」
580: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:07:19.89 :wbeyt9c30
そう言ってその人は、なにも教えず立ち去っていった。
どのくらい経ったろう。救急車が到着するまでの時間が、たいそう長い。
遠くからサイレンが聞こえ、ほどなく音が止まる。
救急車が到着。隊員の人が、あの人のそばにやってくる。
意識を確認し、ストレッチャーに乗せるまで、どのくらいかかったろう。
ほぼ放心状態の私は、なにも言えずその光景を見ていた。
救急車への同乗を促され、私はあの人のとなりに。
すぐに病院へ行くかと思ったが、なにか連絡をしてるようでなかなか発車しない。
時間が、もどかしい。
ようやく発車したとき、私は隊員の人に慰められていた。
隊員「大丈夫ですよ。意識もあるし、病院もすぐですからね」
隊員「とにかく病院に着いたら、先生や看護師さんの言うとおりにしてくださいね」
その言葉を聞きながら、私はただ震えるだけ。
病院に着いても、足元がおぼつかない。
看護師「大丈夫ですからね。任せてくださいね」
楓「……は、はい……」
看護師「落ち着いたらでいいですからね。連絡されるところに電話とかしておくといいですよ?」
そうだ、ちひろさんに。
その言葉だけはストンと私の中に入り、体だけは公衆電話へ向かう。
どうにか事務所へ電話できたらしく、ちひろさんがあわててタクシーでやってきてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そう言ってその人は、なにも教えず立ち去っていった。
どのくらい経ったろう。救急車が到着するまでの時間が、たいそう長い。
遠くからサイレンが聞こえ、ほどなく音が止まる。
救急車が到着。隊員の人が、あの人のそばにやってくる。
意識を確認し、ストレッチャーに乗せるまで、どのくらいかかったろう。
ほぼ放心状態の私は、なにも言えずその光景を見ていた。
救急車への同乗を促され、私はあの人のとなりに。
すぐに病院へ行くかと思ったが、なにか連絡をしてるようでなかなか発車しない。
時間が、もどかしい。
ようやく発車したとき、私は隊員の人に慰められていた。
隊員「大丈夫ですよ。意識もあるし、病院もすぐですからね」
隊員「とにかく病院に着いたら、先生や看護師さんの言うとおりにしてくださいね」
その言葉を聞きながら、私はただ震えるだけ。
病院に着いても、足元がおぼつかない。
看護師「大丈夫ですからね。任せてくださいね」
楓「……は、はい……」
看護師「落ち着いたらでいいですからね。連絡されるところに電話とかしておくといいですよ?」
そうだ、ちひろさんに。
その言葉だけはストンと私の中に入り、体だけは公衆電話へ向かう。
どうにか事務所へ電話できたらしく、ちひろさんがあわててタクシーでやってきてくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
581: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:08:14.48 :wbeyt9c30
どうやら病室でうたた寝をしてしまったらしい。
気がついたら、あの人がベッドで私の髪をなでていた。
楓「あ」
P「もう少し寝ててもいいんですよ」
疲れきった表情だけど、やさしい笑顔。
楓「うっ……うう……」
私は声を押し殺して泣いた。
楓「P、さん」
あの人は横になったまま、私の髪をなでる。
P「まだぐるぐるするんで。すいません」
楓「いいん、です」
あの人は私をなぐさめようとしている。自分のほうがつらいだろうに。
楓「なんで……そんなに」
楓「自分を犠牲にするんですか?」
泣きながら話す私。まったく要領を得ていない。
楓「どこにもいなくならないで、ください」
楓「私を置いて……いかないで……」
あの人は髪をなでながら一言「ごめん」とだけ。
よかった。ほんとうに。
私はただ、泣くだけ。
どうやら病室でうたた寝をしてしまったらしい。
気がついたら、あの人がベッドで私の髪をなでていた。
楓「あ」
P「もう少し寝ててもいいんですよ」
疲れきった表情だけど、やさしい笑顔。
楓「うっ……うう……」
私は声を押し殺して泣いた。
楓「P、さん」
あの人は横になったまま、私の髪をなでる。
P「まだぐるぐるするんで。すいません」
楓「いいん、です」
あの人は私をなぐさめようとしている。自分のほうがつらいだろうに。
楓「なんで……そんなに」
楓「自分を犠牲にするんですか?」
泣きながら話す私。まったく要領を得ていない。
楓「どこにもいなくならないで、ください」
楓「私を置いて……いかないで……」
あの人は髪をなでながら一言「ごめん」とだけ。
よかった。ほんとうに。
私はただ、泣くだけ。
582: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:09:01.46 :wbeyt9c30
泣いて、泣いて。ようやく落ち着いて。
楓「今はどうですか?」
P「うん、寝返り打つとぐるぐるがひどいんで。それがつらいかなあ」
楓「そうですか」
P「で、先生はなんと?」
楓「耳の病気じゃないかって」
P「……そうですか」
あの人の左手につながる点滴が痛々しい。
P「迷惑かけてしまいましたね」
楓「ほんと、ですよ」
P「……」
楓「ちひろさん、あわてて駆けつけてくれましたよ? 入院の手続きもしてくれて」
P「あ、保険証」
楓「それはあとでもいいそうです」
無理に動こうとするあの人を、押しとどめる。
そしてまた沈黙。
病室には時計もない。今は何時なんだろう。
窓の外はもう暗い。
P「楓さん」
楓「はい」
P「……ありがとう」
泣いて、泣いて。ようやく落ち着いて。
楓「今はどうですか?」
P「うん、寝返り打つとぐるぐるがひどいんで。それがつらいかなあ」
楓「そうですか」
P「で、先生はなんと?」
楓「耳の病気じゃないかって」
P「……そうですか」
あの人の左手につながる点滴が痛々しい。
P「迷惑かけてしまいましたね」
楓「ほんと、ですよ」
P「……」
楓「ちひろさん、あわてて駆けつけてくれましたよ? 入院の手続きもしてくれて」
P「あ、保険証」
楓「それはあとでもいいそうです」
無理に動こうとするあの人を、押しとどめる。
そしてまた沈黙。
病室には時計もない。今は何時なんだろう。
窓の外はもう暗い。
P「楓さん」
楓「はい」
P「……ありがとう」
583: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/21(水) 18:09:40.34 :wbeyt9c30
え?
私がなにかお礼を言われるようなことをしただろうか。
楓「どうしたんです?」
P「いえ、なにもないです」
P「なにもないですけど、そうだなあ」
P「いてくれて、ありがとう」
楓「……」
P「楓さん、いつも言ってるじゃないですか。『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』だって」
P「なんか、わかる気がします」
楓「……そうですか」
P「楓さんがこうしていてくれる、それだけでありがたい」
P「すごく、実感します」
楓「そう……よかった」
P「怒らないんですね? 無理しないでとか」
楓「そういう気持ちもありますけど、Pさんがこうしていてくれるから、もういいです」
楓「早くよくならないでくださいね?」
P「いや、楓さん。その言い方はおかしいでしょう?」
楓「だって、早くよくなったら、また無理するんじゃないかって」
楓「心配です」
あの人はひとつ、ため息をつく。
P「そうですね。ゆっくり休めっていう、お告げかもしれませんね」
楓「ええ。それと」
楓「少しは、Pさんの彼女らしいこと、させてください」
もうすぐ、面会時間が終わる。
私は、あの人の右手をとり、軽く握りしめた。
また、明日。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
え?
私がなにかお礼を言われるようなことをしただろうか。
楓「どうしたんです?」
P「いえ、なにもないです」
P「なにもないですけど、そうだなあ」
P「いてくれて、ありがとう」
楓「……」
P「楓さん、いつも言ってるじゃないですか。『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』だって」
P「なんか、わかる気がします」
楓「……そうですか」
P「楓さんがこうしていてくれる、それだけでありがたい」
P「すごく、実感します」
楓「そう……よかった」
P「怒らないんですね? 無理しないでとか」
楓「そういう気持ちもありますけど、Pさんがこうしていてくれるから、もういいです」
楓「早くよくならないでくださいね?」
P「いや、楓さん。その言い方はおかしいでしょう?」
楓「だって、早くよくなったら、また無理するんじゃないかって」
楓「心配です」
あの人はひとつ、ため息をつく。
P「そうですね。ゆっくり休めっていう、お告げかもしれませんね」
楓「ええ。それと」
楓「少しは、Pさんの彼女らしいこと、させてください」
もうすぐ、面会時間が終わる。
私は、あの人の右手をとり、軽く握りしめた。
また、明日。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
591: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/22(木) 17:48:24.73 :WPOGLVBZ0
ちひろ「とにかく、楓さんはPさんのそばについててください」
ちひろ「お願いしますね?」
昨日あの人が倒れたので、あいさつ回りが終わっていなかったのだけど。
ちひろさんは、他のスタッフにいろいろ肩代わりしてくれていた。
楓「なんか、いろいろ申し訳ないです」
ちひろ「いいんですよ。そのための私たちですから」
そう言ってちひろさんは、私を送り出す。
病室。その前に立つと、なにもなくても入るのがはばかられる。
楓「よし」
覚悟を決めて入ると、あの人は起き上がっていた。
P「おはようございます」
楓「Pさん、起きられるようになったんですね」
P「めまいの薬が効いてきたみたいで、よかったです」
P「これから検査なんで、またぐるぐるさせられるらしいですけど」
あの人は苦笑い。でも、私は笑えない。
楓「ちひろさんが、今日一日ついててくれと」
P「そうですか。ちひろさんにお礼をしないとならないですね」
私はかける言葉が見つからず、ただうなずいた。
検査の時間になり、看護師さんが呼びにきた。
看護師「これからMRIの検査になりますけど、歩けそうですか?」
P「はい、大丈夫です」
看護師「では、検査室までご案内します」
楓「私も、一緒に行ってかまいませんか?」
看護師「ええ、かまいませんけど。時間かかりますよ?」
楓「かまいません。お願いします」
看護師「では、ご一緒に」
ちひろ「とにかく、楓さんはPさんのそばについててください」
ちひろ「お願いしますね?」
昨日あの人が倒れたので、あいさつ回りが終わっていなかったのだけど。
ちひろさんは、他のスタッフにいろいろ肩代わりしてくれていた。
楓「なんか、いろいろ申し訳ないです」
ちひろ「いいんですよ。そのための私たちですから」
そう言ってちひろさんは、私を送り出す。
病室。その前に立つと、なにもなくても入るのがはばかられる。
楓「よし」
覚悟を決めて入ると、あの人は起き上がっていた。
P「おはようございます」
楓「Pさん、起きられるようになったんですね」
P「めまいの薬が効いてきたみたいで、よかったです」
P「これから検査なんで、またぐるぐるさせられるらしいですけど」
あの人は苦笑い。でも、私は笑えない。
楓「ちひろさんが、今日一日ついててくれと」
P「そうですか。ちひろさんにお礼をしないとならないですね」
私はかける言葉が見つからず、ただうなずいた。
検査の時間になり、看護師さんが呼びにきた。
看護師「これからMRIの検査になりますけど、歩けそうですか?」
P「はい、大丈夫です」
看護師「では、検査室までご案内します」
楓「私も、一緒に行ってかまいませんか?」
看護師「ええ、かまいませんけど。時間かかりますよ?」
楓「かまいません。お願いします」
看護師「では、ご一緒に」
592: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/22(木) 17:49:23.05 :WPOGLVBZ0
案内されたそこは、いろいろな検査に分かれている場所だった。
CT、MRI、レントゲン。
リニアック室と書かれた部屋の前には、お年寄りが二・三人座っていた。
看護師「こちらになりますね。呼ばれたら部屋にお入りください」
第二MRI室という部屋の前。長いすにふたり、腰を下ろす。
あの人は、肩で息をしているようだ。
楓「Pさん、つらいですか?」
P「昨日の今日ですから、ちょっとしんどいですけど。ぐるぐるしないだけましです」
ああ。なぜ私は、こうも無力なのか。
あの人がつらそうにしても、私はなにも助けてあげられない。
P「楓さん? そうつらそうな顔、しないでください」
楓「……あ」
P「僕は命に関わるような病気じゃないんでしょう?」
P「なら、なにも問題ないじゃないですか」
違う。違うの。
Pさんが心配だけど。でも、そういうことじゃない。
なんでわかってくれないの?
技師「Pさーん。どうぞお入りください」
P「じゃあ、楓さん。ちょっと行ってきます」
そう言ってあの人は検査室に入っていった。
ひとり、残される。
私は自分の立ち位置を、いやでも考えさせられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
案内されたそこは、いろいろな検査に分かれている場所だった。
CT、MRI、レントゲン。
リニアック室と書かれた部屋の前には、お年寄りが二・三人座っていた。
看護師「こちらになりますね。呼ばれたら部屋にお入りください」
第二MRI室という部屋の前。長いすにふたり、腰を下ろす。
あの人は、肩で息をしているようだ。
楓「Pさん、つらいですか?」
P「昨日の今日ですから、ちょっとしんどいですけど。ぐるぐるしないだけましです」
ああ。なぜ私は、こうも無力なのか。
あの人がつらそうにしても、私はなにも助けてあげられない。
P「楓さん? そうつらそうな顔、しないでください」
楓「……あ」
P「僕は命に関わるような病気じゃないんでしょう?」
P「なら、なにも問題ないじゃないですか」
違う。違うの。
Pさんが心配だけど。でも、そういうことじゃない。
なんでわかってくれないの?
技師「Pさーん。どうぞお入りください」
P「じゃあ、楓さん。ちょっと行ってきます」
そう言ってあの人は検査室に入っていった。
ひとり、残される。
私は自分の立ち位置を、いやでも考えさせられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
598: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/23(金) 18:03:45.31 :uFxhavSl0
あの人が倒れたときの喪失感。
私は、これほどまでにあの人とつながっていたのか。
検査室からビイビイと甲高い音が響く。待っている時間の流れが遅い。
P「お待たせしました」
楓「……」
P「楓さん?」
楓「あ。ああ、Pさん。お疲れさまです」
あの人の一言でようやく自分に戻る。
ああ。
思わず、あの人を抱きしめる。
P「楓さん、どうしたんです?」
私はなにも言わず、ただ抱きしめたまま。
P「まったく、仕方ないですね」
あの人はまた、髪をなでてくれた。
午後も検査があるということで、病院の食堂で一緒に昼食をとる。
楓「Pさん。食べられそう、ですか?」
P「ええ、まあ。軽いものなら」
私もあまり食欲がない。ふたりでサンドイッチとコーヒー。
楓「……」
P「楓さん? さっきからどうしたんです?」
楓「え?」
P「浮かない顔、ですよ?」
純粋に心配してくれるあの人。でも裏腹に、私の心は薄暗い。
楓「これが」
P「これが?」
楓「私の仕事中だったら、どうだったんだろうって」
楓「不安なんです」
あの人が倒れたときの喪失感。
私は、これほどまでにあの人とつながっていたのか。
検査室からビイビイと甲高い音が響く。待っている時間の流れが遅い。
P「お待たせしました」
楓「……」
P「楓さん?」
楓「あ。ああ、Pさん。お疲れさまです」
あの人の一言でようやく自分に戻る。
ああ。
思わず、あの人を抱きしめる。
P「楓さん、どうしたんです?」
私はなにも言わず、ただ抱きしめたまま。
P「まったく、仕方ないですね」
あの人はまた、髪をなでてくれた。
午後も検査があるということで、病院の食堂で一緒に昼食をとる。
楓「Pさん。食べられそう、ですか?」
P「ええ、まあ。軽いものなら」
私もあまり食欲がない。ふたりでサンドイッチとコーヒー。
楓「……」
P「楓さん? さっきからどうしたんです?」
楓「え?」
P「浮かない顔、ですよ?」
純粋に心配してくれるあの人。でも裏腹に、私の心は薄暗い。
楓「これが」
P「これが?」
楓「私の仕事中だったら、どうだったんだろうって」
楓「不安なんです」
599: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/23(金) 18:04:52.08 :uFxhavSl0
あの人は、だまって私の話を聞く。
楓「もし、私がステージで歌っていて、Pさんが倒れた話を聞いたとしたら」
楓「そのまま、歌える自信……ありません」
思わず、自分の手を握り締める。
楓「ファンのことを一番大切にしないといけないのに」
楓「そうできる、自信がないです……」
今の私は、アイドルなのだ。ファンがいてこその、私。
でも。
そういう建前も、あの人がいないという現実感を前にして、すべて吹き飛んでしまった。
楓「Pさんと成し遂げるって、言いましたよね?」
楓「もし、ひとりになってしまったらって考えると、足がすくんでしまいそうで」
なんとか言葉を出そうとしても、出てこない。
自分を保つのにいっぱいいっぱいだ。
P「……」
あの人が発するであろう言葉が怖い。私は、自分の発したことを後悔する。
P「別れましょう……なんて」
P「言うと思いました?」
楓「え?」
P「そんなこと、言うはずないじゃないですか」
P「僕は、楓さんが好きなんです」
言葉にならない。
口をつぐんだままの私に、あの人は語りかける。
P「昨日言ったじゃないですか」
僕は、楓さんがこうしていてくれるだけでありがたい、って。
正直な気持ちなんですよ?
人は、自分の存在を喜ばれていると感じたとき、いきいきと生きられる存在である。
大学でこんなこと教わりました。理系なのに。変でしょう?
うちの教授はなかなか変わり者でしたから、こんなことも一研究になってましたねえ。
正直、よくわからなかったです。実感がなかったって言うかなあ。この言葉が。
でも、今はわかります。
P「何度でも言います」
P「楓さんが、いてくれて、うれしいんです」
あの人は、だまって私の話を聞く。
楓「もし、私がステージで歌っていて、Pさんが倒れた話を聞いたとしたら」
楓「そのまま、歌える自信……ありません」
思わず、自分の手を握り締める。
楓「ファンのことを一番大切にしないといけないのに」
楓「そうできる、自信がないです……」
今の私は、アイドルなのだ。ファンがいてこその、私。
でも。
そういう建前も、あの人がいないという現実感を前にして、すべて吹き飛んでしまった。
楓「Pさんと成し遂げるって、言いましたよね?」
楓「もし、ひとりになってしまったらって考えると、足がすくんでしまいそうで」
なんとか言葉を出そうとしても、出てこない。
自分を保つのにいっぱいいっぱいだ。
P「……」
あの人が発するであろう言葉が怖い。私は、自分の発したことを後悔する。
P「別れましょう……なんて」
P「言うと思いました?」
楓「え?」
P「そんなこと、言うはずないじゃないですか」
P「僕は、楓さんが好きなんです」
言葉にならない。
口をつぐんだままの私に、あの人は語りかける。
P「昨日言ったじゃないですか」
僕は、楓さんがこうしていてくれるだけでありがたい、って。
正直な気持ちなんですよ?
人は、自分の存在を喜ばれていると感じたとき、いきいきと生きられる存在である。
大学でこんなこと教わりました。理系なのに。変でしょう?
うちの教授はなかなか変わり者でしたから、こんなことも一研究になってましたねえ。
正直、よくわからなかったです。実感がなかったって言うかなあ。この言葉が。
でも、今はわかります。
P「何度でも言います」
P「楓さんが、いてくれて、うれしいんです」
600: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/23(金) 18:05:26.35 :uFxhavSl0
なんて。
なんて私は、愛されているのだろう。
楓「ありがとう。Pさん。ほんとうに」
楓「Pさんがいてくれて、うれしいです」
私はまた泣いてしまう。何度も、あの人に。
でも。
悲しい涙じゃない。
P「確かに、ファンあってのアイドルってのは、正論です。事実です」
P「その前に、貴女は『高垣楓』という、ひとりの存在です」
P「貴女がやりたいことをやりたいように」
P「それが、一番なんじゃないですかね」
楓「はい……はい」
P「僕は、楓さんの味方です。楓さんがどういう選択をしようと」
P「僕は、それをサポートして、応援します」
楓「いいんですか? ……ほんとうに」
楓「それで、いいんですか?」
あの人はただうなずき、笑顔を見せる。
そうだ。
Pさんはいつでも、私の味方だ。
楓「私がつまずきそうになったら、助けてくださいね?」
P「ええ」
楓「すぐに駆けつけてくれなきゃ、いやですからね?」
P「もちろん」
私は、アイドル。でも今は。
ただの、女。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なんて。
なんて私は、愛されているのだろう。
楓「ありがとう。Pさん。ほんとうに」
楓「Pさんがいてくれて、うれしいです」
私はまた泣いてしまう。何度も、あの人に。
でも。
悲しい涙じゃない。
P「確かに、ファンあってのアイドルってのは、正論です。事実です」
P「その前に、貴女は『高垣楓』という、ひとりの存在です」
P「貴女がやりたいことをやりたいように」
P「それが、一番なんじゃないですかね」
楓「はい……はい」
P「僕は、楓さんの味方です。楓さんがどういう選択をしようと」
P「僕は、それをサポートして、応援します」
楓「いいんですか? ……ほんとうに」
楓「それで、いいんですか?」
あの人はただうなずき、笑顔を見せる。
そうだ。
Pさんはいつでも、私の味方だ。
楓「私がつまずきそうになったら、助けてくださいね?」
P「ええ」
楓「すぐに駆けつけてくれなきゃ、いやですからね?」
P「もちろん」
私は、アイドル。でも今は。
ただの、女。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
605: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/27(火) 12:18:20.99 :I3nJ8n8x0
夜。あの人のマンションに、一緒にいる。
横になるあの人に寄り添う私。
MRIに異常は診られず、他の検査も問題なかった。
医師「少し首の骨がゆがんでる感じですけど、これは問題ないです」
医師「血行をよくする薬とコリをほぐすビタミンを出しておきますね」
医師「しばらくゆっくり休むように」
メニエールだろうという診断だった。
楓「Pさん、大丈夫ですか?」
P「うん、だいぶ楽になった感じですね。寝返りはまだしんどいですけど」
ちひろさんに連絡を入れて、直帰と称してあの人といることにした。
P「ああ、そういや営業がまだ残ってましたねえ」
楓「ちひろさんたちスタッフで、手分けしてくれたそうですよ」
P「そうですか。ほんと申し訳ない」
あの人は、こんなときでも仕事のことを気にする。
楓「もう」
楓「少しは仕事から離れてくださいね?」
楓「とにかく、休むこと」
P「わかってはいるんですけどね。でも、なんか仕事してないと落ち着かなくて」
楓「Pさん、お願いですから」
私はつい、きつい口調になる。
楓「仕事のことはしばらく、考えないでください」
楓「私が、つらくなります……」
夜。あの人のマンションに、一緒にいる。
横になるあの人に寄り添う私。
MRIに異常は診られず、他の検査も問題なかった。
医師「少し首の骨がゆがんでる感じですけど、これは問題ないです」
医師「血行をよくする薬とコリをほぐすビタミンを出しておきますね」
医師「しばらくゆっくり休むように」
メニエールだろうという診断だった。
楓「Pさん、大丈夫ですか?」
P「うん、だいぶ楽になった感じですね。寝返りはまだしんどいですけど」
ちひろさんに連絡を入れて、直帰と称してあの人といることにした。
P「ああ、そういや営業がまだ残ってましたねえ」
楓「ちひろさんたちスタッフで、手分けしてくれたそうですよ」
P「そうですか。ほんと申し訳ない」
あの人は、こんなときでも仕事のことを気にする。
楓「もう」
楓「少しは仕事から離れてくださいね?」
楓「とにかく、休むこと」
P「わかってはいるんですけどね。でも、なんか仕事してないと落ち着かなくて」
楓「Pさん、お願いですから」
私はつい、きつい口調になる。
楓「仕事のことはしばらく、考えないでください」
楓「私が、つらくなります……」
606: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/27(火) 12:19:04.62 :I3nJ8n8x0
どうして、わかり合えないんだろう。
あの人と私は、成し遂げると約束した。そのために走ってきた。
今こうして一定の評価を得て、会社からもファンからも認められていると思っている。
でも、それは。あの人の献身の上の成り立っているものだ。
あの人が、つぶれてしまう。
私の人気があがるほど、あの人は努力してしまう。
愛しい人をこれ以上、無理強いしたくない。
こんなこと、エゴだと。わかっている。
私のわがままでしかないのだ。
私が周りのもろもろに目をつむり、駄々をこねているだけ。
楓「Pさん」
楓「成し遂げるって、なんですか?」
ふと、言葉を漏らす。
楓「Pさんがつぶれてしまうまで、走らなければならないことですか?」
楓「そんなの、私が耐えられません……」
あの人はなにも言わないけど、私は言葉が止まらない。
楓「Pさんが犠牲になるのが、私は耐えられないんです」
楓「なんでわかってくれないんですか……」
これ以上は苦しくて、私も言葉にできない。
こんなこと言われても、あの人が困るだけだ。
P「楓さん。僕は、楓さんを苦しめてきただけなんですかねえ」
楓「それは違います!」
あの人の言葉に、私は叫んだ。
どうして、わかり合えないんだろう。
あの人と私は、成し遂げると約束した。そのために走ってきた。
今こうして一定の評価を得て、会社からもファンからも認められていると思っている。
でも、それは。あの人の献身の上の成り立っているものだ。
あの人が、つぶれてしまう。
私の人気があがるほど、あの人は努力してしまう。
愛しい人をこれ以上、無理強いしたくない。
こんなこと、エゴだと。わかっている。
私のわがままでしかないのだ。
私が周りのもろもろに目をつむり、駄々をこねているだけ。
楓「Pさん」
楓「成し遂げるって、なんですか?」
ふと、言葉を漏らす。
楓「Pさんがつぶれてしまうまで、走らなければならないことですか?」
楓「そんなの、私が耐えられません……」
あの人はなにも言わないけど、私は言葉が止まらない。
楓「Pさんが犠牲になるのが、私は耐えられないんです」
楓「なんでわかってくれないんですか……」
これ以上は苦しくて、私も言葉にできない。
こんなこと言われても、あの人が困るだけだ。
P「楓さん。僕は、楓さんを苦しめてきただけなんですかねえ」
楓「それは違います!」
あの人の言葉に、私は叫んだ。
607: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/27(火) 12:19:44.27 :I3nJ8n8x0
楓「違うんです……」
楓「私は、Pさんと一緒に走ってきて、幸せなんです」
楓「でも、そうしてきて今、Pさんが倒れた」
楓「大切な人を失いたくない。Pさんを失いたくない。その一心なんです」
楓「ただ、Pさんが好きなんです。それだけなんです……」
あの人が、私の頭を。
ぽんぽん。
軽くなでる。
P「そうですね。走ってばかりで、休みを入れなかったかもしれませんね」
P「もう、こうしてひとりじゃないのに。なにを焦っていたのかなあ」
くすっ。
そう、私たちはもう、ひとりじゃない。
P「でもこうして。お互い言葉にしないと」
P「わからないこと、多いですよね」
そうだ。どんなに通じ合ったって、言葉にしなければわからないことは、ある。
楓「これからも、ずっと一緒にいてくれますよね?」
P「もちろん」
楓「私が、アイドルじゃなくても?」
気になること。
P「アイドルじゃなくても」
そっか。
楓「よかった。一緒にいて、いいんですね」
P「一緒にいてくれなきゃ、僕が困ります」
楓「Pさんが迷惑だろうと、一緒にいますからね?」
P「ええ、そうしてください」
ファンに祝福されるような引き際。かつて、凛ちゃんと話したことだ。
それを今、真剣に考えるときが、来たのかもしれない。
私の、引き際。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「違うんです……」
楓「私は、Pさんと一緒に走ってきて、幸せなんです」
楓「でも、そうしてきて今、Pさんが倒れた」
楓「大切な人を失いたくない。Pさんを失いたくない。その一心なんです」
楓「ただ、Pさんが好きなんです。それだけなんです……」
あの人が、私の頭を。
ぽんぽん。
軽くなでる。
P「そうですね。走ってばかりで、休みを入れなかったかもしれませんね」
P「もう、こうしてひとりじゃないのに。なにを焦っていたのかなあ」
くすっ。
そう、私たちはもう、ひとりじゃない。
P「でもこうして。お互い言葉にしないと」
P「わからないこと、多いですよね」
そうだ。どんなに通じ合ったって、言葉にしなければわからないことは、ある。
楓「これからも、ずっと一緒にいてくれますよね?」
P「もちろん」
楓「私が、アイドルじゃなくても?」
気になること。
P「アイドルじゃなくても」
そっか。
楓「よかった。一緒にいて、いいんですね」
P「一緒にいてくれなきゃ、僕が困ります」
楓「Pさんが迷惑だろうと、一緒にいますからね?」
P「ええ、そうしてください」
ファンに祝福されるような引き際。かつて、凛ちゃんと話したことだ。
それを今、真剣に考えるときが、来たのかもしれない。
私の、引き際。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
610:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2013/08/27(火) 18:32:52.75 :eNujdoSKo
乙
612: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/28(水) 18:02:11.64 :rc88dNgn0
誤字訂正
>>606 4行目
×「献身の上の」 → ○「献身の上に」
投下します
↓ ↓ ↓
誤字訂正
>>606 4行目
×「献身の上の」 → ○「献身の上に」
投下します
↓ ↓ ↓
613: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/28(水) 18:02:52.69 :rc88dNgn0
それから。あの人は週末まで有給をとることにした。
私は普段どおり営業をこなす。
楓「いつも応援、ありがとうございます」
握手会。
このときはあの人のことを頭の片隅に追いやり、ファンのことを思う。
いつだってほんとうに、ファンの応援がありがたい。
それだけに、私の決断を鈍らせる。
引き際を考えることが、ファンへの裏切りにならないか、と。
その思いをひとりで煮詰めても、ろくなことにならない。
楓「Pさん」
P「はい?」
楓「この前から思っているんですけど」
楓「このままアイドルを続けていくことに、疑問を持っているんです」
P「……ふむ」
これは、私たちふたりの問題だ。
自分たちの将来をきちんと、話しておく必要がある。
P「楓さんは」
楓「はい」
P「今の仕事、つらいですか?」
楓「いえ! そうじゃないんです。今の仕事は充実してるし、とても楽しいです」
楓「でも、私は女です。女は現実を逸脱できないんです」
楓「自分の将来を考えたとき、今の路線でいけるのもそう長くないと、感じるんです」
それから。あの人は週末まで有給をとることにした。
私は普段どおり営業をこなす。
楓「いつも応援、ありがとうございます」
握手会。
このときはあの人のことを頭の片隅に追いやり、ファンのことを思う。
いつだってほんとうに、ファンの応援がありがたい。
それだけに、私の決断を鈍らせる。
引き際を考えることが、ファンへの裏切りにならないか、と。
その思いをひとりで煮詰めても、ろくなことにならない。
楓「Pさん」
P「はい?」
楓「この前から思っているんですけど」
楓「このままアイドルを続けていくことに、疑問を持っているんです」
P「……ふむ」
これは、私たちふたりの問題だ。
自分たちの将来をきちんと、話しておく必要がある。
P「楓さんは」
楓「はい」
P「今の仕事、つらいですか?」
楓「いえ! そうじゃないんです。今の仕事は充実してるし、とても楽しいです」
楓「でも、私は女です。女は現実を逸脱できないんです」
楓「自分の将来を考えたとき、今の路線でいけるのもそう長くないと、感じるんです」
614: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/28(水) 18:04:12.82 :rc88dNgn0
アイドルは偶像。夢を売る商売だ。
でも、現実として年齢は大きなハンデだ。そして。
あの人と一緒に、これから『生活』していくことを考えると。
P「そうだなあ。うん。選択肢はいくつかあるでしょう」
P「このままの路線をしばらく進む」
P「ま、いつかはどこかで見直しを考えないとならないですから、ただの先送りです」
P「それから、分野特化。歌手とか俳優とか」
P「すでに楓さんはそういう方向に向かってますから、一番自然でしょう」
P「あとは、そう」
P「引退」
引退。
あの人がいう言葉には、現実の強さがある。
P「正直、僕はまだ楓さんが活躍する姿を見ていたいってのは、あります」
P「でもそれが、僕の純粋な気持ちとばかりは言えない」
P「事務所の都合とか、業界の打算とか。そんなのも含まれちゃいますから」
あの人は、ぬるくなったスポーツドリンクを一口飲む。
P「楓さんの気持ちが、一番ですからね」
あの人は、私の味方だと言ってくれた。
たぶん、私が出す結論を尊重してくれるだろう。
だから、これは自分の責任で。
楓「Pさん」
楓「私は、遠からず引退をと、思ってます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アイドルは偶像。夢を売る商売だ。
でも、現実として年齢は大きなハンデだ。そして。
あの人と一緒に、これから『生活』していくことを考えると。
P「そうだなあ。うん。選択肢はいくつかあるでしょう」
P「このままの路線をしばらく進む」
P「ま、いつかはどこかで見直しを考えないとならないですから、ただの先送りです」
P「それから、分野特化。歌手とか俳優とか」
P「すでに楓さんはそういう方向に向かってますから、一番自然でしょう」
P「あとは、そう」
P「引退」
引退。
あの人がいう言葉には、現実の強さがある。
P「正直、僕はまだ楓さんが活躍する姿を見ていたいってのは、あります」
P「でもそれが、僕の純粋な気持ちとばかりは言えない」
P「事務所の都合とか、業界の打算とか。そんなのも含まれちゃいますから」
あの人は、ぬるくなったスポーツドリンクを一口飲む。
P「楓さんの気持ちが、一番ですからね」
あの人は、私の味方だと言ってくれた。
たぶん、私が出す結論を尊重してくれるだろう。
だから、これは自分の責任で。
楓「Pさん」
楓「私は、遠からず引退をと、思ってます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
615: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/28(水) 18:04:56.60 :rc88dNgn0
私は、今私が考えるすべてを、打ち明ける。
私はこの仕事が好きです。ファンの皆さんも好きです。
でも。
Pさんが一番好きで、ずっと一緒にいたくて、生活をしていきたいと思ってます。
だから、今のことだけじゃなくて、十年、二十年先も、考えるんです。
結婚をして、子供ができて、家族が増えて。
そのとき、私がどうしてるだろうって考えると。
芸能界で働いてるって選択肢が、見当たらないんです。
私は不器用です。
大勢のファンに夢を見せることと、家族に夢を見せることは、両立できません。
特に、これからやってくるであろう子供たちに。
一番の夢と愛情を注ぎたい。
Pさんが仕事をするサポートができたら。
子供たちと一緒に安心してすごせる家庭が築けたら。
楓「それが、自分の幸せで。願いです」
楓「私の未来は、小さくてささやかなものが、いいんです」
P「……」
私の想いは、あの人に伝わっただろうか。
あの人は、どう思うのだろう。
P「そっか。そうだよなあ……」
あの人は、遠くを見るようなそぶりをして、ため息をつく。
P「僕は、楓さんをプロデュースしてきたから、楓さんのアイドル姿ばかりを思い浮かべてきました」
P「でも、楓さんと一緒に暮らしていくのだから」
P「僕はプロデューサーの前に、夫であり、父親なんだよなあ……」
そう言って、やっぱりあの人は頭をかく。
あの人の癖。
P「ふたりでやっていくって言いながら、将来設計とか、すっかり抜け落ちてたなあ」
P「うん。そうですね」
あの人は私を見つめる。
P「楓さんのフィナーレを、飾らせてください」
P「そして楓さんの人生を、僕と一緒に歩いてください」
P「僕はやきもち焼きですから、楓さんを独占しちゃうかもしれませんけど」
楓「あら。ふふっ」
私は、あの人に願う。
楓「私を、独占してください。お願いしますね」
引退。それを私たちの意志とした。
あとは、どう着陸するか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は、今私が考えるすべてを、打ち明ける。
私はこの仕事が好きです。ファンの皆さんも好きです。
でも。
Pさんが一番好きで、ずっと一緒にいたくて、生活をしていきたいと思ってます。
だから、今のことだけじゃなくて、十年、二十年先も、考えるんです。
結婚をして、子供ができて、家族が増えて。
そのとき、私がどうしてるだろうって考えると。
芸能界で働いてるって選択肢が、見当たらないんです。
私は不器用です。
大勢のファンに夢を見せることと、家族に夢を見せることは、両立できません。
特に、これからやってくるであろう子供たちに。
一番の夢と愛情を注ぎたい。
Pさんが仕事をするサポートができたら。
子供たちと一緒に安心してすごせる家庭が築けたら。
楓「それが、自分の幸せで。願いです」
楓「私の未来は、小さくてささやかなものが、いいんです」
P「……」
私の想いは、あの人に伝わっただろうか。
あの人は、どう思うのだろう。
P「そっか。そうだよなあ……」
あの人は、遠くを見るようなそぶりをして、ため息をつく。
P「僕は、楓さんをプロデュースしてきたから、楓さんのアイドル姿ばかりを思い浮かべてきました」
P「でも、楓さんと一緒に暮らしていくのだから」
P「僕はプロデューサーの前に、夫であり、父親なんだよなあ……」
そう言って、やっぱりあの人は頭をかく。
あの人の癖。
P「ふたりでやっていくって言いながら、将来設計とか、すっかり抜け落ちてたなあ」
P「うん。そうですね」
あの人は私を見つめる。
P「楓さんのフィナーレを、飾らせてください」
P「そして楓さんの人生を、僕と一緒に歩いてください」
P「僕はやきもち焼きですから、楓さんを独占しちゃうかもしれませんけど」
楓「あら。ふふっ」
私は、あの人に願う。
楓「私を、独占してください。お願いしますね」
引退。それを私たちの意志とした。
あとは、どう着陸するか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
621: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/30(金) 18:35:52.76 :OsHvseYP0
残暑の名残が漂う、9月。
楓「ふう……よし」
私は覚悟を決める。
大将の家に遊びに来た。奥様に会うために。
宝生はづき。将来を嘱望されながら引退した、女優。
はづき「楓さん! 早かったわねえ」
開けられた玄関からのぞかせる顔は、女優の面影を色濃く残していた。
楓「はづきさんはじめまして」
はづき「いえいえー。旦那も待ってたから。さ、あがってあがって!」
その清楚な顔からは想像できない快活さにとまどいながら、中へ案内される。
Pさんの部屋より広いマンションの一室。大将と娘さんが一緒に遊んでいた。
大将「お。よく来たな」
楓「ほんとに、忙しいところありがとうございます」
大将「いや、かえって店の休みに合わせちまって、こっちが申し訳ないさ」
大将の娘さんが無邪気に笑っている。
大将がこうまでしてくれる。それは一週間前のこと。
大将「まあ、おまえらの決意はわかった。あの社長にはどう説明するつもりだ?」
P「ああ、それはですね」
P「社長には、僕から話をします」
P「ソフトランディングの方法は、僕だけではどうにもなりませんし」
大将「そうだろうな。俺に訊かれても困るし」
楓「でも。大将には」
楓「ひとつお願いがあるんです」
大将「ん? 金なら貸せないぞ?」
楓「奥様と、お話したいと思って」
楓「ぶっちゃけ、経験者のご意見がうかがいたい、と」
大将「ぶっ! わははは!」
大将「楓さんもまあ、ずいぶんぶっちゃけたもんだな!」
笑いの止まらない大将を説得する私。
楓「ええ」
楓「なりふり構ってられませんから」
大将「ほお、女ってのはつええな」
大将「うちの嫁もだけどな」
大将「ま、あいつは専業主婦だし、子供と一緒にいるから大丈夫だとは思うが」
大将「ここの休みにあわせてもらえねえかな。俺が助かる」
楓「そのくらいなら全然。じゃあお願いしていいですか?」
私は、大将の奥様とアポをとりつける。
覚悟。
自分の決めた先になにがあるのか、それを知ってみたかった。
残暑の名残が漂う、9月。
楓「ふう……よし」
私は覚悟を決める。
大将の家に遊びに来た。奥様に会うために。
宝生はづき。将来を嘱望されながら引退した、女優。
はづき「楓さん! 早かったわねえ」
開けられた玄関からのぞかせる顔は、女優の面影を色濃く残していた。
楓「はづきさんはじめまして」
はづき「いえいえー。旦那も待ってたから。さ、あがってあがって!」
その清楚な顔からは想像できない快活さにとまどいながら、中へ案内される。
Pさんの部屋より広いマンションの一室。大将と娘さんが一緒に遊んでいた。
大将「お。よく来たな」
楓「ほんとに、忙しいところありがとうございます」
大将「いや、かえって店の休みに合わせちまって、こっちが申し訳ないさ」
大将の娘さんが無邪気に笑っている。
大将がこうまでしてくれる。それは一週間前のこと。
大将「まあ、おまえらの決意はわかった。あの社長にはどう説明するつもりだ?」
P「ああ、それはですね」
P「社長には、僕から話をします」
P「ソフトランディングの方法は、僕だけではどうにもなりませんし」
大将「そうだろうな。俺に訊かれても困るし」
楓「でも。大将には」
楓「ひとつお願いがあるんです」
大将「ん? 金なら貸せないぞ?」
楓「奥様と、お話したいと思って」
楓「ぶっちゃけ、経験者のご意見がうかがいたい、と」
大将「ぶっ! わははは!」
大将「楓さんもまあ、ずいぶんぶっちゃけたもんだな!」
笑いの止まらない大将を説得する私。
楓「ええ」
楓「なりふり構ってられませんから」
大将「ほお、女ってのはつええな」
大将「うちの嫁もだけどな」
大将「ま、あいつは専業主婦だし、子供と一緒にいるから大丈夫だとは思うが」
大将「ここの休みにあわせてもらえねえかな。俺が助かる」
楓「そのくらいなら全然。じゃあお願いしていいですか?」
私は、大将の奥様とアポをとりつける。
覚悟。
自分の決めた先になにがあるのか、それを知ってみたかった。
622: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/30(金) 18:36:32.62 :OsHvseYP0
はづき「旦那から聞いてるわよ。ずいぶん思い切ったわねー」
大将は気を利かせて、娘さんと席をはずしてくれた。
はづきさんは、冷たいお茶を出してくれる。
はづき「で? さっそく本題に入ったほうがいいんじゃない?」
楓「あ。ほんとすいません、なんか」
思った以上にざっくばらんな態度に、かえって恐縮してしまう。
楓「来てみたのはいいんですけど……なにをうかがったらいいのか」
はづき「ん? そうなの?」
楓「ええ、まあ」
楓「自分で引退とか口にしたのはいいんですけど」
楓「どう道を開いたらいいか、なんかよくわからなくて」
はづき「それで、あたし。ってこと?」
楓「はい」
はづき「そうねえ。ま、勝手に引っ込んじゃったあたしが言えることなんて、そうないけど」
はづき「まあ、いろいろあるってことだけは、言えるかなあ」
楓「いろいろ、ですか」
はづき「うん、いろいろ」
はづき「あの業界のめんどくささ、楓さんはわかるでしょ?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はづき「旦那から聞いてるわよ。ずいぶん思い切ったわねー」
大将は気を利かせて、娘さんと席をはずしてくれた。
はづきさんは、冷たいお茶を出してくれる。
はづき「で? さっそく本題に入ったほうがいいんじゃない?」
楓「あ。ほんとすいません、なんか」
思った以上にざっくばらんな態度に、かえって恐縮してしまう。
楓「来てみたのはいいんですけど……なにをうかがったらいいのか」
はづき「ん? そうなの?」
楓「ええ、まあ」
楓「自分で引退とか口にしたのはいいんですけど」
楓「どう道を開いたらいいか、なんかよくわからなくて」
はづき「それで、あたし。ってこと?」
楓「はい」
はづき「そうねえ。ま、勝手に引っ込んじゃったあたしが言えることなんて、そうないけど」
はづき「まあ、いろいろあるってことだけは、言えるかなあ」
楓「いろいろ、ですか」
はづき「うん、いろいろ」
はづき「あの業界のめんどくささ、楓さんはわかるでしょ?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
623: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/30(金) 18:37:19.65 :OsHvseYP0
はづきさんが語りだす。
旦那とはいわゆる幼馴染ってやつ? まあ、いつからってこともないけど。
お互いに好きで結婚したんだから、これはこれでいいと思うの。
あたしは高校生の時にもう業界に入ってたから、だいぶ長い遠距離恋愛って言えるかもねえ。
よく続いたもんだと、あたしが感心しちゃうね。あはは。
うちの事務所の社長はね。みんな家族のようなもんだって。
それが口癖。
だからね、こうしてまだお付き合いは続けてる。
知ってた? あたしまだ、事務所に籍あるんだって。
復帰する気なんか、さらさらないけどねー。
でも、社長が「いつでも戻れるように、用意したいから」って。
今はこうして、旦那と娘に囲まれて忙しいしさ。戻るつもりもないし。
そういう心遣いに感謝はしてる。
はづき「楓さんはアイドルだから、引退するときのいろいろな揉め事、気になるんでしょう?」
楓「そうですね……それはあります」
はづき「あたしは俳優業だったから、ちょっと毛色が違うと思うけど」
はづき「まあ、マスコミはうるさいよねー」
ここんとこ業界は、でき婚当たり前って感じじゃない。
あれ好かないよねー。
できたんだから仕方ないって、子供ダシにするんじゃない、って。思っちゃう。
あたしはねえ、社長がうまく立ち回ってくれた。
旦那と付き合ってること、それとなしに小出しにリークしてくれて。
ただ、いろいろ取材はうざかったけどね。交際は順調ですかとか。
そんなこと訊かれたら、余計ぎくしゃくするからやめろ、とかって。思ってた。
社長は、受け答えも指南してくれた。まあこれでも演技やる人間だし、そこはね、うまくやったつもり。
ただ、でき婚は避けろ、と。それは言われてた。
あれはね、自分だけじゃなくて、事務所全体、業界全体のダメージになるからねえ。
なんてただれた世界なんだ、なんて思われるのいやじゃん。
それにね、あたしは旦那に迷惑かけたくなかった。
ただの一般人に記者やカメラマンが殺到したら、それだけでいやな気持ちになるでしょう?
でもね、あちらもそういう商売だから、無碍にできないしね。
だから、そういうことでも、でき婚だけは絶対避けた。
だいぶ社長が動いてくれて、女性誌の記事からあたしの名前が消えるのに、そうかからなかったな。
それだけに、なおさら自分の動きには気を遣ったかな。
ゴシップの出どこ、どこが多いかわかるでしょう?
そう。同業者。
だれだれを売るためとかなんとかで、ないことないこと平気で言うとこだからね、あの業界。
だから、そういう根も葉もないことにきちんと対応できるように。
はづき「あれは正直、まいったなあ」
はづきさんが語りだす。
旦那とはいわゆる幼馴染ってやつ? まあ、いつからってこともないけど。
お互いに好きで結婚したんだから、これはこれでいいと思うの。
あたしは高校生の時にもう業界に入ってたから、だいぶ長い遠距離恋愛って言えるかもねえ。
よく続いたもんだと、あたしが感心しちゃうね。あはは。
うちの事務所の社長はね。みんな家族のようなもんだって。
それが口癖。
だからね、こうしてまだお付き合いは続けてる。
知ってた? あたしまだ、事務所に籍あるんだって。
復帰する気なんか、さらさらないけどねー。
でも、社長が「いつでも戻れるように、用意したいから」って。
今はこうして、旦那と娘に囲まれて忙しいしさ。戻るつもりもないし。
そういう心遣いに感謝はしてる。
はづき「楓さんはアイドルだから、引退するときのいろいろな揉め事、気になるんでしょう?」
楓「そうですね……それはあります」
はづき「あたしは俳優業だったから、ちょっと毛色が違うと思うけど」
はづき「まあ、マスコミはうるさいよねー」
ここんとこ業界は、でき婚当たり前って感じじゃない。
あれ好かないよねー。
できたんだから仕方ないって、子供ダシにするんじゃない、って。思っちゃう。
あたしはねえ、社長がうまく立ち回ってくれた。
旦那と付き合ってること、それとなしに小出しにリークしてくれて。
ただ、いろいろ取材はうざかったけどね。交際は順調ですかとか。
そんなこと訊かれたら、余計ぎくしゃくするからやめろ、とかって。思ってた。
社長は、受け答えも指南してくれた。まあこれでも演技やる人間だし、そこはね、うまくやったつもり。
ただ、でき婚は避けろ、と。それは言われてた。
あれはね、自分だけじゃなくて、事務所全体、業界全体のダメージになるからねえ。
なんてただれた世界なんだ、なんて思われるのいやじゃん。
それにね、あたしは旦那に迷惑かけたくなかった。
ただの一般人に記者やカメラマンが殺到したら、それだけでいやな気持ちになるでしょう?
でもね、あちらもそういう商売だから、無碍にできないしね。
だから、そういうことでも、でき婚だけは絶対避けた。
だいぶ社長が動いてくれて、女性誌の記事からあたしの名前が消えるのに、そうかからなかったな。
それだけに、なおさら自分の動きには気を遣ったかな。
ゴシップの出どこ、どこが多いかわかるでしょう?
そう。同業者。
だれだれを売るためとかなんとかで、ないことないこと平気で言うとこだからね、あの業界。
だから、そういう根も葉もないことにきちんと対応できるように。
はづき「あれは正直、まいったなあ」
624: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/30(金) 18:38:25.31 :OsHvseYP0
楓「……」
はづき「でも、楓さんはたぶん、こんな比じゃないと思うな」
はづき「アイドルって、ファンの数が桁違いだからね」
はづき「あ。なんか脅しちゃったみたいだね、ごめんね」
楓「いえ……」
楓「覚悟はしてるんですけど、やっぱり……不安はありますね」
はづき「でも、ね」
はづきさんは、ウインクしてみせる。
はづき「なんて言うかなあ。無条件であたしを信じて、見返り求めず愛情を注いでくれる」
はづき「そういう人がちゃんとそばにいれば、やっていけるよ」
はづき「楓さんの彼氏は、そういう人、でしょう?」
すごい。
想いひとつで困難を乗り切った人の言葉は、とても大きい。
はづき「旦那がどんなときでも、無条件にあたしの味方でいてくれる」
はづき「それは今でも変わらない」
はづき「だから、あたしは旦那と娘のため『だけ』に、ここを守ろうって」
はづき「それが、あたしの愛情だからね」
そう言ってはづきさんは微笑んだ。
はづき「ねえ、楓さん?」
楓「はい?」
はづき「貴女の愛情は本物、でしょう?」
楓「はい」
私ははづきさんの問いかけに、真っ直ぐに応える。
それは揺らぎない。そう信じている。
はづき「なら! 大丈夫」
はづきさんは、私の両手をとって、そう言った。
楓「……」
はづき「でも、楓さんはたぶん、こんな比じゃないと思うな」
はづき「アイドルって、ファンの数が桁違いだからね」
はづき「あ。なんか脅しちゃったみたいだね、ごめんね」
楓「いえ……」
楓「覚悟はしてるんですけど、やっぱり……不安はありますね」
はづき「でも、ね」
はづきさんは、ウインクしてみせる。
はづき「なんて言うかなあ。無条件であたしを信じて、見返り求めず愛情を注いでくれる」
はづき「そういう人がちゃんとそばにいれば、やっていけるよ」
はづき「楓さんの彼氏は、そういう人、でしょう?」
すごい。
想いひとつで困難を乗り切った人の言葉は、とても大きい。
はづき「旦那がどんなときでも、無条件にあたしの味方でいてくれる」
はづき「それは今でも変わらない」
はづき「だから、あたしは旦那と娘のため『だけ』に、ここを守ろうって」
はづき「それが、あたしの愛情だからね」
そう言ってはづきさんは微笑んだ。
はづき「ねえ、楓さん?」
楓「はい?」
はづき「貴女の愛情は本物、でしょう?」
楓「はい」
私ははづきさんの問いかけに、真っ直ぐに応える。
それは揺らぎない。そう信じている。
はづき「なら! 大丈夫」
はづきさんは、私の両手をとって、そう言った。
625: ◆eBIiXi2191ZO:2013/08/30(金) 18:39:03.95 :OsHvseYP0
はづき「根拠なんかないけどね。でも大丈夫」
はづき「あたしがそうだったように。楓さんもね」
手のぬくもりが伝わる。
彼女の苦労は、とても語りつくせないものがあるだろうと思うけど。
でも、はづきさんが『大丈夫』というなら、大丈夫なのだ。
だって、先人なのだから。
楓「はづきさん」
はづき「ん?」
楓「来て、よかったです」
楓「きちんと覚悟、できました」
はづき「なら、よろしい」
彼女は握っていた手を離し、深くうなずいた。
はづき「あ、そうそう。よかったら夕飯食べていって?」
はづき「旦那の料理はプロだけど、プロ主婦の料理だっていいものよ?」
楓「ふふっ。ありがとうございます」
はづき「娘がいるからお酒はないけど、それは勘弁してね?」
楓「じゃあ、お言葉に甘えて」
大将が娘さんを連れて帰ってきた頃には、すっかり日もかげって。
夕飯をご馳走になる。
私もお手伝いした夕餉の食卓は、なにか懐かしい味がした。
家族。
こういう家庭が築けたら、なんて。
あの人との未来を想った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はづき「根拠なんかないけどね。でも大丈夫」
はづき「あたしがそうだったように。楓さんもね」
手のぬくもりが伝わる。
彼女の苦労は、とても語りつくせないものがあるだろうと思うけど。
でも、はづきさんが『大丈夫』というなら、大丈夫なのだ。
だって、先人なのだから。
楓「はづきさん」
はづき「ん?」
楓「来て、よかったです」
楓「きちんと覚悟、できました」
はづき「なら、よろしい」
彼女は握っていた手を離し、深くうなずいた。
はづき「あ、そうそう。よかったら夕飯食べていって?」
はづき「旦那の料理はプロだけど、プロ主婦の料理だっていいものよ?」
楓「ふふっ。ありがとうございます」
はづき「娘がいるからお酒はないけど、それは勘弁してね?」
楓「じゃあ、お言葉に甘えて」
大将が娘さんを連れて帰ってきた頃には、すっかり日もかげって。
夕飯をご馳走になる。
私もお手伝いした夕餉の食卓は、なにか懐かしい味がした。
家族。
こういう家庭が築けたら、なんて。
あの人との未来を想った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
631: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/02(月) 18:14:37.14 :yOphYg890
社長「ああ、楓さん」
楓「はい」
社長「ちょっと入院してきてください」
楓「はあ!?」
10月のある日。社長に呼ばれて告げられる。
私は素っとん狂な声をあげた。
楓「あ、あの、社長。私、どこも悪くないんですが」
社長「まあ、人間ドックというやつですよ。ちょっと骨休めするのもいいでしょう」
楓「いやいや、待ってください。今レコーディング中じゃないですか」
社長「ええ、知ってます」
楓「そんな検診とか受けている暇、ないと思うんですが」
社長「ですから言ってるでしょう? 骨休め、ですよ」
楓「そんな……」
社長「すでに病院は手配してあります。あとはちひろさんに詳しいこと訊いてください」
楓「あの、社長!」
社長「これは決定事項ですから。では、よろしく」
理由もろくに告げられず、私は社長室を放り出される。
仕方なく、私はちひろさんに話を聞く。
楓「ちひろさん、どういうことなんですか?」
ちひろ「……さあ?」
ちひろさんも、よくわからないようだ。
とはいえ、上からのお達し。ちひろさんは手配した病院を私に教える。
ちひろ「まあ、お泊りドックは食事が楽しみっていいますから」
楓「いや、ほんとそれどころじゃ」
もやもやしたものを吐き出そうとする私を、ちひろさんがさえぎる。
ちひろ「社長がおっしゃったことですから、ここは受けざるを得ないですよ」
楓「……まあ、そうなんですけど」
ちひろさんはドックの日程と書類一式を渡してくれる。
ちひろ「書類に、ドックの内容とか書いてありますけど」
ちひろ「詳しいことはPさんに訊いてくださいね?」
ちひろさんは「うふふ」と、意味深な笑いを浮かべていた。
社長「ああ、楓さん」
楓「はい」
社長「ちょっと入院してきてください」
楓「はあ!?」
10月のある日。社長に呼ばれて告げられる。
私は素っとん狂な声をあげた。
楓「あ、あの、社長。私、どこも悪くないんですが」
社長「まあ、人間ドックというやつですよ。ちょっと骨休めするのもいいでしょう」
楓「いやいや、待ってください。今レコーディング中じゃないですか」
社長「ええ、知ってます」
楓「そんな検診とか受けている暇、ないと思うんですが」
社長「ですから言ってるでしょう? 骨休め、ですよ」
楓「そんな……」
社長「すでに病院は手配してあります。あとはちひろさんに詳しいこと訊いてください」
楓「あの、社長!」
社長「これは決定事項ですから。では、よろしく」
理由もろくに告げられず、私は社長室を放り出される。
仕方なく、私はちひろさんに話を聞く。
楓「ちひろさん、どういうことなんですか?」
ちひろ「……さあ?」
ちひろさんも、よくわからないようだ。
とはいえ、上からのお達し。ちひろさんは手配した病院を私に教える。
ちひろ「まあ、お泊りドックは食事が楽しみっていいますから」
楓「いや、ほんとそれどころじゃ」
もやもやしたものを吐き出そうとする私を、ちひろさんがさえぎる。
ちひろ「社長がおっしゃったことですから、ここは受けざるを得ないですよ」
楓「……まあ、そうなんですけど」
ちひろさんはドックの日程と書類一式を渡してくれる。
ちひろ「書類に、ドックの内容とか書いてありますけど」
ちひろ「詳しいことはPさんに訊いてくださいね?」
ちひろさんは「うふふ」と、意味深な笑いを浮かべていた。
632: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/02(月) 18:15:13.02 :yOphYg890
そしてその夜。私はPさんの部屋にいる。
P「ああ、社長がなにも説明しなかったんですか。なるほどねえ」
あの人は苦笑い。
楓「まったく、ひどいですよう」
焼酎をちびちびとやっている私は、少々酔っているかもしれない。
P「まあ、社長が書いたシナリオなんですけどね」
楓「シナリオ、ですか?」
P「ええ、引退の」
引退。
社長がなにも言わなかったのは、本人なりのささやかな抵抗だったのかもしれない。
いや、ただのいじわるかも。
P「僕も詳しいことは聞いてないですけどね」
こういうことらしい。
私が体調不良で入院ということにする。それをリーク。
頃合いを見て、支えてくれる人がいるらしいと。これをリーク。
仕事量を徐々に調節。そして休業宣言。
もっともらしいことを言ってはいるが、つまりは、嘘。
楓「そんなにうまく、ことが運ぶんですかねえ?」
P「いやこればっかりは、なんとも」
あの人も半信半疑らしい。
P「ただ、社長が言うんですよ。『全面うそなら、簡単にばれる』」
P「でも『ほんとのことを言えば、つつかれる』」
P「だから『うそに少しだけ真実を混ぜる』」
P「これが一番、信用されやすい。のだそうです」
あの人も呆れ顔だ。
なるほど、私は体調もすこぶる良好だし、入院なんてことにはなりえない。
でも、支えてくれる人がいるというのは、ほんとのこと。
楓「うーん」
楓「なんか、あまり気持ちのいい行いじゃないですね」
自分の都合で引退などと言っているのだ。そのこと自体が、ファンにとって気持ちがいいことじゃない。
だから、きちんとだます。
それはわかっているのだが。
そしてその夜。私はPさんの部屋にいる。
P「ああ、社長がなにも説明しなかったんですか。なるほどねえ」
あの人は苦笑い。
楓「まったく、ひどいですよう」
焼酎をちびちびとやっている私は、少々酔っているかもしれない。
P「まあ、社長が書いたシナリオなんですけどね」
楓「シナリオ、ですか?」
P「ええ、引退の」
引退。
社長がなにも言わなかったのは、本人なりのささやかな抵抗だったのかもしれない。
いや、ただのいじわるかも。
P「僕も詳しいことは聞いてないですけどね」
こういうことらしい。
私が体調不良で入院ということにする。それをリーク。
頃合いを見て、支えてくれる人がいるらしいと。これをリーク。
仕事量を徐々に調節。そして休業宣言。
もっともらしいことを言ってはいるが、つまりは、嘘。
楓「そんなにうまく、ことが運ぶんですかねえ?」
P「いやこればっかりは、なんとも」
あの人も半信半疑らしい。
P「ただ、社長が言うんですよ。『全面うそなら、簡単にばれる』」
P「でも『ほんとのことを言えば、つつかれる』」
P「だから『うそに少しだけ真実を混ぜる』」
P「これが一番、信用されやすい。のだそうです」
あの人も呆れ顔だ。
なるほど、私は体調もすこぶる良好だし、入院なんてことにはなりえない。
でも、支えてくれる人がいるというのは、ほんとのこと。
楓「うーん」
楓「なんか、あまり気持ちのいい行いじゃないですね」
自分の都合で引退などと言っているのだ。そのこと自体が、ファンにとって気持ちがいいことじゃない。
だから、きちんとだます。
それはわかっているのだが。
633: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/02(月) 18:15:43.63 :yOphYg890
P「楓さんの気持ちだけで考えれば、正々堂々と宣言できればいいでしょうけど」
P「それはまず無理でしょうねえ」
楓「……」
P「ファンの間でもめるでしょうし、それよりまず、マスコミが関係ないことまでほじくり出します」
P「そうすれば、一般の人へのイメージが落ちますし、事務所全体のマイナスになるでしょう」
P「ファンじゃない普通の人には、スキャンダルはいい暇つぶしのネタでしかないですしね」
非常に心が痛い。
はづきさんと話をして、そういう問題も頭ではわかっていた。
でも、現実になると、とてもつらい。
P「業界から見れば、いちアイドルの醜聞は、自分たちの儲けのネタですしね」
P「事務所としては、どうあってもソフトランディングさせないとならないんです」
楓「Pさん」
P「はい」
楓「私は、早まったことをしたんでしょうか?」
こうまで現実を叩きつけられると、心が折れそうになる。
はづきさんの苦労が私の想像以上のものだという事実に、逃げ出したくなる。
P「いえ、そんなことないです」
P「いずれは通る道です。早いとか遅いとか、関係ないです」
P「僕も一緒に歩くんです。それでは頼りないですか?」
あ。
そうだ。
私はあの人と一緒に歩いていきたい。だからこの道を選んだのだ。
楓「いえ、それが一番ありがたいです」
楓「そうですね。一緒に歩きましょう」
心は晴れない。
でも、もう動き出した。
あの人と、後戻りできない道を、歩く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「楓さんの気持ちだけで考えれば、正々堂々と宣言できればいいでしょうけど」
P「それはまず無理でしょうねえ」
楓「……」
P「ファンの間でもめるでしょうし、それよりまず、マスコミが関係ないことまでほじくり出します」
P「そうすれば、一般の人へのイメージが落ちますし、事務所全体のマイナスになるでしょう」
P「ファンじゃない普通の人には、スキャンダルはいい暇つぶしのネタでしかないですしね」
非常に心が痛い。
はづきさんと話をして、そういう問題も頭ではわかっていた。
でも、現実になると、とてもつらい。
P「業界から見れば、いちアイドルの醜聞は、自分たちの儲けのネタですしね」
P「事務所としては、どうあってもソフトランディングさせないとならないんです」
楓「Pさん」
P「はい」
楓「私は、早まったことをしたんでしょうか?」
こうまで現実を叩きつけられると、心が折れそうになる。
はづきさんの苦労が私の想像以上のものだという事実に、逃げ出したくなる。
P「いえ、そんなことないです」
P「いずれは通る道です。早いとか遅いとか、関係ないです」
P「僕も一緒に歩くんです。それでは頼りないですか?」
あ。
そうだ。
私はあの人と一緒に歩いていきたい。だからこの道を選んだのだ。
楓「いえ、それが一番ありがたいです」
楓「そうですね。一緒に歩きましょう」
心は晴れない。
でも、もう動き出した。
あの人と、後戻りできない道を、歩く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
634: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/02(月) 18:17:02.25 :yOphYg890
凛「楓さん! 大丈夫ですか!?」
ドックに入った日。凛ちゃんがあわてて病室にやってきた。
楓「凛ちゃん、どうしたの?」
凛「い、いえ。楓さんが入院したって話を聞いて」
楓「あら。どこからその話を?」
凛「あの……テレビ局のスタッフさんが、そんな話をしてて」
どういうルートでリークしたかは知らない。でも。
ものすごい勢いでうわさが駆け巡っていることは、凛ちゃんの態度でわかった。
楓「よくここの場所がわかったわね」
凛「え? あの。ちひろさんに訊いて」
楓「ああ」
ちひろさんなら知ってる、というか、仕掛けた張本人のグループだし。
楓「心配しないで。大丈夫だから」
楓「ほら、どこから見ても大丈夫でしょう?」
そう、初日の検査が終わったから、すでに私は検査服から私服に着替えている。
ただ、病室に泊まっているというだけ。
凛「え、ええ。確かに」
楓「ね? ちひろさんにどこまで訊いたかはわからないけど」
楓「私は、大丈夫」
凛ちゃんは私の言葉を聞いたとたん、へなへなとへたり込んだ。
凛「……よかったあ……ほんとに」
座り込んだままさめざめと泣く凛ちゃん。
その姿に、私は罪悪感を覚えずにはいられない。
彼女が泣き止むまで、私は凛ちゃんを抱きしめていた。
凛「その……加蓮のこともあって」
落ち着いたころ。凛ちゃんがぽつぽつと話し出す。
凛「入院って言葉を聞くと、どうしても普通にしてられなくて」
楓「そう……」
凛「だから、楓さんが入院って話を聞いて、いてもたってもいられなくて」
凛「ここへ、来ちゃいました」
うつむく凛ちゃん。
私は彼女に尋ねる。
楓「どうして?」
楓「どうして私のこと、そんなに心配してくれるの?」
凛「……だって」
震える肩もそのままに、凛ちゃんは私を見上げる。
凛「だって大切な人が入院したんですよ!」
凛「心配しちゃいけないんですか!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「楓さん! 大丈夫ですか!?」
ドックに入った日。凛ちゃんがあわてて病室にやってきた。
楓「凛ちゃん、どうしたの?」
凛「い、いえ。楓さんが入院したって話を聞いて」
楓「あら。どこからその話を?」
凛「あの……テレビ局のスタッフさんが、そんな話をしてて」
どういうルートでリークしたかは知らない。でも。
ものすごい勢いでうわさが駆け巡っていることは、凛ちゃんの態度でわかった。
楓「よくここの場所がわかったわね」
凛「え? あの。ちひろさんに訊いて」
楓「ああ」
ちひろさんなら知ってる、というか、仕掛けた張本人のグループだし。
楓「心配しないで。大丈夫だから」
楓「ほら、どこから見ても大丈夫でしょう?」
そう、初日の検査が終わったから、すでに私は検査服から私服に着替えている。
ただ、病室に泊まっているというだけ。
凛「え、ええ。確かに」
楓「ね? ちひろさんにどこまで訊いたかはわからないけど」
楓「私は、大丈夫」
凛ちゃんは私の言葉を聞いたとたん、へなへなとへたり込んだ。
凛「……よかったあ……ほんとに」
座り込んだままさめざめと泣く凛ちゃん。
その姿に、私は罪悪感を覚えずにはいられない。
彼女が泣き止むまで、私は凛ちゃんを抱きしめていた。
凛「その……加蓮のこともあって」
落ち着いたころ。凛ちゃんがぽつぽつと話し出す。
凛「入院って言葉を聞くと、どうしても普通にしてられなくて」
楓「そう……」
凛「だから、楓さんが入院って話を聞いて、いてもたってもいられなくて」
凛「ここへ、来ちゃいました」
うつむく凛ちゃん。
私は彼女に尋ねる。
楓「どうして?」
楓「どうして私のこと、そんなに心配してくれるの?」
凛「……だって」
震える肩もそのままに、凛ちゃんは私を見上げる。
凛「だって大切な人が入院したんですよ!」
凛「心配しちゃいけないんですか!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
635: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/02(月) 18:17:50.16 :yOphYg890
凛「あ……」
彼女は、自分の叫んだ言葉にはっとして、そしてまたうつむいた。
凛ちゃんの一途さに、心が震える。
楓「そっか」
私は、小さくなった彼女の肩に、手をあてる。
楓「心配してくれて、ありがとう」
凛「……だって……心配で心配で押しつぶされそうだったんですよ?」
凛「楓さんは……私のお姉さんのような人だもん」
そこまで慕われている。
以前の彼女なら、考えられないことだった。
楓「ふう……そうねえ」
楓「なにから、話したらいいかしら?」
私は、頭の中を整えながら、凛ちゃんと目線を同じくする。
楓「あのね? 凛ちゃん。私ね」
楓「引退しようと、思ってるの。芸能活動から」
凛「……え?」
彼女の見せる戸惑い。そうだろう。
姉と慕ってる人が、引退を口にするのだ。
楓「Pさんと、一緒になるために、ね」
私は、同じ人を好きになった彼女に、告げた。
あの人と一緒になると。
凛「そう……ですか……」
冷静に振舞おうとしている凛ちゃんだけど、動揺が顔に現れている。
凛「Pさんと楓さんが……」
凛「いえ! それはうれしいことなんです! おめでとうございます」
凛「でも……この業界から引退するなんて……」
凛ちゃんはなにを思っているだろう。
それは、当人にしかわからないことだろう。でも。
楓「凛ちゃんとこうして、一緒に仕事ができること。とてもうれしいの」
楓「でも、これは私なりのけじめ、なの」
凛「……けじめ」
楓「そう。けじめ」
私は、引退を決断するにいたるまでの想いを、凛ちゃんに打ち明ける。
ゆっくり、ゆっくり。
彼女と私の、夜が更ける。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「あ……」
彼女は、自分の叫んだ言葉にはっとして、そしてまたうつむいた。
凛ちゃんの一途さに、心が震える。
楓「そっか」
私は、小さくなった彼女の肩に、手をあてる。
楓「心配してくれて、ありがとう」
凛「……だって……心配で心配で押しつぶされそうだったんですよ?」
凛「楓さんは……私のお姉さんのような人だもん」
そこまで慕われている。
以前の彼女なら、考えられないことだった。
楓「ふう……そうねえ」
楓「なにから、話したらいいかしら?」
私は、頭の中を整えながら、凛ちゃんと目線を同じくする。
楓「あのね? 凛ちゃん。私ね」
楓「引退しようと、思ってるの。芸能活動から」
凛「……え?」
彼女の見せる戸惑い。そうだろう。
姉と慕ってる人が、引退を口にするのだ。
楓「Pさんと、一緒になるために、ね」
私は、同じ人を好きになった彼女に、告げた。
あの人と一緒になると。
凛「そう……ですか……」
冷静に振舞おうとしている凛ちゃんだけど、動揺が顔に現れている。
凛「Pさんと楓さんが……」
凛「いえ! それはうれしいことなんです! おめでとうございます」
凛「でも……この業界から引退するなんて……」
凛ちゃんはなにを思っているだろう。
それは、当人にしかわからないことだろう。でも。
楓「凛ちゃんとこうして、一緒に仕事ができること。とてもうれしいの」
楓「でも、これは私なりのけじめ、なの」
凛「……けじめ」
楓「そう。けじめ」
私は、引退を決断するにいたるまでの想いを、凛ちゃんに打ち明ける。
ゆっくり、ゆっくり。
彼女と私の、夜が更ける。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
641: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/03(火) 17:13:05.26 :r598zBd00
楓「もうだいぶ遅いけど、明日に差し支えない?」
凛「大丈夫。明日は遅い入りなんで」
楓「そう」
Pさんのこと。引退のこと。
凛ちゃんとふたり、話を続けている。
凛「そう、ですか。うその入院……」
楓「あんまり気が乗らないけどね」
病室のベッドに腰掛けて会話というのは、実に違和感がある。
凛「私は、自分たちがきちんとしていれば、いつかは祝福してくれる。そんなふうに」
凛「思ってました」
楓「私も、同じ。でも、さすがにそういうところじゃないから。この業界はね」
楓「正しいと思ったことでも、後ろ指を差される。ずっと」
楓「悔しいけど、自分たちのこれからを守るには、かなりの詭弁が必要」
凛「そう、かもしれないですね」
凛ちゃんの表情もさえない。それはそうだ。
私ですら、あらかじめはづきさんに教えてもらっていても、やはり納得いかないものだ。
まして彼女には、これからがある。
凛「でも」
楓「ん?」
凛「でも……Pさんと楓さんが、ひっそりと幸せでいられるなら」
凛「そのうそも、いつか許されるんじゃないか、って」
凛「そう思いますけど……私の希望でしかないですけどね」
そう言って凛ちゃんは気丈に笑った。
凛「楓さん、アイドルって」
楓「アイドル?」
凛「なんなんでしょうね」
アイドル、か。
ほんと。
楓「なんなのかしらねえ」
楓「これだけやってても、さっぱりわからない」
楓「凛ちゃんは、わかる?」
楓「もうだいぶ遅いけど、明日に差し支えない?」
凛「大丈夫。明日は遅い入りなんで」
楓「そう」
Pさんのこと。引退のこと。
凛ちゃんとふたり、話を続けている。
凛「そう、ですか。うその入院……」
楓「あんまり気が乗らないけどね」
病室のベッドに腰掛けて会話というのは、実に違和感がある。
凛「私は、自分たちがきちんとしていれば、いつかは祝福してくれる。そんなふうに」
凛「思ってました」
楓「私も、同じ。でも、さすがにそういうところじゃないから。この業界はね」
楓「正しいと思ったことでも、後ろ指を差される。ずっと」
楓「悔しいけど、自分たちのこれからを守るには、かなりの詭弁が必要」
凛「そう、かもしれないですね」
凛ちゃんの表情もさえない。それはそうだ。
私ですら、あらかじめはづきさんに教えてもらっていても、やはり納得いかないものだ。
まして彼女には、これからがある。
凛「でも」
楓「ん?」
凛「でも……Pさんと楓さんが、ひっそりと幸せでいられるなら」
凛「そのうそも、いつか許されるんじゃないか、って」
凛「そう思いますけど……私の希望でしかないですけどね」
そう言って凛ちゃんは気丈に笑った。
凛「楓さん、アイドルって」
楓「アイドル?」
凛「なんなんでしょうね」
アイドル、か。
ほんと。
楓「なんなのかしらねえ」
楓「これだけやってても、さっぱりわからない」
楓「凛ちゃんは、わかる?」
642: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/03(火) 17:13:53.71 :r598zBd00
凛「私も、わかんないです……」
窓の外には、いつもの街灯り。
それを眺め、彼女はため息をつく。
凛「自分の思う『渋谷凛』と、ファンの見てる『渋谷凛』」
凛「そして、この業界が求める『渋谷凛』って、似てるようで違うんだと、そんな気がして」
凛「時々、自分が何者なのかわかんなくなっちゃいますね」
凛ちゃんは、私よりずっと先を走っている。だからこそ、思い悩むのだろう。
楓「アイドルって、テレビ画面の世界が創ったまやかしかもしれないけど」
楓「でも、私も凛ちゃんも、こうして意志を持って動いてる」
楓「ただのキャラクターなんかじゃない」
凛「私は、求められるものに自分を一致させようとすることが、アイドルの仕事と思っていたときがあるんです」
凛「でも奈緒や加蓮、Pさんに出会って、変わった」
凛「みんな、思うものが違う。なら、私の思う私に、ファンをどれだけ引き込めるか」
凛「それがアイドルの醍醐味だ、って」
外を眺めていた彼女は、私を向いて言う。
凛「Pさんの受け売りですけどね」
凛ちゃんは「ふふっ」と笑った。
楓「私、凛ちゃんがプロフェッショナルだって感じたの、正しかったね」
凛「いえ! そんなことないです」
街灯りに映える彼女のシルエットが、幻想的だ。
凛「ほんとのこと言うと、ちょっとだけ楓さんになりたかったんです」
楓「え? どうして?」
凛「だって……Pさんが惹かれて、好きになった人ですから」
ああ。
もし逆の立場だったら、私はどんな選択をしたんだろう。
凛「でも今は違います。私は私、楓さんは楓さん」
凛「違うから、いいんです」
なにかを目で追うように、凛ちゃんは天井を見上げ、つぶやいた。
凛「楓さんと一緒に、ツアーやってみたいです」
凛「トライアドとしてじゃなくて、私と楓さんで」
どこまでいっても、彼女は私のライバル。
そして、愛おしい妹。
楓「ここにPさんがいたら、きっと悔しがるわね」
凛「え? どうしてですか?」
楓「たぶん『そんなおいしい企画、僕が立てたかったのに』って」
凛「ぷっ。ふふっ」
楓「ふふっ。絶対そうだって」
ふたりの密やかなたくらみ。
実現できたら、どんなに楽しかろう。
私に残されている時間は、あと、どのくらい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「私も、わかんないです……」
窓の外には、いつもの街灯り。
それを眺め、彼女はため息をつく。
凛「自分の思う『渋谷凛』と、ファンの見てる『渋谷凛』」
凛「そして、この業界が求める『渋谷凛』って、似てるようで違うんだと、そんな気がして」
凛「時々、自分が何者なのかわかんなくなっちゃいますね」
凛ちゃんは、私よりずっと先を走っている。だからこそ、思い悩むのだろう。
楓「アイドルって、テレビ画面の世界が創ったまやかしかもしれないけど」
楓「でも、私も凛ちゃんも、こうして意志を持って動いてる」
楓「ただのキャラクターなんかじゃない」
凛「私は、求められるものに自分を一致させようとすることが、アイドルの仕事と思っていたときがあるんです」
凛「でも奈緒や加蓮、Pさんに出会って、変わった」
凛「みんな、思うものが違う。なら、私の思う私に、ファンをどれだけ引き込めるか」
凛「それがアイドルの醍醐味だ、って」
外を眺めていた彼女は、私を向いて言う。
凛「Pさんの受け売りですけどね」
凛ちゃんは「ふふっ」と笑った。
楓「私、凛ちゃんがプロフェッショナルだって感じたの、正しかったね」
凛「いえ! そんなことないです」
街灯りに映える彼女のシルエットが、幻想的だ。
凛「ほんとのこと言うと、ちょっとだけ楓さんになりたかったんです」
楓「え? どうして?」
凛「だって……Pさんが惹かれて、好きになった人ですから」
ああ。
もし逆の立場だったら、私はどんな選択をしたんだろう。
凛「でも今は違います。私は私、楓さんは楓さん」
凛「違うから、いいんです」
なにかを目で追うように、凛ちゃんは天井を見上げ、つぶやいた。
凛「楓さんと一緒に、ツアーやってみたいです」
凛「トライアドとしてじゃなくて、私と楓さんで」
どこまでいっても、彼女は私のライバル。
そして、愛おしい妹。
楓「ここにPさんがいたら、きっと悔しがるわね」
凛「え? どうしてですか?」
楓「たぶん『そんなおいしい企画、僕が立てたかったのに』って」
凛「ぷっ。ふふっ」
楓「ふふっ。絶対そうだって」
ふたりの密やかなたくらみ。
実現できたら、どんなに楽しかろう。
私に残されている時間は、あと、どのくらい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
649: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/04(水) 12:36:48.72 :BAOtGy540
私が入院したことにメディアは大きく反応した。
事務所としてはお決まりのファックスを出したのだけれど。
『弊社所属の高垣楓が入院したことにつきましては事実でございます。
しかしながら、これは体調不良を考慮し念のために入院したものであり、
今後の活動に支障となるものではございません』
レポーター「お体の調子は、もう大丈夫ということですか?」
楓「ええ、大丈夫です。ちょっと崩しただけですから」
何度目かの返答。ここしばらくはこれが続くのだろう。
P「お疲れさまです」
移動の車で、あの人は言葉をかけてくれた。
楓「ふう。覚悟してたとはいえ」
楓「かなり擦り減っちゃいますね」
毎日追いかけられることがないだけましだと思うけど。精神的にこたえる。
なんというか。
自分の中に土足で上がりこまれる感覚というか。
楓「なんか、呑まなきゃやってられない、って感じですね……」
私はそう言ってシートを傾けた。
P「いや、酒臭いアイドルはまずいでしょう」
あの人は笑う
P「でも、そう言いたくなる気持ちは、わからなくないです」
P「楓さんは自分のせいだからと思うかもしれませんけど」
P「僕のせいでも、あるわけですから」
計画の端緒でこの疲労。
まして、あの人は当事者でありながら、完全に裏方として振舞っていないとならない。
ストレスも相当のものだろう。
楓「あーあ。Pさん成分が足りないです」
楓「なんとかしてください」
私が入院したことにメディアは大きく反応した。
事務所としてはお決まりのファックスを出したのだけれど。
『弊社所属の高垣楓が入院したことにつきましては事実でございます。
しかしながら、これは体調不良を考慮し念のために入院したものであり、
今後の活動に支障となるものではございません』
レポーター「お体の調子は、もう大丈夫ということですか?」
楓「ええ、大丈夫です。ちょっと崩しただけですから」
何度目かの返答。ここしばらくはこれが続くのだろう。
P「お疲れさまです」
移動の車で、あの人は言葉をかけてくれた。
楓「ふう。覚悟してたとはいえ」
楓「かなり擦り減っちゃいますね」
毎日追いかけられることがないだけましだと思うけど。精神的にこたえる。
なんというか。
自分の中に土足で上がりこまれる感覚というか。
楓「なんか、呑まなきゃやってられない、って感じですね……」
私はそう言ってシートを傾けた。
P「いや、酒臭いアイドルはまずいでしょう」
あの人は笑う
P「でも、そう言いたくなる気持ちは、わからなくないです」
P「楓さんは自分のせいだからと思うかもしれませんけど」
P「僕のせいでも、あるわけですから」
計画の端緒でこの疲労。
まして、あの人は当事者でありながら、完全に裏方として振舞っていないとならない。
ストレスも相当のものだろう。
楓「あーあ。Pさん成分が足りないです」
楓「なんとかしてください」
650: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/04(水) 12:37:40.66 :BAOtGy540
私はおどけてみせる。
P「僕だって楓さん成分が足りませんよ。補充したいよなあ」
今日はたまたまあの人が送迎をしてくれたけど。
最近は、プロデュースの立案と上層部との打ち合わせで忙殺されている。
すれ違いばかり。
楓「なら、Pさんの部屋にお邪魔してもいいですか?」
P「退院したばかりなんですから、無茶言わないでください」
所詮は検査入院なのだから、体調うんぬんはまったく問題ない。
マスコミ対策。
今あの人の部屋へなど、行けるわけがない。
楓「……」
P「……」
空気が重い。
お互いに神経すり減らして、ぎすぎすしている。
楓「ああ、大将の店。行きたいなあ……」
無性に、大将の店が恋しい。
なにも気兼ねすることなく、あの人と大将と。
三人で馬鹿な話をして過ごしたい。
P「もうちょっとだけ、待ってください」
あの人が言う。
P「もうちょっと時間がたてば、マスコミを落ち着くでしょうから、そうしたら」
P「僕が必ず時間を作ります」
P「それと、手土産もね」
楓「あら?」
手土産、ですか。
P「ええ、楓さんが気に入るような手土産を、ね」
そうですか。なら。
もうちょっと我慢しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私はおどけてみせる。
P「僕だって楓さん成分が足りませんよ。補充したいよなあ」
今日はたまたまあの人が送迎をしてくれたけど。
最近は、プロデュースの立案と上層部との打ち合わせで忙殺されている。
すれ違いばかり。
楓「なら、Pさんの部屋にお邪魔してもいいですか?」
P「退院したばかりなんですから、無茶言わないでください」
所詮は検査入院なのだから、体調うんぬんはまったく問題ない。
マスコミ対策。
今あの人の部屋へなど、行けるわけがない。
楓「……」
P「……」
空気が重い。
お互いに神経すり減らして、ぎすぎすしている。
楓「ああ、大将の店。行きたいなあ……」
無性に、大将の店が恋しい。
なにも気兼ねすることなく、あの人と大将と。
三人で馬鹿な話をして過ごしたい。
P「もうちょっとだけ、待ってください」
あの人が言う。
P「もうちょっと時間がたてば、マスコミを落ち着くでしょうから、そうしたら」
P「僕が必ず時間を作ります」
P「それと、手土産もね」
楓「あら?」
手土産、ですか。
P「ええ、楓さんが気に入るような手土産を、ね」
そうですか。なら。
もうちょっと我慢しましょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
656: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/05(木) 18:41:22.60 :EH9rd+A70
11月。一部の女性誌がしぶとく粘ってくれたものの。
どうにか平静を取り戻す。
楓「あら?」
まだ事務所には誰もいないようだ。
もっとも、私も早く起きすぎてしまったので、いなくても仕方ない。
合鍵を取り出す。ちゃりん。
手元でひかる、Pのイニシャルのキーホルダー。
楓「もう長い付き合いだね」
そうひとりつぶやき、鍵を開けた。
楓「コーヒーセットよし。電気ポットよし。エアコンよし」
普段はちひろさんがやっていることだけど、見よう見まねでやってみる。
こぽこぽこぽ。
コーヒーメーカーが、いつもどおり仕事をしてくれる。
P「おはようございます!」
あの人が入ってくる。
楓「あら、Pさん」
P「かえ、で、さん? 早いですね?」
楓「なんか、早く起きちゃったもので」
P「ああ、なるほど」
楓「電車もあるようだし、来ちゃいました」
あの人は年末が近づくにつれ、忙しさが加速しているようだ。
コンサートにテレビ出演、そうそう、年末といえば国民的歌合戦もある。
あれやこれやの段取りで、ほとんど事務所にいないくらい。
楓「Pさん、無理してませんか?」
P「ああ、これでも忙しさは小さいほうですよ?」
P「きちんと薬も飲んでますし、倒れるようなことはしません」
楓「なら、いいんですけど……」
あの人がこういう状態にあって、私がただお任せするのも申し訳ないので。
ある程度のスケジュール管理は、セルフで行っている。
そんなわけで、すれ違いが一向に解決しない。
心配なのにな。あの人はわかってるのかな?
楓「あ、Pさん。コーヒー入りましたけど」
P「ありがとう。じゃあ机にあげといてください、なしなしで」
給湯室からあの人のカップを取り出す。なんの飾り気もない白いマグに、『P』のテプラ。
楓「あ。茶しぶがついてる」
使い込まれたマグに、できたてのコーヒーを注ぐ。
私も紙コップに。
あの人は机に座るやパソコンを確認し、今日の仕事内容をチェックする。
私は、応接ソファーからあの人を眺める。
11月。一部の女性誌がしぶとく粘ってくれたものの。
どうにか平静を取り戻す。
楓「あら?」
まだ事務所には誰もいないようだ。
もっとも、私も早く起きすぎてしまったので、いなくても仕方ない。
合鍵を取り出す。ちゃりん。
手元でひかる、Pのイニシャルのキーホルダー。
楓「もう長い付き合いだね」
そうひとりつぶやき、鍵を開けた。
楓「コーヒーセットよし。電気ポットよし。エアコンよし」
普段はちひろさんがやっていることだけど、見よう見まねでやってみる。
こぽこぽこぽ。
コーヒーメーカーが、いつもどおり仕事をしてくれる。
P「おはようございます!」
あの人が入ってくる。
楓「あら、Pさん」
P「かえ、で、さん? 早いですね?」
楓「なんか、早く起きちゃったもので」
P「ああ、なるほど」
楓「電車もあるようだし、来ちゃいました」
あの人は年末が近づくにつれ、忙しさが加速しているようだ。
コンサートにテレビ出演、そうそう、年末といえば国民的歌合戦もある。
あれやこれやの段取りで、ほとんど事務所にいないくらい。
楓「Pさん、無理してませんか?」
P「ああ、これでも忙しさは小さいほうですよ?」
P「きちんと薬も飲んでますし、倒れるようなことはしません」
楓「なら、いいんですけど……」
あの人がこういう状態にあって、私がただお任せするのも申し訳ないので。
ある程度のスケジュール管理は、セルフで行っている。
そんなわけで、すれ違いが一向に解決しない。
心配なのにな。あの人はわかってるのかな?
楓「あ、Pさん。コーヒー入りましたけど」
P「ありがとう。じゃあ机にあげといてください、なしなしで」
給湯室からあの人のカップを取り出す。なんの飾り気もない白いマグに、『P』のテプラ。
楓「あ。茶しぶがついてる」
使い込まれたマグに、できたてのコーヒーを注ぐ。
私も紙コップに。
あの人は机に座るやパソコンを確認し、今日の仕事内容をチェックする。
私は、応接ソファーからあの人を眺める。
657: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/05(木) 18:42:25.79 :EH9rd+A70
楓「久々のふたりきり、か」
仕事をしてるあの人の顔は、いつも引き締まって見える。
楓「やっぱり、好きなんだなあ……」
P「あ、そうそう。楓さん」
P「いいお酒が手に入ったので」
楓「!」
P「今度……って……」
楓「……」
空白。
ひとりごと、聞こえてないよね?
楓「ふふふっ。目が逢いましたね」
P「楓さん。……いつも以上にシッポ振り切れてますね」
シッポですか。私は犬ですか。
最近の私は、Pさん成分が明らかに不足してるのかもしれないな。
楓「Pさん……楽しそうですね」
P「いや、だってノーディレイで反応してましたもん。……実に見事だな、と」
ああ、やっぱり好きなんだな。
いつだってこの笑顔が見たい。でも今は。
そう言っては、ずっと自分をごまかしてきたのだ。シッポも振り切れますよ。
楓「で? いつにします?」
P「そうだな……この日なら雑誌のインタビューだけだし、夜でどうです?」
私はあの人の机に移動し、一緒に手帳を眺める。
楓「わかりました。それじゃ」
楓「楽しみにしていますね?」
なんかやられっぱなしは悔しいので、少しは皮肉っぽく。
P「はい。楽しみにしてください」
うわあ。ドヤ顔で答えたよ、あの人。
正直、似合わない。
私は笑いをこらえつつ、あの人の提案に同意した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「久々のふたりきり、か」
仕事をしてるあの人の顔は、いつも引き締まって見える。
楓「やっぱり、好きなんだなあ……」
P「あ、そうそう。楓さん」
P「いいお酒が手に入ったので」
楓「!」
P「今度……って……」
楓「……」
空白。
ひとりごと、聞こえてないよね?
楓「ふふふっ。目が逢いましたね」
P「楓さん。……いつも以上にシッポ振り切れてますね」
シッポですか。私は犬ですか。
最近の私は、Pさん成分が明らかに不足してるのかもしれないな。
楓「Pさん……楽しそうですね」
P「いや、だってノーディレイで反応してましたもん。……実に見事だな、と」
ああ、やっぱり好きなんだな。
いつだってこの笑顔が見たい。でも今は。
そう言っては、ずっと自分をごまかしてきたのだ。シッポも振り切れますよ。
楓「で? いつにします?」
P「そうだな……この日なら雑誌のインタビューだけだし、夜でどうです?」
私はあの人の机に移動し、一緒に手帳を眺める。
楓「わかりました。それじゃ」
楓「楽しみにしていますね?」
なんかやられっぱなしは悔しいので、少しは皮肉っぽく。
P「はい。楽しみにしてください」
うわあ。ドヤ顔で答えたよ、あの人。
正直、似合わない。
私は笑いをこらえつつ、あの人の提案に同意した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
667: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/16(月) 16:55:44.45 :N/Gyq3xc0
約束の日。
私はいつになく浮かれていた。
『夜に大将の店で。よろしく』
たったこれだけのメールに、心が躍る。
ひょっとしたら禁断症状? それほどあの人成分が足りない。
先日のメディアの反応を考えれば、十分注意をしなければならない時期だというのに。
楓「まだ、かな……」
あの人を待ち焦がれている私がいる。
雑誌のインタビューを終えて事務所で待つも、どうにも落ち着かない。
ちひろ「これは私の仕事ですから、楓さんはゆっくりしてくださいよー」
手持ち無沙汰な私は、ちひろさんの仕事を奪って伝票整理をしていた。
楓「いえ、このくらいはさせてください」
ちひろ「……Pさん待ちですか?」
楓「ええ、まあ」
ちひろ「早く戻ってくると、いいですねえ」
そう言うとちひろさんは、整理された伝票をまとめはじめた。
約束の日。
私はいつになく浮かれていた。
『夜に大将の店で。よろしく』
たったこれだけのメールに、心が躍る。
ひょっとしたら禁断症状? それほどあの人成分が足りない。
先日のメディアの反応を考えれば、十分注意をしなければならない時期だというのに。
楓「まだ、かな……」
あの人を待ち焦がれている私がいる。
雑誌のインタビューを終えて事務所で待つも、どうにも落ち着かない。
ちひろ「これは私の仕事ですから、楓さんはゆっくりしてくださいよー」
手持ち無沙汰な私は、ちひろさんの仕事を奪って伝票整理をしていた。
楓「いえ、このくらいはさせてください」
ちひろ「……Pさん待ちですか?」
楓「ええ、まあ」
ちひろ「早く戻ってくると、いいですねえ」
そう言うとちひろさんは、整理された伝票をまとめはじめた。
668: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/16(月) 16:56:29.50 :N/Gyq3xc0
ちひろさんは、私とほぼ同じ歳だというのに、ずっと大人だ。
私たちを囃すこともなく、ただ見守ってくれる。
ただ黙々と伝票整理する私たち。
外は夕闇が降りている。
P「ただいま戻りました」
ちひろ「お帰りなさい」
楓「お帰りなさい」
ちひろさんはそれ以上なにも言わず、私に目配せした。
ちひろさん、ありがとう。
楓「Pさんは、まだ仕事ありますか?」
P「いえ? 特には」
そう言ってあの人は、ちひろさんに目を向ける。
ちひろさんはただにこやかに笑っていた。
P「もし楓さんがお時間あるようなら、このあと呑みにでも行きますか?」
楓「それはいいですね。喜んで」
あまりに芋演技のふたり。ちひろさんは微笑んでいる。
まあ、大人のたしなみというか。お約束というか。
P「じゃあちひろさん。お先してもいいですか?」
ちひろ「ええ、私ももうすぐ終わりますから。ご心配なく」
P「お言葉に甘えて。お先に失礼します」
楓「私も、お先に失礼します」
ちひろ「お疲れさまでした」
ちひろさんが手を振ってくれる。
私はちひろさんに近づき、あの人が聞こえないように小声で。
楓「ちひろさん、ありがとう」
ちひろ「いえ。ごゆっくり」
微笑みもそのままに、小声で送り出してくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ちひろさんは、私とほぼ同じ歳だというのに、ずっと大人だ。
私たちを囃すこともなく、ただ見守ってくれる。
ただ黙々と伝票整理する私たち。
外は夕闇が降りている。
P「ただいま戻りました」
ちひろ「お帰りなさい」
楓「お帰りなさい」
ちひろさんはそれ以上なにも言わず、私に目配せした。
ちひろさん、ありがとう。
楓「Pさんは、まだ仕事ありますか?」
P「いえ? 特には」
そう言ってあの人は、ちひろさんに目を向ける。
ちひろさんはただにこやかに笑っていた。
P「もし楓さんがお時間あるようなら、このあと呑みにでも行きますか?」
楓「それはいいですね。喜んで」
あまりに芋演技のふたり。ちひろさんは微笑んでいる。
まあ、大人のたしなみというか。お約束というか。
P「じゃあちひろさん。お先してもいいですか?」
ちひろ「ええ、私ももうすぐ終わりますから。ご心配なく」
P「お言葉に甘えて。お先に失礼します」
楓「私も、お先に失礼します」
ちひろ「お疲れさまでした」
ちひろさんが手を振ってくれる。
私はちひろさんに近づき、あの人が聞こえないように小声で。
楓「ちひろさん、ありがとう」
ちひろ「いえ。ごゆっくり」
微笑みもそのままに、小声で送り出してくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
674: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/17(火) 17:29:13.82 :HuAcXxqj0
大将「いらっしゃい。ふたり並んでたあ、久々だな」
大将の店に来るのも、もはや当たり前のよう。
でも、ここのところはすれ違いばかりで。
P「みんな忙しいんですよ」
大将「そのわりには、だいぶぐちぐち口説いてたけどな」
P「ちょっ!」
へえ。
あの人がくだ巻いてたんですか。
楓「あら。そうだったんですか」
P「いや……まあ、その」
あの人は頭をかく。
P「僕もね、いっぱいいっぱいだったようです」
苦笑いをするあの人。
かわいらしい。
楓「ふふっ。一緒ですね?」
P「まったく、人のこと言えないですね」
大将「ま、しけた話もなんだ。とりあえず座っとけ」
楓「大将、ありがとうございます」
大将「なあに、いいってことよ。で、今日はこいつの酒、だよな?」
大将はあの人を指さして言う。
P「キンキンに冷やしてくれたんでしょ?」
大将「おう、業務用冷蔵庫の力は偉大だからな!」
大将はがははと笑いながら、厨房へ引っ込んだ。
訪れる沈黙。
なにを、どう切り出したらいいか。
楓「あの」
P「あの」
大将「いらっしゃい。ふたり並んでたあ、久々だな」
大将の店に来るのも、もはや当たり前のよう。
でも、ここのところはすれ違いばかりで。
P「みんな忙しいんですよ」
大将「そのわりには、だいぶぐちぐち口説いてたけどな」
P「ちょっ!」
へえ。
あの人がくだ巻いてたんですか。
楓「あら。そうだったんですか」
P「いや……まあ、その」
あの人は頭をかく。
P「僕もね、いっぱいいっぱいだったようです」
苦笑いをするあの人。
かわいらしい。
楓「ふふっ。一緒ですね?」
P「まったく、人のこと言えないですね」
大将「ま、しけた話もなんだ。とりあえず座っとけ」
楓「大将、ありがとうございます」
大将「なあに、いいってことよ。で、今日はこいつの酒、だよな?」
大将はあの人を指さして言う。
P「キンキンに冷やしてくれたんでしょ?」
大将「おう、業務用冷蔵庫の力は偉大だからな!」
大将はがははと笑いながら、厨房へ引っ込んだ。
訪れる沈黙。
なにを、どう切り出したらいいか。
楓「あの」
P「あの」
675: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/17(火) 17:30:39.83 :HuAcXxqj0
あ。
かぶってしまう。
また黙り込むふたり。
ええと。
楓「あの」
P「あの」
あ。また。
P「ぷっ。くくっ」
楓「ふふっ。うふふっ」
お互いに噴き出してしまう。
P「いやはや、これは」
楓「お互い、気が合いますね」
P「まあお先に、どうぞ」
あの人は笑いながら、私を促した。
楓「えっと、ですね……その」
楓「会いたかったんです」
P「会いたかった?」
楓「ええ。Pさんに」
あの人は不思議そうな顔をしている。
それは仕方ない。仕事では時々顔を合わせているわけだし。
楓「仕事抜きで、こうしてふたりになれるのって、いつ以来ですか?」
P「……ああ」
あの人も合点がいったようだ。
楓「なにかこう、Pさんと距離ができてしまったみたいで」
楓「なんだろう……えっと、淋しかったんです」
仕事であれ、会えるだけまし、という人もいるだろう。
事情はどうあれ、気持ちはそうそう押さえ込めるものではない。
私は、気持ちを吐露するだけ。
楓「時々顔を合わせていても、Pさんが遠いんです」
P「……」
楓「しがらみのないままのふたりで、会いたかったんです」
楓「……なんとなく、わかってもらえます?」
あ。
かぶってしまう。
また黙り込むふたり。
ええと。
楓「あの」
P「あの」
あ。また。
P「ぷっ。くくっ」
楓「ふふっ。うふふっ」
お互いに噴き出してしまう。
P「いやはや、これは」
楓「お互い、気が合いますね」
P「まあお先に、どうぞ」
あの人は笑いながら、私を促した。
楓「えっと、ですね……その」
楓「会いたかったんです」
P「会いたかった?」
楓「ええ。Pさんに」
あの人は不思議そうな顔をしている。
それは仕方ない。仕事では時々顔を合わせているわけだし。
楓「仕事抜きで、こうしてふたりになれるのって、いつ以来ですか?」
P「……ああ」
あの人も合点がいったようだ。
楓「なにかこう、Pさんと距離ができてしまったみたいで」
楓「なんだろう……えっと、淋しかったんです」
仕事であれ、会えるだけまし、という人もいるだろう。
事情はどうあれ、気持ちはそうそう押さえ込めるものではない。
私は、気持ちを吐露するだけ。
楓「時々顔を合わせていても、Pさんが遠いんです」
P「……」
楓「しがらみのないままのふたりで、会いたかったんです」
楓「……なんとなく、わかってもらえます?」
676: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/17(火) 17:31:15.95 :EZC9gWcY0
あの人はしばらく考え込み、そして頭をかき。
P「同じ、ですね」
そうつぶやいた。
そしてもう一言発しようとしたところ。
大将「取り込み中すまんが。まあ」
大将「一杯やってから、ゆっくり話しゃあいいだろ?」
大将が日本酒を抱えて帰ってくる。
うん。そうだ。
楓「呑みましょ? ね?」
P「そうですね、うん」
私たちは、持って来てくれたグラスを手に取った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの人はしばらく考え込み、そして頭をかき。
P「同じ、ですね」
そうつぶやいた。
そしてもう一言発しようとしたところ。
大将「取り込み中すまんが。まあ」
大将「一杯やってから、ゆっくり話しゃあいいだろ?」
大将が日本酒を抱えて帰ってくる。
うん。そうだ。
楓「呑みましょ? ね?」
P「そうですね、うん」
私たちは、持って来てくれたグラスを手に取った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
677: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/17(火) 17:32:04.84 :EZC9gWcY0
グラスに注がれたお酒はほんのりピンク。泡がぱちぱちと弾けている。
楓「これは?」
大将「ほれ、説明」
大将に促されて、あの人が説明する。
P「これは『すず音』って日本酒です。うちの地元の」
へえ。日本酒の発泡酒は初めて見た。
立ちのぼる甘い香りが、心を落ち着かせる。
楓「じゃあ、さっそく」
私はグラスを持ち上げる。
P「乾杯」
大将「乾杯」
かちん。
心地よい音。そして一口。
楓「シャンパンみたいですね」
口当たりは甘く、シャンパンそのもの。
でも日本酒独特の、米の香りが鼻腔を抜ける。
楓「これがPさんが言ってた、『いいお酒』ですか?」
P「ええ。たぶん楓さん好みかな、と」
あの人の心遣いには、いつも感謝するばかりだ。
楓「でも、なんか呑みすぎちゃいそう」
日本酒だから、それなりの度数がある。
ちょっと危険。
P「いや、友人から聞いた話なんですけどね」
あの人は語る。
P「このお酒の名前をつけるときに、一応会長にお伺いを立てたそうなんですよ」
P「そしたら会長が、『日本酒のシャンパンだから、じゃんぱん、でいいべや』って」
ぷっ。
え? え?
楓「じゃ、じゃんぱん……」
私は笑いが止まらない。
じゃんぱんって! じゃんぱんって!
グラスに注がれたお酒はほんのりピンク。泡がぱちぱちと弾けている。
楓「これは?」
大将「ほれ、説明」
大将に促されて、あの人が説明する。
P「これは『すず音』って日本酒です。うちの地元の」
へえ。日本酒の発泡酒は初めて見た。
立ちのぼる甘い香りが、心を落ち着かせる。
楓「じゃあ、さっそく」
私はグラスを持ち上げる。
P「乾杯」
大将「乾杯」
かちん。
心地よい音。そして一口。
楓「シャンパンみたいですね」
口当たりは甘く、シャンパンそのもの。
でも日本酒独特の、米の香りが鼻腔を抜ける。
楓「これがPさんが言ってた、『いいお酒』ですか?」
P「ええ。たぶん楓さん好みかな、と」
あの人の心遣いには、いつも感謝するばかりだ。
楓「でも、なんか呑みすぎちゃいそう」
日本酒だから、それなりの度数がある。
ちょっと危険。
P「いや、友人から聞いた話なんですけどね」
あの人は語る。
P「このお酒の名前をつけるときに、一応会長にお伺いを立てたそうなんですよ」
P「そしたら会長が、『日本酒のシャンパンだから、じゃんぱん、でいいべや』って」
ぷっ。
え? え?
楓「じゃ、じゃんぱん……」
私は笑いが止まらない。
じゃんぱんって! じゃんぱんって!
678: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/17(火) 17:32:44.35 :HuAcXxqj0
P「いや、こりゃ楓さんのセンスだなあ、なんて」
P「思ったもんですから」
楓「ひぃ……じゃんぱん……ふふ……そ、それ。ちょっとひどくないです? はは……」
お腹がよじれる。誰か助けて。
P「ま、そんな話があって。これは楓さんと呑まないとな、と」
楓「……なんか、素直に喜べないですねえ」
私は引きつり笑いもそのままに答える。
あの人はいつも以上にしたり顔だ。
大将「お前ら、ほんとまだ夫婦じゃねぇってのが、信じられんわ」
大将は呆れ顔でそう言った。
大将「じゃあ、俺からはこれな」
出された皿には、青魚の刺身が。
P「これは?」
大将「さんま」
ああ、なるほど。
大将「もう旬も終わりだけどな。ま、脂もいい具合だし。食え」
忙しさに流されて、季節感もおぼろげになってしまう。
こういう大将の細やかさが、とてもうれしい。
楓「大将ありがとうございます。さんま、大好きです」
大将「そりゃなによりだ。新鮮さが命だからな。ほれ」
小皿にしょうゆとおろししょうが。
では、いただきます。
P「お」
楓「甘い……」
小皿に浮かんで光るくらいの、さんまの脂。
とてもおいしい。
一口食べては、お酒を一口。
楓「ああ、幸せ……」
P「うん、懐かしい味」
私たちは大将の笑顔とともに、幸せを味わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「いや、こりゃ楓さんのセンスだなあ、なんて」
P「思ったもんですから」
楓「ひぃ……じゃんぱん……ふふ……そ、それ。ちょっとひどくないです? はは……」
お腹がよじれる。誰か助けて。
P「ま、そんな話があって。これは楓さんと呑まないとな、と」
楓「……なんか、素直に喜べないですねえ」
私は引きつり笑いもそのままに答える。
あの人はいつも以上にしたり顔だ。
大将「お前ら、ほんとまだ夫婦じゃねぇってのが、信じられんわ」
大将は呆れ顔でそう言った。
大将「じゃあ、俺からはこれな」
出された皿には、青魚の刺身が。
P「これは?」
大将「さんま」
ああ、なるほど。
大将「もう旬も終わりだけどな。ま、脂もいい具合だし。食え」
忙しさに流されて、季節感もおぼろげになってしまう。
こういう大将の細やかさが、とてもうれしい。
楓「大将ありがとうございます。さんま、大好きです」
大将「そりゃなによりだ。新鮮さが命だからな。ほれ」
小皿にしょうゆとおろししょうが。
では、いただきます。
P「お」
楓「甘い……」
小皿に浮かんで光るくらいの、さんまの脂。
とてもおいしい。
一口食べては、お酒を一口。
楓「ああ、幸せ……」
P「うん、懐かしい味」
私たちは大将の笑顔とともに、幸せを味わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
687: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/19(木) 17:37:20.02 :uvzTatsp0
楓「そういえばPさん、さっき」
お酒もほどよくまわってきた頃。
楓「『同じ』って言ってましたよね? あれ、どういう意味です?」
ほんのり赤らんだ顔のあの人に、切り出してみる。
P「うーん。そうだなあ」
あの人はちょっと難しい顔をして。
P「僕もですね。なんというか、距離を感じてたんですよ」
P「ま、自業自得だとは思いますけど」
そう言ってグラスをあおった。
楓「自業自得、ですか?」
P「ちょっと適当な言葉がないですけど。そんな感じで」
楓「どうして?」
あの人は言葉を捜しながら手酌。
P「ふたりで決めたことだから、なんて自分をごまかしていましたけど」
P「やっぱり、一緒にいられないのは、ねえ……」
あの人もやはり淋しいのだ。
確かに、私が引退すると決めたこと、その意向はふたりで確認しあった。
でも、なぜ自業自得?
楓「Pさんは、後悔してます?」
こうももどかしい状況が続くのは仕方のないことだけど。
でも自業自得とは、ちょっと自虐に過ぎないだろうか。
楓「そういえばPさん、さっき」
お酒もほどよくまわってきた頃。
楓「『同じ』って言ってましたよね? あれ、どういう意味です?」
ほんのり赤らんだ顔のあの人に、切り出してみる。
P「うーん。そうだなあ」
あの人はちょっと難しい顔をして。
P「僕もですね。なんというか、距離を感じてたんですよ」
P「ま、自業自得だとは思いますけど」
そう言ってグラスをあおった。
楓「自業自得、ですか?」
P「ちょっと適当な言葉がないですけど。そんな感じで」
楓「どうして?」
あの人は言葉を捜しながら手酌。
P「ふたりで決めたことだから、なんて自分をごまかしていましたけど」
P「やっぱり、一緒にいられないのは、ねえ……」
あの人もやはり淋しいのだ。
確かに、私が引退すると決めたこと、その意向はふたりで確認しあった。
でも、なぜ自業自得?
楓「Pさんは、後悔してます?」
こうももどかしい状況が続くのは仕方のないことだけど。
でも自業自得とは、ちょっと自虐に過ぎないだろうか。
688: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/19(木) 17:37:52.56 :uvzTatsp0
P「ああ、いやいや。後悔とかいうんじゃないです」
P「ただ、自分がこんなにも淋しがりだったのかなあ、なんて考えると」
P「ずいぶん楓さんに、メロメロなんだなあなんて、思いまして」
楓「まあ」
やはり、物理的に距離があると、どうにもいけない。
こうして言葉を交わすことすらできない。ひとりで抱えるしかない不安。
愛しているから、不安。
そんな当たり前のことが、やけにクローズアップされていた。
楓「やっぱり、こうして言葉で話さないと、ダメですね」
P「ん?」
楓「……Pさんのこと、愛してるんですよ?」
P「そりゃあ、僕も」
そういうあの人の唇に指を当てて、言葉を押しとどめる。
楓「愛してます」
そうだ。何度でも。
先の見えないことにおびえて、言葉を交わすことすら忘れてた。
だから、何度でも。
楓「私は、Pさんを。愛してます」
楓「せめてほんの些細な時間でも、顔を合わせたのなら、我慢なんて忘れないと」
楓「……Pさんを、愛してます」
見つめる瞳。あの人の表情が柔和になる。
押しとどめていた指を握り、ゆっくりと手をつなぎ返す。
P「楓さん。僕は、楓さんを愛してます」
P「……ふたりで、いましょう」
改めて気づく。私たちは我慢しすぎだ。
周りに気を遣い、相手に気を遣い。自分たちで追い込んでしまっている。
刹那であろうと、我慢することを忘れないと。
楓「もう少し、ゆっくり呑みましょう?」
P「そうですね」
大将は少し離れたところで見守ってくれているようだ。
いつも、ありがとう。
楓「大将。お銚子もうひとつ、お願いします」
そう声をかけると、大将は「あいよ」と返事をして厨房へ下がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「ああ、いやいや。後悔とかいうんじゃないです」
P「ただ、自分がこんなにも淋しがりだったのかなあ、なんて考えると」
P「ずいぶん楓さんに、メロメロなんだなあなんて、思いまして」
楓「まあ」
やはり、物理的に距離があると、どうにもいけない。
こうして言葉を交わすことすらできない。ひとりで抱えるしかない不安。
愛しているから、不安。
そんな当たり前のことが、やけにクローズアップされていた。
楓「やっぱり、こうして言葉で話さないと、ダメですね」
P「ん?」
楓「……Pさんのこと、愛してるんですよ?」
P「そりゃあ、僕も」
そういうあの人の唇に指を当てて、言葉を押しとどめる。
楓「愛してます」
そうだ。何度でも。
先の見えないことにおびえて、言葉を交わすことすら忘れてた。
だから、何度でも。
楓「私は、Pさんを。愛してます」
楓「せめてほんの些細な時間でも、顔を合わせたのなら、我慢なんて忘れないと」
楓「……Pさんを、愛してます」
見つめる瞳。あの人の表情が柔和になる。
押しとどめていた指を握り、ゆっくりと手をつなぎ返す。
P「楓さん。僕は、楓さんを愛してます」
P「……ふたりで、いましょう」
改めて気づく。私たちは我慢しすぎだ。
周りに気を遣い、相手に気を遣い。自分たちで追い込んでしまっている。
刹那であろうと、我慢することを忘れないと。
楓「もう少し、ゆっくり呑みましょう?」
P「そうですね」
大将は少し離れたところで見守ってくれているようだ。
いつも、ありがとう。
楓「大将。お銚子もうひとつ、お願いします」
そう声をかけると、大将は「あいよ」と返事をして厨房へ下がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
693: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/23(月) 18:08:58.61 :n23lDu6g0
お互いの隙間を埋めるかのように。私たちは時間をかけて呑み、歓談し。
そしてあの人のマンションまで、タクシーを乗りつけた。
エレベーターに乗るふたり。手をつなぎあって。
ぬくもりが愛しい。
楓「なんか、久々って気がしますね」
実のところ、そう久々というわけではない。
私の焼酎がボトルキープされているくらいだし。気持ちの問題だ。
楓「ふふっ」
P「なにかおかしいですか?」
楓「いえ、新鮮だなあ、って」
エレベーターが到着する。
あ。そうだ。
楓「カギ開けてみて、いいですか?」
私は『P』のイニシャルの入ったキーホルダーを取り出す。
楓「まだ使ったことがないんですもん」
そう言って、ひらひらと合鍵を振ってみせた。
かちゃり。間違いなく鍵が開く。
楓「本物だったんですね?」
P「ええ? 信用してなかったんですか?」
楓「言ってみただけです。ふふっ」
玄関のドアが閉まる。
ばたん。私はあの人の唇を奪う。
お互いの隙間を埋めるかのように。私たちは時間をかけて呑み、歓談し。
そしてあの人のマンションまで、タクシーを乗りつけた。
エレベーターに乗るふたり。手をつなぎあって。
ぬくもりが愛しい。
楓「なんか、久々って気がしますね」
実のところ、そう久々というわけではない。
私の焼酎がボトルキープされているくらいだし。気持ちの問題だ。
楓「ふふっ」
P「なにかおかしいですか?」
楓「いえ、新鮮だなあ、って」
エレベーターが到着する。
あ。そうだ。
楓「カギ開けてみて、いいですか?」
私は『P』のイニシャルの入ったキーホルダーを取り出す。
楓「まだ使ったことがないんですもん」
そう言って、ひらひらと合鍵を振ってみせた。
かちゃり。間違いなく鍵が開く。
楓「本物だったんですね?」
P「ええ? 信用してなかったんですか?」
楓「言ってみただけです。ふふっ」
玄関のドアが閉まる。
ばたん。私はあの人の唇を奪う。
694: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/23(月) 18:09:40.65 :n23lDu6g0
P「楓さん……」
楓「おかえりなさい、あなた……」
どうしても、あの人が欲しかった。
すれ違いばかりで、たまに来た日であっても、お預けで。
P「ああ。うん。ただいま」
あの人は私の頬に手を寄せ、キスを返す。
深く、深く。溶け合うように、大人のキス。
楓「淋しかったんですよ?」
それしか、言葉が出ない。
私は、あの人で自分を埋めることにせいいっぱいだ。
何度もキスを交わす。暗闇の中で。
楓「ふう……」
P「……部屋、入りましょうか」
言葉はいらない。
私たちふたりは、当たり前のようにシャワーを浴び、当たり前のように着替え。
そして。
お互いを埋めるように長い間、つながっていた。
ただれた朝。
カーテンのすき間から差し込む光に促され、目が覚める。
楓「……ん……何時だろ」
朝の7時か。私は一応午後からレッスンだけど。
楓「Pさん……朝ですよ?」
P「ん……何時、です?」
楓「7時ですけど」
あの人は首をコキコキと鳴らして、けだるそうに起きた。
P「ああ、一応留守電入れておくか……」
スマホを取りにリビングへ。
私も長Tシャツを羽織り、連れ立って行く。
P「楓さん……」
楓「おかえりなさい、あなた……」
どうしても、あの人が欲しかった。
すれ違いばかりで、たまに来た日であっても、お預けで。
P「ああ。うん。ただいま」
あの人は私の頬に手を寄せ、キスを返す。
深く、深く。溶け合うように、大人のキス。
楓「淋しかったんですよ?」
それしか、言葉が出ない。
私は、あの人で自分を埋めることにせいいっぱいだ。
何度もキスを交わす。暗闇の中で。
楓「ふう……」
P「……部屋、入りましょうか」
言葉はいらない。
私たちふたりは、当たり前のようにシャワーを浴び、当たり前のように着替え。
そして。
お互いを埋めるように長い間、つながっていた。
ただれた朝。
カーテンのすき間から差し込む光に促され、目が覚める。
楓「……ん……何時だろ」
朝の7時か。私は一応午後からレッスンだけど。
楓「Pさん……朝ですよ?」
P「ん……何時、です?」
楓「7時ですけど」
あの人は首をコキコキと鳴らして、けだるそうに起きた。
P「ああ、一応留守電入れておくか……」
スマホを取りにリビングへ。
私も長Tシャツを羽織り、連れ立って行く。
695: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/23(月) 18:10:15.43 :wxoeVdBF0
P「おはようございます、Pです。今日は現場に直行しますので、事務所へは午後から出社します」
ぴっ。言い訳完了。
楓「午前は打合せ、ですか?」
P「まあクライアントとの定例打合せなんで。そんなにあわてて出る必要ないです」
楓「それじゃあ……」
私は、冷蔵庫を開けてみる。そこには、見慣れたボトルキープされた焼酎、だけ。
見事に、何もない。
楓「Pさん、ちゃんと食べてます?」
P「いや、まあ……食べてますよ?」
まったく。男のひとり暮らしって、そんなもんなんだろうな。
楓「これじゃ、ブランチ作りましょうか? なんて言えないじゃないですか」
P「いや、面目ない」
あの人の身体のことを考えると、できれば一緒に暮らしたい、なんて思うけど。
今は、無理。
楓「はあ、もう。今度ごはん作りに押しかけますから」
P「ほんと、ごめん」
そう言うとあの人は、私を抱きしめキスをする。
楓「あ」
スイッチが、入る。
楓「もう、そんなのでごまかして……」
言葉とは裏腹に、あの人をまさぐる唇を止められない。
結局私たちは、また事を致すはめに。
少しさっぱりしたいからと、湯船にお湯を張り、入浴。
あの人はあわてて身なりを整え、打合せに出て行った。
ひとり残る、私。
楓「さすがに、だるいかな……」
どうベテトレさんに言い訳しようか。
そんなことを考える。
でも、この近所で冷蔵庫の中のものを買うというわけにいかないし。
あまりマンション界隈で、私の目撃情報があったら、いろいろと困ることになるからだ。
楓「しょうがない。帰る、か」
私はいつもの変装を整える。次は食事の準備を整えて来ようと、心に誓って。
じゃあ、またね。
重い身体を引きずって、マンションを後にする。
太陽の日差しが、恨めしい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「おはようございます、Pです。今日は現場に直行しますので、事務所へは午後から出社します」
ぴっ。言い訳完了。
楓「午前は打合せ、ですか?」
P「まあクライアントとの定例打合せなんで。そんなにあわてて出る必要ないです」
楓「それじゃあ……」
私は、冷蔵庫を開けてみる。そこには、見慣れたボトルキープされた焼酎、だけ。
見事に、何もない。
楓「Pさん、ちゃんと食べてます?」
P「いや、まあ……食べてますよ?」
まったく。男のひとり暮らしって、そんなもんなんだろうな。
楓「これじゃ、ブランチ作りましょうか? なんて言えないじゃないですか」
P「いや、面目ない」
あの人の身体のことを考えると、できれば一緒に暮らしたい、なんて思うけど。
今は、無理。
楓「はあ、もう。今度ごはん作りに押しかけますから」
P「ほんと、ごめん」
そう言うとあの人は、私を抱きしめキスをする。
楓「あ」
スイッチが、入る。
楓「もう、そんなのでごまかして……」
言葉とは裏腹に、あの人をまさぐる唇を止められない。
結局私たちは、また事を致すはめに。
少しさっぱりしたいからと、湯船にお湯を張り、入浴。
あの人はあわてて身なりを整え、打合せに出て行った。
ひとり残る、私。
楓「さすがに、だるいかな……」
どうベテトレさんに言い訳しようか。
そんなことを考える。
でも、この近所で冷蔵庫の中のものを買うというわけにいかないし。
あまりマンション界隈で、私の目撃情報があったら、いろいろと困ることになるからだ。
楓「しょうがない。帰る、か」
私はいつもの変装を整える。次は食事の準備を整えて来ようと、心に誓って。
じゃあ、またね。
重い身体を引きずって、マンションを後にする。
太陽の日差しが、恨めしい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
700: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/26(木) 07:06:32.06 :uAq+i/WU0
楓「ただいま戻りました」
ちひろ「おかえりなさい」
年の瀬というのは、時間が過ぎるのがどうして早いのか。
12月。私は年末年始特番の収録に追われていた。
ちひろ「だいぶ遅くまでかかりましたね」
楓「共演の方の入りが、だいぶ遅くなりましたから。年末ですからね。仕方ないですけど」
みんなタイトな時間をやりくりして出演している。
だから、こうしたことも当たり前。
深夜の戻りであっても、ちひろさんはこうして待っててくれる。
ありがたいことだ。
楓「Pさんは?」
ちひろ「今、社長とお話中ですけど。あ、そうそう。社長から」
ちひろ「楓さんが戻ったら、社長室に来るよう言伝が」
楓「?」
こんな深夜なのに、社長がまだいるんだ。
どうしたんだろう。
楓「わかりました。ありがとうございます」
とんとん。社長室のドアをノックする。
楓「高垣です。ただいま戻りました」
社長「どうぞ」
楓「失礼します」
中に入ると、あの人が悩ましい顔で座っていた。
社長「いやあ、お疲れさま。大変でしたね」
楓「いえ、いつものことですから。ところで、お話か何かですか?」
社長「ええ。ちょっと確認しておきたいことがありまして」
なんだろう。あの人の表情をうかがうに、いい話ではなさそうだ。
社長は私を、ソファーへ座るよう促す。
楓「ただいま戻りました」
ちひろ「おかえりなさい」
年の瀬というのは、時間が過ぎるのがどうして早いのか。
12月。私は年末年始特番の収録に追われていた。
ちひろ「だいぶ遅くまでかかりましたね」
楓「共演の方の入りが、だいぶ遅くなりましたから。年末ですからね。仕方ないですけど」
みんなタイトな時間をやりくりして出演している。
だから、こうしたことも当たり前。
深夜の戻りであっても、ちひろさんはこうして待っててくれる。
ありがたいことだ。
楓「Pさんは?」
ちひろ「今、社長とお話中ですけど。あ、そうそう。社長から」
ちひろ「楓さんが戻ったら、社長室に来るよう言伝が」
楓「?」
こんな深夜なのに、社長がまだいるんだ。
どうしたんだろう。
楓「わかりました。ありがとうございます」
とんとん。社長室のドアをノックする。
楓「高垣です。ただいま戻りました」
社長「どうぞ」
楓「失礼します」
中に入ると、あの人が悩ましい顔で座っていた。
社長「いやあ、お疲れさま。大変でしたね」
楓「いえ、いつものことですから。ところで、お話か何かですか?」
社長「ええ。ちょっと確認しておきたいことがありまして」
なんだろう。あの人の表情をうかがうに、いい話ではなさそうだ。
社長は私を、ソファーへ座るよう促す。
701: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/26(木) 07:07:01.27 :uAq+i/WU0
あの人の隣に座った私に、社長は持っていたレジュメを渡してくれる。
そこにあったのは。
『発覚!人気俳優○○とアイドルK.Tの通い愛!』
えっ。
楓「これ、は?」
あの人が、口を開く。
P「来週発売される女性誌に載ると思われる記事です」
生のファックス原稿。
社長かあの人が、どこからか入手したものだろう。
私は、まだ組み版があがったばかりと思われる記事を読む。
社長「ここに書いてあることに、心当たりはありますか?」
社長が問いかける。
楓「いえ。まったく」
そう答えるのがせいいっぱい。
まったく身に覚えがないどころか、よくもまあこうもでっち上げが書けるものだと、呆れてしまったからだ。
いわく。
年下の俳優が、私との共演をきっかけに仲良くなった、とか。
お忍びでデートをしている、とか。
私が足しげく通っている、とか。
社長「共演は?」
P「先月の音楽番組だけ、ですね」
確かに共演はあった。でも、特に会話をすることなどなかったし、共演もそれきりだ。
社長「高垣さん、もう一度うかがいます。心当たりはない、ですね?」
楓「もちろんです」
疑われているのは気分のいいものではない。が、こういう記事がある以上、訊かなければならないこと。
それは理解できる。
私は、毅然として答える。
社長「やはり、ですか……」
P「『飛ばし』ですね……」
あの人の隣に座った私に、社長は持っていたレジュメを渡してくれる。
そこにあったのは。
『発覚!人気俳優○○とアイドルK.Tの通い愛!』
えっ。
楓「これ、は?」
あの人が、口を開く。
P「来週発売される女性誌に載ると思われる記事です」
生のファックス原稿。
社長かあの人が、どこからか入手したものだろう。
私は、まだ組み版があがったばかりと思われる記事を読む。
社長「ここに書いてあることに、心当たりはありますか?」
社長が問いかける。
楓「いえ。まったく」
そう答えるのがせいいっぱい。
まったく身に覚えがないどころか、よくもまあこうもでっち上げが書けるものだと、呆れてしまったからだ。
いわく。
年下の俳優が、私との共演をきっかけに仲良くなった、とか。
お忍びでデートをしている、とか。
私が足しげく通っている、とか。
社長「共演は?」
P「先月の音楽番組だけ、ですね」
確かに共演はあった。でも、特に会話をすることなどなかったし、共演もそれきりだ。
社長「高垣さん、もう一度うかがいます。心当たりはない、ですね?」
楓「もちろんです」
疑われているのは気分のいいものではない。が、こういう記事がある以上、訊かなければならないこと。
それは理解できる。
私は、毅然として答える。
社長「やはり、ですか……」
P「『飛ばし』ですね……」
702: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/26(木) 07:07:52.91 :uAq+i/WU0
『飛ばし』。写真や証言など裏付けのないまま、記事にしたもの。
社長とあの人は、そう結論付ける。
なぜ私が?
『飛ばし』って?
P「楓さん、疑うようなことを訊いて、ほんとうに申し訳ないです」
あの人が深々と謝る。
楓「いえ……なんでこんな記事が出るのか、私にはさっぱり」
社長「それは、私から話をしましょう」
私が、あの人に向けたなんとも表現しがたい視線を、社長がさえぎった。
社長「先日、とある懇親会がありましてね。そこで言われたんですよ」
社長「『おたくの高垣さん、最近どうです?』って。複数から」
複数?
所属タレントの動向を話したりすることは、時候のあいさつと同じようなものだけど。
でも、同じことを複数から言われるのは、明らかにおかしい。
社長「……おかしい、と。思いましたね?」
楓「え、ええ」
社長「その通り。あからさまにおかしい。何かあるなと思いまして」
社長「Pくんにちょっとしたお願いをしたんです。変な記事が出る可能性を調べて欲しいと」
たぶんあの人は、秘密裏に動いたのだろう。
普通は、出版社が記事の内容について裏を取り、記事の内容をあらかじめ通知する。
お互い持ちつ持たれつの関係だし、それが慣例だからだ。
でも今回は。
P「まあ版下の段階でつかめましたけど、ただ」
楓「ただ?」
P「たぶん、記事の差し替えを要求するのは難しいと、思います」
楓「え? どうして?」
困惑する私に、社長が言う。
社長「当事者のタレント。所属はご存知ですか?」
楓「……あ!」
『飛ばし』。写真や証言など裏付けのないまま、記事にしたもの。
社長とあの人は、そう結論付ける。
なぜ私が?
『飛ばし』って?
P「楓さん、疑うようなことを訊いて、ほんとうに申し訳ないです」
あの人が深々と謝る。
楓「いえ……なんでこんな記事が出るのか、私にはさっぱり」
社長「それは、私から話をしましょう」
私が、あの人に向けたなんとも表現しがたい視線を、社長がさえぎった。
社長「先日、とある懇親会がありましてね。そこで言われたんですよ」
社長「『おたくの高垣さん、最近どうです?』って。複数から」
複数?
所属タレントの動向を話したりすることは、時候のあいさつと同じようなものだけど。
でも、同じことを複数から言われるのは、明らかにおかしい。
社長「……おかしい、と。思いましたね?」
楓「え、ええ」
社長「その通り。あからさまにおかしい。何かあるなと思いまして」
社長「Pくんにちょっとしたお願いをしたんです。変な記事が出る可能性を調べて欲しいと」
たぶんあの人は、秘密裏に動いたのだろう。
普通は、出版社が記事の内容について裏を取り、記事の内容をあらかじめ通知する。
お互い持ちつ持たれつの関係だし、それが慣例だからだ。
でも今回は。
P「まあ版下の段階でつかめましたけど、ただ」
楓「ただ?」
P「たぶん、記事の差し替えを要求するのは難しいと、思います」
楓「え? どうして?」
困惑する私に、社長が言う。
社長「当事者のタレント。所属はご存知ですか?」
楓「……あ!」
703: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/26(木) 07:08:53.47 :uAq+i/WU0
そうだ。うちより老舗の、大手事務所。
最近はあまりいい話を聞かないけど。
楓「でも、それにしてはあまりに乱暴な」
社長「乱暴ですねえ。でも、このタイミングなんだと、私は思いますよ」
楓「……」
社長「あの事務所には、いろいろ思うところはありますけど。ま、それはともかく」
社長「あちらは、彼が主演する映画が公開になる。主題歌もね」
社長「で、高垣さんは、フルアルバムがチャートトップを走っている。現在も」
社長「……たぶんあちらさんは、誰でもよかったんだと思いますよ? 話題になるなら」
楓「そんな……」
売り込み方法には、いろいろなやり方があるとは思う。
うちは地道に、泥臭くやってきた。信頼も勝ち得ていると、自負している。
一方。
一発、花火を打ち上げるようなやり方もある。
社長「まあ、根拠のない記事なんてすぐに忘れられるものです。ただ」
社長「そのときにセンセーショナルなら、とりあえず成功って考えもあるわけです」
社長「相手がヤケドしようが、おかまいなし……」
社長の言葉に、憤りがにじんでいる。
社長「あの事務所は、雑誌媒体にコネを多く持つところでしてね。先代が築き上げた関係ですけど」
社長「今のぼんぼんは、なにを考えているんでしょうねえ……」
楓「それって」
社長「証拠も、確証もありません。憶測です」
楓「……」
社長「事務所ぐるみなのかも、一部の暴走なのかもわかりません。ただ」
社長「うちが表立って動けば、この出版社がかなりまずいことになる、というのは間違いないですね」
いやな話だ。
私は、もらい事故にあったというようなものだ。しかも、ひき逃げ。
楓「私は、どうすれば……」
社長「ガン無視です」
社長は断言する。
社長「関わっても、ろくなことになりません。単発のネタですし、すぐに消えます」
社長「この件は、私とP君に任せてください。高垣さんはコメントを一切、発しないように」
そうだ。うちより老舗の、大手事務所。
最近はあまりいい話を聞かないけど。
楓「でも、それにしてはあまりに乱暴な」
社長「乱暴ですねえ。でも、このタイミングなんだと、私は思いますよ」
楓「……」
社長「あの事務所には、いろいろ思うところはありますけど。ま、それはともかく」
社長「あちらは、彼が主演する映画が公開になる。主題歌もね」
社長「で、高垣さんは、フルアルバムがチャートトップを走っている。現在も」
社長「……たぶんあちらさんは、誰でもよかったんだと思いますよ? 話題になるなら」
楓「そんな……」
売り込み方法には、いろいろなやり方があるとは思う。
うちは地道に、泥臭くやってきた。信頼も勝ち得ていると、自負している。
一方。
一発、花火を打ち上げるようなやり方もある。
社長「まあ、根拠のない記事なんてすぐに忘れられるものです。ただ」
社長「そのときにセンセーショナルなら、とりあえず成功って考えもあるわけです」
社長「相手がヤケドしようが、おかまいなし……」
社長の言葉に、憤りがにじんでいる。
社長「あの事務所は、雑誌媒体にコネを多く持つところでしてね。先代が築き上げた関係ですけど」
社長「今のぼんぼんは、なにを考えているんでしょうねえ……」
楓「それって」
社長「証拠も、確証もありません。憶測です」
楓「……」
社長「事務所ぐるみなのかも、一部の暴走なのかもわかりません。ただ」
社長「うちが表立って動けば、この出版社がかなりまずいことになる、というのは間違いないですね」
いやな話だ。
私は、もらい事故にあったというようなものだ。しかも、ひき逃げ。
楓「私は、どうすれば……」
社長「ガン無視です」
社長は断言する。
社長「関わっても、ろくなことになりません。単発のネタですし、すぐに消えます」
社長「この件は、私とP君に任せてください。高垣さんはコメントを一切、発しないように」
704: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/26(木) 07:09:22.57 :uAq+i/WU0
あの人は、ただ申し訳なさそうにしている。
そんな表情をしないで欲しい。
P「水際で食い止められなくて、ほんとうに申し訳ない」
あの人は私に謝罪する。
楓「いえ……Pさんの責任ではありませんから……」
そう言ったところで、あの人の気持ちが晴れるとは、到底思えない。
重苦しい雰囲気が、社長室を支配する。
社長「とにかく、今後の対応を詰めておかないとなりません。高垣さん、疲れているところ申し訳ないですけど」
社長「もう少し、話にお付き合い願えませんか?」
楓「……わかりました……」
もうすぐクリスマス。
でも、私には試練のクリスマスとなりそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの人は、ただ申し訳なさそうにしている。
そんな表情をしないで欲しい。
P「水際で食い止められなくて、ほんとうに申し訳ない」
あの人は私に謝罪する。
楓「いえ……Pさんの責任ではありませんから……」
そう言ったところで、あの人の気持ちが晴れるとは、到底思えない。
重苦しい雰囲気が、社長室を支配する。
社長「とにかく、今後の対応を詰めておかないとなりません。高垣さん、疲れているところ申し訳ないですけど」
社長「もう少し、話にお付き合い願えませんか?」
楓「……わかりました……」
もうすぐクリスマス。
でも、私には試練のクリスマスとなりそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
710: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/27(金) 12:14:52.53 :Ta8H/swT0
雑誌の発売日。特段大騒ぎになることもなく、静かな立ち上がりとなった。
P「1誌だけですから、まだ様子見なんでしょう」
収録先のテレビ局の楽屋。あの人が語りかける。
メディアからの取材に対応するため、しばらくはあの人と行動を共にすることになった。
一緒にいられるのはうれしいけど。
楓「こんな形で、一緒に行動するなんて。なんか複雑ですね」
気が重い。一緒にいるのに、まったく気を抜けない息苦しさ。
どうしてこうなった。
P「まあ、このまま通り過ぎてくれるのが一番なんですけど」
あの人はポケット吸入器を渡してくれる。
楓「ありがとうございます」
P「ストレスがかかると、のどを傷めやすいですからね」
季節柄、こうした吸入器は必需品のようなものだ。
事務所やレッスンルームには、卓上式の吸入器も置いてある。
私が加湿吸入をしている間、あの人が話をする。
P「収録が終わって、ひょっとしたら取材クルーがいるかもしれませんけど」
P「楓さんは、なにも話さないようにしてください」
先日の社長室での話し合い。
やはり、無言を貫くのが一番だろうということになった。
相手がどういう対応をするか、まだわからないし。それによってこちらの対応も変わる、と。
楓「……」
ミストを吸入する。
ユーカリ油を少したらすのもよさそうだけど、吸入器が痛んでしまうので。
吸入している間のこの沈黙が、たまらなくつらい。
取材クルーに質問されて、表情を崩したりしないか。湧き上がる怒りを抑えられるか。
ファンは、どう思うだろうか。
そんなつまらないことばかり、浮かんでは消える。
女性誌に載せるということは、あちらのファン向けの記事、という意図だ。
こちらのファン層にかぶらないところを狙ってる。
女性ファンは実のところ、記事の真偽に対してあまり深く追求することはない。
むしろ感情に訴えること。
うそはったりだろうが、『それらしい』記事なら、ファンは動く。
もちろん記事自体は偽りだから、あちらの事務所でも対応は考えているだろう。
肯定は当然しないが、否定もしない。そんなところか。
それをどういう方法でアピールするのだろう。
こちらが後手に回ってしまった以上、相手の動きを注視するしかない。
もどかしい。
雑誌の発売日。特段大騒ぎになることもなく、静かな立ち上がりとなった。
P「1誌だけですから、まだ様子見なんでしょう」
収録先のテレビ局の楽屋。あの人が語りかける。
メディアからの取材に対応するため、しばらくはあの人と行動を共にすることになった。
一緒にいられるのはうれしいけど。
楓「こんな形で、一緒に行動するなんて。なんか複雑ですね」
気が重い。一緒にいるのに、まったく気を抜けない息苦しさ。
どうしてこうなった。
P「まあ、このまま通り過ぎてくれるのが一番なんですけど」
あの人はポケット吸入器を渡してくれる。
楓「ありがとうございます」
P「ストレスがかかると、のどを傷めやすいですからね」
季節柄、こうした吸入器は必需品のようなものだ。
事務所やレッスンルームには、卓上式の吸入器も置いてある。
私が加湿吸入をしている間、あの人が話をする。
P「収録が終わって、ひょっとしたら取材クルーがいるかもしれませんけど」
P「楓さんは、なにも話さないようにしてください」
先日の社長室での話し合い。
やはり、無言を貫くのが一番だろうということになった。
相手がどういう対応をするか、まだわからないし。それによってこちらの対応も変わる、と。
楓「……」
ミストを吸入する。
ユーカリ油を少したらすのもよさそうだけど、吸入器が痛んでしまうので。
吸入している間のこの沈黙が、たまらなくつらい。
取材クルーに質問されて、表情を崩したりしないか。湧き上がる怒りを抑えられるか。
ファンは、どう思うだろうか。
そんなつまらないことばかり、浮かんでは消える。
女性誌に載せるということは、あちらのファン向けの記事、という意図だ。
こちらのファン層にかぶらないところを狙ってる。
女性ファンは実のところ、記事の真偽に対してあまり深く追求することはない。
むしろ感情に訴えること。
うそはったりだろうが、『それらしい』記事なら、ファンは動く。
もちろん記事自体は偽りだから、あちらの事務所でも対応は考えているだろう。
肯定は当然しないが、否定もしない。そんなところか。
それをどういう方法でアピールするのだろう。
こちらが後手に回ってしまった以上、相手の動きを注視するしかない。
もどかしい。
711: ◆eBIiXi2191ZO:2013/09/27(金) 12:15:21.08 :Ta8H/swT0
楓「Pさん、ありがとう」
5分ほど吸入を行い、私は吸入器を返す。
あの人は何も言わずうなずいて、機械を片付ける。
あの人のスマホに着信音。すぐに私のにも。
P「同報でメールかな?」
ふたりでメールを確認する。ちひろさんからだった。
『件の事務所から、ファックスによる発表がありました』
私とあの人、社長に同報送信したようだ。
場がこわばる。
あの人は事務所に電話を入れる。
P「あ、ちひろさん。Pです。ええ、メール読みました」
P「えーと、ファックスの内容をベタ打ちでいいので、メールで送ってもらえませんか。ええ、同報で」
P「はい、じゃあお願いします」
取り急ぎ内容を確認しないとならない。あの人に思案の色が見える。
しばらくして、着信音が再び鳴る。たぶんファックスの内容だろう。
収録の休憩明けには、まだ時間がありそうだ。
ふたり、メールを読みはじめる。
『先日掲載されました記事につきまして、ご報告申し上げます。
掲載内容につきましては、現在事実を確認しております。確認次第、改めてご報告させていただきます。
なお、○○におきましては、間もなく主演映画の公開もございますので、暖かい応援を賜りますよう
お願い申し上げます』
P「なるほど、積極的に否定をする気はなさそうですね」
まだこれだけでは、事務所の関与を否定も肯定もできない。
こちらに『うまく踊ってくれたまえ』と、言ってるようにも見える。
楓「なんか……悔しいですね」
P「想定の範囲内、ってとこですかね」
おそらく、記事の裏を取るために取材陣がここにやってくるだろう。
あちらがなにも言わないのなら、こちらで確認しよう、と。
P「ま、とにかく。楓さんは予定通り、無言ということで」
楓「……はい」
ほどなく、局スタッフから収録再開の声がかかる。
大丈夫。切り替えていこう。
心に不安を残したまま、私はスタジオという戦場に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「Pさん、ありがとう」
5分ほど吸入を行い、私は吸入器を返す。
あの人は何も言わずうなずいて、機械を片付ける。
あの人のスマホに着信音。すぐに私のにも。
P「同報でメールかな?」
ふたりでメールを確認する。ちひろさんからだった。
『件の事務所から、ファックスによる発表がありました』
私とあの人、社長に同報送信したようだ。
場がこわばる。
あの人は事務所に電話を入れる。
P「あ、ちひろさん。Pです。ええ、メール読みました」
P「えーと、ファックスの内容をベタ打ちでいいので、メールで送ってもらえませんか。ええ、同報で」
P「はい、じゃあお願いします」
取り急ぎ内容を確認しないとならない。あの人に思案の色が見える。
しばらくして、着信音が再び鳴る。たぶんファックスの内容だろう。
収録の休憩明けには、まだ時間がありそうだ。
ふたり、メールを読みはじめる。
『先日掲載されました記事につきまして、ご報告申し上げます。
掲載内容につきましては、現在事実を確認しております。確認次第、改めてご報告させていただきます。
なお、○○におきましては、間もなく主演映画の公開もございますので、暖かい応援を賜りますよう
お願い申し上げます』
P「なるほど、積極的に否定をする気はなさそうですね」
まだこれだけでは、事務所の関与を否定も肯定もできない。
こちらに『うまく踊ってくれたまえ』と、言ってるようにも見える。
楓「なんか……悔しいですね」
P「想定の範囲内、ってとこですかね」
おそらく、記事の裏を取るために取材陣がここにやってくるだろう。
あちらがなにも言わないのなら、こちらで確認しよう、と。
P「ま、とにかく。楓さんは予定通り、無言ということで」
楓「……はい」
ほどなく、局スタッフから収録再開の声がかかる。
大丈夫。切り替えていこう。
心に不安を残したまま、私はスタジオという戦場に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
717: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/01(火) 12:19:23.47 :CdZfMyw80
レポーター「お付き合いは順調ですか! どうですか! 高垣さーん!」
果たして、彼らはそこにいた。
テレビ局が3社か。他にスポーツ紙だろうか。
私は無言のまま車に乗り込む。作り笑顔を貼り付けながら。
車がテレビ局の構内から離れるまで、笑顔を貼り付けたままでいる。
P「おつかれさま」
あの人が声をかけた。
楓「……ふう」
予想はしていた。もっとしつこいものかと思っていたが。
楓「それほど混乱することもなかったですね」
P「そんなもんですよ。みんな半信半疑ですからね」
せいぜい裏が取れたらラッキーくらいのことなのだろう。
あの人が運転する車は、まっすぐ事務所へ帰らずに幹線を流している。
楓「撒くんですか?」
P「まあそれもありますけど……」
あの人はそう言ってナビをセットする。
楓「ん? どこかに寄るんですか?」
P「そうですね。そこはお任せで」
楓「ええ、かまいませんけど」
ちょっと今日は、息苦しさを感じたままだったし。
息抜きということかしら。
コインパーキングに車を入れ、あの人に案内されるまま歩く。
楓「ラーメン屋?」
街道沿いにあるラーメンの看板。こってりした香り。
P「和歌山ラーメンとか、どうです?」
レポーター「お付き合いは順調ですか! どうですか! 高垣さーん!」
果たして、彼らはそこにいた。
テレビ局が3社か。他にスポーツ紙だろうか。
私は無言のまま車に乗り込む。作り笑顔を貼り付けながら。
車がテレビ局の構内から離れるまで、笑顔を貼り付けたままでいる。
P「おつかれさま」
あの人が声をかけた。
楓「……ふう」
予想はしていた。もっとしつこいものかと思っていたが。
楓「それほど混乱することもなかったですね」
P「そんなもんですよ。みんな半信半疑ですからね」
せいぜい裏が取れたらラッキーくらいのことなのだろう。
あの人が運転する車は、まっすぐ事務所へ帰らずに幹線を流している。
楓「撒くんですか?」
P「まあそれもありますけど……」
あの人はそう言ってナビをセットする。
楓「ん? どこかに寄るんですか?」
P「そうですね。そこはお任せで」
楓「ええ、かまいませんけど」
ちょっと今日は、息苦しさを感じたままだったし。
息抜きということかしら。
コインパーキングに車を入れ、あの人に案内されるまま歩く。
楓「ラーメン屋?」
街道沿いにあるラーメンの看板。こってりした香り。
P「和歌山ラーメンとか、どうです?」
718: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/01(火) 12:19:53.13 :CdZfMyw80
ああ、そういうことか。
気が滅入っている私に配慮してくれたのだ。
楓「いいですね。行きましょうか」
私たちはお店に入っていく。
和歌山ラーメンはとんこつ醤油味。
でも私自身は、あまり食べたことがない。
P「懐かしいですか?」
楓「実は、それほど」
私は苦笑する。あの人は気まずそうに頭をかく。
楓「気持ちはうれしいですよ?」
P「あはは。そりゃどうも」
席についてラーメンを頼む。
P「楓さんは、地元で食べたりしなかったんですか?」
楓「誘われて行ったことはありますけど。んー」
食わず嫌いということではない。自分から行こうという機会がなかっただけ。
地場のものなんて、そんなもんだろう。
楓「でも、Pさんが私のことを考えてくれたことが、うれしいです」
あの人が照れながら、コップの水をごくり。
なんか、いいなあ。
ふと、青森旅行のことを思い出す。
あれから、だいぶ経った気がするな。
出てきたラーメンはシンプルなもの。脂がなかなかの自己主張。
一緒に小皿が。
楓「これは?」
P「岩のり、かな?」
味玉子と、岩のり。トッピングかあ。
では、失礼して。
楓「いただきます」
P「いただきます」
小皿のトッピングを乗せ、いただく。
楓「あつっ」
P「楓さん大丈夫ですか?」
楓「……あひゅいれふ……」
ああ、そういうことか。
気が滅入っている私に配慮してくれたのだ。
楓「いいですね。行きましょうか」
私たちはお店に入っていく。
和歌山ラーメンはとんこつ醤油味。
でも私自身は、あまり食べたことがない。
P「懐かしいですか?」
楓「実は、それほど」
私は苦笑する。あの人は気まずそうに頭をかく。
楓「気持ちはうれしいですよ?」
P「あはは。そりゃどうも」
席についてラーメンを頼む。
P「楓さんは、地元で食べたりしなかったんですか?」
楓「誘われて行ったことはありますけど。んー」
食わず嫌いということではない。自分から行こうという機会がなかっただけ。
地場のものなんて、そんなもんだろう。
楓「でも、Pさんが私のことを考えてくれたことが、うれしいです」
あの人が照れながら、コップの水をごくり。
なんか、いいなあ。
ふと、青森旅行のことを思い出す。
あれから、だいぶ経った気がするな。
出てきたラーメンはシンプルなもの。脂がなかなかの自己主張。
一緒に小皿が。
楓「これは?」
P「岩のり、かな?」
味玉子と、岩のり。トッピングかあ。
では、失礼して。
楓「いただきます」
P「いただきます」
小皿のトッピングを乗せ、いただく。
楓「あつっ」
P「楓さん大丈夫ですか?」
楓「……あひゅいれふ……」
719: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/01(火) 12:20:57.87 :CdZfMyw80
ヤケドした。舌がじんじんする。
ふーふーと冷まして、ゆっくりと。
楓「ちょっと柔らかいんですね」
P「楓さんの好みと違ったかな?」
楓「いえ、そうじゃなくて。あんまり覚えてないものだなあ、って」
片手で余るくらいしか食べたことがないのだから、覚えてなくて当然だと思う。
でも、せっかくあの人が案内してくれたのだし。
なんかこう、気の利いたことでも言いたいのになあ。
そんなことを思っていたら、あの人がくつくつと笑い出した。
P「いやいや、楓さん。僕に気なんか遣ってどうするんですか」
楓「え? 全然気なんか遣ってませ」
P「ほら。それ」
あの人が笑いながら言う。
P「僕と楓さんの仲じゃないですか。わからないとでも思ってました?」
ああ、そっか。
そうだよなあ。
私とあの人は、コイビト。
なんとなく雰囲気で、分かり合えることもあるのだ。
楓「なんかそう言われると、照れますね」
P「……逆にそう言われて、僕も恥ずかしくなってきました」
ふたりでラーメンをすすりながら、互いを思う。
色気も何もない空間だけど。
楓「ふふっ。ありがとうございます」
P「いや、別に。ほら、言うじゃないですか」
P「腹が立ったら飯を食え、ってね」
なんですかそれは。
聞いたことありますけど。
楓「Pさんは、なだめるためにここへ?」
P「いや、まあそれもありますけど……」
あの人は水を一口飲む。
ヤケドした。舌がじんじんする。
ふーふーと冷まして、ゆっくりと。
楓「ちょっと柔らかいんですね」
P「楓さんの好みと違ったかな?」
楓「いえ、そうじゃなくて。あんまり覚えてないものだなあ、って」
片手で余るくらいしか食べたことがないのだから、覚えてなくて当然だと思う。
でも、せっかくあの人が案内してくれたのだし。
なんかこう、気の利いたことでも言いたいのになあ。
そんなことを思っていたら、あの人がくつくつと笑い出した。
P「いやいや、楓さん。僕に気なんか遣ってどうするんですか」
楓「え? 全然気なんか遣ってませ」
P「ほら。それ」
あの人が笑いながら言う。
P「僕と楓さんの仲じゃないですか。わからないとでも思ってました?」
ああ、そっか。
そうだよなあ。
私とあの人は、コイビト。
なんとなく雰囲気で、分かり合えることもあるのだ。
楓「なんかそう言われると、照れますね」
P「……逆にそう言われて、僕も恥ずかしくなってきました」
ふたりでラーメンをすすりながら、互いを思う。
色気も何もない空間だけど。
楓「ふふっ。ありがとうございます」
P「いや、別に。ほら、言うじゃないですか」
P「腹が立ったら飯を食え、ってね」
なんですかそれは。
聞いたことありますけど。
楓「Pさんは、なだめるためにここへ?」
P「いや、まあそれもありますけど……」
あの人は水を一口飲む。
720: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/01(火) 12:21:24.27 :CdZfMyw80
P「僕自身、腹が立つことばかりだったので」
そう言ってため息をつく。
P「楓さんのスキャンダルを食い止められなかったこともそうですけど」
P「ふたりでいるとき、安心を与えられない状況に、ね」
P「僕は、楓さんの恋人なのに。なんだかなあ……」
今すぐ抱きしめたい。
あなたがいてくれるから、私は我慢できるのだ。
衝動をこらえ、私は口にする。
楓「いえ、Pさん」
楓「いつでも、Pさんは私の心の支えです。恋人です」
楓「いてくれて、ありがとう……」
せめて、言葉には尽くそう。
想いを言葉に乗せて。
あの人は、少しデレっとした顔をして言った。
P「うん。僕も、楓さんが心の支えです。ほんとうにありがとう」
P「楓さんがここに、こうしていてくれることが、ありがたい」
お互いの存在が大きくて、愛しい。
それがわかるから。
私たちはそれまでの怒りや焦燥を、一口ずつお腹へ流し込む。
食べて。語って。
また明日。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「僕自身、腹が立つことばかりだったので」
そう言ってため息をつく。
P「楓さんのスキャンダルを食い止められなかったこともそうですけど」
P「ふたりでいるとき、安心を与えられない状況に、ね」
P「僕は、楓さんの恋人なのに。なんだかなあ……」
今すぐ抱きしめたい。
あなたがいてくれるから、私は我慢できるのだ。
衝動をこらえ、私は口にする。
楓「いえ、Pさん」
楓「いつでも、Pさんは私の心の支えです。恋人です」
楓「いてくれて、ありがとう……」
せめて、言葉には尽くそう。
想いを言葉に乗せて。
あの人は、少しデレっとした顔をして言った。
P「うん。僕も、楓さんが心の支えです。ほんとうにありがとう」
P「楓さんがここに、こうしていてくれることが、ありがたい」
お互いの存在が大きくて、愛しい。
それがわかるから。
私たちはそれまでの怒りや焦燥を、一口ずつお腹へ流し込む。
食べて。語って。
また明日。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
728: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/02(水) 17:49:13.70 :ggbvzzJQ0
クリスマスも近づいたころ。かの方が主演した映画が公開される。
あちらの事務所は、いまだだんまり。
こちらがすべて泥をかぶることを期待しているのではないかと、うがった目で見てしまう。
舞台あいさつ。ちひろさんが敵情視察に出かけている。
私とあの人は、事務所で待機していた。
どれくらい待っただろう。あの人のスマホに着信。
P「はい。あ、ちひろさん。ええ。はい」
メモを取りながら、ちひろさんの情報を聞いている。そして。
P「ありがとうございます。はい。ではまた事務所で」
電話が終わり、あの人は特大のため息をひとつ。
P「『ノーコメントで』と、かの方が。おっしゃったそうですよ……」
無言ではなく、『ノーコメント』。
つまり先方は、意図的に『どうとでも解釈してください』と発言した、ということだ。
P「そこまでやりますか……」
可能性を考えてはいたものの、こうまで踏みつけにされると。
楓「……」
言葉にならない。怒りと諦観と。
P「社長が戻ってきたら、相談しましょう」
あの人の声のトーンも低い。
年末でいろいろと忙しい時期だというのに、こんなことで忙殺されるなんて。
楓「私は、どうすればいいですか?」
あの人に訊いてみる。
P「いや、まだなにも言わずに。無言のままで」
答えはわかりきっている。事務所の正式なコメントがないうちに、何かを話すことはまずい。
大波打つ動揺を、無理やり押し込める。
やがて。
ちひろさんが事務所へ戻り、社長も戻ってきた。
事務所に残っていたスタッフに、緊急招集がかかる。
社長「えー、皆さんも知っているかと思いますが、先日の雑誌に掲載された高垣さんの件で話があります」
クリスマスも近づいたころ。かの方が主演した映画が公開される。
あちらの事務所は、いまだだんまり。
こちらがすべて泥をかぶることを期待しているのではないかと、うがった目で見てしまう。
舞台あいさつ。ちひろさんが敵情視察に出かけている。
私とあの人は、事務所で待機していた。
どれくらい待っただろう。あの人のスマホに着信。
P「はい。あ、ちひろさん。ええ。はい」
メモを取りながら、ちひろさんの情報を聞いている。そして。
P「ありがとうございます。はい。ではまた事務所で」
電話が終わり、あの人は特大のため息をひとつ。
P「『ノーコメントで』と、かの方が。おっしゃったそうですよ……」
無言ではなく、『ノーコメント』。
つまり先方は、意図的に『どうとでも解釈してください』と発言した、ということだ。
P「そこまでやりますか……」
可能性を考えてはいたものの、こうまで踏みつけにされると。
楓「……」
言葉にならない。怒りと諦観と。
P「社長が戻ってきたら、相談しましょう」
あの人の声のトーンも低い。
年末でいろいろと忙しい時期だというのに、こんなことで忙殺されるなんて。
楓「私は、どうすればいいですか?」
あの人に訊いてみる。
P「いや、まだなにも言わずに。無言のままで」
答えはわかりきっている。事務所の正式なコメントがないうちに、何かを話すことはまずい。
大波打つ動揺を、無理やり押し込める。
やがて。
ちひろさんが事務所へ戻り、社長も戻ってきた。
事務所に残っていたスタッフに、緊急招集がかかる。
社長「えー、皆さんも知っているかと思いますが、先日の雑誌に掲載された高垣さんの件で話があります」
729: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/02(水) 17:49:43.06 :ggbvzzJQ0
社長「本日、先方のタレントさんが、交際をしているとも取れる発言をしました」
社長「これは看過できませんので、事務所から正式に否定コメントを出します」
正式にコメントを出せば、当然取材対象になる。
どこで言質を取られるかわからない。スタッフの意思統一を図るのだ。
社長「年末年始で忙しいところだと思いますが、皆さんのフォローアップお願いします」
回答のポイントは、後ほどレジュメで配布と知らせ、解散。
あの人はレジュメ作成へと机に戻った。
その日のうちに、各社あてにファックスを送信する。
『先日○○に掲載のありました、当社所属・高垣楓の交際の件につきましてご報告いたします。
事実関係を調査しました結果、交際の事実は一切ございませんでした。
CGプロといたしましては、このような記事が掲載されたことは誠に遺憾であり、
掲載記事の取り下げならびに謝罪を求める意向でございます。
関係方々には、多大なるご心配を賜りまして厚く御礼申し上げます。
今後とも高垣楓ならびにCGプロへ、ご支援ご協力賜りますようお願い申し上げます。』
社長名で否定をする。
件の出版社には、さすがに泥をかぶってもらうしかない。
裁判とか、そこまで大事にするつもりはないけれど。
P「まあこれで、先方がだんまりしてくれれば御の字ですけどね」
レジュメをコピーしながら、あの人がつぶやく。
あちらの事務所が交際を否定してくれれば、それが一番よい。
でもこうまで焚きつけた責任からは逃れられない。
出版社との付き合いも考えると、さすがに否定するのははばかられる。
だったらうやむやになるまでだんまり。そこが落としどころなのだろう。
精根尽き果てるとは、このことか。
要らぬ心配をして、私たちの疲労はピークだ。
楓「でも、あちらからすればベターなんでしょうね……」
落としどころがどうあれ、宣伝効果としては大いにあったわけで。
集客第一なら、多少の問題は目をつぶる、ということかしら。
これからの尻拭いを考えると、頭痛がしてきそう。
あの人とふたり、レジュメを読み合わせながら対策をシミュレートする。
むなしさが更けていく、夜。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
社長「本日、先方のタレントさんが、交際をしているとも取れる発言をしました」
社長「これは看過できませんので、事務所から正式に否定コメントを出します」
正式にコメントを出せば、当然取材対象になる。
どこで言質を取られるかわからない。スタッフの意思統一を図るのだ。
社長「年末年始で忙しいところだと思いますが、皆さんのフォローアップお願いします」
回答のポイントは、後ほどレジュメで配布と知らせ、解散。
あの人はレジュメ作成へと机に戻った。
その日のうちに、各社あてにファックスを送信する。
『先日○○に掲載のありました、当社所属・高垣楓の交際の件につきましてご報告いたします。
事実関係を調査しました結果、交際の事実は一切ございませんでした。
CGプロといたしましては、このような記事が掲載されたことは誠に遺憾であり、
掲載記事の取り下げならびに謝罪を求める意向でございます。
関係方々には、多大なるご心配を賜りまして厚く御礼申し上げます。
今後とも高垣楓ならびにCGプロへ、ご支援ご協力賜りますようお願い申し上げます。』
社長名で否定をする。
件の出版社には、さすがに泥をかぶってもらうしかない。
裁判とか、そこまで大事にするつもりはないけれど。
P「まあこれで、先方がだんまりしてくれれば御の字ですけどね」
レジュメをコピーしながら、あの人がつぶやく。
あちらの事務所が交際を否定してくれれば、それが一番よい。
でもこうまで焚きつけた責任からは逃れられない。
出版社との付き合いも考えると、さすがに否定するのははばかられる。
だったらうやむやになるまでだんまり。そこが落としどころなのだろう。
精根尽き果てるとは、このことか。
要らぬ心配をして、私たちの疲労はピークだ。
楓「でも、あちらからすればベターなんでしょうね……」
落としどころがどうあれ、宣伝効果としては大いにあったわけで。
集客第一なら、多少の問題は目をつぶる、ということかしら。
これからの尻拭いを考えると、頭痛がしてきそう。
あの人とふたり、レジュメを読み合わせながら対策をシミュレートする。
むなしさが更けていく、夜。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
734: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/03(木) 13:52:25.46 :4Gl/Ir6c0
まあトライアドはユニットだから、ソロ活動をベースとするのは当然だろうけど。
でも、なんで改めて言ったんだろう。
凛「あ、みんなお疲れさま」
あいさつ回りを終えたであろう彼女が、楽屋に戻ってきた。
楓「凛ちゃんもお疲れさま」
凛「楓さん……お疲れさま」
凛ちゃんが笑顔を浮かべる。
去年の今頃は……なんて。そんなことを考えたら、ずいぶん変わったもんだなあと。
楓「凛ちゃんたちはこれから?」
凛「ニューイヤーTVの生特番です」
ああ、まだ仕事なんだ。
加蓮「今日は終日営業ですよー……はあ、がんばろっと」
加蓮ちゃんはちょっとお疲れ気味。
でも、忙しいうちが華、とも言えなくもない。
そうでも言わなきゃ、この仕事はやってられない。
奈緒「じゃあ、移動があるんで。よいお年を!」
三人はあわただしく出ていった。
私は、彼女たちの後姿を見送る。
時計を見れば、0時を過ぎている。シンデレラの時間は、終わった。
楓「ハッピーニューイヤー、か」
楽屋では、残った共演者たちやスタッフが、クラッカーを鳴らす。
新年おめでとう、と。
なんかあっけない年越しだったな。
せめて正月はゆっくりと。
あの人がスケジュールを配慮してくれたので、今年も三が日はフリー。
とはいえ去年の年越しとは、だいぶ違う。
あの人と、一緒にいたのになあ。
仕事に明け暮れれば、取材攻勢に辟易し。
ひとりでいれば、これからの不安に押しつぶされそうになり。
ああ。
どこをどう、掛け違えてしまったのだろう。
楽屋の喧騒が、私には届かない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まあトライアドはユニットだから、ソロ活動をベースとするのは当然だろうけど。
でも、なんで改めて言ったんだろう。
凛「あ、みんなお疲れさま」
あいさつ回りを終えたであろう彼女が、楽屋に戻ってきた。
楓「凛ちゃんもお疲れさま」
凛「楓さん……お疲れさま」
凛ちゃんが笑顔を浮かべる。
去年の今頃は……なんて。そんなことを考えたら、ずいぶん変わったもんだなあと。
楓「凛ちゃんたちはこれから?」
凛「ニューイヤーTVの生特番です」
ああ、まだ仕事なんだ。
加蓮「今日は終日営業ですよー……はあ、がんばろっと」
加蓮ちゃんはちょっとお疲れ気味。
でも、忙しいうちが華、とも言えなくもない。
そうでも言わなきゃ、この仕事はやってられない。
奈緒「じゃあ、移動があるんで。よいお年を!」
三人はあわただしく出ていった。
私は、彼女たちの後姿を見送る。
時計を見れば、0時を過ぎている。シンデレラの時間は、終わった。
楓「ハッピーニューイヤー、か」
楽屋では、残った共演者たちやスタッフが、クラッカーを鳴らす。
新年おめでとう、と。
なんかあっけない年越しだったな。
せめて正月はゆっくりと。
あの人がスケジュールを配慮してくれたので、今年も三が日はフリー。
とはいえ去年の年越しとは、だいぶ違う。
あの人と、一緒にいたのになあ。
仕事に明け暮れれば、取材攻勢に辟易し。
ひとりでいれば、これからの不安に押しつぶされそうになり。
ああ。
どこをどう、掛け違えてしまったのだろう。
楽屋の喧騒が、私には届かない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
735: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/03(木) 13:53:48.38 :4Gl/Ir6c0
あれ、前半が抜けた……
>>734の前に入れてください
ほたるの光 窓の雪 ――
年末の歌合戦。今年は紅組が勝った。
私はステージで、共演した仲間と歌っている。
今年も無事勤め上げました。お疲れさまでした。
などという気には、まだなれない。
交際否定のコメントを額面どおり受け取るところは少なく、私たちは取材の矢面に立たされる。
いまだ、その余波が色濃く残っている。
『ほんとうに交際されてないんですか?』『実際どうなんですか?』
『書かれたことについてどう思われますか?』『相手を訴えますか?』
土足でどかどかと踏み込んでくる質問に、私は。
『事務所の担当からお答えしますので、私から話すことは特にございません』
そう繰り返す、のみ。
かの方は、ノーコメント発言のあとは、ひたすらだんまり。
その甲斐あって、映画の動員数は好調だとか。
楓「お疲れさまでした」
楽屋に戻り、共演者にあいさつ回りをする。よいお年を、と。
よいお年を、ねえ。来年もこんな感じで巻き込まれるのかな。
ほんと、私の安寧を返せ。
心がささくれる。
加蓮「楓さんおつかれさまー!」
奈緒「おつかれさまー」
今年は出演をしたトライアドの三人が、楽屋に戻ってきた。
楓「みんなお疲れさま……って。凛ちゃんは?」
奈緒「あれ? 一緒に戻ってきたんだけどなあ」
出演者でごった返す楽屋に、凛ちゃんの姿は見受けられない。
加蓮「凛のことだから、あいさつ回りしてるのかも」
奈緒「ああ、そっか。来年はソロ活動も本腰入れるみたいだからなあ」
楓「え? そうなんだ」
初耳だ。いや、スタッフは知っていたのかもしれないけど。
このところのどたばたで、巷の動きにすっかり鈍感になってしまった。
楓「いつごろの話?」
奈緒「先月ですよ? ……ああ、まだ本決まりってことじゃないけど」
加蓮「凛が、『そろそろ私たちも、ソロで本格活動してもいい頃合いじゃないか』って」
加蓮「そう言ったんですよ」
あれ、前半が抜けた……
>>734の前に入れてください
ほたるの光 窓の雪 ――
年末の歌合戦。今年は紅組が勝った。
私はステージで、共演した仲間と歌っている。
今年も無事勤め上げました。お疲れさまでした。
などという気には、まだなれない。
交際否定のコメントを額面どおり受け取るところは少なく、私たちは取材の矢面に立たされる。
いまだ、その余波が色濃く残っている。
『ほんとうに交際されてないんですか?』『実際どうなんですか?』
『書かれたことについてどう思われますか?』『相手を訴えますか?』
土足でどかどかと踏み込んでくる質問に、私は。
『事務所の担当からお答えしますので、私から話すことは特にございません』
そう繰り返す、のみ。
かの方は、ノーコメント発言のあとは、ひたすらだんまり。
その甲斐あって、映画の動員数は好調だとか。
楓「お疲れさまでした」
楽屋に戻り、共演者にあいさつ回りをする。よいお年を、と。
よいお年を、ねえ。来年もこんな感じで巻き込まれるのかな。
ほんと、私の安寧を返せ。
心がささくれる。
加蓮「楓さんおつかれさまー!」
奈緒「おつかれさまー」
今年は出演をしたトライアドの三人が、楽屋に戻ってきた。
楓「みんなお疲れさま……って。凛ちゃんは?」
奈緒「あれ? 一緒に戻ってきたんだけどなあ」
出演者でごった返す楽屋に、凛ちゃんの姿は見受けられない。
加蓮「凛のことだから、あいさつ回りしてるのかも」
奈緒「ああ、そっか。来年はソロ活動も本腰入れるみたいだからなあ」
楓「え? そうなんだ」
初耳だ。いや、スタッフは知っていたのかもしれないけど。
このところのどたばたで、巷の動きにすっかり鈍感になってしまった。
楓「いつごろの話?」
奈緒「先月ですよ? ……ああ、まだ本決まりってことじゃないけど」
加蓮「凛が、『そろそろ私たちも、ソロで本格活動してもいい頃合いじゃないか』って」
加蓮「そう言ったんですよ」
737:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2013/10/03(木) 14:55:01.72 :7C2CByL0o
少しでも続きが見れるのは嬉しいよね。
740: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/07(月) 12:19:34.33 :6YYjNV4D0
元日。穏やかな日差しが私を起こす。
事務所の仮眠室。のどを痛めないようにマスクをして寝たはずなのに。
楓「どっかいっちゃった……」
枕元にも転がっていない。
楓「ま、いっか」
しっかり加湿器が働いてくれているから、問題ない。
ぼーっとした頭で、私は飲み物をとりに湯沸室へ。
楽屋で年明けを迎えた私は、なんとなく自分の部屋へ帰るのが怖かった。
なんだろう。ひとりでいるのが怖かったのかな。
あの人はしきりに帰ることを勧めていたが、強引に仮眠室へもぐりこんだ。
そして今。
あの人は、事務所の応接ソファーで横になっていた。
楓「おはようございます」
いまだ夢の中のあの人に、起こさないように小声で。
もうお昼近い。
そのとき、ぴんぽーん、と。インターホンが鳴る。
楓「はい」
配達「郵便でーす」
ああ、年賀状か。
私は入口のドアを開け、ダンボールを受け取る。
P「ああ、起きたんですね」
チャイムの音で起きたのか、あの人が後ろから声をかける。
楓「起こしちゃいました?」
P「いえ、もうお昼ですし」
受け取ったダンボールを、あの人がひょいと奪い取った。
楓「あ」
P「このくらい、軽いもんですよ」
軽くなった両手の質感が、落ち着かない。
ぎゅっ。あの人の服の袖をつかむ。
P「どうしたんです?」
楓「いえ。なんとなくつかみたくて」
あの人はふわりと笑った。
元日。穏やかな日差しが私を起こす。
事務所の仮眠室。のどを痛めないようにマスクをして寝たはずなのに。
楓「どっかいっちゃった……」
枕元にも転がっていない。
楓「ま、いっか」
しっかり加湿器が働いてくれているから、問題ない。
ぼーっとした頭で、私は飲み物をとりに湯沸室へ。
楽屋で年明けを迎えた私は、なんとなく自分の部屋へ帰るのが怖かった。
なんだろう。ひとりでいるのが怖かったのかな。
あの人はしきりに帰ることを勧めていたが、強引に仮眠室へもぐりこんだ。
そして今。
あの人は、事務所の応接ソファーで横になっていた。
楓「おはようございます」
いまだ夢の中のあの人に、起こさないように小声で。
もうお昼近い。
そのとき、ぴんぽーん、と。インターホンが鳴る。
楓「はい」
配達「郵便でーす」
ああ、年賀状か。
私は入口のドアを開け、ダンボールを受け取る。
P「ああ、起きたんですね」
チャイムの音で起きたのか、あの人が後ろから声をかける。
楓「起こしちゃいました?」
P「いえ、もうお昼ですし」
受け取ったダンボールを、あの人がひょいと奪い取った。
楓「あ」
P「このくらい、軽いもんですよ」
軽くなった両手の質感が、落ち着かない。
ぎゅっ。あの人の服の袖をつかむ。
P「どうしたんです?」
楓「いえ。なんとなくつかみたくて」
あの人はふわりと笑った。
741: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/07(月) 12:20:09.31 :6YYjNV4D0
元日だから、出前をするお店もない。
あの人は「お昼買ってきます」と、外へ出て行った。
残った私は、年賀状を仕分ける。
私は自分でブログやツイッターをやっていない。
事務所のオフィシャルページで、スタッフが情報をアップする。
だから、時々メールをチェックすることはあっても、こうした紙の手紙なども多い。
それに肉筆の応援は、なんともうれしいものだ。
事務所気付で送られてきた年賀状を、タレントごとにより分ける。
年賀状というか、かなり厚手の手紙らしきものも、結構ある。
楓「やっぱり多いな、凛ちゃん……」
トライアド以前から、ずっと一線で走ってきたのだ。その人気は事務所でも群を抜いている。
あらかた仕分けしたところで、あの人が帰ってきた。
P「今年もまた、こんなものですいません」
手には、牛丼屋のビニール袋。
楓「ふふっ。いいじゃないですか」
楓「私たちらしくて」
去年の今頃を思い出し、少しおかしくなった。
いつもの牛丼弁当を食べ、お茶で一息。
あの人は自分の机に戻る。
P「楓さんはどうします?」
楓「私は、これを」
仕分けた年賀状を、あの人に見せる。
P「ああ。まあ根をつめない程度に」
私あてに送られた年賀状を、ひとつひとつ眺めていく。
どれも力作だ。たかがファンレター、されどファンレター。
みんな「アイドルが読むかもしれない」と、手を抜くことはない。
楓「……すごいなあ」
はがきはあとでゆっくり読むことにして、輪ゴムで束ねる。
私は、手紙の封筒をひとつずつ開けていく。
どれくらい開けただろう。その中のひとつに、私は凍った。
『死ね』
赤い字で書かれた一文。
その二文字に、私の頭の中は真っ白になる。
その封筒に、相手の名前はない。
中には、びりびりに破かれた私の写真が、丁寧に同梱されていた。
手が、震える。
血の気が引くというのは、このことか。
怖い。
私は、手にした便箋を握り締めたまま、震える身体をもてあましていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
元日だから、出前をするお店もない。
あの人は「お昼買ってきます」と、外へ出て行った。
残った私は、年賀状を仕分ける。
私は自分でブログやツイッターをやっていない。
事務所のオフィシャルページで、スタッフが情報をアップする。
だから、時々メールをチェックすることはあっても、こうした紙の手紙なども多い。
それに肉筆の応援は、なんともうれしいものだ。
事務所気付で送られてきた年賀状を、タレントごとにより分ける。
年賀状というか、かなり厚手の手紙らしきものも、結構ある。
楓「やっぱり多いな、凛ちゃん……」
トライアド以前から、ずっと一線で走ってきたのだ。その人気は事務所でも群を抜いている。
あらかた仕分けしたところで、あの人が帰ってきた。
P「今年もまた、こんなものですいません」
手には、牛丼屋のビニール袋。
楓「ふふっ。いいじゃないですか」
楓「私たちらしくて」
去年の今頃を思い出し、少しおかしくなった。
いつもの牛丼弁当を食べ、お茶で一息。
あの人は自分の机に戻る。
P「楓さんはどうします?」
楓「私は、これを」
仕分けた年賀状を、あの人に見せる。
P「ああ。まあ根をつめない程度に」
私あてに送られた年賀状を、ひとつひとつ眺めていく。
どれも力作だ。たかがファンレター、されどファンレター。
みんな「アイドルが読むかもしれない」と、手を抜くことはない。
楓「……すごいなあ」
はがきはあとでゆっくり読むことにして、輪ゴムで束ねる。
私は、手紙の封筒をひとつずつ開けていく。
どれくらい開けただろう。その中のひとつに、私は凍った。
『死ね』
赤い字で書かれた一文。
その二文字に、私の頭の中は真っ白になる。
その封筒に、相手の名前はない。
中には、びりびりに破かれた私の写真が、丁寧に同梱されていた。
手が、震える。
血の気が引くというのは、このことか。
怖い。
私は、手にした便箋を握り締めたまま、震える身体をもてあましていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
751: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/08(火) 12:58:37.08 :u/vrHSbV0
P「楓さん! 楓さん!」
あの人の声で、私の意識は戻ってくる。
ああ、Pさん。
なにか話そうと声を出そうとするが、出ない。
あの人は、私をきつく抱きしめる。
P「楓さん、大丈夫。大丈夫だから……」
抱きしめたままぽんぽんと、背中を叩く。
少しずつ、息が戻る気がした。
楓「あ……あ……」
P「楓さん、大丈夫だから。こうしているから」
楓「あ……ああ……」
私は声にならない声をあげ、涙を落とす。
あの人は、やさしく髪をなでる。
怖い。
ただその気持ちだけが、私を支配する。
あの人が懸命に私をなだめるけど、今の私には届かない。
ちひろ「あけましておめで……あ」
P「ちひろさん、ちょっと!」
ただならない様子を感じたのか、ちひろさんは湯沸室へ直行し、水を持ってきた。
ちひろ「どう……したんです?」
あの人は、私が落とした便箋を指さす。
ちひろさんはそれで理解したのか、私のそばへ寄り添い、声をかける。
ちひろ「楓さん、大丈夫。大丈夫ですよ。みんないますから」
あの人とちひろさんのサポートで、徐々に気持ちを取り戻した。
P「楓さん! 楓さん!」
あの人の声で、私の意識は戻ってくる。
ああ、Pさん。
なにか話そうと声を出そうとするが、出ない。
あの人は、私をきつく抱きしめる。
P「楓さん、大丈夫。大丈夫だから……」
抱きしめたままぽんぽんと、背中を叩く。
少しずつ、息が戻る気がした。
楓「あ……あ……」
P「楓さん、大丈夫だから。こうしているから」
楓「あ……ああ……」
私は声にならない声をあげ、涙を落とす。
あの人は、やさしく髪をなでる。
怖い。
ただその気持ちだけが、私を支配する。
あの人が懸命に私をなだめるけど、今の私には届かない。
ちひろ「あけましておめで……あ」
P「ちひろさん、ちょっと!」
ただならない様子を感じたのか、ちひろさんは湯沸室へ直行し、水を持ってきた。
ちひろ「どう……したんです?」
あの人は、私が落とした便箋を指さす。
ちひろさんはそれで理解したのか、私のそばへ寄り添い、声をかける。
ちひろ「楓さん、大丈夫。大丈夫ですよ。みんないますから」
あの人とちひろさんのサポートで、徐々に気持ちを取り戻した。
752: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/08(火) 12:59:56.56 :u/vrHSbV0
ようやく落ち着いたころ。あの人とちひろさんは、なにかやり取りをしていた。
私はちひろさんにもらったコップを抱え、ソファーで震えている。
P「楓さん、とにかく自宅へ帰りましょう。送ります」
あの人はそう言うけど、私は首を横に振る。
ひとりにしないで。
心の叫びが、私を惑わせる。
P「ちひろさん、お願いします」
ちひろ「わかりました」
ちひろさんは社用車を取りに、事務所を出た。
エアコンの音と、時計の音。
パソコンのうなり。
私とあの人の、息遣い。
すべてのノイズが絡み合い、私は吐き気を催す。
楓「うっ……」
青白い私をかばい、あの人は背中をさする。
ほどなくちひろさんが戻ってきたが、あの人は首を横に振った。
ちひろ「ダメですか」
P「もう少し、落ち着いてからですね」
あの人にもちひろさんにも迷惑をかけている。
私は自分の器の小ささに、大きな罪悪感を感じる。
悔しい。悔しい。
自分で自分の気持ちにけりをつけられないことに、憤りを感じる。
結局、私が落ち着くまで時間がかかり、送ってもらうころにはすっかり夜の闇に包まれていた。
楓「ほんとに、ごめんなさい……」
P「いや、いいんですよ」
お互いになにかを話すこともなく。ただ目的地へ向かう。
心の中に、表現しがたいどろどろを抱えたまま。
ようやく落ち着いたころ。あの人とちひろさんは、なにかやり取りをしていた。
私はちひろさんにもらったコップを抱え、ソファーで震えている。
P「楓さん、とにかく自宅へ帰りましょう。送ります」
あの人はそう言うけど、私は首を横に振る。
ひとりにしないで。
心の叫びが、私を惑わせる。
P「ちひろさん、お願いします」
ちひろ「わかりました」
ちひろさんは社用車を取りに、事務所を出た。
エアコンの音と、時計の音。
パソコンのうなり。
私とあの人の、息遣い。
すべてのノイズが絡み合い、私は吐き気を催す。
楓「うっ……」
青白い私をかばい、あの人は背中をさする。
ほどなくちひろさんが戻ってきたが、あの人は首を横に振った。
ちひろ「ダメですか」
P「もう少し、落ち着いてからですね」
あの人にもちひろさんにも迷惑をかけている。
私は自分の器の小ささに、大きな罪悪感を感じる。
悔しい。悔しい。
自分で自分の気持ちにけりをつけられないことに、憤りを感じる。
結局、私が落ち着くまで時間がかかり、送ってもらうころにはすっかり夜の闇に包まれていた。
楓「ほんとに、ごめんなさい……」
P「いや、いいんですよ」
お互いになにかを話すこともなく。ただ目的地へ向かう。
心の中に、表現しがたいどろどろを抱えたまま。
753: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/08(火) 13:00:24.42 :u/vrHSbV0
楓「どうぞ、入ってください」
P「……じゃあ」
マンションに着く。部屋がうすら寒い。
楓「今、お茶入れますから」
P「あ、おかまいなく」
会話がぎこちない。どことなくよそよそしいふたり。
P「楓さんすいません。ちょっと電話かけてきます」
そう言ってあの人は廊下へ出た。
こぽこぽと、ティファールからお湯の沸く音。
その光景を、ただぼうっと眺める。
あの記事から抱えていた漠然とした不安が、こうして爆発してしまった。
これからどうしようとか、なぜこうなったとか。あれこれ考える気力がない。
ただ、怖い。
かちっ。お湯が沸いた。
私は急須にお湯を注ごうとするが、うまく注げない。
手が震える。
楓「あつっ」
跳ね上がったお湯が手に当たる。私は驚いてティファールを取り落とした。
がらがらん。お湯がこぼれる。
その音に、あの人があわてて入ってくる。
P「大丈夫ですか!」
楓「……もう……やだ」
私はうずくまったまま絞り出す。
なぜこんな気持ちにならなきゃいけないのか。なぜ責められなきゃいけないのか。
なぜ。
こんな気持ちになっても、アイドルでいなければいけないの?
なにを信じればいいのか、今の私に教えて欲しい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「どうぞ、入ってください」
P「……じゃあ」
マンションに着く。部屋がうすら寒い。
楓「今、お茶入れますから」
P「あ、おかまいなく」
会話がぎこちない。どことなくよそよそしいふたり。
P「楓さんすいません。ちょっと電話かけてきます」
そう言ってあの人は廊下へ出た。
こぽこぽと、ティファールからお湯の沸く音。
その光景を、ただぼうっと眺める。
あの記事から抱えていた漠然とした不安が、こうして爆発してしまった。
これからどうしようとか、なぜこうなったとか。あれこれ考える気力がない。
ただ、怖い。
かちっ。お湯が沸いた。
私は急須にお湯を注ごうとするが、うまく注げない。
手が震える。
楓「あつっ」
跳ね上がったお湯が手に当たる。私は驚いてティファールを取り落とした。
がらがらん。お湯がこぼれる。
その音に、あの人があわてて入ってくる。
P「大丈夫ですか!」
楓「……もう……やだ」
私はうずくまったまま絞り出す。
なぜこんな気持ちにならなきゃいけないのか。なぜ責められなきゃいけないのか。
なぜ。
こんな気持ちになっても、アイドルでいなければいけないの?
なにを信じればいいのか、今の私に教えて欲しい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
758: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/08(火) 17:40:41.45 :76+/f7480
P「楓さん、ほら。少しでも飲んでください」
リビングに座る私に、あの人がスポーツドリンクを差し出す。
あの人は私をリビングへ連れて行き、こぼしたお湯を片付けた。
そして。
すっかりふさぎこんでしまった私に、声をかける。
楓「……」
なにも話す気になれない。
いやだいやだ、と。その思いに囚われる。
そのとき、あの人のスマホに着信音が。
P「はい、Pです。あ、ちひろさん……え?」
P「わかりました。はい。じゃあ、ここで待ってます。はい。では」
いったいどうしたんだろう。
楓「……ちひろさん?」
P「ええ、まあ。あ、これ。飲んでください」
楓「……はい」
あの人はスポーツドリンクを押し付ける。
受け取ったものの、とても飲む気になれない。視線が定まらない。
P「さっき、楓さんを送ったことをちひろさんに連絡したんですが」
P「どうやら、凛がそばにいたみたいで……」
楓「……え?」
P「……事務所を飛び出したそうです」
なぜ? 凛ちゃんが?
たまたま居合わせたタイミングだったとしても、飛び出る理由がない。
楓「どうし、て」
P「……僕にもわかりません」
P「楓さん、ほら。少しでも飲んでください」
リビングに座る私に、あの人がスポーツドリンクを差し出す。
あの人は私をリビングへ連れて行き、こぼしたお湯を片付けた。
そして。
すっかりふさぎこんでしまった私に、声をかける。
楓「……」
なにも話す気になれない。
いやだいやだ、と。その思いに囚われる。
そのとき、あの人のスマホに着信音が。
P「はい、Pです。あ、ちひろさん……え?」
P「わかりました。はい。じゃあ、ここで待ってます。はい。では」
いったいどうしたんだろう。
楓「……ちひろさん?」
P「ええ、まあ。あ、これ。飲んでください」
楓「……はい」
あの人はスポーツドリンクを押し付ける。
受け取ったものの、とても飲む気になれない。視線が定まらない。
P「さっき、楓さんを送ったことをちひろさんに連絡したんですが」
P「どうやら、凛がそばにいたみたいで……」
楓「……え?」
P「……事務所を飛び出したそうです」
なぜ? 凛ちゃんが?
たまたま居合わせたタイミングだったとしても、飛び出る理由がない。
楓「どうし、て」
P「……僕にもわかりません」
759: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/08(火) 17:41:26.27 :76+/f7480
凛ちゃんの突然の行動に、私はさらに混乱する。
自分のことすらままならないのに、凛ちゃんまで。
P「ちひろさんから、楓さんのこと少し聞いたみたいですから」
P「たぶん、こっちに来るんじゃないですかね」
それを聞いて、私はさらに自己嫌悪に陥る。
凛ちゃんまで巻き込んでしまった。私はなんておろかなんだ。
自分のせいではないと理性でわかっていても、心の深くではそれを否定する。
P「とにかく、僕はここで待ちます。なに、凛のことだ。近くまで来れば連絡をよこすでしょう」
心がせめぎあう。
無事に着いて、という気持ちと。お願いだから来ないで、という気持ち。
そんな気持ちもむなしく、部屋のインターホンが鳴る。
楓「……はい」
凛『楓さん! 開けてください!』
なぜ、来たの?
あの人は目をふせて、アプローチを開けるよう促した。
ほどなく、玄関のインターホンが鳴り、あの人がドアを開けた。
楓「凛、ちゃん……」
お願い。今の私を見ないで。
こんな私を……
凛ちゃんは今にも泣きそうな顔で、私を見る。
『見ないで』
そして、そのまま直進し。
『お願い』
凛「楓さん」
私を、強く抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛ちゃんの突然の行動に、私はさらに混乱する。
自分のことすらままならないのに、凛ちゃんまで。
P「ちひろさんから、楓さんのこと少し聞いたみたいですから」
P「たぶん、こっちに来るんじゃないですかね」
それを聞いて、私はさらに自己嫌悪に陥る。
凛ちゃんまで巻き込んでしまった。私はなんておろかなんだ。
自分のせいではないと理性でわかっていても、心の深くではそれを否定する。
P「とにかく、僕はここで待ちます。なに、凛のことだ。近くまで来れば連絡をよこすでしょう」
心がせめぎあう。
無事に着いて、という気持ちと。お願いだから来ないで、という気持ち。
そんな気持ちもむなしく、部屋のインターホンが鳴る。
楓「……はい」
凛『楓さん! 開けてください!』
なぜ、来たの?
あの人は目をふせて、アプローチを開けるよう促した。
ほどなく、玄関のインターホンが鳴り、あの人がドアを開けた。
楓「凛、ちゃん……」
お願い。今の私を見ないで。
こんな私を……
凛ちゃんは今にも泣きそうな顔で、私を見る。
『見ないで』
そして、そのまま直進し。
『お願い』
凛「楓さん」
私を、強く抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
766: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/11(金) 13:54:23.53 :6zJBbnnU0
凛「Pさん、どういうこと?」
凛ちゃんがあの人を強く問い詰める。
P「いや、僕のミスだ。すまん……」
あの人はそうとしか返せない。
凛ちゃんは、なかなか私を離してくれなかった。
気持ちはありがたいのだろうけど、そのときの私は、ただとまどうだけ。
あの人が私たちをリビングに誘導する。
そして、現在。
凛「ミスじゃわからないよ。だからどういうことなの?」
あの人はため息ひとつ。
P「不幸チェックを怠った僕のミス。そういうことだ」
凛「……ああ」
凛ちゃんはなんとなく理解したようだ。
不幸の手紙。
私たちアイドルに送られてくるファンレターの中には、変なものもいくらか含まれている。
そういうものを、『不幸の手紙』などと揶揄している。
不幸の手紙はあらかじめ、事務所スタッフがチェックを入れる。
そう。
私は事前チェックをする前のファンレターを、うっかり読んでしまった。
頭ではわかっている。そんな手紙など些末なものなのだ、と。
でも、あの赤の衝撃。
肉筆の手紙が、私を震え上がらせた。
凛「Pさん、どういうこと?」
凛ちゃんがあの人を強く問い詰める。
P「いや、僕のミスだ。すまん……」
あの人はそうとしか返せない。
凛ちゃんは、なかなか私を離してくれなかった。
気持ちはありがたいのだろうけど、そのときの私は、ただとまどうだけ。
あの人が私たちをリビングに誘導する。
そして、現在。
凛「ミスじゃわからないよ。だからどういうことなの?」
あの人はため息ひとつ。
P「不幸チェックを怠った僕のミス。そういうことだ」
凛「……ああ」
凛ちゃんはなんとなく理解したようだ。
不幸の手紙。
私たちアイドルに送られてくるファンレターの中には、変なものもいくらか含まれている。
そういうものを、『不幸の手紙』などと揶揄している。
不幸の手紙はあらかじめ、事務所スタッフがチェックを入れる。
そう。
私は事前チェックをする前のファンレターを、うっかり読んでしまった。
頭ではわかっている。そんな手紙など些末なものなのだ、と。
でも、あの赤の衝撃。
肉筆の手紙が、私を震え上がらせた。
767: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/11(金) 13:54:52.58 :6zJBbnnU0
凛「楓さん、気にしたら負けだから……」
楓「……」
わかってる。わかってるの。
でも、一度刺された痛みは、そう簡単に忘れられるものじゃない。
凛ちゃんは私に寄り添い、気を遣ってくれる。
その心遣いが、今は痛い。
P「凛が心配することもわかる。……そうだな、この機会に少し話しておこう」
あの人は、今おかれている現状を語りだす。
凛は楓さんの記事のこと、知ってるよな?
まあうちとしては、嵐が過ぎるのを待っていたわけだが……
そこへ、奴さんの『ノーコメント』発言だ。
どうやら、あちらの女性ファンの反感を買ったらしい。楓さんに対してな。
不幸の手紙は、こういう仕事をやってる以上、多少は送られてくる。仕方ないさ。
人気商売だからな。
ただ。今回は明らかに数が増えた。
僕とちひろさんでチェックをやってたけど、ちょっとな。明らかにおかしいのも増えてな。
まあ、犯罪すれすれってやつだな。
楓さんも聞いてください。
今回のような手紙は、まだ軽いほうです。
でも、軽い重いの問題じゃない。今こうして楓さんがつらくなってるというのは、そういうことです。
僕のミスです。ほんとうにごめんなさい。
このことは、僕が責任を取るとか、そういうレベルに収まらないので、事務所のみんなでフォローします。
凛も、心配かけてすまない。
僕にもフォローできる限界はあるかもしれない。ちひろさんだってそうだ。
都合のいいお願いではあるけど、楓さんをフォローしてあげて欲しい。
楓さん。他人事だからこんなこと言えると、そう思うかもしれない。
実際、楓さんのつらさ、わかっていないかもしれない。
でも。
P「僕も、僕なりにできることをします」
P「頼ってください。楓さん」
凛「楓さん、気にしたら負けだから……」
楓「……」
わかってる。わかってるの。
でも、一度刺された痛みは、そう簡単に忘れられるものじゃない。
凛ちゃんは私に寄り添い、気を遣ってくれる。
その心遣いが、今は痛い。
P「凛が心配することもわかる。……そうだな、この機会に少し話しておこう」
あの人は、今おかれている現状を語りだす。
凛は楓さんの記事のこと、知ってるよな?
まあうちとしては、嵐が過ぎるのを待っていたわけだが……
そこへ、奴さんの『ノーコメント』発言だ。
どうやら、あちらの女性ファンの反感を買ったらしい。楓さんに対してな。
不幸の手紙は、こういう仕事をやってる以上、多少は送られてくる。仕方ないさ。
人気商売だからな。
ただ。今回は明らかに数が増えた。
僕とちひろさんでチェックをやってたけど、ちょっとな。明らかにおかしいのも増えてな。
まあ、犯罪すれすれってやつだな。
楓さんも聞いてください。
今回のような手紙は、まだ軽いほうです。
でも、軽い重いの問題じゃない。今こうして楓さんがつらくなってるというのは、そういうことです。
僕のミスです。ほんとうにごめんなさい。
このことは、僕が責任を取るとか、そういうレベルに収まらないので、事務所のみんなでフォローします。
凛も、心配かけてすまない。
僕にもフォローできる限界はあるかもしれない。ちひろさんだってそうだ。
都合のいいお願いではあるけど、楓さんをフォローしてあげて欲しい。
楓さん。他人事だからこんなこと言えると、そう思うかもしれない。
実際、楓さんのつらさ、わかっていないかもしれない。
でも。
P「僕も、僕なりにできることをします」
P「頼ってください。楓さん」
768: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/11(金) 13:55:47.13 :6zJBbnnU0
あの人が懸命なのもわかる。凛ちゃんが心配してくれてるのもわかる。
でも、そうじゃない。
楓「あ、あの……」
楓「ほんとに、ごめんなさい……私が、巻き込んでしまって……」
凛「……」
凛ちゃんの顔色が変わる。
凛「ばか! 楓さんのばか!」
凛ちゃんが私の両肩をがしりとつかむ。その勢いに私はたじろいだ。
凛「いったい楓さんがなにをしたって言うの! なにも悪いことしてないじゃない!」
凛「楓さんが謝ることじゃない! なにひとりで抱えるの!」
凛「どうして!? ねえ、楓さんどうして!?」
そう言うと凛ちゃんは、声をあげて泣き出した。
あの人は、その姿を見て苦虫をかんだような顔をする。
P「凛の言うとおり。楓さんはなにも悪くないです」
P「むしろ謝るのは、僕のほうですから」
楓「でも……」
ネガティブになっている私は、自分の至らなさを探す。
そんなことをしても、なんにもならないというのに。
凛「Pさん……私、今日泊まってく」
P「え?」
突然、凛ちゃんが言い出す。
P「おい、お前明日仕事あるんじゃないのか?」
凛「大丈夫! 大丈夫だから……」
凛「楓さんも……お願い……」
返答に困る。
ひとりでいたくないけど、大事な人たちを巻き込むのはいやだ。
矛盾した想いを抱えて、私はどうしたいんだ。
P「まったく……スケジュール確認しておく」
P「僕も泊まる。それでいいなら」
凛「Pさん……うん、それでいい」
P「今の楓さんをひとりにするには忍びないですから。否は、なしで」
決断できない私に、あの人は告げた。
アンバランスな三人が迎える、夜。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの人が懸命なのもわかる。凛ちゃんが心配してくれてるのもわかる。
でも、そうじゃない。
楓「あ、あの……」
楓「ほんとに、ごめんなさい……私が、巻き込んでしまって……」
凛「……」
凛ちゃんの顔色が変わる。
凛「ばか! 楓さんのばか!」
凛ちゃんが私の両肩をがしりとつかむ。その勢いに私はたじろいだ。
凛「いったい楓さんがなにをしたって言うの! なにも悪いことしてないじゃない!」
凛「楓さんが謝ることじゃない! なにひとりで抱えるの!」
凛「どうして!? ねえ、楓さんどうして!?」
そう言うと凛ちゃんは、声をあげて泣き出した。
あの人は、その姿を見て苦虫をかんだような顔をする。
P「凛の言うとおり。楓さんはなにも悪くないです」
P「むしろ謝るのは、僕のほうですから」
楓「でも……」
ネガティブになっている私は、自分の至らなさを探す。
そんなことをしても、なんにもならないというのに。
凛「Pさん……私、今日泊まってく」
P「え?」
突然、凛ちゃんが言い出す。
P「おい、お前明日仕事あるんじゃないのか?」
凛「大丈夫! 大丈夫だから……」
凛「楓さんも……お願い……」
返答に困る。
ひとりでいたくないけど、大事な人たちを巻き込むのはいやだ。
矛盾した想いを抱えて、私はどうしたいんだ。
P「まったく……スケジュール確認しておく」
P「僕も泊まる。それでいいなら」
凛「Pさん……うん、それでいい」
P「今の楓さんをひとりにするには忍びないですから。否は、なしで」
決断できない私に、あの人は告げた。
アンバランスな三人が迎える、夜。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
776: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/15(火) 17:50:37.35 :tFive59x0
凛「楓さん、寝ちゃいました?」
凛ちゃんが語りかける。
以前もこんなことがあったっけ。女子会のときか。
あの時は楽しかったなあ。
楓「……ううん」
男女が同室で、というのもまずかろうと。あの人は別の部屋で休んでいる。
いまさらという気もするけど。
凛「眠れそうです?」
楓「……無理みたい」
凛ちゃんはふうと、ため息をひとつ。
凛「いっそのこと、一緒に住んじゃえばいいのに」
楓「そうね。そうしたいのは山々だけどね」
私に自虐的な笑みが漏れる。
凛「Pさんのこと、もっとオープンになっていれば、こんなことにならなかったんじゃ」
楓「そうかな。うん、そうかもしれないけど」
楓「でも『たられば』の話だもん。意味ないと思う」
凛「そんなこと! ……ない、です」
少し声を荒げてしまった凛ちゃん。その勢いはすぐにしぼむ。
凛「楓さんは以前、自分とPさんのために引退するって、言ってましたよね」
楓「ええ」
凛「その気持ち、変わりませんか?」
私は少し考えて、答える。
楓「うん、変わってない」
凛「……そっかあ」
外は物音ひとつしない。ひょっとしたら雪が降ってるかもしれない。
凛「楓さん。こんなことがあって、アイドルいやになったりしません?」
楓「うーん、どうだろう」
頭の中はまったく整理されていない。けど。
思ったことを、思ったままに。
楓「ままならないなあと思うことはいっぱいあるけど、ファンの応援もそれ以上にもらってるし」
楓「いやだ、辞めたいって。そうは思わないかな」
凛「楓さん、寝ちゃいました?」
凛ちゃんが語りかける。
以前もこんなことがあったっけ。女子会のときか。
あの時は楽しかったなあ。
楓「……ううん」
男女が同室で、というのもまずかろうと。あの人は別の部屋で休んでいる。
いまさらという気もするけど。
凛「眠れそうです?」
楓「……無理みたい」
凛ちゃんはふうと、ため息をひとつ。
凛「いっそのこと、一緒に住んじゃえばいいのに」
楓「そうね。そうしたいのは山々だけどね」
私に自虐的な笑みが漏れる。
凛「Pさんのこと、もっとオープンになっていれば、こんなことにならなかったんじゃ」
楓「そうかな。うん、そうかもしれないけど」
楓「でも『たられば』の話だもん。意味ないと思う」
凛「そんなこと! ……ない、です」
少し声を荒げてしまった凛ちゃん。その勢いはすぐにしぼむ。
凛「楓さんは以前、自分とPさんのために引退するって、言ってましたよね」
楓「ええ」
凛「その気持ち、変わりませんか?」
私は少し考えて、答える。
楓「うん、変わってない」
凛「……そっかあ」
外は物音ひとつしない。ひょっとしたら雪が降ってるかもしれない。
凛「楓さん。こんなことがあって、アイドルいやになったりしません?」
楓「うーん、どうだろう」
頭の中はまったく整理されていない。けど。
思ったことを、思ったままに。
楓「ままならないなあと思うことはいっぱいあるけど、ファンの応援もそれ以上にもらってるし」
楓「いやだ、辞めたいって。そうは思わないかな」
777: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/15(火) 17:51:13.03 :tFive59x0
凛「……よかった」
凛ちゃんはほっとしたような声を出した。
楓「なんか逆に心配かけてごめんね。こんなに打たれ弱いなんて、思わなかった」
凛「ううん! いいんです。あれで平気でいられる人なんていないし。ただ」
楓「ただ?」
凛「楓さんが、アイドルそのものに嫌気がさしたんじゃないかな、って」
凛ちゃんの声がか細くなる。
楓「うーん。まだ頭の中がぐらぐらして、自分でもよくわからないんだけど」
楓「こんな思いをしてまでって、それは正直感じた」
凛「……」
楓「ちょっとね、自分には向いてないのかな、なんてね」
凛「そ、そんなことない、です」
楓「凛ちゃん、心配してくれてありがと」
凛「いえ」
楓「もちろん、ファンあっての自分だし、これからもがんばっていくつもり。だけど」
楓「今までのようには、楽しめないかなって、思う」
凛「……」
楓「ごめんね。今日はちょっとナーバスになってるだけ! 大丈夫。大丈夫だから……」
凛「……」
言葉が続かないふたり。しばしの沈黙。
ふと、凛ちゃんがこっちを見てる、気がした。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「私、ここしばらく考えてました」
楓「考えた?」
凛「私は、どうしたいんだろう、って」
小さい声だけど、なにかを決めた雰囲気。
そして。
凛「楓さん。私」
凛「楓さんに引導を渡します」
え?
楓「凛、ちゃん?」
凛「楓さんを、過去の人に、します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「……よかった」
凛ちゃんはほっとしたような声を出した。
楓「なんか逆に心配かけてごめんね。こんなに打たれ弱いなんて、思わなかった」
凛「ううん! いいんです。あれで平気でいられる人なんていないし。ただ」
楓「ただ?」
凛「楓さんが、アイドルそのものに嫌気がさしたんじゃないかな、って」
凛ちゃんの声がか細くなる。
楓「うーん。まだ頭の中がぐらぐらして、自分でもよくわからないんだけど」
楓「こんな思いをしてまでって、それは正直感じた」
凛「……」
楓「ちょっとね、自分には向いてないのかな、なんてね」
凛「そ、そんなことない、です」
楓「凛ちゃん、心配してくれてありがと」
凛「いえ」
楓「もちろん、ファンあっての自分だし、これからもがんばっていくつもり。だけど」
楓「今までのようには、楽しめないかなって、思う」
凛「……」
楓「ごめんね。今日はちょっとナーバスになってるだけ! 大丈夫。大丈夫だから……」
凛「……」
言葉が続かないふたり。しばしの沈黙。
ふと、凛ちゃんがこっちを見てる、気がした。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「私、ここしばらく考えてました」
楓「考えた?」
凛「私は、どうしたいんだろう、って」
小さい声だけど、なにかを決めた雰囲気。
そして。
凛「楓さん。私」
凛「楓さんに引導を渡します」
え?
楓「凛、ちゃん?」
凛「楓さんを、過去の人に、します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
786: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/28(月) 12:20:09.15 :qV0oWsst0
彼女は何を言ったの? 私の意識が、言葉を遠ざける。
凛「楓さん」
その一言で、私は現実に戻る。
楓「どうし、て……」
なぜ、そう言わねばならないのか。凛ちゃんの想いが伝わらない。
凛「そう、決めたんです」
楓「なん……で……」
凛ちゃんがわからない。私は急激に不安になる。
私は起き上がり。そして。
言ってはならない言葉をぶつけてしまった。
楓「凛ちゃん……私のこと、嫌いになった?」
凛「……」
刹那が果てしなく長く感じる。
彼女は同じように起き上がり、叫んだ。
凛「そんなわけないじゃないですか!!」
凛ちゃんは私に抱きつく。
凛「なんで……なんで楓さんを嫌いになんかなるんですか」
凛「私は……私だって……いろいろ考えたんです」
手に力がこめられる。
その強さに、私はとまどう。
凛「いろいろ考えて……これしかなかったんです」
凛ちゃんの込める力に、その言葉に偽りがないことは理解できた。
しかし。
自分の不安との折り合いが、つかないのだ。
そのとき、部屋の明かりがつく。
P「眠れませんか?」
あの人が隣の部屋から起きて。
凛「Pさん!」
凛ちゃんはあの人に訴えかけるような目を向けた。
凛「私、どうしたらいい?」
凛「楓さんに、安心してPさんと一緒になってほしいのに……」
楓「凛ちゃん……」
P「凛……」
凛ちゃんの想いがこだまする。
これほど真剣に、私たちのことを思ってくれているのに。
私は己の心の狭さと、抱える不安な気持ちに挟まれ、呆然とする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女は何を言ったの? 私の意識が、言葉を遠ざける。
凛「楓さん」
その一言で、私は現実に戻る。
楓「どうし、て……」
なぜ、そう言わねばならないのか。凛ちゃんの想いが伝わらない。
凛「そう、決めたんです」
楓「なん……で……」
凛ちゃんがわからない。私は急激に不安になる。
私は起き上がり。そして。
言ってはならない言葉をぶつけてしまった。
楓「凛ちゃん……私のこと、嫌いになった?」
凛「……」
刹那が果てしなく長く感じる。
彼女は同じように起き上がり、叫んだ。
凛「そんなわけないじゃないですか!!」
凛ちゃんは私に抱きつく。
凛「なんで……なんで楓さんを嫌いになんかなるんですか」
凛「私は……私だって……いろいろ考えたんです」
手に力がこめられる。
その強さに、私はとまどう。
凛「いろいろ考えて……これしかなかったんです」
凛ちゃんの込める力に、その言葉に偽りがないことは理解できた。
しかし。
自分の不安との折り合いが、つかないのだ。
そのとき、部屋の明かりがつく。
P「眠れませんか?」
あの人が隣の部屋から起きて。
凛「Pさん!」
凛ちゃんはあの人に訴えかけるような目を向けた。
凛「私、どうしたらいい?」
凛「楓さんに、安心してPさんと一緒になってほしいのに……」
楓「凛ちゃん……」
P「凛……」
凛ちゃんの想いがこだまする。
これほど真剣に、私たちのことを思ってくれているのに。
私は己の心の狭さと、抱える不安な気持ちに挟まれ、呆然とする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
791: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/29(火) 17:50:51.56 :fvAZ1fnq0
P「とりあえず、これでも飲んで」
ことり。テーブルにマグカップが2つ。
あの人はホットミルクを用意してくれた。
凛「Pさん」
楓「ありがとう、ございます」
湯気の向こうに見えるあの人の笑顔が、私を落ち着かせる。
P「で? どういうことです?」
あの人が切り出す。
しかし。なんと言ったらいいものか。
私が躊躇していると、凛ちゃんが。
凛「私が、楓さんを困らせた……」
P「ほう。なにか言ったのか?」
凛「私が、楓さんに引導を渡すって、言ったから」
そうだ。無意識に遠ざけていた言葉がよみがえる。
でも、その言葉には理由がきっとある。
凛ちゃんの想いの深さを知り、少しだけ冷静になった今なら、そう思える。
P「引導、ねえ。まあ穏やかな言葉じゃあ、ないわな」
凛「でも!」
P「でも?」
凛「なんかこう、あてはまる言葉が見つからなくて、その」
凛「ごめん、なさい」
そう言って凛ちゃんはうなだれた。
P「いや、謝るのは今じゃなかろう? なんでその言葉になったか、その理由が知りたいな」
あの人は少しずつ解きほぐすように、凛ちゃんに語る。
その雰囲気に誘導され、凛ちゃんが少しずつ話し出した。
凛「私、楓さんに降りかかったゴシップが許せなかった」
P「とりあえず、これでも飲んで」
ことり。テーブルにマグカップが2つ。
あの人はホットミルクを用意してくれた。
凛「Pさん」
楓「ありがとう、ございます」
湯気の向こうに見えるあの人の笑顔が、私を落ち着かせる。
P「で? どういうことです?」
あの人が切り出す。
しかし。なんと言ったらいいものか。
私が躊躇していると、凛ちゃんが。
凛「私が、楓さんを困らせた……」
P「ほう。なにか言ったのか?」
凛「私が、楓さんに引導を渡すって、言ったから」
そうだ。無意識に遠ざけていた言葉がよみがえる。
でも、その言葉には理由がきっとある。
凛ちゃんの想いの深さを知り、少しだけ冷静になった今なら、そう思える。
P「引導、ねえ。まあ穏やかな言葉じゃあ、ないわな」
凛「でも!」
P「でも?」
凛「なんかこう、あてはまる言葉が見つからなくて、その」
凛「ごめん、なさい」
そう言って凛ちゃんはうなだれた。
P「いや、謝るのは今じゃなかろう? なんでその言葉になったか、その理由が知りたいな」
あの人は少しずつ解きほぐすように、凛ちゃんに語る。
その雰囲気に誘導され、凛ちゃんが少しずつ話し出した。
凛「私、楓さんに降りかかったゴシップが許せなかった」
792: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/29(火) 17:51:49.25 :fvAZ1fnq0
私、本当のことを言ってしまいたいって、今も思ってる。
でも、我慢してる。誰も得しないから。マネージャーや奈緒にも止められてるし。
嵐が過ぎればいいって、それだけ思ってた。
悪意のあるファンレターは、私のところにも来てるだろうことはわかってる。
事務所のみんなが押さえてくれてるだろうって。
でもあの手紙を見たら、なにか抑えきれなくなって。勢いでここまで来ちゃったけど、結局やれることなんかなくて。
私は、なにができるだろうっていうの、思い出した。
凛「私は、楓さんに安心して引退してほしいんだ」
楓さんのツアーにゲストで出てから、なにか心に引っかかってたの。
そして楓さんから引退の言葉を聞いて、なにかが宙ぶらりんになった感じがして。
それってなんだろう? って。
やっと気づいたんだ。私は、認められたいんだって。
楓さんにも、Pさんにも。
だから、奈緒にも加蓮にも話をした。ソロをやりたいって。
自分が大きくなって、楓さんに『渋谷凛にはかなわない』『これで安心して引退できる』って思ってもらえるくらい。
がんばろう、って。
凛「楓さんは大事な人で、いちばんのライバル。負けたくないし、喜ばれたい」
凛「だから、汚い言葉かもしれないけど、『引導』なんだ」
楓「……」
凛「高垣楓という存在が埋もれてしまうくらい、自分を高めたい」
凛「だから、負けません」
なんということだろう。
凛ちゃんは、私のはるか先を見つめ、そこへ進もうとしている。私などでは太刀打ちできないくらいに。
この時点でもはや、かなわないと思っている自分を押し殺す。
今言うべき言葉じゃない。凛ちゃんに失礼だ。
彼女の射るような瞳に、私の心が触れる。
私もプロなのだ。最後は華々しくあれ、と。
凛「楓さん。挑発するようなことを言ってごめんなさい。でも」
凛「今言わなきゃ、楓さんがいなくなってしまう気がして……」
楓「……うん」
私、本当のことを言ってしまいたいって、今も思ってる。
でも、我慢してる。誰も得しないから。マネージャーや奈緒にも止められてるし。
嵐が過ぎればいいって、それだけ思ってた。
悪意のあるファンレターは、私のところにも来てるだろうことはわかってる。
事務所のみんなが押さえてくれてるだろうって。
でもあの手紙を見たら、なにか抑えきれなくなって。勢いでここまで来ちゃったけど、結局やれることなんかなくて。
私は、なにができるだろうっていうの、思い出した。
凛「私は、楓さんに安心して引退してほしいんだ」
楓さんのツアーにゲストで出てから、なにか心に引っかかってたの。
そして楓さんから引退の言葉を聞いて、なにかが宙ぶらりんになった感じがして。
それってなんだろう? って。
やっと気づいたんだ。私は、認められたいんだって。
楓さんにも、Pさんにも。
だから、奈緒にも加蓮にも話をした。ソロをやりたいって。
自分が大きくなって、楓さんに『渋谷凛にはかなわない』『これで安心して引退できる』って思ってもらえるくらい。
がんばろう、って。
凛「楓さんは大事な人で、いちばんのライバル。負けたくないし、喜ばれたい」
凛「だから、汚い言葉かもしれないけど、『引導』なんだ」
楓「……」
凛「高垣楓という存在が埋もれてしまうくらい、自分を高めたい」
凛「だから、負けません」
なんということだろう。
凛ちゃんは、私のはるか先を見つめ、そこへ進もうとしている。私などでは太刀打ちできないくらいに。
この時点でもはや、かなわないと思っている自分を押し殺す。
今言うべき言葉じゃない。凛ちゃんに失礼だ。
彼女の射るような瞳に、私の心が触れる。
私もプロなのだ。最後は華々しくあれ、と。
凛「楓さん。挑発するようなことを言ってごめんなさい。でも」
凛「今言わなきゃ、楓さんがいなくなってしまう気がして……」
楓「……うん」
793: ◆eBIiXi2191ZO:2013/10/29(火) 17:52:31.69 :fvAZ1fnq0
凛「Pさん、お願いがあるの」
P「ん? なんだ?」
凛「楓さんとデュオで、なにかやらせて。……ううん」
凛「なにかじゃない。うん。ツアー」
凛「ふたりで、ツアーをしたい」
P「……そっか」
凛「思いつきでできないことなんてわかってる。でも」
凛「たぶん、ラストチャンスだと、思うから」
彼女の口からついて出た『ツアー』の一言。私の心に灯りがともる。
楓「凛ちゃん」
凛「はい」
楓「ありがとう。そんなに私のこと、評価してくれて」
凛「いえ、当たり前の評価だと思います」
楓「……今、こんなふがいない私で、正直凛ちゃんになぜ評価されているのか、わからない」
楓「でも。ただで負けるつもりはない」
凛「……」
楓「やりましょう。……Pさん、やらせてください」
凛ちゃんと私、ふたりに見つめられたあの人は、気まずそうにしている。
そして。
P「まったく、困った人たちだなあ」
P「わかりました。ええ。僕も魂込めてやらせてもらますよ」
そう言って苦笑いした。
凛ちゃんと私と、あの人。ホットミルクがつなぐ、三人の密やかな企み。
私のラストワンマイルが、始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「Pさん、お願いがあるの」
P「ん? なんだ?」
凛「楓さんとデュオで、なにかやらせて。……ううん」
凛「なにかじゃない。うん。ツアー」
凛「ふたりで、ツアーをしたい」
P「……そっか」
凛「思いつきでできないことなんてわかってる。でも」
凛「たぶん、ラストチャンスだと、思うから」
彼女の口からついて出た『ツアー』の一言。私の心に灯りがともる。
楓「凛ちゃん」
凛「はい」
楓「ありがとう。そんなに私のこと、評価してくれて」
凛「いえ、当たり前の評価だと思います」
楓「……今、こんなふがいない私で、正直凛ちゃんになぜ評価されているのか、わからない」
楓「でも。ただで負けるつもりはない」
凛「……」
楓「やりましょう。……Pさん、やらせてください」
凛ちゃんと私、ふたりに見つめられたあの人は、気まずそうにしている。
そして。
P「まったく、困った人たちだなあ」
P「わかりました。ええ。僕も魂込めてやらせてもらますよ」
そう言って苦笑いした。
凛ちゃんと私と、あの人。ホットミルクがつなぐ、三人の密やかな企み。
私のラストワンマイルが、始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
798: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:37:50.83 :FBIWJPwz0
ちひろ「楓さん、おはようございます」
楓「おはようございます、ちひろさん。今日も寒いですね」
季節は2月。今年の東京はいつになく雪を見かける。
私もブーツを新調した。気分転換だ。
新年に受けた衝撃を、私はまだ引きずっている。
凛ちゃんとデュオツアーをやりたいと、あの人は社長はじめ経営陣にプレゼンした。
それは意外とあっさり通ったのだけど。
私の体調と心が、問題だった。
あれからしばらく、凛ちゃんが部屋に泊まりに来てくれたり、いろいろフォローをしてくれた。
とてもありがたい。感謝してもしきれない。
でも、彼女はソロ活動に立ち位置を動かすため、いろいろな雑務が多くなる。
松が明けたころには、私はまたひとり。
怖い。今まで寂しさを感じることはあったけど、怖いと思ったことは、なかった。
私は、なんて弱い女になってしまったのか。
楓「Pさん」
P「はい?」
楓「今晩、一緒にいてもいいですか?」
私は、あの人の部屋へたびたび訪れ、ぬくもりをむさぼった。
あまりの恐怖に、どうにかなってしまいそうなのだ。
アイドルとして、とても脇が甘く危うい状態であったに違いない。
しかしあの人は、そんな私になにか言うこともなく、ただひたすらに私に与えてくれた。
そうして、ようやくひと月。
仕事はしているものの、どこか浮ついている。
ちひろ「眠そうですけど、大丈夫ですか?」
楓「ええ、大丈夫です」
嘘ばっかり。
まだ眠りが浅く、たまにうなされることもある。
あの人はたぶん、ちひろさんにも私の状態を話しているだろう。
ちひろさんは、それをわかっていて気遣ってくれてるのだ。
ちひろ「……無理は禁物ですからね?」
楓「肝に銘じておきます」
ちひろ「楓さん、おはようございます」
楓「おはようございます、ちひろさん。今日も寒いですね」
季節は2月。今年の東京はいつになく雪を見かける。
私もブーツを新調した。気分転換だ。
新年に受けた衝撃を、私はまだ引きずっている。
凛ちゃんとデュオツアーをやりたいと、あの人は社長はじめ経営陣にプレゼンした。
それは意外とあっさり通ったのだけど。
私の体調と心が、問題だった。
あれからしばらく、凛ちゃんが部屋に泊まりに来てくれたり、いろいろフォローをしてくれた。
とてもありがたい。感謝してもしきれない。
でも、彼女はソロ活動に立ち位置を動かすため、いろいろな雑務が多くなる。
松が明けたころには、私はまたひとり。
怖い。今まで寂しさを感じることはあったけど、怖いと思ったことは、なかった。
私は、なんて弱い女になってしまったのか。
楓「Pさん」
P「はい?」
楓「今晩、一緒にいてもいいですか?」
私は、あの人の部屋へたびたび訪れ、ぬくもりをむさぼった。
あまりの恐怖に、どうにかなってしまいそうなのだ。
アイドルとして、とても脇が甘く危うい状態であったに違いない。
しかしあの人は、そんな私になにか言うこともなく、ただひたすらに私に与えてくれた。
そうして、ようやくひと月。
仕事はしているものの、どこか浮ついている。
ちひろ「眠そうですけど、大丈夫ですか?」
楓「ええ、大丈夫です」
嘘ばっかり。
まだ眠りが浅く、たまにうなされることもある。
あの人はたぶん、ちひろさんにも私の状態を話しているだろう。
ちひろさんは、それをわかっていて気遣ってくれてるのだ。
ちひろ「……無理は禁物ですからね?」
楓「肝に銘じておきます」
799: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:38:59.57 :mkYWp9AD0
ちひろ「今日は?」
楓「えっと、社長に呼ばれたので……」
社長が「ちょっとお話がありますので」と、相変わらずのはぐらかすような言い方で私を呼びつけた。
たぶん、あの人もいるだろう。
すると。
凛「おはようございます……あ、楓さん」
楓「凛ちゃん、おはよ」
凛「楓さん、今日仕事でしたっけ?」
楓「ん? えっと、社長に呼ばれて、ね」
凛「え?」
楓「え?」
凛ちゃんはちょっと驚いている。
凛「楓さんも、ですか?」
楓「凛ちゃんも?」
お互いの顔を見合わせ、そして腑に落ちた。
なるほど、例のツアーがらみだろう。おそらく。
楓「ふふっ、楽しみね」
そう作り笑顔で応えると、凛ちゃんは複雑そうな顔をする。
凛「え、ええ。楽しみですけ、ど」
凛「楓さん、大丈夫ですか?」
彼女はそう言った。
年明けの例の件から、私の様子をあの人の次によく知っている凛ちゃんだ。
本当に心配で仕方がないのだろう。
楓「こうして仕事もこなしてるし。うん、大丈夫大丈夫」
そうは答えるものの、凛ちゃんには見透かされているだろうな。
ちひろ「寒いからこれ、どうぞ」
ちひろさんは、難しい顔をしているだろう私たちに、ホットレモネードを出してくれる。
凛「これ、ちひろさんが作ったんですか?」
ちひろ「私は、こんなことくらいしかお手伝いできないし」
そう言ってちひろさんは、社長室へ連絡をした。
ちひろ「今日は?」
楓「えっと、社長に呼ばれたので……」
社長が「ちょっとお話がありますので」と、相変わらずのはぐらかすような言い方で私を呼びつけた。
たぶん、あの人もいるだろう。
すると。
凛「おはようございます……あ、楓さん」
楓「凛ちゃん、おはよ」
凛「楓さん、今日仕事でしたっけ?」
楓「ん? えっと、社長に呼ばれて、ね」
凛「え?」
楓「え?」
凛ちゃんはちょっと驚いている。
凛「楓さんも、ですか?」
楓「凛ちゃんも?」
お互いの顔を見合わせ、そして腑に落ちた。
なるほど、例のツアーがらみだろう。おそらく。
楓「ふふっ、楽しみね」
そう作り笑顔で応えると、凛ちゃんは複雑そうな顔をする。
凛「え、ええ。楽しみですけ、ど」
凛「楓さん、大丈夫ですか?」
彼女はそう言った。
年明けの例の件から、私の様子をあの人の次によく知っている凛ちゃんだ。
本当に心配で仕方がないのだろう。
楓「こうして仕事もこなしてるし。うん、大丈夫大丈夫」
そうは答えるものの、凛ちゃんには見透かされているだろうな。
ちひろ「寒いからこれ、どうぞ」
ちひろさんは、難しい顔をしているだろう私たちに、ホットレモネードを出してくれる。
凛「これ、ちひろさんが作ったんですか?」
ちひろ「私は、こんなことくらいしかお手伝いできないし」
そう言ってちひろさんは、社長室へ連絡をした。
800: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:39:45.74 :mkYWp9AD0
社長「ああ、ふたりともそろったんですね。じゃあ、話をしましょうか」
社長は部屋から出てくると、私たちを招き入れる。
社長室にはあの人もいた。
社長「さて、おふたりのその表情を見ると、私の話がどういうものかお分かりのようですね」
私たちふたりが呼ばれたということは、きっとそういうことだろうとは思っても。
それは確信ではない。
社長「そうですね。ひとつは、ご想像のとおりです」
ひとつは?
軽い驚きを覚え口を開こうとすると、凛ちゃんが先に。
凛「ひとつは? ですか?」
社長はうなずき、続きを口にする。
社長「ええ、もうひとつあります」
楓「ふたつ、ということですか」
社長「その通りです。ひとつはデュオのこと、そしてもうひとつは」
社長は私に、左手を差し出すように向けた。
社長「高垣さんの引退について、です」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
社長「ああ、ふたりともそろったんですね。じゃあ、話をしましょうか」
社長は部屋から出てくると、私たちを招き入れる。
社長室にはあの人もいた。
社長「さて、おふたりのその表情を見ると、私の話がどういうものかお分かりのようですね」
私たちふたりが呼ばれたということは、きっとそういうことだろうとは思っても。
それは確信ではない。
社長「そうですね。ひとつは、ご想像のとおりです」
ひとつは?
軽い驚きを覚え口を開こうとすると、凛ちゃんが先に。
凛「ひとつは? ですか?」
社長はうなずき、続きを口にする。
社長「ええ、もうひとつあります」
楓「ふたつ、ということですか」
社長「その通りです。ひとつはデュオのこと、そしてもうひとつは」
社長は私に、左手を差し出すように向けた。
社長「高垣さんの引退について、です」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
801: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:40:36.97 :mkYWp9AD0
凛「えっと……あの……」
私の引退。
凛ちゃんも個人的に知っていることとはいえ、なぜ一緒に。
凛「私が一緒に聞いても、いいんですか?」
社長「ええ。ここしばらくの高垣さんをサポートしてくれたのは、渋谷さんだと伺いまして」
社長はあの人に目線を向け、あの人は軽くうなずいた。
凛ちゃんはふたつめの驚きに、少し戸惑ってる。
凛「そう、ですか。引退、なんですね」
そう言って彼女は目を伏せた。
知っていたこととはいえ、社長から直接言葉にされたことで、それが近い現実であると気づいたのだろう。
楓「あの、それでいつ」
社長「まあ、それは座って話をしましょうか」
社長は応接ソファーに私たちを誘導した。
応接セットを囲んで、私と凛ちゃんが隣り合い、社長とあの人が向かいに。
社長「さて、と。まずなにから話をしますかね」
社長はあの人の用意したレジュメに目を向ける。
あの人の内線コールで、ちひろさんが飲み物を持ってやってきた。
社長「ああ、千川さんも残ってください。大事なことです」
ちひろ「わかりました」
ちひろさんは折りたたみ椅子を出して、少し離れて座る。
社長「まず、引退の話からしましょうか」
凛「えっと……あの……」
私の引退。
凛ちゃんも個人的に知っていることとはいえ、なぜ一緒に。
凛「私が一緒に聞いても、いいんですか?」
社長「ええ。ここしばらくの高垣さんをサポートしてくれたのは、渋谷さんだと伺いまして」
社長はあの人に目線を向け、あの人は軽くうなずいた。
凛ちゃんはふたつめの驚きに、少し戸惑ってる。
凛「そう、ですか。引退、なんですね」
そう言って彼女は目を伏せた。
知っていたこととはいえ、社長から直接言葉にされたことで、それが近い現実であると気づいたのだろう。
楓「あの、それでいつ」
社長「まあ、それは座って話をしましょうか」
社長は応接ソファーに私たちを誘導した。
応接セットを囲んで、私と凛ちゃんが隣り合い、社長とあの人が向かいに。
社長「さて、と。まずなにから話をしますかね」
社長はあの人の用意したレジュメに目を向ける。
あの人の内線コールで、ちひろさんが飲み物を持ってやってきた。
社長「ああ、千川さんも残ってください。大事なことです」
ちひろ「わかりました」
ちひろさんは折りたたみ椅子を出して、少し離れて座る。
社長「まず、引退の話からしましょうか」
802: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:41:34.55 :mkYWp9AD0
楓「は、はい」
社長に話を向けられ、少しどきりとした。
社長「高垣さんの活動は今年いっぱい、ということにします」
社長「そこから先は、高垣さんの自由です。おめでとう」
楓「あ、ありがとうございます」
社長におめでとうと言われ、反射的にお礼を言ってしまう。
決しておめでたいことではない。私のわがままで決めたことなのだから。
ただ、それを非難することなく、ずっとフォローしてくれた事務所のスタッフには、お礼をいくら言っても足りない。
社長「渋谷さんは個人的に、高垣さんの引退のことを知ってるようですが?」
凛「ええ。まあ」
社長「では、このスケジュールは他言無用にしてもらいます」
凛「は、はい」
社長「というのも、事務所から引退について、一切の発表は行わないことにしましたので」
楓「え?」
社長「Pくん。説明して」
P「はい」
社長が同席した中であの人が説明する。とてもやりにくそうだ。
P「本来なら、私と楓さんがおつきあいをしていることを発表するはずでした、が」
あの人のしゃべりがこわばっている。
内輪とはいえ、こうして自分たちが交際しているという事実を話すのは、とても恥ずかしいし重苦しい。
でも、これはきちんとしておかないとならない。そういうものだ。
P「先般の雑誌報道、それから先方のファンによるものと思われる一連の行為があったので」
P「楓さんの今後の行動を考え、発表を避けようということを、スタッフミーティングで決定しました」
楓「どうして、です?」
楓「は、はい」
社長に話を向けられ、少しどきりとした。
社長「高垣さんの活動は今年いっぱい、ということにします」
社長「そこから先は、高垣さんの自由です。おめでとう」
楓「あ、ありがとうございます」
社長におめでとうと言われ、反射的にお礼を言ってしまう。
決しておめでたいことではない。私のわがままで決めたことなのだから。
ただ、それを非難することなく、ずっとフォローしてくれた事務所のスタッフには、お礼をいくら言っても足りない。
社長「渋谷さんは個人的に、高垣さんの引退のことを知ってるようですが?」
凛「ええ。まあ」
社長「では、このスケジュールは他言無用にしてもらいます」
凛「は、はい」
社長「というのも、事務所から引退について、一切の発表は行わないことにしましたので」
楓「え?」
社長「Pくん。説明して」
P「はい」
社長が同席した中であの人が説明する。とてもやりにくそうだ。
P「本来なら、私と楓さんがおつきあいをしていることを発表するはずでした、が」
あの人のしゃべりがこわばっている。
内輪とはいえ、こうして自分たちが交際しているという事実を話すのは、とても恥ずかしいし重苦しい。
でも、これはきちんとしておかないとならない。そういうものだ。
P「先般の雑誌報道、それから先方のファンによるものと思われる一連の行為があったので」
P「楓さんの今後の行動を考え、発表を避けようということを、スタッフミーティングで決定しました」
楓「どうして、です?」
803: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/02(土) 17:42:17.60 :mkYWp9AD0
凛「うん、どうして? なにもやましいことなんかないんだし」
凛ちゃんは純粋に疑問をぶつける。
私は正直、多少のやましさは感じるけど、でも発表できないというのもさびしい。
社長「まあぶっちゃけ言うとですね。高垣さん叩きが増えるだろう、と」
社長「それでは、事務所にとってマイナスしかありませんからねえ」
P「あちらさんの一連の行為で、女性ファン層の楓さんのイメージが、悪化してるのは確かです」
P「『恋多き女』と言われる危険が、非常に高い、と」
あの人はとても悔しそうに言った。
凛「なんで! あっちが勝手に嘘ついてこっちが迷惑被ったんじゃない!」
凛「ひどいよ、あんまりだよ。事務所が楓さん守れないでどうするの……」
凛ちゃんの言葉に、あの人の顔がゆがむ。
P「いや、凛の言うとおりだ。ほんとに申し訳ない」
あの人が深々と首を垂れる。
凛ちゃんのやり場のない苛立ちに、社長が割って入る。
社長「渋谷さん。気持ちはわかります。でも」
社長「あちらの事務所と全面対立しても、うちの事務所のほうが分が悪い」
社長「しがらみが多いとこなんですよ。許してください」
社長にそう言われ、凛ちゃんは悔しさをかみ殺す。
それが業界。掟に反しないすれすれなら、セーフなのだ。
社長「でも映画が派手にこけてくれましたし、少しは溜飲を下げてもらえると、私は嬉しいですね」
あちらもかなりの製作費と宣伝費をつぎ込んだ映画は、結局封切り週以外は動員もさんざんだったらしい。
しばらくはおとなしくしてるだろう、と。
P「ただ、ファンのイメージはまだ残ってますから」
P「楓さんにヘイトが集まることは、極力避けないとならないんです」
誰も納得などしていない。でもそういうものだから。
自分たちの気持ちを押し殺し、次善策で乗り切るしかない。
社長「ただ私個人もとても悔しいものですし、それなら大きな花火を上げようじゃないか、と」
社長「そして渋谷さんは、ソロとして大成したいと考えている」
社長「ですから、私はこのデュオツアーにゴーサインを出したんです」
あの人がうなずく。
P「見返してやりましょう? いろいろなしがらみに」
社長「このツアーは、事務所の今年のメインでやります。総力戦です」
社長「渋谷さんを不動のトップに、高垣さんを伝説に」
社長はにやりと笑う。
社長「当然、やっていただけますね?」
言葉はいらない。
私と凛ちゃんは、社長の一言にうなずいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「うん、どうして? なにもやましいことなんかないんだし」
凛ちゃんは純粋に疑問をぶつける。
私は正直、多少のやましさは感じるけど、でも発表できないというのもさびしい。
社長「まあぶっちゃけ言うとですね。高垣さん叩きが増えるだろう、と」
社長「それでは、事務所にとってマイナスしかありませんからねえ」
P「あちらさんの一連の行為で、女性ファン層の楓さんのイメージが、悪化してるのは確かです」
P「『恋多き女』と言われる危険が、非常に高い、と」
あの人はとても悔しそうに言った。
凛「なんで! あっちが勝手に嘘ついてこっちが迷惑被ったんじゃない!」
凛「ひどいよ、あんまりだよ。事務所が楓さん守れないでどうするの……」
凛ちゃんの言葉に、あの人の顔がゆがむ。
P「いや、凛の言うとおりだ。ほんとに申し訳ない」
あの人が深々と首を垂れる。
凛ちゃんのやり場のない苛立ちに、社長が割って入る。
社長「渋谷さん。気持ちはわかります。でも」
社長「あちらの事務所と全面対立しても、うちの事務所のほうが分が悪い」
社長「しがらみが多いとこなんですよ。許してください」
社長にそう言われ、凛ちゃんは悔しさをかみ殺す。
それが業界。掟に反しないすれすれなら、セーフなのだ。
社長「でも映画が派手にこけてくれましたし、少しは溜飲を下げてもらえると、私は嬉しいですね」
あちらもかなりの製作費と宣伝費をつぎ込んだ映画は、結局封切り週以外は動員もさんざんだったらしい。
しばらくはおとなしくしてるだろう、と。
P「ただ、ファンのイメージはまだ残ってますから」
P「楓さんにヘイトが集まることは、極力避けないとならないんです」
誰も納得などしていない。でもそういうものだから。
自分たちの気持ちを押し殺し、次善策で乗り切るしかない。
社長「ただ私個人もとても悔しいものですし、それなら大きな花火を上げようじゃないか、と」
社長「そして渋谷さんは、ソロとして大成したいと考えている」
社長「ですから、私はこのデュオツアーにゴーサインを出したんです」
あの人がうなずく。
P「見返してやりましょう? いろいろなしがらみに」
社長「このツアーは、事務所の今年のメインでやります。総力戦です」
社長「渋谷さんを不動のトップに、高垣さんを伝説に」
社長はにやりと笑う。
社長「当然、やっていただけますね?」
言葉はいらない。
私と凛ちゃんは、社長の一言にうなずいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
809: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/05(火) 17:58:23.82 :OPP4YUy20
トレ「はい! おつかれさまです」
楓「ふう……はあ……」
トレ「だいぶ体のほうはしゃっきりしたんじゃないですか?」
楓「はあ……そう……ですか?」
3月。私はダンスレッスンを行っている。
ツアーのスタートは8月、ラストは12月と、スケジュールの粗組みが済んでいた。
凛「私も久々だから、ちょっときついかも」
凛ちゃんと私はそれまで、各々の仕事をこなしながら、基礎レッスンをもう一度さらうことにした。
スタートまで思ったほど時間はない。休む暇はない。
楓「でも凛ちゃんはさすがだね。私はもうあっぷあっぷ」
凛「そうですか? 楓さんがこんなに速いステップをこなすなんて」
楓「意外?」
凛「ふふふ。……ですね」
基礎をもう一度、言ったのは私だ。
凛ちゃんと一緒にやることは楽しみであり、同時に不安でもある。
少しでも自分の弱点を克服しておきたかった。
それと。
凛「でも、今は楓さんがいきいきしてて、好きですよ」
楓「ありがと」
体を動かしていると、あの日の鬱々とした物事が多少吹っ切れる気がした。
ごまかしでしかないと思うけど、少しだけやる気が出てきたのはいい傾向かもしれない。
トレ「じゃあ、クールダウンのストレッチやったら終わりにしましょう」
凛「お疲れさまでした」
楓「お疲れさまでした」
トレ「はい! おつかれさまです」
楓「ふう……はあ……」
トレ「だいぶ体のほうはしゃっきりしたんじゃないですか?」
楓「はあ……そう……ですか?」
3月。私はダンスレッスンを行っている。
ツアーのスタートは8月、ラストは12月と、スケジュールの粗組みが済んでいた。
凛「私も久々だから、ちょっときついかも」
凛ちゃんと私はそれまで、各々の仕事をこなしながら、基礎レッスンをもう一度さらうことにした。
スタートまで思ったほど時間はない。休む暇はない。
楓「でも凛ちゃんはさすがだね。私はもうあっぷあっぷ」
凛「そうですか? 楓さんがこんなに速いステップをこなすなんて」
楓「意外?」
凛「ふふふ。……ですね」
基礎をもう一度、言ったのは私だ。
凛ちゃんと一緒にやることは楽しみであり、同時に不安でもある。
少しでも自分の弱点を克服しておきたかった。
それと。
凛「でも、今は楓さんがいきいきしてて、好きですよ」
楓「ありがと」
体を動かしていると、あの日の鬱々とした物事が多少吹っ切れる気がした。
ごまかしでしかないと思うけど、少しだけやる気が出てきたのはいい傾向かもしれない。
トレ「じゃあ、クールダウンのストレッチやったら終わりにしましょう」
凛「お疲れさまでした」
楓「お疲れさまでした」
810: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/05(火) 17:59:47.11 :X9St9tbk0
疲労のたまった筋肉を伸ばす。
楓「くうぅ、結構ぱんぱんかも」
凛「でもずいぶん、可動域が広がりましたよね」
自分では気が付かないけれど、確かに体の可動域が広がったような気がする。
やっぱり。
楓「日ごろからやってないと、ダメってことね」
歳相応の体がうらめしい。
凛「明日にヴォイスやるんですか?」
楓「ええ。さすがにこの後に発声は、ねえ」
凛ちゃんと互いに苦笑い。
凛「じゃあ、それでは」
楓「今日もやってみる?」
凛「ええ、負けませんよ」
楓「じゃあ」
私たちふたりは、右手を出し合う。
凛・楓「最初はグー! じゃんけんぽん!」
楓「よし! よーし! 勝ちましたわあ」
凛「……ううっ、負けた」
私がチョキ、凛ちゃんがパー。
夕飯の当番をじゃんけんで決めたのだった。
疲労のたまった筋肉を伸ばす。
楓「くうぅ、結構ぱんぱんかも」
凛「でもずいぶん、可動域が広がりましたよね」
自分では気が付かないけれど、確かに体の可動域が広がったような気がする。
やっぱり。
楓「日ごろからやってないと、ダメってことね」
歳相応の体がうらめしい。
凛「明日にヴォイスやるんですか?」
楓「ええ。さすがにこの後に発声は、ねえ」
凛ちゃんと互いに苦笑い。
凛「じゃあ、それでは」
楓「今日もやってみる?」
凛「ええ、負けませんよ」
楓「じゃあ」
私たちふたりは、右手を出し合う。
凛・楓「最初はグー! じゃんけんぽん!」
楓「よし! よーし! 勝ちましたわあ」
凛「……ううっ、負けた」
私がチョキ、凛ちゃんがパー。
夕飯の当番をじゃんけんで決めたのだった。
811: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/05(火) 18:01:02.53 :X9St9tbk0
話はさかのぼる。
社長からツアー話をもらって一週間。凛ちゃんから話が振られる。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「合宿もどき、しません?」
楓「もどき?」
凛「ええ、もどき」
凛ちゃんから提案された、合宿もどき。
トライアドの三人は、ツアー前に一週間程度一緒に生活して、お互いの意思疎通を図るようにしてるとか。
凛「楓さんと運命共同体になるんで、親睦を図りたいかな、と」
楓「私は構わないけど。親御さんや奈緒ちゃん、加蓮ちゃんに話は?」
凛「親はいつものことなんで大丈夫です。奈緒と加蓮は、まあ」
楓「あら?」
凛「言ったら、押しかけてくるんじゃないかなー、って」
凛ちゃんは照れくさそうに言った。
楓「それはそれで楽しそうだけど、ねえ」
凛「んー、でも」
彼女はなにか悩んでいるようだ。
楓「ところで、合宿ってどこでするの?」
凛「えっと……」
楓「?」
凛ちゃんは私を見てもじもじしている。
凛「楓さんちでお泊り、で。ダメです?」
ぷっ。
凛ちゃんったら、最初からそれが目的だったのかな。
楓「ふふふっ、いいわよ。ただし」
凛「ただし?」
楓「食事は交代制で、ね?」
凛「……あー」
話はさかのぼる。
社長からツアー話をもらって一週間。凛ちゃんから話が振られる。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「合宿もどき、しません?」
楓「もどき?」
凛「ええ、もどき」
凛ちゃんから提案された、合宿もどき。
トライアドの三人は、ツアー前に一週間程度一緒に生活して、お互いの意思疎通を図るようにしてるとか。
凛「楓さんと運命共同体になるんで、親睦を図りたいかな、と」
楓「私は構わないけど。親御さんや奈緒ちゃん、加蓮ちゃんに話は?」
凛「親はいつものことなんで大丈夫です。奈緒と加蓮は、まあ」
楓「あら?」
凛「言ったら、押しかけてくるんじゃないかなー、って」
凛ちゃんは照れくさそうに言った。
楓「それはそれで楽しそうだけど、ねえ」
凛「んー、でも」
彼女はなにか悩んでいるようだ。
楓「ところで、合宿ってどこでするの?」
凛「えっと……」
楓「?」
凛ちゃんは私を見てもじもじしている。
凛「楓さんちでお泊り、で。ダメです?」
ぷっ。
凛ちゃんったら、最初からそれが目的だったのかな。
楓「ふふふっ、いいわよ。ただし」
凛「ただし?」
楓「食事は交代制で、ね?」
凛「……あー」
812: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/05(火) 18:01:56.60 :X9St9tbk0
楓「どうしたの?」
凛「私、料理あんまり得意じゃないけど……いいですか?」
彼女のうろたえ方からすると、本当に苦手らしい。
しかたないなあ。
楓「じゃあ、毎回じゃんけんで。少しはできるようにならないと、ねえ」
凛「努力します」
バレンタインのチョコ作れるくらいだから、大丈夫だろうと思うけど。
かわいい妹には、どうやら甘い私らしい。
楓「私も手伝うから」
凛「お願いします」
そういえば、東京に出てきてしばらく同業の子とルームシェアしてたなあ。
ちょっと懐かしい。
楓「いつやろうか? もどき」
凛「えっと、仕事のスケジュール見て、ですかね」
楓「そうね。妥当かな」
ふたりのスケジュールを事務所のグループウェアで確認し、凛ちゃんのマネージャーとあの人に内諾を得る。
マネージャーもあの人も、「ああ、いつもの」と言ってオーケーしてくれた。
楓「三人の合宿って、どこでしてたの?」
凛「女子寮ですね。奈緒がいるし」
楓「そっか」
凛「あと、ご飯も出るので」
楓「……ああ」
実に合理的というか。
実際仕事やレッスンで疲れた後に、ご飯作りなんかしたくないよね。
わりとすんなり決まった合宿もどきは、ふたりのスケジュールを見ながら3月に実行された。
始まって4日目。結構楽しい。
一週間程度の共同生活だけど、久々のルームシェアは新鮮だ。
凛「なにか食べたいものあります?」
楓「そうねえ。まあ、スーパー行ってから考えよっか」
凛「はいはーい」
シャワーを浴びて帰る準備をする。
さて、なにを買おうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「どうしたの?」
凛「私、料理あんまり得意じゃないけど……いいですか?」
彼女のうろたえ方からすると、本当に苦手らしい。
しかたないなあ。
楓「じゃあ、毎回じゃんけんで。少しはできるようにならないと、ねえ」
凛「努力します」
バレンタインのチョコ作れるくらいだから、大丈夫だろうと思うけど。
かわいい妹には、どうやら甘い私らしい。
楓「私も手伝うから」
凛「お願いします」
そういえば、東京に出てきてしばらく同業の子とルームシェアしてたなあ。
ちょっと懐かしい。
楓「いつやろうか? もどき」
凛「えっと、仕事のスケジュール見て、ですかね」
楓「そうね。妥当かな」
ふたりのスケジュールを事務所のグループウェアで確認し、凛ちゃんのマネージャーとあの人に内諾を得る。
マネージャーもあの人も、「ああ、いつもの」と言ってオーケーしてくれた。
楓「三人の合宿って、どこでしてたの?」
凛「女子寮ですね。奈緒がいるし」
楓「そっか」
凛「あと、ご飯も出るので」
楓「……ああ」
実に合理的というか。
実際仕事やレッスンで疲れた後に、ご飯作りなんかしたくないよね。
わりとすんなり決まった合宿もどきは、ふたりのスケジュールを見ながら3月に実行された。
始まって4日目。結構楽しい。
一週間程度の共同生活だけど、久々のルームシェアは新鮮だ。
凛「なにか食べたいものあります?」
楓「そうねえ。まあ、スーパー行ってから考えよっか」
凛「はいはーい」
シャワーを浴びて帰る準備をする。
さて、なにを買おうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
817: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/08(金) 12:18:40.08 :Ko7SQAV40
楓「それじゃ、いただきます」
凛「いただきます」
テーブルに並ぶ夕食。棒々鶏、れんこんのきんぴら、きのこの炊き込みご飯、みそ汁。
凛ちゃんはよく頑張っている。
楓「手際が良くなったね」
凛「うーん、慣れたのかな?」
きんぴらは惣菜コーナーの店屋物、炊き込みご飯はレトルトの素を使ったけど。
でもきちんと手抜きしながらできることに意味がある。
楓「あ、そうそう」
私は冷蔵庫へブツを取りに行く。
凛「楓さん、私も」
楓「……もう」
ストックの発泡酒を二缶、食卓へあげた。
ぷしゅっ。
未成年の凛ちゃんと晩酌。私は悪い大人だなあ。
凛「今日もお疲れさまでしたー。乾杯!」
楓「乾杯」
ひとりで呑むお酒、あの人と呑むお酒。
今こうして凛ちゃんと呑むお酒。
それぞれ雰囲気も表情も違って、とてもいい。
凛「なんか家で晩酌するお父さんの気持ち、わかるかも」
凛ちゃんが笑う。
楓「疲れてる時のビールって、なんか沁みるのね」
きんぴらをつまみながら一口ごくり。
凛「ところで楓さんって、どうしてお酒呑むようになったんです?」
楓「んー、そうねえ」
私は停止しかかってる頭を回す。
楓「それじゃ、いただきます」
凛「いただきます」
テーブルに並ぶ夕食。棒々鶏、れんこんのきんぴら、きのこの炊き込みご飯、みそ汁。
凛ちゃんはよく頑張っている。
楓「手際が良くなったね」
凛「うーん、慣れたのかな?」
きんぴらは惣菜コーナーの店屋物、炊き込みご飯はレトルトの素を使ったけど。
でもきちんと手抜きしながらできることに意味がある。
楓「あ、そうそう」
私は冷蔵庫へブツを取りに行く。
凛「楓さん、私も」
楓「……もう」
ストックの発泡酒を二缶、食卓へあげた。
ぷしゅっ。
未成年の凛ちゃんと晩酌。私は悪い大人だなあ。
凛「今日もお疲れさまでしたー。乾杯!」
楓「乾杯」
ひとりで呑むお酒、あの人と呑むお酒。
今こうして凛ちゃんと呑むお酒。
それぞれ雰囲気も表情も違って、とてもいい。
凛「なんか家で晩酌するお父さんの気持ち、わかるかも」
凛ちゃんが笑う。
楓「疲れてる時のビールって、なんか沁みるのね」
きんぴらをつまみながら一口ごくり。
凛「ところで楓さんって、どうしてお酒呑むようになったんです?」
楓「んー、そうねえ」
私は停止しかかってる頭を回す。
818: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/08(金) 12:19:36.29 :Ko7SQAV40
楓「おばあちゃんの梅酒、かな」
凛「梅酒? ああ、和歌山だから」
楓「まあ、それもあるけど……なんかね、小さい頃おばあちゃんちに遊びに行ったときにね」
楓「甘酸っぱいにおいがするあれが、とても気になったの」
凛「へえ」
楓「梅酒って甘いでしょ?」
凛「はい」
楓「なんかのジュースって思ったのかな、こっそり飲んで」
凛「うんうん」
楓「そのままふらふらって、リビングで寝ちゃって」
ぷっ。凛ちゃんが噴き出す。
楓「母親には怒られたけど、おばあちゃんに『そんなにおいしかったかい』って、持たせられて」
楓「もちろん小さいうちはそれ以来飲まなかったけど、こっち来てから時々送ってくれてね」
凛「そうなんだ。じゃあ今も?」
楓「ううん。おばあちゃんはまだ元気だけど、もう漬けるのめんどくさくなったって」
凛「そっかー、ちょっと残念」
楓「私の飲んだくれ人生は、そこがスタート」
凛「いや、飲んだくれって」
楓「でも、事務所じゃそういうイメージ、でしょ?」
凛ちゃんが苦笑いする。
凛「そうですね」
楓「そうやって構えずにみんなが接してくれるのが、うれしいの」
この事務所に来て、自分が軽くなったような気がするのは確か。
凛ちゃんだって、ライバルと言えばライバルだけど、戦友? いや、心友かな。
そんな心のつながりがいっぱいあふれてる。
楓「なんか、よかったなあって」
凛「なら、私もよかった」
凛「自分がアイドルやってなかったら、普通に高校生やって普通に大学行って」
凛「あまり個性もなく、のんびりやってたかなあって思ったり」
楓「でも、それもまたいいと思うけど」
凛「うん。でも、今の刺激ある生活が楽しくて。すごく仲間に恵まれたし」
凛「もう普通じゃいられない、かな?」
ふたり笑いあう。
なんだかんだと、私たちはどっぷりアイドル生活に浸かってしまったのだ。
楓「おばあちゃんの梅酒、かな」
凛「梅酒? ああ、和歌山だから」
楓「まあ、それもあるけど……なんかね、小さい頃おばあちゃんちに遊びに行ったときにね」
楓「甘酸っぱいにおいがするあれが、とても気になったの」
凛「へえ」
楓「梅酒って甘いでしょ?」
凛「はい」
楓「なんかのジュースって思ったのかな、こっそり飲んで」
凛「うんうん」
楓「そのままふらふらって、リビングで寝ちゃって」
ぷっ。凛ちゃんが噴き出す。
楓「母親には怒られたけど、おばあちゃんに『そんなにおいしかったかい』って、持たせられて」
楓「もちろん小さいうちはそれ以来飲まなかったけど、こっち来てから時々送ってくれてね」
凛「そうなんだ。じゃあ今も?」
楓「ううん。おばあちゃんはまだ元気だけど、もう漬けるのめんどくさくなったって」
凛「そっかー、ちょっと残念」
楓「私の飲んだくれ人生は、そこがスタート」
凛「いや、飲んだくれって」
楓「でも、事務所じゃそういうイメージ、でしょ?」
凛ちゃんが苦笑いする。
凛「そうですね」
楓「そうやって構えずにみんなが接してくれるのが、うれしいの」
この事務所に来て、自分が軽くなったような気がするのは確か。
凛ちゃんだって、ライバルと言えばライバルだけど、戦友? いや、心友かな。
そんな心のつながりがいっぱいあふれてる。
楓「なんか、よかったなあって」
凛「なら、私もよかった」
凛「自分がアイドルやってなかったら、普通に高校生やって普通に大学行って」
凛「あまり個性もなく、のんびりやってたかなあって思ったり」
楓「でも、それもまたいいと思うけど」
凛「うん。でも、今の刺激ある生活が楽しくて。すごく仲間に恵まれたし」
凛「もう普通じゃいられない、かな?」
ふたり笑いあう。
なんだかんだと、私たちはどっぷりアイドル生活に浸かってしまったのだ。
819: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/08(金) 12:20:08.98 :Ko7SQAV40
凛「こうして楓さんと合宿もどきして、よかったなあ」
楓「奈緒ちゃんと加蓮ちゃんと三人も楽しいでしょう?」
凛「もちろん!」
凛ちゃんは満面の笑みを見せる。
凛「奈緒と加蓮がいなかったら、今の私はないって思うし」
凛「ふたりには、いつも感謝してるんだ」
彼女たち三人をつなぐ糸は、ピアノ線ばりに強いものみたいだ。
凛「でも、楓さんと知り合って、いろいろあって」
凛「自分をもっと高めたい、って。すごく思って」
凛「三人がそれぞれステップアップする機会かなって、それで」
楓「私と組んでみた、ってこと?」
私の問いかけに、凛ちゃんがうなずく。
凛「自分でもこんなにわがままで、上昇志向が強いんだなって、びっくり」
楓「それって必要なことじゃないかな。この仕事やってるなら」
凛「うん」
凛ちゃんが真剣な表情になる。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「ありがとうございます」
楓「んー。どういたしまして?」
凛「私、もっと上に行けそうです」
楓「そう。それはよかった」
凛「言い方は悪いですけど、楓さんを踏み台にして、もっと上まで」
楓「ん」
凛「絶対行きます」
凛ちゃんの表情は自信にみなぎっている。
これだ。これがうちの事務所の絶対エース、渋谷凛。
楓「私もお礼言わせて。凛ちゃんのおかげで、私は立ち直っている」
楓「ありがと」
凛「いえ」
凛ちゃんの表情を見てると、こっちもがんばろうという気になる。
ソロじゃないっていうのも、いいな。
楓「がんばろうね」
凛「はい」
彼女の想いに応えよう。そして。
自分の想いも、届けよう。
彼女に、あの人に。すべてのファンに。
ツアーまであと五か月。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「こうして楓さんと合宿もどきして、よかったなあ」
楓「奈緒ちゃんと加蓮ちゃんと三人も楽しいでしょう?」
凛「もちろん!」
凛ちゃんは満面の笑みを見せる。
凛「奈緒と加蓮がいなかったら、今の私はないって思うし」
凛「ふたりには、いつも感謝してるんだ」
彼女たち三人をつなぐ糸は、ピアノ線ばりに強いものみたいだ。
凛「でも、楓さんと知り合って、いろいろあって」
凛「自分をもっと高めたい、って。すごく思って」
凛「三人がそれぞれステップアップする機会かなって、それで」
楓「私と組んでみた、ってこと?」
私の問いかけに、凛ちゃんがうなずく。
凛「自分でもこんなにわがままで、上昇志向が強いんだなって、びっくり」
楓「それって必要なことじゃないかな。この仕事やってるなら」
凛「うん」
凛ちゃんが真剣な表情になる。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「ありがとうございます」
楓「んー。どういたしまして?」
凛「私、もっと上に行けそうです」
楓「そう。それはよかった」
凛「言い方は悪いですけど、楓さんを踏み台にして、もっと上まで」
楓「ん」
凛「絶対行きます」
凛ちゃんの表情は自信にみなぎっている。
これだ。これがうちの事務所の絶対エース、渋谷凛。
楓「私もお礼言わせて。凛ちゃんのおかげで、私は立ち直っている」
楓「ありがと」
凛「いえ」
凛ちゃんの表情を見てると、こっちもがんばろうという気になる。
ソロじゃないっていうのも、いいな。
楓「がんばろうね」
凛「はい」
彼女の想いに応えよう。そして。
自分の想いも、届けよう。
彼女に、あの人に。すべてのファンに。
ツアーまであと五か月。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
826: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/11(月) 17:47:21.87 :WFQG5CWS0
世間は年度末らしく、人の行き交いもにぎやか。
プライムタイム。15秒のスポットCMに、私たちが映る。
『蒼は……好きですか?』
凛ちゃんの声が響いた。
『蒼は……お好き?』
私の声が続く。
『いろんなこと』『ステージ』『歌うの』『ファンのみんな』
『大好き』『きらきら』『楽しい?』『もちろん』
私たちの短いカットがつなぎ合わされて、モノトーンの画面に流れる。
少しの違和感とともに。
歌が、ない。
『Rin Shibuya』『Kaede Takagaki』
フラットラインなBGMに私たちのカットだけ。
『August 20XX ―― START』
CMはその言葉を残して、終わる。
世間は年度末らしく、人の行き交いもにぎやか。
プライムタイム。15秒のスポットCMに、私たちが映る。
『蒼は……好きですか?』
凛ちゃんの声が響いた。
『蒼は……お好き?』
私の声が続く。
『いろんなこと』『ステージ』『歌うの』『ファンのみんな』
『大好き』『きらきら』『楽しい?』『もちろん』
私たちの短いカットがつなぎ合わされて、モノトーンの画面に流れる。
少しの違和感とともに。
歌が、ない。
『Rin Shibuya』『Kaede Takagaki』
フラットラインなBGMに私たちのカットだけ。
『August 20XX ―― START』
CMはその言葉を残して、終わる。
827: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/11(月) 17:47:53.37 :WFQG5CWS0
さかのぼること少し前。
P「CM撮りします」
レッスン中の私たちに、あの人が告げた。
凛「えっと、どんな?」
P「今、レッスンしてたろ?」
凛「うん」
P「それを、撮った」
凛「え?」
楓「え?」
あの人がクスリと笑うと、ドアの向こうの人影に声をかける。
デ「どうも、お久しぶりです」
楓「あ!」
私のデビューとなった、PVのディレクターさんだ。
その手には、家庭用ビデオカメラ。
楓「お久しぶりです!」
デ「高垣さんもすっかり有名になっちゃって。遠い世界に行っちゃいましたね」
楓「ディレクターさんこそ……あ、監督さんって呼んだほうが」
デ「いやいや、気恥ずかしいんでやめてください」
凛「あの、こちらの方は?」
私とディレクターさんの話に、凛ちゃんが加わる。
さかのぼること少し前。
P「CM撮りします」
レッスン中の私たちに、あの人が告げた。
凛「えっと、どんな?」
P「今、レッスンしてたろ?」
凛「うん」
P「それを、撮った」
凛「え?」
楓「え?」
あの人がクスリと笑うと、ドアの向こうの人影に声をかける。
デ「どうも、お久しぶりです」
楓「あ!」
私のデビューとなった、PVのディレクターさんだ。
その手には、家庭用ビデオカメラ。
楓「お久しぶりです!」
デ「高垣さんもすっかり有名になっちゃって。遠い世界に行っちゃいましたね」
楓「ディレクターさんこそ……あ、監督さんって呼んだほうが」
デ「いやいや、気恥ずかしいんでやめてください」
凛「あの、こちらの方は?」
私とディレクターさんの話に、凛ちゃんが加わる。
828: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/11(月) 17:48:21.05 :WFQG5CWS0
楓「あ、初めてだよね。こちらは、私のデビュー作を撮ってくださった監督さん」
デ「渋谷凛さんですね。はじめまして」
ディレクターさんのあいさつに、凛ちゃんもうなずく。
凛「あ、どうも……はじめまして」
いきなりの対面で、凛ちゃんがとまどっている。
楓「えっと。年明けに封切になった、ロードムービーの話題作、知ってる?」
凛「え? ああ、観に行った、確か」
楓「あの監督さん」
凛「え、ええ!?」
あまりの凛ちゃんの驚きに、ディレクターさんは照れている。
驚くのも当然だ。今話題の作品の監督さんが、目の前にいるのだから。
デ「もともとCM畑の人間なんで、困っちゃいましたけどねえ」
ディレクターさんはそう言って笑った。
楓「ひょっとして?」
P「ええ、そうです。彼にふたりのCMを制作してもらいます」
なんという縁だろう。
私のスタートが彼の作品なら、私のラストも彼の作品、ということになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「あ、初めてだよね。こちらは、私のデビュー作を撮ってくださった監督さん」
デ「渋谷凛さんですね。はじめまして」
ディレクターさんのあいさつに、凛ちゃんもうなずく。
凛「あ、どうも……はじめまして」
いきなりの対面で、凛ちゃんがとまどっている。
楓「えっと。年明けに封切になった、ロードムービーの話題作、知ってる?」
凛「え? ああ、観に行った、確か」
楓「あの監督さん」
凛「え、ええ!?」
あまりの凛ちゃんの驚きに、ディレクターさんは照れている。
驚くのも当然だ。今話題の作品の監督さんが、目の前にいるのだから。
デ「もともとCM畑の人間なんで、困っちゃいましたけどねえ」
ディレクターさんはそう言って笑った。
楓「ひょっとして?」
P「ええ、そうです。彼にふたりのCMを制作してもらいます」
なんという縁だろう。
私のスタートが彼の作品なら、私のラストも彼の作品、ということになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
833: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/14(木) 18:45:26.64 :6z/2GNgB0
意外な再開から3日後。私たちのデュオに関するミーティングが開かれる。
その席には、ディレクターさんもいる。
P「先日のキックオフミーティングのとおり、今月からプロモーションを開始します」
社長やあの人も含め、事務所スタッフの主要メンバーが勢ぞろい。
凛「ほんとに総力戦なんだ……」
凛ちゃんはそうつぶやく。
P「まずはユニット名ですが。お手元のレジュメのとおり『Bleuet Bleu(ブルーエ・ブルー)』とします」
P「ブルーエ・ブルーはフランス語で『矢車草』を意味します。濃紺色です」
P「それと、これは『Bleu et bleu』つまり『蒼と蒼』というダブルミーニングを表しています」
P「渋谷凛、高垣楓というふたりのイメージを掛け合わせ、命名しました」
凛「蒼と、蒼、か……ふふっ」
蒼、か。なるほどね。
凛ちゃんは小さく笑った。
意外な再開から3日後。私たちのデュオに関するミーティングが開かれる。
その席には、ディレクターさんもいる。
P「先日のキックオフミーティングのとおり、今月からプロモーションを開始します」
社長やあの人も含め、事務所スタッフの主要メンバーが勢ぞろい。
凛「ほんとに総力戦なんだ……」
凛ちゃんはそうつぶやく。
P「まずはユニット名ですが。お手元のレジュメのとおり『Bleuet Bleu(ブルーエ・ブルー)』とします」
P「ブルーエ・ブルーはフランス語で『矢車草』を意味します。濃紺色です」
P「それと、これは『Bleu et bleu』つまり『蒼と蒼』というダブルミーニングを表しています」
P「渋谷凛、高垣楓というふたりのイメージを掛け合わせ、命名しました」
凛「蒼と、蒼、か……ふふっ」
蒼、か。なるほどね。
凛ちゃんは小さく笑った。
834: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/14(木) 18:46:50.69 :zh24pOAc0
P「概要はレジュメのとおりです。ツアーは8月から12月まで。フィナーレは京セラドームと東京ドームです」
P「なお、今回のデュオユニットはツアーステージのみとし、音楽番組の出演は行わないものとします」
スタッフ「えーと、音楽番組の出演なしということですが」
ス「雑誌のインタビュー等の活字記事は受けるということですか?」
P「そうなります。ユニットの音盤は基本的に流さないということです」
P「ステージオンリーが基本ですが、最終公演に限ってWOWWOWの生中継が入る予定です」
ス「CD等の販売とグッズ物販については」
P「進行中です」
ス「チケットについては」
P「グッズとの絡みもありますが、ふたりの場合それぞれのFC(ファンクラブ)があるわけではないので」
P「CGプロサポートメンバーの先行予約という形で動く予定です」
意外なことだけど、私のオフィシャルFCというものは存在しない。
事務所のサポートメンバーという総括したFCらしきものがあり、その会員がそれぞれ「マイアイドル」を登録し、その登録に応じた特典を受けている。
今回はそこに乗せる形をとるみたいだ。
ス「プロモートについて、レジュメの中身以外に行う予定は」
P「ない、とは言えません。各メディアさんの要望にはある程度応じようと考えています」
レジュメをめくる。
今月に15秒のスポットCM。4月には新作30秒CMと雑誌インタビュー。
8月に入るまで、新作CMを毎月制作。プライムタイムを中心に配信。
楓「ふうん」
P「概要はレジュメのとおりです。ツアーは8月から12月まで。フィナーレは京セラドームと東京ドームです」
P「なお、今回のデュオユニットはツアーステージのみとし、音楽番組の出演は行わないものとします」
スタッフ「えーと、音楽番組の出演なしということですが」
ス「雑誌のインタビュー等の活字記事は受けるということですか?」
P「そうなります。ユニットの音盤は基本的に流さないということです」
P「ステージオンリーが基本ですが、最終公演に限ってWOWWOWの生中継が入る予定です」
ス「CD等の販売とグッズ物販については」
P「進行中です」
ス「チケットについては」
P「グッズとの絡みもありますが、ふたりの場合それぞれのFC(ファンクラブ)があるわけではないので」
P「CGプロサポートメンバーの先行予約という形で動く予定です」
意外なことだけど、私のオフィシャルFCというものは存在しない。
事務所のサポートメンバーという総括したFCらしきものがあり、その会員がそれぞれ「マイアイドル」を登録し、その登録に応じた特典を受けている。
今回はそこに乗せる形をとるみたいだ。
ス「プロモートについて、レジュメの中身以外に行う予定は」
P「ない、とは言えません。各メディアさんの要望にはある程度応じようと考えています」
レジュメをめくる。
今月に15秒のスポットCM。4月には新作30秒CMと雑誌インタビュー。
8月に入るまで、新作CMを毎月制作。プライムタイムを中心に配信。
楓「ふうん」
835: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/14(木) 18:47:45.09 :zh24pOAc0
読んでいてわかる。
なるほど、出し惜しみか。
詳細をつまびらかにしない代わり、メディアの要望を受けて小出しに情報を流す。
ウィンウィンの関係を最大限に利用する。
凛「……あざといね」
楓「でも、Pさんが好きそうなやり方よね」
凛「うん、知ってる」
ふたり笑いあう。
ス「ユニットでの番組出演はしないとのことですが、ソロの出演は」
P「もちろんソロの出演はあります。そこでふたりにがんばって売り込んでもらおうかな、と」
あの人は私たち二人に目線を送る。
凛「そうだね。がんばります」
楓「宣伝料はずんでくださいね?」
スタッフから笑いが起こる。空気が弛緩した。
しばらくの質疑応答が続き。
P「ほかになければ、社長から一言お願いします」
社長「まあ、ここにそろったメンバーの顔を見てわかるとおり、うちの持てる全力で、事に当たります」
社長「成功はすると思いますが、それではいけません」
スタッフ全員が、社長に視線を向ける。
社長「……大成功させましょう」
全員の表情が引き締まった。
CMがスタートしたのは、その一週間後。
社内で事前にお披露目をしたときの反応の良さから、絶対いけると確信していた。
あのディレクターさんの作品だもの。
メディアの反応は早かった。
各媒体がネットで速報を打つ。事務所にも問い合わせが相次ぐ。
ほどなく、『計画通り』の記者発表をセッティングすることになった。
スタートは順調だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
読んでいてわかる。
なるほど、出し惜しみか。
詳細をつまびらかにしない代わり、メディアの要望を受けて小出しに情報を流す。
ウィンウィンの関係を最大限に利用する。
凛「……あざといね」
楓「でも、Pさんが好きそうなやり方よね」
凛「うん、知ってる」
ふたり笑いあう。
ス「ユニットでの番組出演はしないとのことですが、ソロの出演は」
P「もちろんソロの出演はあります。そこでふたりにがんばって売り込んでもらおうかな、と」
あの人は私たち二人に目線を送る。
凛「そうだね。がんばります」
楓「宣伝料はずんでくださいね?」
スタッフから笑いが起こる。空気が弛緩した。
しばらくの質疑応答が続き。
P「ほかになければ、社長から一言お願いします」
社長「まあ、ここにそろったメンバーの顔を見てわかるとおり、うちの持てる全力で、事に当たります」
社長「成功はすると思いますが、それではいけません」
スタッフ全員が、社長に視線を向ける。
社長「……大成功させましょう」
全員の表情が引き締まった。
CMがスタートしたのは、その一週間後。
社内で事前にお披露目をしたときの反応の良さから、絶対いけると確信していた。
あのディレクターさんの作品だもの。
メディアの反応は早かった。
各媒体がネットで速報を打つ。事務所にも問い合わせが相次ぐ。
ほどなく、『計画通り』の記者発表をセッティングすることになった。
スタートは順調だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
836: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/14(木) 18:52:47.71 :zh24pOAc0
※ とりあえずここまで ※
凛楓のデュオユニットについては、賛否あるでしょうが。そこはそれ、フィクションという事で
「ブルーエ・ブルー」のが正しいんでね?というご意見は伺っておきます。
ごめんよぅ、ダブルミーニングにしたかったんだよぅ(´;ω;`)
では ノシ
※ とりあえずここまで ※
凛楓のデュオユニットについては、賛否あるでしょうが。そこはそれ、フィクションという事で
「ブルーエ・ブルー」のが正しいんでね?というご意見は伺っておきます。
ごめんよぅ、ダブルミーニングにしたかったんだよぅ(´;ω;`)
では ノシ
838:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2013/11/15(金) 00:53:13.22 :4e3yXtQVo
乙
いいと思いますよー
いいと思いますよー
842: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/20(水) 12:15:13.17 :eSXSKrGz0
P「報道各社の皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
社長とあの人、凛ちゃん、私。
セッティングされた会見場で、デュオの説明を始める。
社長「先日、CMを先行して配信させていただきましたが、このたび弊社の新しいユニットを発表する機会をいただき、大変光栄に存じます」
社長「メンバーはこちらにおります、渋谷凛、高垣楓。ふたりのデュオユニットでございます」
社長「ご存じのとおり、両名は弊社のエースであり、今年の弊社一押しのユニットでございます」
社長「ユニットの活動につきましては、弊社担当Pよりご説明いたします。よろしくお願いします」
社長のあいさつがあり、続いてあの人が説明を始める。
P「それではご説明いたします。まず今回のユニットについてです。お手元の資料をご覧ください」
P「ユニット名は『Bleuet Bleu』。メンバーはここにおります、渋谷、高垣、以上2名のユニットでございます」
P「ユニットは期間限定。今年いっぱいの活動となっております」
P「渋谷の活動しております別ユニットにつきましては、休止することなく並行して活動してまいります」
時限ユニットの発表がなされたとき、会場がざわつく。
P「なお、このデュオは『ヴォーカルパフォーマンスユニット』として活動いたします」
P「弊社のイメージリーダーである、両名の歌による強力なインパクトは、きっと皆さまを虜にすると期待しております」
P「『Bleuet Bleu』は、ライヴパフォーマンスに特化した形でお送りすることにしております」
P「生のステージライヴを楽しんでいただくため、音楽番組等の出演は計画しておりませんので、よろしくお願いいたします」
会場が大きくざわついた。当然だろう。
テレビに出演しないアイドルユニットなんて、前代未聞だ。
メモを取る音が、かすかに響く。
P「報道各社の皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
社長とあの人、凛ちゃん、私。
セッティングされた会見場で、デュオの説明を始める。
社長「先日、CMを先行して配信させていただきましたが、このたび弊社の新しいユニットを発表する機会をいただき、大変光栄に存じます」
社長「メンバーはこちらにおります、渋谷凛、高垣楓。ふたりのデュオユニットでございます」
社長「ご存じのとおり、両名は弊社のエースであり、今年の弊社一押しのユニットでございます」
社長「ユニットの活動につきましては、弊社担当Pよりご説明いたします。よろしくお願いします」
社長のあいさつがあり、続いてあの人が説明を始める。
P「それではご説明いたします。まず今回のユニットについてです。お手元の資料をご覧ください」
P「ユニット名は『Bleuet Bleu』。メンバーはここにおります、渋谷、高垣、以上2名のユニットでございます」
P「ユニットは期間限定。今年いっぱいの活動となっております」
P「渋谷の活動しております別ユニットにつきましては、休止することなく並行して活動してまいります」
時限ユニットの発表がなされたとき、会場がざわつく。
P「なお、このデュオは『ヴォーカルパフォーマンスユニット』として活動いたします」
P「弊社のイメージリーダーである、両名の歌による強力なインパクトは、きっと皆さまを虜にすると期待しております」
P「『Bleuet Bleu』は、ライヴパフォーマンスに特化した形でお送りすることにしております」
P「生のステージライヴを楽しんでいただくため、音楽番組等の出演は計画しておりませんので、よろしくお願いいたします」
会場が大きくざわついた。当然だろう。
テレビに出演しないアイドルユニットなんて、前代未聞だ。
メモを取る音が、かすかに響く。
843: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/20(水) 12:15:58.01 :eSXSKrGz0
その後もあの人の説明は続き、一段落したところで私たちの紹介がある。
凛「渋谷凛です。今回ユニットを組みます高垣楓さんとは、よきライバルとして一緒に仕事をしたいと思っておりましたので」
凛「このユニットで念願がかなったこと、大変うれしく思っています」
凛「みなさんに届けられる最高のパフォーマンスをお見せしたいと思ってます。よろしくお願いします」
拍手が起こる。
凛ちゃんのあいさつは淡々としているが、内に秘めた熱情を大いに感じさせるものだ。
私も負けないように。
楓「高垣楓です。渋谷凛さんはご存じのとおり、ソロでもトライアドプリムスでも活躍している、わが社のエースです」
楓「その渋谷さんと私が組むことで、お互いの限界を超え、新たなステージが開けられればと思っております」
楓「きっとご満足いただけるステージにします。よろしくお願いします」
私にも拍手をいただく。
うぬぼれかもしれないけど、期待してほしいと思っている。
自分自身、なにかが起こりそうな気がするのだ。
P「それでは、質疑応答に移らせていただきます。まずは代表の方から」
記者A「テレビ代表です。ではまず」
質疑が始まる。
今回の意気込みとか。新ユニットのコンセプトとか。
無難な質問が並ぶ。
記者A「続いてテレビ出演の件ですが、計画がないということですがまったく出演しないということでしょうか?」
P「それにつきましては『Bleuet Bleu』として出演の予定がない、ということでございます」
P「渋谷、高垣。両名の単独出演はこれまで通り行います」
記者A「では、おふたりのユニットを観るにはステージで、ということですか」
P「はい。すべてはステージに存在します」
あの人は言い切った。
すべてはステージに。傲慢とも思えるその言葉は、自分たちの持てるものすべてをそこに投入するということ。
決してフロックなどと言わせてはいけない。
個別の質疑に移っても、訊かれることはステージオンリーの件。
アイドルは画面の中にいるものだなんて、誰が決めたのだろう。
凛「もちろん私たちは、数々の番組で育てられたという意識もありますし、その恩恵を受けているとも思っています」
凛「でもその中でも、『いいものはいい』と。それは場所や時間に関係なしに、あっていいと」
凛「私も楓さんも、そこにあるのならぜひ観たいと、そう言われるくらいのパフォーマンスをお見せできれば、と」
凛「これは私たちのチャレンジです」
凛ちゃんが気持ちを伝える。丁寧に。
私もそう思う。
楓「凛ちゃんがすべて言ってくれました。私も同感です」
楓「私たちのすべてを。ステージにぶつけます」
私たちの想いはほどなく記事になるだろう。
この熱を、みんなに受け取ってもらいたい。今はただ、そう思っている。
成功させたい。
いや、成功させる。それだけ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後もあの人の説明は続き、一段落したところで私たちの紹介がある。
凛「渋谷凛です。今回ユニットを組みます高垣楓さんとは、よきライバルとして一緒に仕事をしたいと思っておりましたので」
凛「このユニットで念願がかなったこと、大変うれしく思っています」
凛「みなさんに届けられる最高のパフォーマンスをお見せしたいと思ってます。よろしくお願いします」
拍手が起こる。
凛ちゃんのあいさつは淡々としているが、内に秘めた熱情を大いに感じさせるものだ。
私も負けないように。
楓「高垣楓です。渋谷凛さんはご存じのとおり、ソロでもトライアドプリムスでも活躍している、わが社のエースです」
楓「その渋谷さんと私が組むことで、お互いの限界を超え、新たなステージが開けられればと思っております」
楓「きっとご満足いただけるステージにします。よろしくお願いします」
私にも拍手をいただく。
うぬぼれかもしれないけど、期待してほしいと思っている。
自分自身、なにかが起こりそうな気がするのだ。
P「それでは、質疑応答に移らせていただきます。まずは代表の方から」
記者A「テレビ代表です。ではまず」
質疑が始まる。
今回の意気込みとか。新ユニットのコンセプトとか。
無難な質問が並ぶ。
記者A「続いてテレビ出演の件ですが、計画がないということですがまったく出演しないということでしょうか?」
P「それにつきましては『Bleuet Bleu』として出演の予定がない、ということでございます」
P「渋谷、高垣。両名の単独出演はこれまで通り行います」
記者A「では、おふたりのユニットを観るにはステージで、ということですか」
P「はい。すべてはステージに存在します」
あの人は言い切った。
すべてはステージに。傲慢とも思えるその言葉は、自分たちの持てるものすべてをそこに投入するということ。
決してフロックなどと言わせてはいけない。
個別の質疑に移っても、訊かれることはステージオンリーの件。
アイドルは画面の中にいるものだなんて、誰が決めたのだろう。
凛「もちろん私たちは、数々の番組で育てられたという意識もありますし、その恩恵を受けているとも思っています」
凛「でもその中でも、『いいものはいい』と。それは場所や時間に関係なしに、あっていいと」
凛「私も楓さんも、そこにあるのならぜひ観たいと、そう言われるくらいのパフォーマンスをお見せできれば、と」
凛「これは私たちのチャレンジです」
凛ちゃんが気持ちを伝える。丁寧に。
私もそう思う。
楓「凛ちゃんがすべて言ってくれました。私も同感です」
楓「私たちのすべてを。ステージにぶつけます」
私たちの想いはほどなく記事になるだろう。
この熱を、みんなに受け取ってもらいたい。今はただ、そう思っている。
成功させたい。
いや、成功させる。それだけ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
848: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/21(木) 20:36:03.53 :VXMXTySn0
『Bleuet Bleu』の記事は、大きな期待を持って紹介された。
ネットにアップされて以降、いろいろな問い合わせが来ている。
特にツアーのチケット発売時期。
先行予約はあるかとか、ツアースケジュールはまだかとか。
そんな喧騒の中の4月。新しい30秒CMが配信される。
凛『あなたに、沁みていく』
楓『蒼の、旋律』
今度はインタビューカットがメインのCM。
凛『歌? 好きですよ。うん、大好き』
凛『歌で、みんなに想いを届けるの、好き』
凛『知ってほしい。私のこと』
『Starring RIN SHIBUYA』
楓『歌の力って、たぶんあると思います』
楓『私も、ファンの皆さんも、のめりこむくらい』
楓『怖いけど、うれしい』
『Starring KAEDE TAKAGAKI』
凛『私たちの色に』
楓『私たちの心に』
『Bleuet Bleu』
凛『染めたい』
楓『染め上げます』
『On August 20XX』
凛『待ってて』
楓『会いに行きます』
『START SOON』
『Bleuet Bleu』の記事は、大きな期待を持って紹介された。
ネットにアップされて以降、いろいろな問い合わせが来ている。
特にツアーのチケット発売時期。
先行予約はあるかとか、ツアースケジュールはまだかとか。
そんな喧騒の中の4月。新しい30秒CMが配信される。
凛『あなたに、沁みていく』
楓『蒼の、旋律』
今度はインタビューカットがメインのCM。
凛『歌? 好きですよ。うん、大好き』
凛『歌で、みんなに想いを届けるの、好き』
凛『知ってほしい。私のこと』
『Starring RIN SHIBUYA』
楓『歌の力って、たぶんあると思います』
楓『私も、ファンの皆さんも、のめりこむくらい』
楓『怖いけど、うれしい』
『Starring KAEDE TAKAGAKI』
凛『私たちの色に』
楓『私たちの心に』
『Bleuet Bleu』
凛『染めたい』
楓『染め上げます』
『On August 20XX』
凛『待ってて』
楓『会いに行きます』
『START SOON』
849: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/21(木) 20:36:42.96 :CX/snUl30
ディレクター自らがインタビューしてくれたものを、私たちのカットだけコラージュしている。
相変わらずスピード感あふれる映像。
凛「映画もすごかったけど、なんか」
凛ちゃんができあがったカットを見ながらつぶやく。
凛「自分がこういう撮られ方をするって、新鮮というか、恥ずかしいというか」
楓「うん、すごいよね」
才能の塊そのままに組み上げられる映像。これは私たちであって私たちでない。
楓「女優、やってみたくなった?」
凛「うーん、演じるのは向いてないかも。っていうか」
凛「こういう映像が撮れるような才能、ほしかったなあなんて」
彼女は苦笑した。
楓「映画監督、やっちゃう?」
凛「あはは! まさか!」
大笑いした後、凛ちゃんは真剣な顔をして言う。
凛「私には、歌があるから」
楓「ん。そうね」
私たちには、歌という武器がある。
自分の体ひとつで、大勢を虜にする武器。
今にもはじけそうな熱情を抑えながら、私たちふたりはレッスンへ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ディレクター自らがインタビューしてくれたものを、私たちのカットだけコラージュしている。
相変わらずスピード感あふれる映像。
凛「映画もすごかったけど、なんか」
凛ちゃんができあがったカットを見ながらつぶやく。
凛「自分がこういう撮られ方をするって、新鮮というか、恥ずかしいというか」
楓「うん、すごいよね」
才能の塊そのままに組み上げられる映像。これは私たちであって私たちでない。
楓「女優、やってみたくなった?」
凛「うーん、演じるのは向いてないかも。っていうか」
凛「こういう映像が撮れるような才能、ほしかったなあなんて」
彼女は苦笑した。
楓「映画監督、やっちゃう?」
凛「あはは! まさか!」
大笑いした後、凛ちゃんは真剣な顔をして言う。
凛「私には、歌があるから」
楓「ん。そうね」
私たちには、歌という武器がある。
自分の体ひとつで、大勢を虜にする武器。
今にもはじけそうな熱情を抑えながら、私たちふたりはレッスンへ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
853: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/25(月) 11:24:02.42 :xaumuAlp0
がたーん!
凛「楓さん!」
マストレ「大丈夫か? 高垣」
楓「ふっ……はっ……はい……」
激しいビートの曲に乗りステップを踏み続けていた私は、足がもつれて転倒してしまった。
正直返事をするのも息苦しい。
楓「もう一度……お願いします」
つりそうな足にこぶしで喝を入れる。
凛「楓さん。今日はもうおしまいにしよ?」
楓「ううん。もう一回……もう一回だけ」
マス「これ以上はさすがにな。後の仕事に差し障るぞ」
楓「いえ、大丈夫ですから」
何かにせきたてられるように願い出る。
マストレさんはやれやれという表情をみせ、私に言った。
マス「通しで一回だけだ。それ以上は許さん」
楓「ありがとう……ございます」
私のわがままで、凛ちゃんとマストレさんに付き合ってもらっている。時間が惜しい。
楓「じゃあ、お願いします」
マス「……そうか。じゃあ通しでいくぞ」
マストレさんが曲をかける。
私とマストレさんのふたりの踊りを、凛ちゃんは見守ってくれる。
がたーん!
凛「楓さん!」
マストレ「大丈夫か? 高垣」
楓「ふっ……はっ……はい……」
激しいビートの曲に乗りステップを踏み続けていた私は、足がもつれて転倒してしまった。
正直返事をするのも息苦しい。
楓「もう一度……お願いします」
つりそうな足にこぶしで喝を入れる。
凛「楓さん。今日はもうおしまいにしよ?」
楓「ううん。もう一回……もう一回だけ」
マス「これ以上はさすがにな。後の仕事に差し障るぞ」
楓「いえ、大丈夫ですから」
何かにせきたてられるように願い出る。
マストレさんはやれやれという表情をみせ、私に言った。
マス「通しで一回だけだ。それ以上は許さん」
楓「ありがとう……ございます」
私のわがままで、凛ちゃんとマストレさんに付き合ってもらっている。時間が惜しい。
楓「じゃあ、お願いします」
マス「……そうか。じゃあ通しでいくぞ」
マストレさんが曲をかける。
私とマストレさんのふたりの踊りを、凛ちゃんは見守ってくれる。
854: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/25(月) 11:24:49.45 :xaumuAlp0
”I is 9th - Dimension”
”I is 9th - Dimension”
855: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/25(月) 11:25:55.44 :xaumuAlp0
強烈なビートに、マストレさんの高速ステップが駆け巡る。
ついていくのも苦しい。
楓「はあ……はあ……」
ステップの反響音と息遣い。
マス「ラスト! 遅れるな!」
今回はなんとか転ばずに済んだ。終わったとたんへたり込む私。
凛「おつかれさま」
凛ちゃんがドリンクを持ってきてくれた。
マス「よし、おつかれ。明日に響かないように、ストレッチは念入りにするようにな」
楓「ありが……とう……ございます」
床に這いつくばったままの私は、なんとかあいさつだけはこなした。
凛「楓さん、大丈夫?」
楓「ん。大丈夫、だけど……体力ないなあ、私」
凛「こんなの、私だって続けられないよ」
楓「でも、なんかね」
凛「待った」
凛ちゃんが言葉をさえぎる。
凛「でももだってもいらない。楓さんがそうしたいんだろうから」
凛「さ、ストレッチ手伝うよ。休んだら始めようか」
この数ヶ月で、私と彼女の関係もだいぶ近しくなった気がする。
凛ちゃんは、私にもタメ口で話してくれる。
だからこそ、あせる。
私には、凛ちゃんのようなパフォーマンスを見せられない。魅せられないと言うべきか。
でも『Bleuet Bleu』は、ヴォーカル『パフォーマンス』ユニットなのだ。
高い次元のステージを期待されていることは、わかる。
今からがんばったところで、付け焼き刃なのは想像に難くない。
でも、そこに妥協するのはイヤなのだ。
強烈なビートに、マストレさんの高速ステップが駆け巡る。
ついていくのも苦しい。
楓「はあ……はあ……」
ステップの反響音と息遣い。
マス「ラスト! 遅れるな!」
今回はなんとか転ばずに済んだ。終わったとたんへたり込む私。
凛「おつかれさま」
凛ちゃんがドリンクを持ってきてくれた。
マス「よし、おつかれ。明日に響かないように、ストレッチは念入りにするようにな」
楓「ありが……とう……ございます」
床に這いつくばったままの私は、なんとかあいさつだけはこなした。
凛「楓さん、大丈夫?」
楓「ん。大丈夫、だけど……体力ないなあ、私」
凛「こんなの、私だって続けられないよ」
楓「でも、なんかね」
凛「待った」
凛ちゃんが言葉をさえぎる。
凛「でももだってもいらない。楓さんがそうしたいんだろうから」
凛「さ、ストレッチ手伝うよ。休んだら始めようか」
この数ヶ月で、私と彼女の関係もだいぶ近しくなった気がする。
凛ちゃんは、私にもタメ口で話してくれる。
だからこそ、あせる。
私には、凛ちゃんのようなパフォーマンスを見せられない。魅せられないと言うべきか。
でも『Bleuet Bleu』は、ヴォーカル『パフォーマンス』ユニットなのだ。
高い次元のステージを期待されていることは、わかる。
今からがんばったところで、付け焼き刃なのは想像に難くない。
でも、そこに妥協するのはイヤなのだ。
856: ◆eBIiXi2191ZO:2013/11/25(月) 11:26:24.94 :xaumuAlp0
楓「私もいい加減、意地っ張りだよなあ」
ふたり一組で、ストレッチをこなしながらぼやく。
凛「楓さん、今さらそういうこと言う?」
凛ちゃんはくすりと笑った。
凛「だから、私も負けたくないって思うんだけどね」
凛「私も頑固者だし?」
楓「そうね、ふふっ」
似たもの同士。なんとなくそういう気にもなる。
でなければ、同じようにあの人を好きになったり、しないだろう。
凛「ほんと、本番が心配」
楓「まだ先だけどね」
凛「ええ? そんなこと言ってると、すぐそこに来ちゃうんですからね?」
楓「だーいじょうぶー。凛ちゃんが支えてくれるし?」
凛「年下をあてにするって、どうなのかなあ」
楓「ふふふ」
凛「ふふふ」
疲労のたまった体もほぐれてくる。もう少し。
凛「がんばろうね」
楓「そうね。うん」
しばらくは自分をいじめ抜こう。それがきっと、この先のステージへつながっている。
彼女となら、できる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「私もいい加減、意地っ張りだよなあ」
ふたり一組で、ストレッチをこなしながらぼやく。
凛「楓さん、今さらそういうこと言う?」
凛ちゃんはくすりと笑った。
凛「だから、私も負けたくないって思うんだけどね」
凛「私も頑固者だし?」
楓「そうね、ふふっ」
似たもの同士。なんとなくそういう気にもなる。
でなければ、同じようにあの人を好きになったり、しないだろう。
凛「ほんと、本番が心配」
楓「まだ先だけどね」
凛「ええ? そんなこと言ってると、すぐそこに来ちゃうんですからね?」
楓「だーいじょうぶー。凛ちゃんが支えてくれるし?」
凛「年下をあてにするって、どうなのかなあ」
楓「ふふふ」
凛「ふふふ」
疲労のたまった体もほぐれてくる。もう少し。
凛「がんばろうね」
楓「そうね。うん」
しばらくは自分をいじめ抜こう。それがきっと、この先のステージへつながっている。
彼女となら、できる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
863: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/02(月) 18:48:44.78 :Lcp8lhVF0
凛「ねえ、楓さん」
楓「ん?」
凛「なんかおいしいものでも食べません?」
レッスンの帰り道。凛ちゃんが提案してきた。
楓「そうねえ。うん。そうしよっか」
凛「ちょっと自分にごほうび、って気分だし」
私とマストレさんとのレッスンに、凛ちゃんも結局参加している。
ひょっとして私たち、Mなのかしら? なんて。
疲労もピークなのだ。気持ち的に。
楓「なんかリクエストある?」
凛「んー。じゃあ、大将のお店に」
楓「あら」
意外。もっとオシャレなお店とかあるだろうに。
凛「なんかこう、落ち着いて過ごせるとこがいいかなあ、なんて」
楓「ああ。その気持ち、わかるかも」
お互いへろへろなのだ。これ以上気を張るようなところには行きたくない。
そうと決まれば行動あるのみ。タクシーを拾って大将のお店へ。
大将「いらっしゃい。お? 珍しい組み合わせだなあ」
楓「そうでしたっけ?」
凛「お久しぶりです」
大将はいつもにこやかに応対してくれる。
ああ、これだ。この安心感。
楓「なんかこう、おいしいものを」
大将「おう、任せな」
大将はそう言って厨房へ向かう、かと思ったら。
大将「あ、飲み物どうするよ?」
凛「えっと。私はウーロン茶で」
楓「いつもの」
大将「いつもの、ね。あいよ」
凛「ねえ、楓さん」
楓「ん?」
凛「なんかおいしいものでも食べません?」
レッスンの帰り道。凛ちゃんが提案してきた。
楓「そうねえ。うん。そうしよっか」
凛「ちょっと自分にごほうび、って気分だし」
私とマストレさんとのレッスンに、凛ちゃんも結局参加している。
ひょっとして私たち、Mなのかしら? なんて。
疲労もピークなのだ。気持ち的に。
楓「なんかリクエストある?」
凛「んー。じゃあ、大将のお店に」
楓「あら」
意外。もっとオシャレなお店とかあるだろうに。
凛「なんかこう、落ち着いて過ごせるとこがいいかなあ、なんて」
楓「ああ。その気持ち、わかるかも」
お互いへろへろなのだ。これ以上気を張るようなところには行きたくない。
そうと決まれば行動あるのみ。タクシーを拾って大将のお店へ。
大将「いらっしゃい。お? 珍しい組み合わせだなあ」
楓「そうでしたっけ?」
凛「お久しぶりです」
大将はいつもにこやかに応対してくれる。
ああ、これだ。この安心感。
楓「なんかこう、おいしいものを」
大将「おう、任せな」
大将はそう言って厨房へ向かう、かと思ったら。
大将「あ、飲み物どうするよ?」
凛「えっと。私はウーロン茶で」
楓「いつもの」
大将「いつもの、ね。あいよ」
864: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/02(月) 18:50:31.32 :Lcp8lhVF0
おしぼりで手を拭きながら、凛ちゃんと会話をする。
楓「今日はまたどうしたの?」
凛「え?」
楓「大将の店なんて」
凛「んーと」
ちょっと考え込むふりをする。
凛「Pさんが来るかもしれないし」
楓「あら、あざとい」
凛「えー。そこは策士って、言ってほしいかな?」
楓「ふふっ」
凛「ふふふっ」
疲れた頭に浮かぶのは、あの人の笑顔。
私たちは、お互いに同じ顔を浮かべていた。
凛「ここのところ、Pさんも大忙しだし。なかなか会えてないんじゃないかなって。楓さんが」
楓「まあ、そうだけど」
凛「少しは補給するのもいいんじゃないかなって。いらぬおせっかい」
彼女がくすりと笑う。
凛「私も、幸せ成分のおすそ分け欲しいしねえ」
楓「そっか。うん」
楓「ありがと」
私の言葉に、凛ちゃんのほほが染まった気がした。
大将「ほい、お待たせ」
大将が大皿を持ってくる。中には白身の盛り合わせ。
楓「これは」
大将「さわら。あぶりにしてある」
表面の焦げ目が、おいしそう。
凛「さわら、って?」
大将「まあ食えばわかるさ。おっと」
大将はお銚子とぐい呑み、凛ちゃんのウーロン茶を持ってきた。
大将「これはいつもの」
楓「ふふふ、いつもありがとうございます」
大将「まあ楓さんにはお世話になってるし。それに、だ」
大将「おふたりさんの人気にあやかりたい、ってね」
凛「あ、ありがとうございます」
大将「いやあ、CM見たけど。ありゃすげえな。嫁さんもすげえって、言ってた」
大将は私たちの事情を知ってるとはいえ、一般人。
その大将に評価されてるってことだ。巷の評判がうかがい知れる。
おしぼりで手を拭きながら、凛ちゃんと会話をする。
楓「今日はまたどうしたの?」
凛「え?」
楓「大将の店なんて」
凛「んーと」
ちょっと考え込むふりをする。
凛「Pさんが来るかもしれないし」
楓「あら、あざとい」
凛「えー。そこは策士って、言ってほしいかな?」
楓「ふふっ」
凛「ふふふっ」
疲れた頭に浮かぶのは、あの人の笑顔。
私たちは、お互いに同じ顔を浮かべていた。
凛「ここのところ、Pさんも大忙しだし。なかなか会えてないんじゃないかなって。楓さんが」
楓「まあ、そうだけど」
凛「少しは補給するのもいいんじゃないかなって。いらぬおせっかい」
彼女がくすりと笑う。
凛「私も、幸せ成分のおすそ分け欲しいしねえ」
楓「そっか。うん」
楓「ありがと」
私の言葉に、凛ちゃんのほほが染まった気がした。
大将「ほい、お待たせ」
大将が大皿を持ってくる。中には白身の盛り合わせ。
楓「これは」
大将「さわら。あぶりにしてある」
表面の焦げ目が、おいしそう。
凛「さわら、って?」
大将「まあ食えばわかるさ。おっと」
大将はお銚子とぐい呑み、凛ちゃんのウーロン茶を持ってきた。
大将「これはいつもの」
楓「ふふふ、いつもありがとうございます」
大将「まあ楓さんにはお世話になってるし。それに、だ」
大将「おふたりさんの人気にあやかりたい、ってね」
凛「あ、ありがとうございます」
大将「いやあ、CM見たけど。ありゃすげえな。嫁さんもすげえって、言ってた」
大将は私たちの事情を知ってるとはいえ、一般人。
その大将に評価されてるってことだ。巷の評判がうかがい知れる。
865: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/02(月) 18:51:05.78 :Lcp8lhVF0
大将「ま、まずはおつかれさんということで。ほれ」
大将は私のぐい呑みにお酒を注ぐ。
凛「いいなあ。私もお酒呑みたくなったなあ」
楓「ここでは、ね。勘弁して」
凛「ん。わかってる」
三人そろったところで。
大将「じゃ、おつかれさん。乾杯」
楓「乾杯」
凛「乾杯」
まずは一口。
あたりは柔らかいけど、とてもフルーティー。
楓「これは?」
大将「岩国の『五橋』って酒だ。吟醸な」
楓「すごく柔らかいですね。うん、好き」
疲れた体にこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
凛「お刺身いただきますね」
大将「おう、食え食え」
さわらは表面があぶってある分、香ばしさが口の中に広がる。
凛「へえ、甘いんだ」
楓「魚の脂って、甘いからね」
大将「足が速いから、刺身で出せるのってそう多くないけどな」
凛「あー、やっぱりお酒欲しい! ビール!」
大将「ノンアルでよければあるぞ?」
凛「それでもいい! ください!」
結局凛ちゃんは、ノンアルビールを注文する。
うん、これ食べたら勝てないな。
しばらく歓談していたら、やっぱり。
P「あれ? ふたりとも来てるし」
大将「ま、まずはおつかれさんということで。ほれ」
大将は私のぐい呑みにお酒を注ぐ。
凛「いいなあ。私もお酒呑みたくなったなあ」
楓「ここでは、ね。勘弁して」
凛「ん。わかってる」
三人そろったところで。
大将「じゃ、おつかれさん。乾杯」
楓「乾杯」
凛「乾杯」
まずは一口。
あたりは柔らかいけど、とてもフルーティー。
楓「これは?」
大将「岩国の『五橋』って酒だ。吟醸な」
楓「すごく柔らかいですね。うん、好き」
疲れた体にこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
凛「お刺身いただきますね」
大将「おう、食え食え」
さわらは表面があぶってある分、香ばしさが口の中に広がる。
凛「へえ、甘いんだ」
楓「魚の脂って、甘いからね」
大将「足が速いから、刺身で出せるのってそう多くないけどな」
凛「あー、やっぱりお酒欲しい! ビール!」
大将「ノンアルでよければあるぞ?」
凛「それでもいい! ください!」
結局凛ちゃんは、ノンアルビールを注文する。
うん、これ食べたら勝てないな。
しばらく歓談していたら、やっぱり。
P「あれ? ふたりとも来てるし」
866: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/02(月) 18:52:24.10 :Lcp8lhVF0
凛「やっぱりね」
楓「ね」
凛ちゃんの読み通り。
凛「きっとPさんが来るんじゃないかなあ、って」
P「うっわあ。僕の行動わかりやすいかなあ」
大将「男同士で語らったって、色気ねえからな。俺は勘弁だ」
P「ええ? 大将冷たいなあ」
凛「ほら。ここに座る!」
凛ちゃんはちゃっかり、私と自分の間をあける。両手に花だ、と。強制的に。
大将「売れっ子に挟まれて、Pも本望だろ?」
P「なんか釈然としない自分がうらめしいっす」
大将「楓さんと同じものでいいか?」
P「うっす」
そう言うと大将は、追加のお銚子とぐい呑みを持ってくる。
P「あ、あざっす」
楓「最近かまってくれないから、さびしかったんですよ? 私たち」
凛「そうそう。Pさん成分を要求する」
P「成分ってなんだ成分って。ま、いいか」
大将「改めて。乾杯な」
P「はい。乾杯」
あの人の少し苦々しげな横顔を、私たちは眺めていた。
いいなあ、なんか。
P「なにふたりともにやにやしてるんだ?」
凛「ん? 別に?」
楓「別に?」
なんかこう、あの人がいるだけで場が和む。
言葉にはならない、漠然としたものだけど。
P「あ、そうそう。来月からツアーの曲詰めて、練習始めるから。よろしく」
凛「なにもここで仕事のこと言わなくても」
P「いや、ちょうどいいなと思っただけだし。どのみち明日にはわかることだ」
凛「なんだかなあ。しょぼーん」
凛ちゃんは口ではそう言うけど。でも、内心は。
楓「そっか。楽しみにしますね?」
凛「ん。私も楽しみ」
ほらね。
凛「やっと動き出すんだ。うん。楽しみだな」
彼女の瞳に、やる気が見える。
どんどん形になっていくことが、楽しくて仕方ない。
凛「やっぱりね」
楓「ね」
凛ちゃんの読み通り。
凛「きっとPさんが来るんじゃないかなあ、って」
P「うっわあ。僕の行動わかりやすいかなあ」
大将「男同士で語らったって、色気ねえからな。俺は勘弁だ」
P「ええ? 大将冷たいなあ」
凛「ほら。ここに座る!」
凛ちゃんはちゃっかり、私と自分の間をあける。両手に花だ、と。強制的に。
大将「売れっ子に挟まれて、Pも本望だろ?」
P「なんか釈然としない自分がうらめしいっす」
大将「楓さんと同じものでいいか?」
P「うっす」
そう言うと大将は、追加のお銚子とぐい呑みを持ってくる。
P「あ、あざっす」
楓「最近かまってくれないから、さびしかったんですよ? 私たち」
凛「そうそう。Pさん成分を要求する」
P「成分ってなんだ成分って。ま、いいか」
大将「改めて。乾杯な」
P「はい。乾杯」
あの人の少し苦々しげな横顔を、私たちは眺めていた。
いいなあ、なんか。
P「なにふたりともにやにやしてるんだ?」
凛「ん? 別に?」
楓「別に?」
なんかこう、あの人がいるだけで場が和む。
言葉にはならない、漠然としたものだけど。
P「あ、そうそう。来月からツアーの曲詰めて、練習始めるから。よろしく」
凛「なにもここで仕事のこと言わなくても」
P「いや、ちょうどいいなと思っただけだし。どのみち明日にはわかることだ」
凛「なんだかなあ。しょぼーん」
凛ちゃんは口ではそう言うけど。でも、内心は。
楓「そっか。楽しみにしますね?」
凛「ん。私も楽しみ」
ほらね。
凛「やっと動き出すんだ。うん。楽しみだな」
彼女の瞳に、やる気が見える。
どんどん形になっていくことが、楽しくて仕方ない。
867: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/02(月) 18:52:52.20 :Lcp8lhVF0
大将「忙しくなるのか。そりゃさびしいな」
楓「まあ忙しいでしょうけど、でも」
大将にお礼を。
楓「ちょくちょく、顔出しますからね?」
大将「そっか。おう。待ってるわ」
凛「私も来ていいですか?」
大将「おう、どんどん来い」
四人がお互いをいたわりあい、おだやかに過ぎるひととき。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大将「忙しくなるのか。そりゃさびしいな」
楓「まあ忙しいでしょうけど、でも」
大将にお礼を。
楓「ちょくちょく、顔出しますからね?」
大将「そっか。おう。待ってるわ」
凛「私も来ていいですか?」
大将「おう、どんどん来い」
四人がお互いをいたわりあい、おだやかに過ぎるひととき。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
872: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/09(月) 17:42:53.73 :JDYiRPHF0
7月。来月にはツアーが始まる。
忙しさにかまけて、事務所に来て三年になったことも忘れていた。
私も、あの人も。
ユニットの練習に挟まれるようにテレビ出演。それくらい、私たちはユニットメインで動いている。
奈緒「なあ、凛。あたしたちが一緒にいてもいいのか?」
加蓮「そりゃあ前に、『ふたりのやってること見てみたいな』って言ったけど」
トライアドのふたりが、凛ちゃんに連れられレッスンスタジオに現れる。
凛「こういう時でもないと、奈緒と加蓮に見てもらえないから、ね」
久々のトライアドでの活動。歌番組の収録から直接ここへ来たらしい。
私と凛ちゃんのユニットは、大々的にプロモーションをかけているにしては、活動実態がつかめない。
何をするのか。何を魅せようとしているのか。
同僚のアイドルにすら、秘密だ。
『びっくり箱は、開ける瞬間が一番楽しいのだ』
そんなことを、あの人は言った。
それを、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんに見せる。少しだけ。
凛「ふたりは、私と運命を共にしている大事な友達だから」
奈緒ちゃんが照れる。
凛ちゃんのその言葉には、重みがある。
その想いに、私もあの人も共感する。
だから。
凛「ようこそ」
楓「『Bleuet Bleu』の隠れ家へ」
私、凛ちゃん、作曲家の先生、そしてあの人。
ひょっとしたら、仔羊二匹を前に悪辣な顔をしていたかもしれない。
私たちの初めてのお客様。丁重におもてなしをするべきだ。
奈緒「お、おじゃましま、す?」
加蓮「なんで疑問形?」
疑問に思うのも当然かもしれない。
なにせあの人は、ピアノの前に座っているから。
P「ツアー開始までネタばらししないつもりだったけどなあ。でも、今日は特別、な」
そう、このツアーの監修はあの人なのだ。
先生と分担して、アレンジも務めることになっている。
7月。来月にはツアーが始まる。
忙しさにかまけて、事務所に来て三年になったことも忘れていた。
私も、あの人も。
ユニットの練習に挟まれるようにテレビ出演。それくらい、私たちはユニットメインで動いている。
奈緒「なあ、凛。あたしたちが一緒にいてもいいのか?」
加蓮「そりゃあ前に、『ふたりのやってること見てみたいな』って言ったけど」
トライアドのふたりが、凛ちゃんに連れられレッスンスタジオに現れる。
凛「こういう時でもないと、奈緒と加蓮に見てもらえないから、ね」
久々のトライアドでの活動。歌番組の収録から直接ここへ来たらしい。
私と凛ちゃんのユニットは、大々的にプロモーションをかけているにしては、活動実態がつかめない。
何をするのか。何を魅せようとしているのか。
同僚のアイドルにすら、秘密だ。
『びっくり箱は、開ける瞬間が一番楽しいのだ』
そんなことを、あの人は言った。
それを、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんに見せる。少しだけ。
凛「ふたりは、私と運命を共にしている大事な友達だから」
奈緒ちゃんが照れる。
凛ちゃんのその言葉には、重みがある。
その想いに、私もあの人も共感する。
だから。
凛「ようこそ」
楓「『Bleuet Bleu』の隠れ家へ」
私、凛ちゃん、作曲家の先生、そしてあの人。
ひょっとしたら、仔羊二匹を前に悪辣な顔をしていたかもしれない。
私たちの初めてのお客様。丁重におもてなしをするべきだ。
奈緒「お、おじゃましま、す?」
加蓮「なんで疑問形?」
疑問に思うのも当然かもしれない。
なにせあの人は、ピアノの前に座っているから。
P「ツアー開始までネタばらししないつもりだったけどなあ。でも、今日は特別、な」
そう、このツアーの監修はあの人なのだ。
先生と分担して、アレンジも務めることになっている。
873: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/09(月) 17:43:34.01 :JDYiRPHF0
加蓮「Pさん、ピアノもできたんだ……」
加蓮ちゃんが凛ちゃんに耳打ちする。
凛「ん。私もこうして組むまで知らなかったけどね」
凛「一時期は音大進学も考えたんだって」
加蓮「うわあ」
奈緒「なんの話してるんだ?」
加蓮「え? ないしょ」
奈緒ちゃんの問いかけに、加蓮ちゃんは意地悪っぽく言った。
奈緒「ええー、あたしだけハブかよ。勘弁してくれよ」
凛「奈緒。あとから、ね」
すかさず凛ちゃんのフォロー。そのタイミングで、先生が言葉をつないだ。
作「まあ、お客さんが来たことだし? 少しやってみる?」
さて、おもてなしの始まり。どちらから行こうか。
凛「じゃあ、私」
速いなあ。うん、でも。
凛ちゃんがものすごく頑張っていたこと、よくわかるから。
凛「奈緒、加蓮……聴いてね」
凛ちゃんはあの人に譜面を渡し、ピアノ脇に立つ。
加蓮「Pさん、ピアノもできたんだ……」
加蓮ちゃんが凛ちゃんに耳打ちする。
凛「ん。私もこうして組むまで知らなかったけどね」
凛「一時期は音大進学も考えたんだって」
加蓮「うわあ」
奈緒「なんの話してるんだ?」
加蓮「え? ないしょ」
奈緒ちゃんの問いかけに、加蓮ちゃんは意地悪っぽく言った。
奈緒「ええー、あたしだけハブかよ。勘弁してくれよ」
凛「奈緒。あとから、ね」
すかさず凛ちゃんのフォロー。そのタイミングで、先生が言葉をつないだ。
作「まあ、お客さんが来たことだし? 少しやってみる?」
さて、おもてなしの始まり。どちらから行こうか。
凛「じゃあ、私」
速いなあ。うん、でも。
凛ちゃんがものすごく頑張っていたこと、よくわかるから。
凛「奈緒、加蓮……聴いてね」
凛ちゃんはあの人に譜面を渡し、ピアノ脇に立つ。
874: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/09(月) 17:44:12.64 :JFNJKJm30
”私にだけForever - 国分友里恵”
”私にだけForever - 国分友里恵”
875: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/09(月) 17:44:48.92 :JDYiRPHF0
途切れ途切れの 今のあなたの嘘
問い詰めたい
突然のget back 言い訳と優しさ
すり替えてる
先生とあの人の弄り、もとい、レッスンの効果か。
凛ちゃんはすごく伸びた。
ただでさえ、うちの事務所最強だと思っていたのに、まだ伸びしろがあったなんて。
今頃 何しに来たの?
強がりの一つでも言いたいけど
Love me once again 私にだけ forever
本気で誓えるなら側にいて
奈緒「うっわ……」
加蓮「……」
奈緒ちゃんの漏らした一言ののち、ふたりは絶句した。
当然だ。私もかつて絶句したのだから。
Love me once again もう何もいらない
光の海に抱かれあなたへと
もともとパンチ力のある凛ちゃんのヴォーカルを、さらに発展させる。
先生とあの人は、音域とダイナミクスを拡げることに手をつけた。
スパルタ式学習法。凛ちゃんはそれを見事に吸収しきった。
Love me once again 離れてた分だけ
心は強くなるわ more than yesterday
肉声の洪水。
曲を終えて、凛ちゃんがにっこりとほほ笑む。
凛「……どう?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
途切れ途切れの 今のあなたの嘘
問い詰めたい
突然のget back 言い訳と優しさ
すり替えてる
先生とあの人の弄り、もとい、レッスンの効果か。
凛ちゃんはすごく伸びた。
ただでさえ、うちの事務所最強だと思っていたのに、まだ伸びしろがあったなんて。
今頃 何しに来たの?
強がりの一つでも言いたいけど
Love me once again 私にだけ forever
本気で誓えるなら側にいて
奈緒「うっわ……」
加蓮「……」
奈緒ちゃんの漏らした一言ののち、ふたりは絶句した。
当然だ。私もかつて絶句したのだから。
Love me once again もう何もいらない
光の海に抱かれあなたへと
もともとパンチ力のある凛ちゃんのヴォーカルを、さらに発展させる。
先生とあの人は、音域とダイナミクスを拡げることに手をつけた。
スパルタ式学習法。凛ちゃんはそれを見事に吸収しきった。
Love me once again 離れてた分だけ
心は強くなるわ more than yesterday
肉声の洪水。
曲を終えて、凛ちゃんがにっこりとほほ笑む。
凛「……どう?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
879: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/13(金) 17:56:52.91 :+utIAiHI0
奈緒「……」
加蓮「……」
凛ちゃんの問いかけに、苦い顔のふたり。
これが、今の渋谷凛。
奈緒「……ふぅ」
奈緒ちゃんは大きなため息をひとつ吐き、スタジオの天井を見遣る。
加蓮ちゃんは握りしめた右手を、開いたり閉じたりしていた。
加蓮「……悔しいな」
先に口を開いたのは、加蓮ちゃんだった。
凛「悔しい?」
加蓮「うん、どうしようもなく。悔しい」
加蓮「ものすごく、置いてきぼりな気分」
そうつぶやく加蓮ちゃんの言葉に、奈緒ちゃんが同意する。
奈緒「加蓮の言うとおり、かな。うん」
奈緒「あたしたち、三人でどこまでも行けるって、そう思ってたんだけどな」
奈緒「なんか、凛が遠くなった……」
その言葉は、彼女たちにとって事実だろう。
でも。
楓「ふたりとも、がっかりするのは早いんじゃ、ないかしら?」
ここからは私のターン。
おもてなしは、終わらない。
楓「凛ちゃん、組んで」
歌い終えたばかりの凛ちゃんはうなずき、スタジオの中央に歩み寄った。
手を取りあい、アブラッソ。
奈緒「……」
加蓮「……」
凛ちゃんの問いかけに、苦い顔のふたり。
これが、今の渋谷凛。
奈緒「……ふぅ」
奈緒ちゃんは大きなため息をひとつ吐き、スタジオの天井を見遣る。
加蓮ちゃんは握りしめた右手を、開いたり閉じたりしていた。
加蓮「……悔しいな」
先に口を開いたのは、加蓮ちゃんだった。
凛「悔しい?」
加蓮「うん、どうしようもなく。悔しい」
加蓮「ものすごく、置いてきぼりな気分」
そうつぶやく加蓮ちゃんの言葉に、奈緒ちゃんが同意する。
奈緒「加蓮の言うとおり、かな。うん」
奈緒「あたしたち、三人でどこまでも行けるって、そう思ってたんだけどな」
奈緒「なんか、凛が遠くなった……」
その言葉は、彼女たちにとって事実だろう。
でも。
楓「ふたりとも、がっかりするのは早いんじゃ、ないかしら?」
ここからは私のターン。
おもてなしは、終わらない。
楓「凛ちゃん、組んで」
歌い終えたばかりの凛ちゃんはうなずき、スタジオの中央に歩み寄った。
手を取りあい、アブラッソ。
880: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/13(金) 17:57:33.52 :y2IWdb230
”Michelangelo '70 - Astor Piazzolla”
”Michelangelo '70 - Astor Piazzolla”
881: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/13(金) 17:58:23.44 :y2IWdb230
あの人と先生が奏でる硬質の音に、私たちはステップを踏み出す。
サカーダ。
ふたりは、私たちの足さばきにくぎ付けになる。
私のリードに、凛ちゃんの足が絡む。
ガンチョ。
私たちの視線を、くぎ付けのふたりに流す。
加蓮「うわ……エロい……」
そのつぶやきが、私たちのごちそう。
年齢のこともあって、私はあまりダンスに練習を向けなかった。
でも、そうではない。歌と踊りの融合は、自分をさらに高めるために必須。
マストレさんの教えはハードだ。
自分を超える。その一心でひたすら鍛えた。
だから、すべての言葉がうれしい。
作「Hola!(オラ!)」
先生の合いの手が、私たちを加速させる。
最終盤。組んでいた私たちは離れ、ソロで踊り、そして崩れ落ちるように伏せる。
静寂。
息が上がる。私のせいいっぱい。
奈緒「……いやあ」
奈緒ちゃんが困ったような表情をしながら、口を開く。
奈緒「なんか、とどめ刺された気分……」
加蓮「うん、奈緒の言うとおり……」
ふたりの顔色はさえない。
奈緒「なあ、凛。教えてよ」
凛「ん?」
奈緒「あたしたちは、凛と一緒にいていいのかな?」
凛「え? なにが?」
凛ちゃんが訊きかえす。
奈緒「なんか、さ。あたしたちが足手まといになっているよう、な……」
そう言って奈緒ちゃんはうつむいた。
そんなふたりに、凛ちゃんが歩み寄る。
凛「奈緒?」
目を見て、告げる。
凛「なにをバカなこと言ってるの?」
あの人と先生が奏でる硬質の音に、私たちはステップを踏み出す。
サカーダ。
ふたりは、私たちの足さばきにくぎ付けになる。
私のリードに、凛ちゃんの足が絡む。
ガンチョ。
私たちの視線を、くぎ付けのふたりに流す。
加蓮「うわ……エロい……」
そのつぶやきが、私たちのごちそう。
年齢のこともあって、私はあまりダンスに練習を向けなかった。
でも、そうではない。歌と踊りの融合は、自分をさらに高めるために必須。
マストレさんの教えはハードだ。
自分を超える。その一心でひたすら鍛えた。
だから、すべての言葉がうれしい。
作「Hola!(オラ!)」
先生の合いの手が、私たちを加速させる。
最終盤。組んでいた私たちは離れ、ソロで踊り、そして崩れ落ちるように伏せる。
静寂。
息が上がる。私のせいいっぱい。
奈緒「……いやあ」
奈緒ちゃんが困ったような表情をしながら、口を開く。
奈緒「なんか、とどめ刺された気分……」
加蓮「うん、奈緒の言うとおり……」
ふたりの顔色はさえない。
奈緒「なあ、凛。教えてよ」
凛「ん?」
奈緒「あたしたちは、凛と一緒にいていいのかな?」
凛「え? なにが?」
凛ちゃんが訊きかえす。
奈緒「なんか、さ。あたしたちが足手まといになっているよう、な……」
そう言って奈緒ちゃんはうつむいた。
そんなふたりに、凛ちゃんが歩み寄る。
凛「奈緒?」
目を見て、告げる。
凛「なにをバカなこと言ってるの?」
882: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/13(金) 17:59:29.19 :y2IWdb230
彼女は断言した。
奈緒「え?」
加蓮「え……」
凛「私の軸は、トライアド。それは変わらない」
私は、ふたりの肩に手を置き、微笑んでみせた。
とまどうふたり。
凛「確かにソロを増やしたいとは言った。でも、今も、この先も、私はトライアドの一員で」
凛「奈緒と加蓮がいてこその、私」
その言葉に、私はうなずく。
楓「なんで今日、凛ちゃんがここに呼んだか、わかる?」
ふたりとも首を横に振る。
凛「奈緒と加蓮に、今の私を見てほしいのが、ひとつ」
凛「それと、もうひとつは……」
凛ちゃんが振り向いた先には、あの人。
あの人はにやにやしながら、なにやらカードを掲げた。そこには。
『ドッキリ大成功』
奈緒ちゃんと加蓮ちゃんの顔色が変わる。
奈緒「んなあ?!」
加蓮「え? え?」
奈緒「ど、ど、どどどドキドキどど……ドッキリ?!」
あの人は、これ以上ないくらいのドヤ顔。
凛「そういうこと」
凛ちゃんは笑いをこらえてる。
楓「まあ、ドッキリっていうのは大げさだけど」
楓「でも、決して奈緒ちゃんと加蓮ちゃんを置いていくつもりはないの。覚えていて?」
奈緒ちゃんは顔色が青くなったり赤くなったり。なんというか、かわいい。
加蓮ちゃんも混乱の色が隠せない。かわいい。
凛「そ。奈緒と加蓮には、ぜひ協力してもらわないと、ね」
楓「だって私たち」
おもてなしの、笑顔で。
楓「『なおかれんをしごき隊』だから」
奈緒「……はあ?!」
加蓮「なに、それ?!」
あっけにとられるふたりに、追い打ち。
凛「なにって、そのまんま」
楓「『なおかれんをしごき隊』よ?」
四人の悪辣な顔に、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんの表情は再び青くなった。
凛ちゃんがこのユニットを終えたその先。
トライアドの行く先を見据えて、残ったふたりと進むには、このタイミングは絶好だ。
凛ちゃんの懸念と不安を、私とあの人は解決したいなとも思ったし。
だったら。
奈緒ちゃん、加蓮ちゃん、ご愁傷さま。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女は断言した。
奈緒「え?」
加蓮「え……」
凛「私の軸は、トライアド。それは変わらない」
私は、ふたりの肩に手を置き、微笑んでみせた。
とまどうふたり。
凛「確かにソロを増やしたいとは言った。でも、今も、この先も、私はトライアドの一員で」
凛「奈緒と加蓮がいてこその、私」
その言葉に、私はうなずく。
楓「なんで今日、凛ちゃんがここに呼んだか、わかる?」
ふたりとも首を横に振る。
凛「奈緒と加蓮に、今の私を見てほしいのが、ひとつ」
凛「それと、もうひとつは……」
凛ちゃんが振り向いた先には、あの人。
あの人はにやにやしながら、なにやらカードを掲げた。そこには。
『ドッキリ大成功』
奈緒ちゃんと加蓮ちゃんの顔色が変わる。
奈緒「んなあ?!」
加蓮「え? え?」
奈緒「ど、ど、どどどドキドキどど……ドッキリ?!」
あの人は、これ以上ないくらいのドヤ顔。
凛「そういうこと」
凛ちゃんは笑いをこらえてる。
楓「まあ、ドッキリっていうのは大げさだけど」
楓「でも、決して奈緒ちゃんと加蓮ちゃんを置いていくつもりはないの。覚えていて?」
奈緒ちゃんは顔色が青くなったり赤くなったり。なんというか、かわいい。
加蓮ちゃんも混乱の色が隠せない。かわいい。
凛「そ。奈緒と加蓮には、ぜひ協力してもらわないと、ね」
楓「だって私たち」
おもてなしの、笑顔で。
楓「『なおかれんをしごき隊』だから」
奈緒「……はあ?!」
加蓮「なに、それ?!」
あっけにとられるふたりに、追い打ち。
凛「なにって、そのまんま」
楓「『なおかれんをしごき隊』よ?」
四人の悪辣な顔に、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんの表情は再び青くなった。
凛ちゃんがこのユニットを終えたその先。
トライアドの行く先を見据えて、残ったふたりと進むには、このタイミングは絶好だ。
凛ちゃんの懸念と不安を、私とあの人は解決したいなとも思ったし。
だったら。
奈緒ちゃん、加蓮ちゃん、ご愁傷さま。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
886: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/18(水) 13:38:04.17 :NlNkdQrd0
pipipi pipipi pipipi ……
楓「ん……んん……」
pipi…… かちっ。
楓「……朝、か」
8月。エアコンをかけていてもやや暑さの残る朝。
再来週にはツアーが始まる。
素肌に触れるタオルケットが、やや湿り気を帯びている。
楓「Pさん、起きましょう?」
P「ん? ……んんー」
一緒に寝ていたあの人を起こす。
P「ああ、おはようございます」
かすれ声のあの人を、後ろから抱きしめる。
肌と肌のふれあいが気持ちいい。
楓「おはようございます、あなた」
触れるだけのキスをひとつ。
我ながらただれた朝だなあ、とは思うけど。でも、こうしていたい。
あの時の恐怖、そこから完全に抜け出せたわけじゃない。
疲れがピークの時なんか、身体の疲れに引かれるように、不安な気持ちが湧いてくる。
そのたびに、あの人をむさぼる。
これではいけないとは思うけど。
P「少しは、眠れました?」
楓「ええ、たぶん」
あの人が優しいから。
甘えてしまう。
楓「Pさんこそ、眠れなかったじゃないですか?」
P「いやあ? そんなことないですよ?」
あの人がほほえむ。
P「楓さんをいっぱい感じられましたし?」
そう言われて、私は赤面する。
何度も身体を重ねているとはいえ、恥ずかしいことには変わりない。
P「そういう乙女な楓さんも、大好きですよ」
あの人は振り向き、髪をなでてくれた。
楓「なんか……あ、ありがとう」
照れ隠しにお礼など言ってみる。たぶんあの人は、お見通し。
P「少しは不安、和らぎました?」
楓「え、ええ。まあ。でも」
楓「やっぱり、ずっと一緒にいないと、だめかも」
おとぼけ半分、本気半分。
いや。ずっと一緒にだから、全部本気。
P「ふふ、そうですねえ。ま、それはぼちぼちと」
楓「……はい」
ふたりシャワーを浴び、軽く朝食をつまむ。
今日は通しのリハがある。あの人と一緒にスタジオへ向かう。
pipipi pipipi pipipi ……
楓「ん……んん……」
pipi…… かちっ。
楓「……朝、か」
8月。エアコンをかけていてもやや暑さの残る朝。
再来週にはツアーが始まる。
素肌に触れるタオルケットが、やや湿り気を帯びている。
楓「Pさん、起きましょう?」
P「ん? ……んんー」
一緒に寝ていたあの人を起こす。
P「ああ、おはようございます」
かすれ声のあの人を、後ろから抱きしめる。
肌と肌のふれあいが気持ちいい。
楓「おはようございます、あなた」
触れるだけのキスをひとつ。
我ながらただれた朝だなあ、とは思うけど。でも、こうしていたい。
あの時の恐怖、そこから完全に抜け出せたわけじゃない。
疲れがピークの時なんか、身体の疲れに引かれるように、不安な気持ちが湧いてくる。
そのたびに、あの人をむさぼる。
これではいけないとは思うけど。
P「少しは、眠れました?」
楓「ええ、たぶん」
あの人が優しいから。
甘えてしまう。
楓「Pさんこそ、眠れなかったじゃないですか?」
P「いやあ? そんなことないですよ?」
あの人がほほえむ。
P「楓さんをいっぱい感じられましたし?」
そう言われて、私は赤面する。
何度も身体を重ねているとはいえ、恥ずかしいことには変わりない。
P「そういう乙女な楓さんも、大好きですよ」
あの人は振り向き、髪をなでてくれた。
楓「なんか……あ、ありがとう」
照れ隠しにお礼など言ってみる。たぶんあの人は、お見通し。
P「少しは不安、和らぎました?」
楓「え、ええ。まあ。でも」
楓「やっぱり、ずっと一緒にいないと、だめかも」
おとぼけ半分、本気半分。
いや。ずっと一緒にだから、全部本気。
P「ふふ、そうですねえ。ま、それはぼちぼちと」
楓「……はい」
ふたりシャワーを浴び、軽く朝食をつまむ。
今日は通しのリハがある。あの人と一緒にスタジオへ向かう。
887: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/18(水) 13:38:57.75 :NlNkdQrd0
凛「楓さん、Pさん。おはよ」
凛ちゃんはスタジオの前で待っていた。
相変わらず、りりしい。
凛「楓さんは、愛の巣から直行、ってとこ?」
打ち解けてからというもの、凛ちゃんはなかなか容赦がない。
楓「う、うん。そうね」
凛「ふーん……」
楓「な、なにかしら?」
凛「あんまりデレてると、パパラッチのエサになっちゃうかも?」
楓「!」
ほらね。
もちろん冗談であることは、わかってる。彼女は彼女なりに、いろいろ気を遣ってくれてるのだ。
いろいろ、気を付けてね、と。
P「おい、凛?」
凛「あはは。冗談だよ、冗談。Pさんなら、うまくやってるよ、ね?」
あの人は苦笑いするしかない。
ビューティフル小姑、なかなか手ごわい。
凛「あ、そうそう。奈緒と加蓮は午後からでいいんだよね?」
P「まあな。ふたりはゲストだからな」
『なおかれんをしごき隊』の活動はすこぶる順調で、ふたりとも1ヶ月で見違えるほど伸びた。
その分、体力と気力を大いに奪った気もするけど。
感動の涙を流したのだ、と思いたい。
私たちと一緒にレッスンする中で、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんをゲスト出演することに決めた。
最終の東京ドーム公演。
顔ぶれだけなら、私とトライアドなのだけど。でも。
今は『Bleuet Bleu』のツアーなのだから。彼女たちがお客さまだ。
もっとも、ふたりのモチベーションが上がったのには、私たちが驚いたのだが。
加蓮「そりゃあ、私たちはアイドルなんだから。やっぱり観るより『出る』だよね?」
奈緒「楓さんや凛に負けないところを見せられる機会だし。燃えてくるさ」
やはり、私たちはプロなんだ。魅せてなんぼ。
彼女たちの意識は高い。
奈緒ちゃんたちのスケジュールを確認して、私たち三人はスタジオへ入っていく。
今日はサポートメンバーも全員そろっている。
凛「楓さん、Pさん。おはよ」
凛ちゃんはスタジオの前で待っていた。
相変わらず、りりしい。
凛「楓さんは、愛の巣から直行、ってとこ?」
打ち解けてからというもの、凛ちゃんはなかなか容赦がない。
楓「う、うん。そうね」
凛「ふーん……」
楓「な、なにかしら?」
凛「あんまりデレてると、パパラッチのエサになっちゃうかも?」
楓「!」
ほらね。
もちろん冗談であることは、わかってる。彼女は彼女なりに、いろいろ気を遣ってくれてるのだ。
いろいろ、気を付けてね、と。
P「おい、凛?」
凛「あはは。冗談だよ、冗談。Pさんなら、うまくやってるよ、ね?」
あの人は苦笑いするしかない。
ビューティフル小姑、なかなか手ごわい。
凛「あ、そうそう。奈緒と加蓮は午後からでいいんだよね?」
P「まあな。ふたりはゲストだからな」
『なおかれんをしごき隊』の活動はすこぶる順調で、ふたりとも1ヶ月で見違えるほど伸びた。
その分、体力と気力を大いに奪った気もするけど。
感動の涙を流したのだ、と思いたい。
私たちと一緒にレッスンする中で、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんをゲスト出演することに決めた。
最終の東京ドーム公演。
顔ぶれだけなら、私とトライアドなのだけど。でも。
今は『Bleuet Bleu』のツアーなのだから。彼女たちがお客さまだ。
もっとも、ふたりのモチベーションが上がったのには、私たちが驚いたのだが。
加蓮「そりゃあ、私たちはアイドルなんだから。やっぱり観るより『出る』だよね?」
奈緒「楓さんや凛に負けないところを見せられる機会だし。燃えてくるさ」
やはり、私たちはプロなんだ。魅せてなんぼ。
彼女たちの意識は高い。
奈緒ちゃんたちのスケジュールを確認して、私たち三人はスタジオへ入っていく。
今日はサポートメンバーも全員そろっている。
888: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/18(水) 13:39:33.12 :NlNkdQrd0
楓「今日はよろしくお願いします」
凛「よろしくお願いします」
そして、通しのリハ。形はほぼ出来上がっているから、全体の音あわせに終始する。
順調にこなす。
凛「お、来たね」
加蓮「やっほー」
奈緒「遅くなりました!」
午後一番に、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんが合流する。
奈緒ちゃんは、フル編成のバンドと合わせるのがはじめてらしく、緊張しているようだ。
奈緒「ど、どうぞ! よろしくお願いしましゅ!」
しましゅ?
凛「ぷっ」
凛ちゃんが噴き出す声が響き、奈緒ちゃんの顔が真っ赤になっていく。
加蓮「……ほんと頼むよ? リーダー?」
奈緒「ああぁ、ノーカン! 今のノーカン!」
スタジオの雰囲気がやわらかくなる。
奈緒「……よろしくお願いします!!」
そう言い直したとたん、メンバーから拍手の雨。
赤い顔がますます赤くなったようだ。
P「オッケー。奈緒と加蓮はまあ顔合わせ程度だけど、12月までにはしっかり作っておいてもらう」
P「マストレさんにも、よーく、よぉーく、言っておくから」
あの人の笑顔に、ふたりの表情がこわばる。
1ヶ月がんばったもんね。これからが本番よ?
リハ終了。もういつ本番を迎えてもいい仕上がり。
いよいよ札幌から。ツアーが始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓「今日はよろしくお願いします」
凛「よろしくお願いします」
そして、通しのリハ。形はほぼ出来上がっているから、全体の音あわせに終始する。
順調にこなす。
凛「お、来たね」
加蓮「やっほー」
奈緒「遅くなりました!」
午後一番に、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんが合流する。
奈緒ちゃんは、フル編成のバンドと合わせるのがはじめてらしく、緊張しているようだ。
奈緒「ど、どうぞ! よろしくお願いしましゅ!」
しましゅ?
凛「ぷっ」
凛ちゃんが噴き出す声が響き、奈緒ちゃんの顔が真っ赤になっていく。
加蓮「……ほんと頼むよ? リーダー?」
奈緒「ああぁ、ノーカン! 今のノーカン!」
スタジオの雰囲気がやわらかくなる。
奈緒「……よろしくお願いします!!」
そう言い直したとたん、メンバーから拍手の雨。
赤い顔がますます赤くなったようだ。
P「オッケー。奈緒と加蓮はまあ顔合わせ程度だけど、12月までにはしっかり作っておいてもらう」
P「マストレさんにも、よーく、よぉーく、言っておくから」
あの人の笑顔に、ふたりの表情がこわばる。
1ヶ月がんばったもんね。これからが本番よ?
リハ終了。もういつ本番を迎えてもいい仕上がり。
いよいよ札幌から。ツアーが始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
893: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/19(木) 18:04:39.32 :kfUxAf1e0
真駒内アイスアリーナ。秋空と呼ぶには、まだ日差しが強い感じがする。
ツアー初日。
チケットは早々とソールドアウト。追加立見席も売り切れ。
楓「ラストラン、か」
感傷というほどじゃないけど、ややセンチな気分になる。
私とあの人は三日前から札幌に乗り込み、ステージが出来上がっていくさまを見てきた。
お城のような雛壇。このステージと4ヶ月の間共にする。
P「あれ、なにやってるかわかります?」
あの人は、音響さんがレーザーで確認している様子を指す。
楓「いえ?」
P「スピーカーの配置を決めてるんですよ。音が全体にバランスよくいきわたるように、レーザーで確認してるんです」
楓「へえ」
P「アリーナはコンサート用に作られてないですからね。まあ、これもうちの事務所のこだわりですかね」
それぞれのプロがそれぞれのこだわりで、黙々と仕事をこなす。
職人集団、という言葉がぴったりの様子。
それをまとめるあの人のこだわりも相当のものだと、容易に想像できた。
楓「なんか……すごいってしか言えないですね」
P「僕は彼らに任せっきりですし、ほんとありがたいことです」
楓「Pさん」
P「ん? なんです?」
楓「いよいよ……始まりますね」
ふとそんなことをつぶやく。すると。
P「楓さん……未練、あります?」
楓「未練、ですか」
あの人の問いかけに、首を横に振る。
楓「いえ。ただ」
P「ただ?」
楓「これだけ期待しているファンの皆さんに、大きな華を残せたらな、って」
あの人は無言で同意する。
打ち上げ花火は、大きくて華やかなのに限る。
決意を新たに。
真駒内アイスアリーナ。秋空と呼ぶには、まだ日差しが強い感じがする。
ツアー初日。
チケットは早々とソールドアウト。追加立見席も売り切れ。
楓「ラストラン、か」
感傷というほどじゃないけど、ややセンチな気分になる。
私とあの人は三日前から札幌に乗り込み、ステージが出来上がっていくさまを見てきた。
お城のような雛壇。このステージと4ヶ月の間共にする。
P「あれ、なにやってるかわかります?」
あの人は、音響さんがレーザーで確認している様子を指す。
楓「いえ?」
P「スピーカーの配置を決めてるんですよ。音が全体にバランスよくいきわたるように、レーザーで確認してるんです」
楓「へえ」
P「アリーナはコンサート用に作られてないですからね。まあ、これもうちの事務所のこだわりですかね」
それぞれのプロがそれぞれのこだわりで、黙々と仕事をこなす。
職人集団、という言葉がぴったりの様子。
それをまとめるあの人のこだわりも相当のものだと、容易に想像できた。
楓「なんか……すごいってしか言えないですね」
P「僕は彼らに任せっきりですし、ほんとありがたいことです」
楓「Pさん」
P「ん? なんです?」
楓「いよいよ……始まりますね」
ふとそんなことをつぶやく。すると。
P「楓さん……未練、あります?」
楓「未練、ですか」
あの人の問いかけに、首を横に振る。
楓「いえ。ただ」
P「ただ?」
楓「これだけ期待しているファンの皆さんに、大きな華を残せたらな、って」
あの人は無言で同意する。
打ち上げ花火は、大きくて華やかなのに限る。
決意を新たに。
894: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/19(木) 18:05:29.61 :kfUxAf1e0
そして、その時が来た。
開演15分前。私も凛ちゃんも準備万端。
会場の熱気が、楽屋にまで伝わるようだ。
凛「じゃあ、行こうか」
楓「ええ、行きましょう」
ふたり、出番の位置に向かう。
凛ちゃんは上手の花道へ、私はバックステージへ。
はじめは凛ちゃんのソロが続くが、彼女のパフォーマンスをできれば近くで見たい。
すっかり私は、凛ちゃんの大ファンになっている。
いや、出会った頃からすでに虜だったかかも。
1ベルの音。開演5分前だ。
アナ「本日は『Bleuet Bleu』ライヴツアー20XXにお越しくださまして、誠にありがとうございます。開演に先がけまして……」
そして、本ベル。会場が闇につつまれる。
オープニング。まだ誰も登っていないステージに、音楽が鳴り響く。
そして、その時が来た。
開演15分前。私も凛ちゃんも準備万端。
会場の熱気が、楽屋にまで伝わるようだ。
凛「じゃあ、行こうか」
楓「ええ、行きましょう」
ふたり、出番の位置に向かう。
凛ちゃんは上手の花道へ、私はバックステージへ。
はじめは凛ちゃんのソロが続くが、彼女のパフォーマンスをできれば近くで見たい。
すっかり私は、凛ちゃんの大ファンになっている。
いや、出会った頃からすでに虜だったかかも。
1ベルの音。開演5分前だ。
アナ「本日は『Bleuet Bleu』ライヴツアー20XXにお越しくださまして、誠にありがとうございます。開演に先がけまして……」
そして、本ベル。会場が闇につつまれる。
オープニング。まだ誰も登っていないステージに、音楽が鳴り響く。
895: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/19(木) 18:06:08.67 :kfUxAf1e0
”Finale - Mar-pa”
”Finale - Mar-pa”
896: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/19(木) 18:06:41.29 :N/myF1JJ0
打ち込みシンセの音に続き、あの人が登場。
会場の歓声と拍手の中、フィンガーシンバルを鳴らす。
その音に惹かれるように、メンバーが次々とステージへ。幻想的な雰囲気につつまれる。
楓「始まった、な」
手のひらにあの人の名前をなぞり、握りしめた。
大丈夫。
大丈夫。
客席は私たちの登場を、今か今かと待ち構えている。
その期待と反比例するように、曲がフェードアウトした。
いよいよだ。絶対歌姫の登場。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
打ち込みシンセの音に続き、あの人が登場。
会場の歓声と拍手の中、フィンガーシンバルを鳴らす。
その音に惹かれるように、メンバーが次々とステージへ。幻想的な雰囲気につつまれる。
楓「始まった、な」
手のひらにあの人の名前をなぞり、握りしめた。
大丈夫。
大丈夫。
客席は私たちの登場を、今か今かと待ち構えている。
その期待と反比例するように、曲がフェードアウトした。
いよいよだ。絶対歌姫の登場。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
900: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:29:55.15 :HpppZsoR0
フェードアウトした曲に被るように、別のイントロが入ってくる。
客席「おおおお?」
客席の期待が高まる。
そして、上手にスポットライトが灯る。
凛「みんなー! 会いたかったよー!」
凛ちゃんが花道に飛び出してきた。
フェードアウトした曲に被るように、別のイントロが入ってくる。
客席「おおおお?」
客席の期待が高まる。
そして、上手にスポットライトが灯る。
凛「みんなー! 会いたかったよー!」
凛ちゃんが花道に飛び出してきた。
901: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:30:23.98 :HpppZsoR0
”I got you inside out - 国分友里恵”
”I got you inside out - 国分友里恵”
902: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:31:01.02 :8CNAM9F20
You その気なら more 一度 招くよ
You 見つけたら more 一度 誘うよ
街の中 触れる肩
凛ちゃんがセンターへ躍り出る。
客席の歓声が地鳴りのように響く。
You 目を伏せる 仕草が怖いよ
揺れる瞳感じて 離さない
勝手な性 キザなshy guy
アリーナは凛ちゃんの色、蒼のサイリウムで埋められている。
そのうねりの中、凛ちゃんのヴォーカルが突き抜ける。
I got you inside out
I got you inside out. You, baby
I got you inside out
I got you inside out. You, baby
曲の疾走感を落とさず、続けて2曲。
『Never say never』『私にだけforever』
彼女の声は、止まらない。
客席「はい! はい! はい! ……」
客席のテンションはスタートからマックス状態。
息もつかせない。
曲が終わり、ステージの照明も蒼に落とされてる。
凛ちゃんはフロアスピーカーに座り、マイクを両手で包むように構えた。
Hello again ---it's me
You その気なら more 一度 招くよ
You 見つけたら more 一度 誘うよ
街の中 触れる肩
凛ちゃんがセンターへ躍り出る。
客席の歓声が地鳴りのように響く。
You 目を伏せる 仕草が怖いよ
揺れる瞳感じて 離さない
勝手な性 キザなshy guy
アリーナは凛ちゃんの色、蒼のサイリウムで埋められている。
そのうねりの中、凛ちゃんのヴォーカルが突き抜ける。
I got you inside out
I got you inside out. You, baby
I got you inside out
I got you inside out. You, baby
曲の疾走感を落とさず、続けて2曲。
『Never say never』『私にだけforever』
彼女の声は、止まらない。
客席「はい! はい! はい! ……」
客席のテンションはスタートからマックス状態。
息もつかせない。
曲が終わり、ステージの照明も蒼に落とされてる。
凛ちゃんはフロアスピーカーに座り、マイクを両手で包むように構えた。
Hello again ---it's me
903: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:31:37.98 :8CNAM9F20
”New day for you - Basia”
”New day for you - Basia”
904: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:33:04.51 :HpppZsoR0
凛ちゃんは語りかけるように歌いだす。
これまでの数か月、彼女が努力して習得したものだ。
Your shoulder's where I sit
The half, nobody sees, of a silent partnership
I am here---your help at hand
今までの疾走感あふれる強いスタイルから、新しいスタイルへ。
ソフトアンドウォーム。
力強さと優しさを同居させるよう、がんばってきた。
I'm never far away
A clear view from where I stand
I'll be there if you need me
I am your helping hand
My words---you've heard them all before
It's only for the sake of love
客席「……」
観客はみな、彼女の歌に聞き惚れている。
凛ちゃんは右手を前にかざした。
It's gonna be a new day for you
A new day for you
The stars have played their part
The past is gone and done
Have more faith in love
The best is yet to come
ロングトーンとともに右手を伸ばし、なにかをつかむように。
客席「……おおー!」
このダイナミクスが、凛ちゃんの真骨頂だ。
みんな、彼女の歌に吸い込まれていく。
It's gonna be a new day for you
A new day for you, new day for you, new day for you
Hello again ---it's me
少しずつスポットが暗くなり、凛ちゃんが退場。
私とすれ違う。
凛「お先に」
彼女はそう微笑んで、衣装替えに下がった。
楓「了解」
さあ、次は私の出番。
凛ちゃんは語りかけるように歌いだす。
これまでの数か月、彼女が努力して習得したものだ。
Your shoulder's where I sit
The half, nobody sees, of a silent partnership
I am here---your help at hand
今までの疾走感あふれる強いスタイルから、新しいスタイルへ。
ソフトアンドウォーム。
力強さと優しさを同居させるよう、がんばってきた。
I'm never far away
A clear view from where I stand
I'll be there if you need me
I am your helping hand
My words---you've heard them all before
It's only for the sake of love
客席「……」
観客はみな、彼女の歌に聞き惚れている。
凛ちゃんは右手を前にかざした。
It's gonna be a new day for you
A new day for you
The stars have played their part
The past is gone and done
Have more faith in love
The best is yet to come
ロングトーンとともに右手を伸ばし、なにかをつかむように。
客席「……おおー!」
このダイナミクスが、凛ちゃんの真骨頂だ。
みんな、彼女の歌に吸い込まれていく。
It's gonna be a new day for you
A new day for you, new day for you, new day for you
Hello again ---it's me
少しずつスポットが暗くなり、凛ちゃんが退場。
私とすれ違う。
凛「お先に」
彼女はそう微笑んで、衣装替えに下がった。
楓「了解」
さあ、次は私の出番。
905: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:33:41.29 :8CNAM9F20
『こいかぜ』
耳になじんだイントロが流れる。
私の原点。
どうしても、このツアーの一曲目はこれでいきたかった。
渇いた風が 心通り抜ける
溢れる想い 連れ去ってほしい
初めてのライヴを思い出す。
ストアライヴだった。お客さんだって、数えられるかもしれないくらいの。
でも、集まってくれたファンの熱気は、今この時も変わらない。
私のために。私に会いに。
楓(コリドー……)
ふとそう思う。
蒼のサイリウムに彩られた客席に、通路だけ黒の筋。
回廊のようだ。
まるで生きた回廊のように揺れ動く光を見つめ、私は歌う。
ただファンに想いを届けるため、それだけのために。
楓(うれしいな……)
今までのツアーと、なにかが違う。
それは、私の心の在り様なのか。
届いて、私の。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『こいかぜ』
耳になじんだイントロが流れる。
私の原点。
どうしても、このツアーの一曲目はこれでいきたかった。
渇いた風が 心通り抜ける
溢れる想い 連れ去ってほしい
初めてのライヴを思い出す。
ストアライヴだった。お客さんだって、数えられるかもしれないくらいの。
でも、集まってくれたファンの熱気は、今この時も変わらない。
私のために。私に会いに。
楓(コリドー……)
ふとそう思う。
蒼のサイリウムに彩られた客席に、通路だけ黒の筋。
回廊のようだ。
まるで生きた回廊のように揺れ動く光を見つめ、私は歌う。
ただファンに想いを届けるため、それだけのために。
楓(うれしいな……)
今までのツアーと、なにかが違う。
それは、私の心の在り様なのか。
届いて、私の。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
906: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:34:47.02 :HpppZsoR0
客席「うおおお!!」
客席「楓さーーーん!!」
『こいかぜ』が終わり、客席の歓声を身体いっぱいに浴びる。
心地いい。
そのまま、私は次の曲を。
客席「うおおお!!」
客席「楓さーーーん!!」
『こいかぜ』が終わり、客席の歓声を身体いっぱいに浴びる。
心地いい。
そのまま、私は次の曲を。
907: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:35:14.60 :8CNAM9F20
”さよならを言わせて - 今井優子”
”さよならを言わせて - 今井優子”
908: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:36:00.60 :8CNAM9F20
あなたの部屋に 通うこの道 今日でもう忘れるために
あなたがいないと 知って来たけど
窓辺にともる灯かり見つけて あなたがいるとわかると
決めてた心も 揺らいでゆくわ
ファンのために、心を籠めて歌い上げる。
私は、そうやって表現してきた。
すべてのファンの視線が、表情が、手に取るようにわかる気がする。
たった一度の たわむれのはずでも
時の深みへと沈む 自分がいたなんて
切ない女の子の歌。でも、あたかも幸せの中にいる私には、わかる。
愛は、いつもはかなくて、必死なんだ。
そうよ あなたを 今も愛してるわ
私は、あなたが好き。あなたを愛してる。
この気持ち、わかるかしら?
私は、ファンのひとりひとりに語りかける。
夜よお願い さよならを言わせて
せめてまだ 自分にしがみついて いられるうちに
きっとこの部屋の ドアを叩いたら
二度と戻れないこと 知ってるから 恐いの
あの人は、いつでも私のそばにいてくれる。
そして、これからも。
でも、いつも不安が隣り合わせにいた。あの人がいなくなったら……
あの日。あの人が倒れた日。
私は、世界が終わった気がしたのだ。
そんな思いはもうしたくない。だから、絶対に離さない。
私の複雑な想いも、みんなに届いているのだろうか。
ありがとう、みんな。
次の曲が始まる。今度は、自分から別れを選んだ女。
あなたの部屋に 通うこの道 今日でもう忘れるために
あなたがいないと 知って来たけど
窓辺にともる灯かり見つけて あなたがいるとわかると
決めてた心も 揺らいでゆくわ
ファンのために、心を籠めて歌い上げる。
私は、そうやって表現してきた。
すべてのファンの視線が、表情が、手に取るようにわかる気がする。
たった一度の たわむれのはずでも
時の深みへと沈む 自分がいたなんて
切ない女の子の歌。でも、あたかも幸せの中にいる私には、わかる。
愛は、いつもはかなくて、必死なんだ。
そうよ あなたを 今も愛してるわ
私は、あなたが好き。あなたを愛してる。
この気持ち、わかるかしら?
私は、ファンのひとりひとりに語りかける。
夜よお願い さよならを言わせて
せめてまだ 自分にしがみついて いられるうちに
きっとこの部屋の ドアを叩いたら
二度と戻れないこと 知ってるから 恐いの
あの人は、いつでも私のそばにいてくれる。
そして、これからも。
でも、いつも不安が隣り合わせにいた。あの人がいなくなったら……
あの日。あの人が倒れた日。
私は、世界が終わった気がしたのだ。
そんな思いはもうしたくない。だから、絶対に離さない。
私の複雑な想いも、みんなに届いているのだろうか。
ありがとう、みんな。
次の曲が始まる。今度は、自分から別れを選んだ女。
909: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:36:47.19 :8CNAM9F20
”Just a woman - Marlene”
”Just a woman - Marlene”
910: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/24(火) 18:38:03.23 :HpppZsoR0
I'm not just a woman
Still attached to some romance
I'm not just a human
Who can be hurt and cry, boy
ミディアムな8ビートが私を動かす。
自分を切り替える。
Was it love to me?
Till I found the hours to count
I'm leaving this town
Feeling I'm dying
自分を捨てた男に、未練などない。
女は上書き保存だというけど。
I know we have reached the end of the line
When eyes of mine caught you
With someone you're sure of in your life
And you still come close to hold me
I could never deny
And it's just the craziest thing
I've ever had
私には、そういう割り切りができそうにない。
あの人に、ぞっこんなのだ。
I'm not just a woman
Still attached to some romance
Though it's breaking me apart
Down to the ground
Oh no, I'm not just a human
Who can be hurt and cry, boy
You would someday realize
How foll you were
I'm never coming back to you
もう戻らない。
そんな強い女性にはなれそうもないけど。
でも、これもまたおとぎ話。私は、演じ切る。
曲が終わり、ステージの闇にまぎれ舞台裏へ。
凛「楓さんおつかれ」
スタイリスト「次の衣装の準備できてます!」
楓「ありがとう」
ステージでは、先生がピアノソロで間をつないでいる。
私は、バックステージの簡易更衣室へ急ぐ。
アリーナのような距離のある会場では、いちいち楽屋まで着替えに行く時間が惜しい。
だから、仮設の更衣室を設えることがよくある。
まあ、簡単に囲ったものだから、ちょっと頑張れば覗けそうな感じではあるけど。
でも舞台裏の修羅場で、覗きに励めるような暇人はいない。
スタ「顔、簡単に直します!」
楓「はーい。あ、小道具は?」
AD「持ってきます!」
顔直しーの、服着替えーの、ヘア作りーの。
いつもの戦場が、ここにある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
I'm not just a woman
Still attached to some romance
I'm not just a human
Who can be hurt and cry, boy
ミディアムな8ビートが私を動かす。
自分を切り替える。
Was it love to me?
Till I found the hours to count
I'm leaving this town
Feeling I'm dying
自分を捨てた男に、未練などない。
女は上書き保存だというけど。
I know we have reached the end of the line
When eyes of mine caught you
With someone you're sure of in your life
And you still come close to hold me
I could never deny
And it's just the craziest thing
I've ever had
私には、そういう割り切りができそうにない。
あの人に、ぞっこんなのだ。
I'm not just a woman
Still attached to some romance
Though it's breaking me apart
Down to the ground
Oh no, I'm not just a human
Who can be hurt and cry, boy
You would someday realize
How foll you were
I'm never coming back to you
もう戻らない。
そんな強い女性にはなれそうもないけど。
でも、これもまたおとぎ話。私は、演じ切る。
曲が終わり、ステージの闇にまぎれ舞台裏へ。
凛「楓さんおつかれ」
スタイリスト「次の衣装の準備できてます!」
楓「ありがとう」
ステージでは、先生がピアノソロで間をつないでいる。
私は、バックステージの簡易更衣室へ急ぐ。
アリーナのような距離のある会場では、いちいち楽屋まで着替えに行く時間が惜しい。
だから、仮設の更衣室を設えることがよくある。
まあ、簡単に囲ったものだから、ちょっと頑張れば覗けそうな感じではあるけど。
でも舞台裏の修羅場で、覗きに励めるような暇人はいない。
スタ「顔、簡単に直します!」
楓「はーい。あ、小道具は?」
AD「持ってきます!」
顔直しーの、服着替えーの、ヘア作りーの。
いつもの戦場が、ここにある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
916: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/25(水) 18:34:43.17 :ErwsXzCS0
先生のピアノが流れる中、私と凛ちゃんはスタンバイを終える。
下手の花道。ふたりで歩き始めたところに、ピンスポットが当たる。
ちょっとした寸劇。
楓「打ち上げー! さ、ささ。こっちこっち」
凛「楓さん……もう。ライヴ終わったからって浮かれすぎ」
楓「いいのいいの。まあ、ちょっと派手だけど」
凛「うん。どっから見てもステージ衣装だよね」
客席「わははは」
ステージ中央まで、そんなことを言いながら歩く。
ステージでは、先生とあの人。
流れるピアノの音色。
楓「ねえ、ここのお店よさそう。行きましょ?」
凛「え? ここ『パブ札幌』って……お酒の店じゃない!」
楓「えー、いいでしょ?」
凛「いやあ、私未成年だし?」
楓「……そうだっけ?」
架空の店『パブ札幌』に入店。もちろんステージにそんなセットはない。あるつもりで。
ドアを開けるSEと『ちりんちりん』という鈴の音。
P「いらっしゃいませ」
バーテンらしき役のあの人と、ピアノ弾きの先生。
楓「ピアノバー?」
凛「いい雰囲気……」
私たちは、ステージ中央に置かれた椅子に腰かける。
P「ご注文は」
楓「私はモスコミュールで」
凛「えっと、私は」
楓「牛乳」
凛「ちょっ!」
客席「わはは」
私は、凛ちゃんの肩に手をかける。
楓「凛ちゃん……今からがんばっても、雫ちゃんのようにはなれないから」
凛「楓さんが勝手に頼んだんでしょ? ……それと、どこ見ながら言ってるんだか」
客席「わははは」
先生のピアノが流れる中、私と凛ちゃんはスタンバイを終える。
下手の花道。ふたりで歩き始めたところに、ピンスポットが当たる。
ちょっとした寸劇。
楓「打ち上げー! さ、ささ。こっちこっち」
凛「楓さん……もう。ライヴ終わったからって浮かれすぎ」
楓「いいのいいの。まあ、ちょっと派手だけど」
凛「うん。どっから見てもステージ衣装だよね」
客席「わははは」
ステージ中央まで、そんなことを言いながら歩く。
ステージでは、先生とあの人。
流れるピアノの音色。
楓「ねえ、ここのお店よさそう。行きましょ?」
凛「え? ここ『パブ札幌』って……お酒の店じゃない!」
楓「えー、いいでしょ?」
凛「いやあ、私未成年だし?」
楓「……そうだっけ?」
架空の店『パブ札幌』に入店。もちろんステージにそんなセットはない。あるつもりで。
ドアを開けるSEと『ちりんちりん』という鈴の音。
P「いらっしゃいませ」
バーテンらしき役のあの人と、ピアノ弾きの先生。
楓「ピアノバー?」
凛「いい雰囲気……」
私たちは、ステージ中央に置かれた椅子に腰かける。
P「ご注文は」
楓「私はモスコミュールで」
凛「えっと、私は」
楓「牛乳」
凛「ちょっ!」
客席「わはは」
私は、凛ちゃんの肩に手をかける。
楓「凛ちゃん……今からがんばっても、雫ちゃんのようにはなれないから」
凛「楓さんが勝手に頼んだんでしょ? ……それと、どこ見ながら言ってるんだか」
客席「わははは」
917: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/25(水) 18:35:25.11 :ErwsXzCS0
まず、つかみはオッケー。
話は、自分たちのユニットやトライアドの話などに。
楓「このユニットの話があって、凛ちゃんはどう思った?」
凛「んー。やったぜ?」
楓「なにそれ」
凛「今までソロか、奈緒加蓮と一緒ばかりだったし。それに、うちの歌姫の楓さんと一緒って」
凛「なんか面白いことになりそうだって、わくわくした、かな」
客席から拍手が起こる。ちょっと恥ずかしい。
凛「私は楽しみしかなかったかな。楓さんは?」
楓「私ね? 昨日大通公園に行ったの」
凛「いや、この流れでその話おかしいでしょ?」
客席「わはは」
凛「……まあ、伺いましょう?」
楓「で、天気もいいし、ビールのワゴンとかもあったから、ここは呑まないとって」
凛「やっぱりお酒……ま、まあ、続き、どうぞ」
楓「でもね? 買おうと思ったけど、やめたの」
凛「楓さんにしては珍しいね」
楓「だってね? せっかくの札幌なのにね?」
凛「うん」
楓「売ってたの、スーパードライだったの」
客席「わははは」
凛「楓さん……それ以上はCM出演来なくなったりするから、やめよ?」
楓「で、ね? このユニットの話が出たとき」
凛「急に話戻しますかー」
まず、つかみはオッケー。
話は、自分たちのユニットやトライアドの話などに。
楓「このユニットの話があって、凛ちゃんはどう思った?」
凛「んー。やったぜ?」
楓「なにそれ」
凛「今までソロか、奈緒加蓮と一緒ばかりだったし。それに、うちの歌姫の楓さんと一緒って」
凛「なんか面白いことになりそうだって、わくわくした、かな」
客席から拍手が起こる。ちょっと恥ずかしい。
凛「私は楽しみしかなかったかな。楓さんは?」
楓「私ね? 昨日大通公園に行ったの」
凛「いや、この流れでその話おかしいでしょ?」
客席「わはは」
凛「……まあ、伺いましょう?」
楓「で、天気もいいし、ビールのワゴンとかもあったから、ここは呑まないとって」
凛「やっぱりお酒……ま、まあ、続き、どうぞ」
楓「でもね? 買おうと思ったけど、やめたの」
凛「楓さんにしては珍しいね」
楓「だってね? せっかくの札幌なのにね?」
凛「うん」
楓「売ってたの、スーパードライだったの」
客席「わははは」
凛「楓さん……それ以上はCM出演来なくなったりするから、やめよ?」
楓「で、ね? このユニットの話が出たとき」
凛「急に話戻しますかー」
918: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/25(水) 18:36:03.91 :ErwsXzCS0
楓「正直、悩んだ」
凛「悩んだ?」
楓「だって、私はずっとソロでやっていたし、凛ちゃんはそれこそうちのエースだから」
楓「自分に自信がなかった、かな」
凛「そう、なんだ」
楓「でも、こうしてファンのみなさんが、すごく楽しみにしてるのを感じて」
楓「ああ、なんかやってよかったなあって」
客席から大きな拍手が沸く。
凛「そうだね。うん、ファンのみんなが期待してくれるから、がんばれるね」
凛「それに、絶対忘れられないユニットになりたいしね」
楓「ほんとに。みなさんが絶対忘れられないライヴにしますからね? 期待してくださいね」
客席「おおおーー!!」
客席が大いに盛り上がる。
楓「凛ちゃんも、もうトライアドに戻れなくなったり」
凛「いやいやいや。トライアドは絶賛活動中だから。絶対やめないから」
客席「ぱちぱちぱち……」
楓「ところで、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんは」
凛「ブルーエの活動中も、ふたりは仕事がんばってるよ? 奈緒はトークの仕事こなしてるし」
楓「ああ。わりと自爆型だもんね、奈緒ちゃん」
客席「わははは」
凛「加蓮はほら、グラビアの仕事も多いし」
楓「最近はティーン誌に、エッセイの連載も持ってるのよね?」
凛「おしゃれ番長だからね。私もお世話になってる」
トライアドの話をちょこちょこと。
そして。
凛「私はね、ブルーエとトライアドのジョイントができないかなー、なんて。ちょっと期待しちゃったりして」
楓「あら、贅沢」
凛「以前に、楓さんとトライアドでジョイントやったことあったよね?」
楓「ああ、そうね。みなさんはDVD持ってますよね?」
私は客席に問いかける。
楓「持ってない方は、ライヴが終わったらぜひ」
凛「入口の販売コーナーにあるので。お手頃値段でご奉仕中」
客席「わははは」
楓「正直、悩んだ」
凛「悩んだ?」
楓「だって、私はずっとソロでやっていたし、凛ちゃんはそれこそうちのエースだから」
楓「自分に自信がなかった、かな」
凛「そう、なんだ」
楓「でも、こうしてファンのみなさんが、すごく楽しみにしてるのを感じて」
楓「ああ、なんかやってよかったなあって」
客席から大きな拍手が沸く。
凛「そうだね。うん、ファンのみんなが期待してくれるから、がんばれるね」
凛「それに、絶対忘れられないユニットになりたいしね」
楓「ほんとに。みなさんが絶対忘れられないライヴにしますからね? 期待してくださいね」
客席「おおおーー!!」
客席が大いに盛り上がる。
楓「凛ちゃんも、もうトライアドに戻れなくなったり」
凛「いやいやいや。トライアドは絶賛活動中だから。絶対やめないから」
客席「ぱちぱちぱち……」
楓「ところで、奈緒ちゃんや加蓮ちゃんは」
凛「ブルーエの活動中も、ふたりは仕事がんばってるよ? 奈緒はトークの仕事こなしてるし」
楓「ああ。わりと自爆型だもんね、奈緒ちゃん」
客席「わははは」
凛「加蓮はほら、グラビアの仕事も多いし」
楓「最近はティーン誌に、エッセイの連載も持ってるのよね?」
凛「おしゃれ番長だからね。私もお世話になってる」
トライアドの話をちょこちょこと。
そして。
凛「私はね、ブルーエとトライアドのジョイントができないかなー、なんて。ちょっと期待しちゃったりして」
楓「あら、贅沢」
凛「以前に、楓さんとトライアドでジョイントやったことあったよね?」
楓「ああ、そうね。みなさんはDVD持ってますよね?」
私は客席に問いかける。
楓「持ってない方は、ライヴが終わったらぜひ」
凛「入口の販売コーナーにあるので。お手頃値段でご奉仕中」
客席「わははは」
919: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/25(水) 18:37:04.80 :ErwsXzCS0
凛「もし、ブルーエとトライアドのジョイントができたら、盛り上がるかな、って」
楓「私たちが?」
客席「俺たちもー!!」
客席がさらに拍手で盛り上がる。
凛「ほら。期待していいんじゃないかな?」
楓「これは期待しちゃうわねえ」
凛「私たちの活動、追いかけてみてね」
ちょっと年末のことを、匂わせてみる。
P「ところでお客様?」
凛「はい?」
P「当店にはカラオケもありますが、いかがでしょう?」
凛「カラオケ?」
楓「機械は……なさそうだけど」
P「こちらに」
あの人が手をかざす方向に、すっと立った先生が。
右手をすっと挙げて。
楓「あら。ボクいくつ?」
作「……5しゃい」
楓「あらら。ずいぶん老けた5しゃい……」
凛「そこは突っ込まなくていいから」
客席「わははは」
凛「うん、いいよ。いいんじゃないかな」
楓「わーい、凛ちゃんの歌が聴ける。ぱちぱちー」
そして、凛ちゃんは席を立つ。
ニュー渋谷凛の真骨頂を、お披露目。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凛「もし、ブルーエとトライアドのジョイントができたら、盛り上がるかな、って」
楓「私たちが?」
客席「俺たちもー!!」
客席がさらに拍手で盛り上がる。
凛「ほら。期待していいんじゃないかな?」
楓「これは期待しちゃうわねえ」
凛「私たちの活動、追いかけてみてね」
ちょっと年末のことを、匂わせてみる。
P「ところでお客様?」
凛「はい?」
P「当店にはカラオケもありますが、いかがでしょう?」
凛「カラオケ?」
楓「機械は……なさそうだけど」
P「こちらに」
あの人が手をかざす方向に、すっと立った先生が。
右手をすっと挙げて。
楓「あら。ボクいくつ?」
作「……5しゃい」
楓「あらら。ずいぶん老けた5しゃい……」
凛「そこは突っ込まなくていいから」
客席「わははは」
凛「うん、いいよ。いいんじゃないかな」
楓「わーい、凛ちゃんの歌が聴ける。ぱちぱちー」
そして、凛ちゃんは席を立つ。
ニュー渋谷凛の真骨頂を、お披露目。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
925: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/26(木) 18:11:02.88 :h6iioJlH0
”くちばしにチェリー - EGO-WRAPPIN'”
”くちばしにチェリー - EGO-WRAPPIN'”
926: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/26(木) 18:11:53.12 :h6iioJlH0
なげかけた感嘆と砂ぼこりの中のステップ
ながめて過ごすダイヤル 弧を描くナンバー
はき出す出口 戸惑う 1日中泣いても意味ない
Walkin' 熟れてく果実
先生のピアノに歌が乗る。
凛ちゃんの歌声が、いつも以上に艶っぽい。
一皮むけた、ニュー渋谷凛。
チェリー いつまでもUP BEAT
届けてよ胸にもっと 赤が美しいことを
一寸先闇 赤をもっとおくれ くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へ着地
独特の4ビートに乗る。
もはや大人の女性ヴォーカルだ。
楓(うわあ、色っぽいなあ)
私は、凛ちゃんの隣という特等席でその歌声を堪能する。
ほんとにお酒を呑みながら、聴きたい。
チェリー いつまでもSHUFFLE BEAT
狂わせてHIGHをもっと 赤が美しいことを
一寸先闇 赤をもっとおくれ くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へGO 後光射す明日へGO
凛ちゃんは『私を超える』という決意を果たすため、果敢にチャレンジをしてきた。
この曲もそのひとつ。そしてそれは結実している。
今の凛ちゃんは少女ではない。大人の女性。
ひとりで立てるほどの存在感。
アリーナの大きさでも狭いくらい。
チェリーいつまでもUP BEAT
届けてよ胸にもっと もっと 赤をもっと くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へ着地 着地
底ぬける晴をもつビート
強烈な個性が会場を震わす。
客席「うおおおおーーー!!!」
客席「凛ちゃーーーん!!!」
凛「……ふぅ。どう?」
そこにいるのは、不敵にたたずむひとりの女性。
楓「……すごい」
凛「ありがと」
客席は拍手の嵐だ。
凛「さ、次は楓さんの番だよ?」
楓「私もやるの?」
凛「もちろん」
楓「ええ? わたしぃ、こういうのぉ、にがてでぇ」
凛「……いや、ブってても違和感ありまくりだから」
客席「わはは」
楓「わかりました、やりましょう。おりゃ、酒もってこい」
凛「……キレ芸はどうかと思うな」
お約束のオチの後、私は凛ちゃんと入れ替わり中央へ。
先生に和音を出してもらう。
なげかけた感嘆と砂ぼこりの中のステップ
ながめて過ごすダイヤル 弧を描くナンバー
はき出す出口 戸惑う 1日中泣いても意味ない
Walkin' 熟れてく果実
先生のピアノに歌が乗る。
凛ちゃんの歌声が、いつも以上に艶っぽい。
一皮むけた、ニュー渋谷凛。
チェリー いつまでもUP BEAT
届けてよ胸にもっと 赤が美しいことを
一寸先闇 赤をもっとおくれ くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へ着地
独特の4ビートに乗る。
もはや大人の女性ヴォーカルだ。
楓(うわあ、色っぽいなあ)
私は、凛ちゃんの隣という特等席でその歌声を堪能する。
ほんとにお酒を呑みながら、聴きたい。
チェリー いつまでもSHUFFLE BEAT
狂わせてHIGHをもっと 赤が美しいことを
一寸先闇 赤をもっとおくれ くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へGO 後光射す明日へGO
凛ちゃんは『私を超える』という決意を果たすため、果敢にチャレンジをしてきた。
この曲もそのひとつ。そしてそれは結実している。
今の凛ちゃんは少女ではない。大人の女性。
ひとりで立てるほどの存在感。
アリーナの大きさでも狭いくらい。
チェリーいつまでもUP BEAT
届けてよ胸にもっと もっと 赤をもっと くちばしにチェリー
不純けちらして行こ 後光射す明日へ着地 着地
底ぬける晴をもつビート
強烈な個性が会場を震わす。
客席「うおおおおーーー!!!」
客席「凛ちゃーーーん!!!」
凛「……ふぅ。どう?」
そこにいるのは、不敵にたたずむひとりの女性。
楓「……すごい」
凛「ありがと」
客席は拍手の嵐だ。
凛「さ、次は楓さんの番だよ?」
楓「私もやるの?」
凛「もちろん」
楓「ええ? わたしぃ、こういうのぉ、にがてでぇ」
凛「……いや、ブってても違和感ありまくりだから」
客席「わはは」
楓「わかりました、やりましょう。おりゃ、酒もってこい」
凛「……キレ芸はどうかと思うな」
お約束のオチの後、私は凛ちゃんと入れ替わり中央へ。
先生に和音を出してもらう。
927: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/26(木) 18:12:55.71 :RRSOSZ9b0
”家へおいでよ(カモナマイハウス) - 江利チエミ”
”家へおいでよ(カモナマイハウス) - 江利チエミ”
928: ◆eBIiXi2191ZO:2013/12/26(木) 18:13:35.04 :RRSOSZ9b0
Ah, apricot plum cakes and candy a pork, lamb too
Ah, just for you
客席「おおーーー」
私が生まれるずっと前の名曲。
冒頭のアカペラで、客席を引き込むことに成功した。
Ah, apricot plum cakes and candy a pork, lamb too
Ah, just for you
客席「おおーーー」
私が生まれるずっと前の名曲。
冒頭のアカペラで、客席を引き込むことに成功した。
940: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/06(月) 17:59:05.23 :iLye5AJR0
家へおいでよ 私のお家へ
あなたにあげましょ キャンディー
家へおいでよ 私のお家へ
あなたにあげましょ
リンゴにスモモに アンズはいかが
歌に合わせて左へ右へ。
客席と一緒にスウィングする。
Come on-a my house, my house come on
Come on-a my house, my house come on
Come on-a my house, my house
あなたにあげましょ
焼肉 ブドウに ナツメに ケーキ
私がみんなにあげられるのは、この歌声。
それだけ。
だから、いっぱい、あげる。
Come on-a my house, my house
なんでもかんでも あげましょう
なんでもかんでも。とは言え。
ファンにあげられるものは、歌声だけ。
伝えられるように、伝わるように。私はただ歌う。
Come on-a my house, my house
I'm gonna give you everything
You come home and oudies lullaby
Would be happy all you lie
楓「……ふぅ」
凛「さすが」
客席からは万雷の拍手。うれしい。
楓「みんな、ありがとう」
おじぎをひとつ。
その時。
P「いやあ、実にすばらしい。でも、ちょっと物足りなさがあるのですが」
凛「え?」
楓「まだ、何か?」
あの人は一呼吸置いた。
P「まだ、『おふたりで』歌っていただいてない、ですよね?」
あの人の前振りに、客席が大いに沸く。
客席「いぇーーーい!!!!」
客席「おねがーーーい!!!」
あの人が客席を見遣る。
凛「最初から狙ってるよね、これ」
楓「ふふっ、そうね」
ここにいるみんな、私たち『デュオ』を観に来てるのだ。
もちろん、その期待にはしっかりと。
凛ちゃんと私は、センターに立った。
家へおいでよ 私のお家へ
あなたにあげましょ キャンディー
家へおいでよ 私のお家へ
あなたにあげましょ
リンゴにスモモに アンズはいかが
歌に合わせて左へ右へ。
客席と一緒にスウィングする。
Come on-a my house, my house come on
Come on-a my house, my house come on
Come on-a my house, my house
あなたにあげましょ
焼肉 ブドウに ナツメに ケーキ
私がみんなにあげられるのは、この歌声。
それだけ。
だから、いっぱい、あげる。
Come on-a my house, my house
なんでもかんでも あげましょう
なんでもかんでも。とは言え。
ファンにあげられるものは、歌声だけ。
伝えられるように、伝わるように。私はただ歌う。
Come on-a my house, my house
I'm gonna give you everything
You come home and oudies lullaby
Would be happy all you lie
楓「……ふぅ」
凛「さすが」
客席からは万雷の拍手。うれしい。
楓「みんな、ありがとう」
おじぎをひとつ。
その時。
P「いやあ、実にすばらしい。でも、ちょっと物足りなさがあるのですが」
凛「え?」
楓「まだ、何か?」
あの人は一呼吸置いた。
P「まだ、『おふたりで』歌っていただいてない、ですよね?」
あの人の前振りに、客席が大いに沸く。
客席「いぇーーーい!!!!」
客席「おねがーーーい!!!」
あの人が客席を見遣る。
凛「最初から狙ってるよね、これ」
楓「ふふっ、そうね」
ここにいるみんな、私たち『デュオ』を観に来てるのだ。
もちろん、その期待にはしっかりと。
凛ちゃんと私は、センターに立った。
941: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/06(月) 17:59:46.27 :iLye5AJR0
”恋のバカンス - W(ダブルユー)”
”恋のバカンス - W(ダブルユー)”
942: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/06(月) 18:01:07.04 :bTIxKIXB0
私たちは、振りを交えて歌いだす。『Bleuet Bleu』の始動。
ためいきの出るような
あなたの くちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえで
裸で恋をしよう
人魚のように
アイドルらしい振付、かわいらしさ。
私が今までトライしていなかった部分だ。
凛ちゃんと組むことが決まって、私はこの部分にも手を付けた。
はっきり言おう。とても恥ずかしい。
でもこれもまた、今は心地いい。
陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
いつの間にか戻っていたサポートメンバーが、私たちの歌をバックアップする。
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス
何度も、このステージを思い描いて練習してきた。
私と凛ちゃんはひとつになる。
凛「ありがと」
楓「ありがとう」
客席に向けてお礼をささげる。
客席「ブルーエさいこーーー!!」
客席「うおおおーーー!!」
会場の喧騒を後にして、サポートのドラムさんにソロを任せる。
AD「おつかれさまです!」
スタイリスト「次の衣装いきます!」
凛「わかったー」
楓「はーい」
私たちは大急ぎで簡易更衣室へ。
次の衣装に着替えながら、水分を補給する。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「……よかったよ」
楓「……凛ちゃんも」
デュオでの一曲が終わり、私と凛ちゃんのブルーエがようやく産声を上げた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私たちは、振りを交えて歌いだす。『Bleuet Bleu』の始動。
ためいきの出るような
あなたの くちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえで
裸で恋をしよう
人魚のように
アイドルらしい振付、かわいらしさ。
私が今までトライしていなかった部分だ。
凛ちゃんと組むことが決まって、私はこの部分にも手を付けた。
はっきり言おう。とても恥ずかしい。
でもこれもまた、今は心地いい。
陽にやけた ほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
いつの間にか戻っていたサポートメンバーが、私たちの歌をバックアップする。
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス
何度も、このステージを思い描いて練習してきた。
私と凛ちゃんはひとつになる。
凛「ありがと」
楓「ありがとう」
客席に向けてお礼をささげる。
客席「ブルーエさいこーーー!!」
客席「うおおおーーー!!」
会場の喧騒を後にして、サポートのドラムさんにソロを任せる。
AD「おつかれさまです!」
スタイリスト「次の衣装いきます!」
凛「わかったー」
楓「はーい」
私たちは大急ぎで簡易更衣室へ。
次の衣装に着替えながら、水分を補給する。
凛「楓さん」
楓「ん?」
凛「……よかったよ」
楓「……凛ちゃんも」
デュオでの一曲が終わり、私と凛ちゃんのブルーエがようやく産声を上げた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
946: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:21:53.84 :x1hf1Yg90
ドラムソロとギターソロ。そしてドラムとギターのセッション。
サポートさんが間をつなぐ間に、私たちふたりはステージ袖にスタンバイ。
P「ふたりとも」
凛「ん」
楓「はい」
P「走り切りましょう」
あの人の声掛けに応え、意識を集中する。
ここから先はノンストップ。デュオで歌いまくる。
普段のコンサートなら、歌とトークの割合をある程度バランスさせて構成を決める。
でも、私たちの場合は。
ひたすら、歌。聴かせて聴かせまくる。
ステージ一本で、体重は軽く2キロは減ってるだろう。
楓「……よし」
倒れるまで走り切ってやりましょう。倒れないけど。
曲調が変わる。イントロだ。
私たちは、勢いよく飛び出した。
ドラムソロとギターソロ。そしてドラムとギターのセッション。
サポートさんが間をつなぐ間に、私たちふたりはステージ袖にスタンバイ。
P「ふたりとも」
凛「ん」
楓「はい」
P「走り切りましょう」
あの人の声掛けに応え、意識を集中する。
ここから先はノンストップ。デュオで歌いまくる。
普段のコンサートなら、歌とトークの割合をある程度バランスさせて構成を決める。
でも、私たちの場合は。
ひたすら、歌。聴かせて聴かせまくる。
ステージ一本で、体重は軽く2キロは減ってるだろう。
楓「……よし」
倒れるまで走り切ってやりましょう。倒れないけど。
曲調が変わる。イントロだ。
私たちは、勢いよく飛び出した。
947: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:22:27.00 :T1ZuIXVo0
”Bomber Girl - 織田哲郎&近藤房之助”
”Bomber Girl - 織田哲郎&近藤房之助”
948: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:23:13.38 :x1hf1Yg90
凛「さあみんな、声出していくよー!!」
凛ちゃんのあおりに、客席が応える。
吹き飛ばして bomber girl
my eyes 砕けて粉々
何度でも火をつけて
あんな感じで
客席「はい! はい! はい!……」
fool for your lovin'
in a little heaven
手に負えないジャジャ馬
情熱の腰つきに
凛『gimme gimme kiss to me bomber girl!』
客席「おおおーーー!!」
会場のうねりに、凛ちゃんはマイクスタンドプレイで応える。
さすが、手慣れているな。
私も、負けないように。
楓『粉々にしてくれ 昨日までの 退屈な俺の tiny love affair』
凛『生まれかわりたい男の 魂に火花ちらして』
凛『in my heart――』
凛ちゃんのシャウトが響く。その声に呼応するように、会場のボルテージが上がる。
burnin' love
Im just crazy for you
can't stop 手荒な稲妻
何度でも火をつけて あんな感じで
foll for your lovin'
in a little heaven
胸さわぎに溺れて
呼吸まで止まりそう
楓『gimme gimme kiss to me bomber girl!』
がんばって色っぽく。
練習中もあの人からずっと、「エロさが足りない」と言われてきた。
会場の雰囲気に押されて、少しは官能的だったろうか?
凛ちゃんと私、お互いの個性をぶつけあって疾走する。
fool for your lovin'
in a little heaven
手に負えないジャジャ馬
情熱の腰つきに
凛『baby baby kiss to me bomber girl――』
ブレイク。
会場が一瞬、静寂に包まれる。
客席「わああああーーーー」
観客がステージをはやし立てる。ドラムのフィルが入り。
『バアァーーーーーン!!!!』
ステージに設置された特大クラッカーが、紙テープをまき散らした。
紙テープは『Bleuet Bleu』のロゴと、私たちの手書きメッセージが印刷された特製のもの。
ちょっとしたプレゼント。
楓「まだまだ走りますよー!!」
私は力の限り叫んだ。
凛「さあみんな、声出していくよー!!」
凛ちゃんのあおりに、客席が応える。
吹き飛ばして bomber girl
my eyes 砕けて粉々
何度でも火をつけて
あんな感じで
客席「はい! はい! はい!……」
fool for your lovin'
in a little heaven
手に負えないジャジャ馬
情熱の腰つきに
凛『gimme gimme kiss to me bomber girl!』
客席「おおおーーー!!」
会場のうねりに、凛ちゃんはマイクスタンドプレイで応える。
さすが、手慣れているな。
私も、負けないように。
楓『粉々にしてくれ 昨日までの 退屈な俺の tiny love affair』
凛『生まれかわりたい男の 魂に火花ちらして』
凛『in my heart――』
凛ちゃんのシャウトが響く。その声に呼応するように、会場のボルテージが上がる。
burnin' love
Im just crazy for you
can't stop 手荒な稲妻
何度でも火をつけて あんな感じで
foll for your lovin'
in a little heaven
胸さわぎに溺れて
呼吸まで止まりそう
楓『gimme gimme kiss to me bomber girl!』
がんばって色っぽく。
練習中もあの人からずっと、「エロさが足りない」と言われてきた。
会場の雰囲気に押されて、少しは官能的だったろうか?
凛ちゃんと私、お互いの個性をぶつけあって疾走する。
fool for your lovin'
in a little heaven
手に負えないジャジャ馬
情熱の腰つきに
凛『baby baby kiss to me bomber girl――』
ブレイク。
会場が一瞬、静寂に包まれる。
客席「わああああーーーー」
観客がステージをはやし立てる。ドラムのフィルが入り。
『バアァーーーーーン!!!!』
ステージに設置された特大クラッカーが、紙テープをまき散らした。
紙テープは『Bleuet Bleu』のロゴと、私たちの手書きメッセージが印刷された特製のもの。
ちょっとしたプレゼント。
楓「まだまだ走りますよー!!」
私は力の限り叫んだ。
949: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:23:57.22 :T1ZuIXVo0
”Aquaplanet - SENSE OF WONDER”
”Aquaplanet - SENSE OF WONDER”
950: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:24:47.10 :T1ZuIXVo0
楓『Don't be afraid, my love』
楓『Don't cry anymore, my love woo―』
客席「うおおおーーー!!」
私の歌声に、会場の盛り上がりが一段と増した気がした。
悲しみのすべてを 寂しさのすべてを
抱きしめて 守っていたい
いつまでも 君だけを woo
一筋の涙が あどけない寝顔に
こぼれたら ふいてあげるよ
いつだって この僕が woo
プログレッシブのきらびやかさに、ポップの甘さ。
これも、私のチャレンジ。
凛・楓『Tonight tonight この地球に』
いくつ命が生まれて
My love, tonight tonight めぐり逢えた
それは一瞬の 偶然でもいいさ
『Bleuet Bleu』は、ヴォーカルパフォーマンスユニットだ。
私も凛ちゃんも、今まで自分たちが歌わなかったジャンルに、果敢に挑んでいる。
この曲もそう。
ビートを前面に押し出すロック然とした曲は、今までの私のイメージを破るものだ。
だから、歌う。私の血肉となるために。
凛『Don't be afraid, my love』
楓『真実は今 目の前に』
凛『Don't cry anymore, my love』
楓『君がいること』
蒼いオアシスをイメージしたスポットライトが、会場を揺らめかす。
客席のサイリウムと相まって、とても幻想的。
My love, tonight tonight この世界は
無限に拡がり続けて
My love, tonight tonight 僕らを乗せ 旅立つ方舟
楓『Aquaplanet 今僕の中に』
楓『Aquaplanet 今君がいるよ』
アリーナのみんなと一体になるために。
私と凛ちゃんは、隅々まで駆け巡り歌う。
走って走って。走り切り。
2時間30分、全22曲のツアーが幕を閉じる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楓『Don't be afraid, my love』
楓『Don't cry anymore, my love woo―』
客席「うおおおーーー!!」
私の歌声に、会場の盛り上がりが一段と増した気がした。
悲しみのすべてを 寂しさのすべてを
抱きしめて 守っていたい
いつまでも 君だけを woo
一筋の涙が あどけない寝顔に
こぼれたら ふいてあげるよ
いつだって この僕が woo
プログレッシブのきらびやかさに、ポップの甘さ。
これも、私のチャレンジ。
凛・楓『Tonight tonight この地球に』
いくつ命が生まれて
My love, tonight tonight めぐり逢えた
それは一瞬の 偶然でもいいさ
『Bleuet Bleu』は、ヴォーカルパフォーマンスユニットだ。
私も凛ちゃんも、今まで自分たちが歌わなかったジャンルに、果敢に挑んでいる。
この曲もそう。
ビートを前面に押し出すロック然とした曲は、今までの私のイメージを破るものだ。
だから、歌う。私の血肉となるために。
凛『Don't be afraid, my love』
楓『真実は今 目の前に』
凛『Don't cry anymore, my love』
楓『君がいること』
蒼いオアシスをイメージしたスポットライトが、会場を揺らめかす。
客席のサイリウムと相まって、とても幻想的。
My love, tonight tonight この世界は
無限に拡がり続けて
My love, tonight tonight 僕らを乗せ 旅立つ方舟
楓『Aquaplanet 今僕の中に』
楓『Aquaplanet 今君がいるよ』
アリーナのみんなと一体になるために。
私と凛ちゃんは、隅々まで駆け巡り歌う。
走って走って。走り切り。
2時間30分、全22曲のツアーが幕を閉じる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
951: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:25:35.03 :T1ZuIXVo0
客席「アンコール! アンコール!」
これでもう、3度目のアンコールだ。
凛「うれしいね」
凛ちゃんがつぶやく。
用意していた曲もあとひとつ。
楓「最後に思い出を持って帰ってもらいましょう、ね」
凛「ん」
私、凛ちゃん、あの人、先生。
私は、みんなに目配せをする。
それを合図に、4人はステージに上った。
客席「おおおーーーー!!!」
客席「凛ちゃーーーん!! 楓さーーーん!!」
楓「……みなさん、遅くまでありがとう」
凛「遅くまで応援してくれたみんなに、もう一曲だけ、贈ります」
4人が輪になり、音合わせをする。
そして。
客席「アンコール! アンコール!」
これでもう、3度目のアンコールだ。
凛「うれしいね」
凛ちゃんがつぶやく。
用意していた曲もあとひとつ。
楓「最後に思い出を持って帰ってもらいましょう、ね」
凛「ん」
私、凛ちゃん、あの人、先生。
私は、みんなに目配せをする。
それを合図に、4人はステージに上った。
客席「おおおーーーー!!!」
客席「凛ちゃーーーん!! 楓さーーーん!!」
楓「……みなさん、遅くまでありがとう」
凛「遅くまで応援してくれたみんなに、もう一曲だけ、贈ります」
4人が輪になり、音合わせをする。
そして。
952: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:26:02.53 :x1hf1Yg90
”A Nightingale sang in Berkeley Square - The Manhattan Transfer”
”A Nightingale sang in Berkeley Square - The Manhattan Transfer”
953: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/10(金) 18:26:38.00 :x1hf1Yg90
That certain night, the night we met,
There was magic abroad in the air.
There were angels dining at the Ritz,
And a nightingale sang in Berkeley Square.
あの人と先生を含めた2プラス2のアカペラ。
混声ヴォーカルの歌。
I may be right, I may be wrong,
But I'm perfectly willing to swear
That when you turned and smiled at me,
A nightingale sang in Berkeley Square.
きっかけは、練習中のお遊びだ。
あの人の歌声が先生の琴線に触れ、「お前歌っちゃえよ!」となった。
凛ちゃんも「それいいね!」と乗り、あの人は相変わらず後ろ向きに逃げようとしてたけど。
でもこうして、同じステージで歌っている。
私の、あの人。
お披露目したいような、独り占めしたいような。
凛『The moon that lingered over Londontown』
Poor puzzled moon, he wore a frown.
How could he know that we two were so in love?
The whole darn world seemed upside down.
ブレスの音さえ、会場に響く。
声だけの饗宴。
The streets of town were paved with stars,
It was such a romantic affair.
And as we kissed and said goodnight,
A nightingale sang in Berkeley Square.
ゆっくりとマイクを離していく。
しばしの静寂は、歓声へと変わる。
その声に別れを告げ、私たちはステージを去った。
ようやく。
凛「終わったね」
楓「……そうね」
凛「……これから、楽しみだね」
楓「始まったばかりだもんね」
ここちよい汗もそのままに。私たちは余韻を堪能した。
アナ「本日は『Bleuet Bleu』ライヴツアーにお越しくださいまして、まことにありがとうございました。お帰りの際は……」
会場の闇が打ち破られる。宴は終わった。
私たちは、喧噪の残る会場をステージから眺めていた。
また、いつか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
That certain night, the night we met,
There was magic abroad in the air.
There were angels dining at the Ritz,
And a nightingale sang in Berkeley Square.
あの人と先生を含めた2プラス2のアカペラ。
混声ヴォーカルの歌。
I may be right, I may be wrong,
But I'm perfectly willing to swear
That when you turned and smiled at me,
A nightingale sang in Berkeley Square.
きっかけは、練習中のお遊びだ。
あの人の歌声が先生の琴線に触れ、「お前歌っちゃえよ!」となった。
凛ちゃんも「それいいね!」と乗り、あの人は相変わらず後ろ向きに逃げようとしてたけど。
でもこうして、同じステージで歌っている。
私の、あの人。
お披露目したいような、独り占めしたいような。
凛『The moon that lingered over Londontown』
Poor puzzled moon, he wore a frown.
How could he know that we two were so in love?
The whole darn world seemed upside down.
ブレスの音さえ、会場に響く。
声だけの饗宴。
The streets of town were paved with stars,
It was such a romantic affair.
And as we kissed and said goodnight,
A nightingale sang in Berkeley Square.
ゆっくりとマイクを離していく。
しばしの静寂は、歓声へと変わる。
その声に別れを告げ、私たちはステージを去った。
ようやく。
凛「終わったね」
楓「……そうね」
凛「……これから、楽しみだね」
楓「始まったばかりだもんね」
ここちよい汗もそのままに。私たちは余韻を堪能した。
アナ「本日は『Bleuet Bleu』ライヴツアーにお越しくださいまして、まことにありがとうございました。お帰りの際は……」
会場の闇が打ち破られる。宴は終わった。
私たちは、喧噪の残る会場をステージから眺めていた。
また、いつか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
959: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/14(火) 17:21:58.01 :tz63tthR0
『邂逅 ~Bleuet Bleuという二人のミューズ』
Bleuet Bleuという女性二人組のユニットをご存じだろうか?
と、こう言ってしまうにはあまりにも有名なふたりであるが。
春先から斬新なCMが流れ、みんなが期待していたユニットが動き出す。
先日、札幌で行われた公演に、期待を持って出かけた。
今やCGプロだけでなく、アイドル界においてもトップを張っていると言ってもいいふたりの女性。
トライアドプリムスの顔である、渋谷凛。
圧倒的な歌唱力で皆を虜にする、高垣楓。
二人のミューズが出会うことでどれだけの化学反応が起こるのか、初めから注目されていたユニットだ。
これからコンサートに行くであろう方も多いので、中身については書かない。
ただこれだけは言いたい。
今までのイメージは捨てなさい、と。
アイドルに求められているものは、歌、踊り、ルックス、それにプラスアルファ。
そのプラスアルファが、アイドルの個性と言えるものであったり、トップクラスのアイドルに到達するなにかだったりする。
もともと彼女たち二人のプラスアルファは、大きくて広いものであることは疑いようがない。
だが、コンサートに参加して、その意識は大きく壊された。
ふたりとも、底が知れないのだ。言い換えれば、引き出しがいくつあるのか見えないのだ。
渋谷凛は、持ち前のパワフルボイスに繊細さと優雅さを手に入れた。
高垣楓は、誰もが魅了されるクリスタルボイスに、今までに見られなかったハードワークを魅せた。
これでも、彼女たちのすべてを見せていない。それほどの存在感があった。
彼女たちの引き出しはどれだけのものなのか。想像するだに恐ろしい。
多くは言わない。今すぐチケットを入手し、行くべきだ。
彼女たちのコンサートには、チケット以上の価値どころではない、すさまじいお宝が眠っていた。
僕たちにとって幸いなのは、彼女たちがアイドル、手を伸ばせばそこにいる存在だということだ。
ふたりの女神に会うことができる。なんという幸福だろう。
ただ僕たちにとって悲しむべきことは、この女神たちの邂逅は年内に限られるということだ。
もう一度、いや何度でも言おう。今すぐチケットを入手し、行くべきだ。
逡巡している暇はない。
夢の国へ誰しもが行けるわけではないのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『邂逅 ~Bleuet Bleuという二人のミューズ』
Bleuet Bleuという女性二人組のユニットをご存じだろうか?
と、こう言ってしまうにはあまりにも有名なふたりであるが。
春先から斬新なCMが流れ、みんなが期待していたユニットが動き出す。
先日、札幌で行われた公演に、期待を持って出かけた。
今やCGプロだけでなく、アイドル界においてもトップを張っていると言ってもいいふたりの女性。
トライアドプリムスの顔である、渋谷凛。
圧倒的な歌唱力で皆を虜にする、高垣楓。
二人のミューズが出会うことでどれだけの化学反応が起こるのか、初めから注目されていたユニットだ。
これからコンサートに行くであろう方も多いので、中身については書かない。
ただこれだけは言いたい。
今までのイメージは捨てなさい、と。
アイドルに求められているものは、歌、踊り、ルックス、それにプラスアルファ。
そのプラスアルファが、アイドルの個性と言えるものであったり、トップクラスのアイドルに到達するなにかだったりする。
もともと彼女たち二人のプラスアルファは、大きくて広いものであることは疑いようがない。
だが、コンサートに参加して、その意識は大きく壊された。
ふたりとも、底が知れないのだ。言い換えれば、引き出しがいくつあるのか見えないのだ。
渋谷凛は、持ち前のパワフルボイスに繊細さと優雅さを手に入れた。
高垣楓は、誰もが魅了されるクリスタルボイスに、今までに見られなかったハードワークを魅せた。
これでも、彼女たちのすべてを見せていない。それほどの存在感があった。
彼女たちの引き出しはどれだけのものなのか。想像するだに恐ろしい。
多くは言わない。今すぐチケットを入手し、行くべきだ。
彼女たちのコンサートには、チケット以上の価値どころではない、すさまじいお宝が眠っていた。
僕たちにとって幸いなのは、彼女たちがアイドル、手を伸ばせばそこにいる存在だということだ。
ふたりの女神に会うことができる。なんという幸福だろう。
ただ僕たちにとって悲しむべきことは、この女神たちの邂逅は年内に限られるということだ。
もう一度、いや何度でも言おう。今すぐチケットを入手し、行くべきだ。
逡巡している暇はない。
夢の国へ誰しもが行けるわけではないのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
960: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/14(火) 17:23:08.01 :tz63tthR0
ツアーの初日が終わってしばらく。
音楽雑誌のレビューに、こんな記事が載った。
楓「こんなに買われていて、正直戸惑いますね」
P「そうですか?」
私の困惑に、あの人も凛ちゃんも、さも当然という表情をしている。
凛「それだけの努力はしてるんだし。それに、ブルーエやることで地力が上がってる実感、あるよ」
楓「地力っては、確かにそうだけど……」
私も、自分の力が今まで以上のものを発揮している実感はある。
ふたりでやることで、ものすごい底上げを感じていた。
P「この記事が嘘じゃないってのは、まずこのライターさんが書いているということ」
P「比較的中立に書いてくれますからね、いつも。それと」
あの人は、パソコンから打ち出したものを広げている。
P「ツイッターの反響がね、狙い通りってことでね」
確かに、コンサートが終わった直後から、ツイートを拾い読みしていたけど。
『Bleuet Bleuのライブ、ぱねぇ!』『チケット買えてよかったと思った! 東京ドームも行きたいなー』
『歌にほれました。しぶにゃんのファンになります』『楓さんと公園でスーパードライ買いたかったw』
などなど。
ファンはもちろんそれほど熱烈じゃない人まで、私たちのコンサートを称えてくれた。
フェイスブックで見たところでは、意外と年配の方や夫婦で来てくれた方もいて、広く受け入れてくれていることもわかった。
凛「トライアドだと、同じくらいの年齢層にファンが固まっちゃうけど」
凛「ブルーエで自分のお父さん、お母さんの世代も喜んでくれたのは、すごく嬉しいな」
P「楓さん効果だと思いますよ?」
楓「私、ですか?」
P「ええ」
どうやら私は、比較的年配の方に好まれるアイドルらしい。
おっさんだからか?
素直に喜んでいいのかな。
P「まあ、ライブ一本でそうとうしんどいでしょうし、ゆっくり喉を休めないとね」
楓「……そうですね」
凛「うん」
……なんかはぐらかされた気がする。
ツアーの初日が終わってしばらく。
音楽雑誌のレビューに、こんな記事が載った。
楓「こんなに買われていて、正直戸惑いますね」
P「そうですか?」
私の困惑に、あの人も凛ちゃんも、さも当然という表情をしている。
凛「それだけの努力はしてるんだし。それに、ブルーエやることで地力が上がってる実感、あるよ」
楓「地力っては、確かにそうだけど……」
私も、自分の力が今まで以上のものを発揮している実感はある。
ふたりでやることで、ものすごい底上げを感じていた。
P「この記事が嘘じゃないってのは、まずこのライターさんが書いているということ」
P「比較的中立に書いてくれますからね、いつも。それと」
あの人は、パソコンから打ち出したものを広げている。
P「ツイッターの反響がね、狙い通りってことでね」
確かに、コンサートが終わった直後から、ツイートを拾い読みしていたけど。
『Bleuet Bleuのライブ、ぱねぇ!』『チケット買えてよかったと思った! 東京ドームも行きたいなー』
『歌にほれました。しぶにゃんのファンになります』『楓さんと公園でスーパードライ買いたかったw』
などなど。
ファンはもちろんそれほど熱烈じゃない人まで、私たちのコンサートを称えてくれた。
フェイスブックで見たところでは、意外と年配の方や夫婦で来てくれた方もいて、広く受け入れてくれていることもわかった。
凛「トライアドだと、同じくらいの年齢層にファンが固まっちゃうけど」
凛「ブルーエで自分のお父さん、お母さんの世代も喜んでくれたのは、すごく嬉しいな」
P「楓さん効果だと思いますよ?」
楓「私、ですか?」
P「ええ」
どうやら私は、比較的年配の方に好まれるアイドルらしい。
おっさんだからか?
素直に喜んでいいのかな。
P「まあ、ライブ一本でそうとうしんどいでしょうし、ゆっくり喉を休めないとね」
楓「……そうですね」
凛「うん」
……なんかはぐらかされた気がする。
961: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/14(火) 17:23:48.18 :tz63tthR0
このツアーは歌がほとんどなので、確かに喉の消耗は激しい。
実際ホテルに戻って、自分の喉がかなり熱を持っていた感じがした。
ゆえに、次の日は完全にオフ。移動日であるし、メディア出演等は一切なし。
しばらく、喉の筋肉をケアすることになっている。
札幌から戻って2日。そろそろリスタートだ。
喉だけだったら、私たちは立派なアスリートかもしれない。
P「凛はトライアドの仕事もあるからちょっと大変だろうとは思うけど、ケアはしっかりな」
凛「わかってるよ。大切な商売道具だからね」
一週間ごとのツアーのローテで、きちんと休み、そして喉つくりをし、ライブでベストコンディションになるように。
なかなかハードだ。
凛「じゃ、私は今日はあがるね。おつかれさま」
楓「凛ちゃん、おつかれさま」
P「おう、おつかれ」
凛ちゃんは事務所から帰っていく。
会議室に残ったふたり。
楓「……」
P「……」
ふと、沈黙が訪れる。
楓「……あの。Pさん?」
P「はい?」
楓「今日、お邪魔してもいいですか?」
P「ダメです」
楓「即答ですか!?」
P「あはは、ウソです」
なんとなく、心を埋めたかったのに。なんというか。
楓「……Pさんは、いじわるです」
このツアーは歌がほとんどなので、確かに喉の消耗は激しい。
実際ホテルに戻って、自分の喉がかなり熱を持っていた感じがした。
ゆえに、次の日は完全にオフ。移動日であるし、メディア出演等は一切なし。
しばらく、喉の筋肉をケアすることになっている。
札幌から戻って2日。そろそろリスタートだ。
喉だけだったら、私たちは立派なアスリートかもしれない。
P「凛はトライアドの仕事もあるからちょっと大変だろうとは思うけど、ケアはしっかりな」
凛「わかってるよ。大切な商売道具だからね」
一週間ごとのツアーのローテで、きちんと休み、そして喉つくりをし、ライブでベストコンディションになるように。
なかなかハードだ。
凛「じゃ、私は今日はあがるね。おつかれさま」
楓「凛ちゃん、おつかれさま」
P「おう、おつかれ」
凛ちゃんは事務所から帰っていく。
会議室に残ったふたり。
楓「……」
P「……」
ふと、沈黙が訪れる。
楓「……あの。Pさん?」
P「はい?」
楓「今日、お邪魔してもいいですか?」
P「ダメです」
楓「即答ですか!?」
P「あはは、ウソです」
なんとなく、心を埋めたかったのに。なんというか。
楓「……Pさんは、いじわるです」
962: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/14(火) 17:24:27.24 :tz63tthR0
私がしょんぼりしていると、あの人は頭をかいて言葉を継いだ。
P「いや。こんなこと言うの、楓さんしかいないじゃないですか」
P「楓さんには、ありのままの自分でいられるんで」
楓「……え?」
期待して、いいのかな?
P「なんか、ガキのようになっちゃうんですよ。ついつい」
楓「ふふっ。ふふふっ」
P「ははは」
ほんとにもう。
きっと、あの人も埋めたかったのだ。
仕事に戻ればまた、責務という名のプレッシャーに飲み込まれそうになるのだし。
楓「じゃあ、ガキ大将さんのお世話しないと、ですね」
私は微笑んで、そう言った。
P「ええ、お世話されないとダメみたいです」
楓「……なら、仕方ないですね。お世話しましょう?」
楓「Pさんがいやと言うまで、ね」
P「ま、いやと言うことは一生ないですよ。楓さんとなら」
P「願ったり、です」
最近になってわかったことがある。
あの人と私は、似てきたということ。
何かを思ったり、感じたり。そういう気持ちの持ちようが、似てきた。
何が私たちに足りなくて、何を埋めたらいいのか。
言わなくても、わかる。
楓「じゃあ、一生、ですね」
P「ですね」
自分のアイドルとしての終着点が近づく。
その先に見えるものは、あの人と歩く、今と違った世界。
それを思い描いて、また次もがんばれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私がしょんぼりしていると、あの人は頭をかいて言葉を継いだ。
P「いや。こんなこと言うの、楓さんしかいないじゃないですか」
P「楓さんには、ありのままの自分でいられるんで」
楓「……え?」
期待して、いいのかな?
P「なんか、ガキのようになっちゃうんですよ。ついつい」
楓「ふふっ。ふふふっ」
P「ははは」
ほんとにもう。
きっと、あの人も埋めたかったのだ。
仕事に戻ればまた、責務という名のプレッシャーに飲み込まれそうになるのだし。
楓「じゃあ、ガキ大将さんのお世話しないと、ですね」
私は微笑んで、そう言った。
P「ええ、お世話されないとダメみたいです」
楓「……なら、仕方ないですね。お世話しましょう?」
楓「Pさんがいやと言うまで、ね」
P「ま、いやと言うことは一生ないですよ。楓さんとなら」
P「願ったり、です」
最近になってわかったことがある。
あの人と私は、似てきたということ。
何かを思ったり、感じたり。そういう気持ちの持ちようが、似てきた。
何が私たちに足りなくて、何を埋めたらいいのか。
言わなくても、わかる。
楓「じゃあ、一生、ですね」
P「ですね」
自分のアイドルとしての終着点が近づく。
その先に見えるものは、あの人と歩く、今と違った世界。
それを思い描いて、また次もがんばれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
969: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/17(金) 17:04:01.95 :7WKmSKv10
加蓮「動員数の記録、更新しそうなんだって?」
加蓮ちゃんは空き時間に、そんなことを言った。
10月。
ツアーも折り返し地点を過ぎ、後半戦に突入していた。
年末のドームに向けて、加蓮ちゃんと奈緒ちゃんも練習に参加している。
凛「うん。追加公演の分も即日完売らしいし」
加蓮「追加席の分も?」
凛「そう」
私たちにとって幸いだったのは、ツアーメンバーの誰一人体調を崩すことなく、無事に乗り切っていること。
そして。
奈緒「マジで? ……プレッシャーかかるなあ」
楓「ふふっ、大丈夫。いつも通りでね」
奈緒「うあうあー」
すべての会場で満員御礼。これほどありがたいことはない。
確かに、手ごたえは大きい。
メディアに出れば、ブルーエのことを一番に訊かれ。
ネットでは、ツアーの感想が闊歩し。
周りの期待を、一身に背負っていることが感じられる。
奈緒ちゃんのプレッシャーももっともだ。
私だって、こんな過度とも思える期待にさらされたら、プレッシャーを感じずにはいられない。
でも。
楓「なんかね。すごく充実してるの」
奈緒「充実?」
楓「ええ」
加蓮「動員数の記録、更新しそうなんだって?」
加蓮ちゃんは空き時間に、そんなことを言った。
10月。
ツアーも折り返し地点を過ぎ、後半戦に突入していた。
年末のドームに向けて、加蓮ちゃんと奈緒ちゃんも練習に参加している。
凛「うん。追加公演の分も即日完売らしいし」
加蓮「追加席の分も?」
凛「そう」
私たちにとって幸いだったのは、ツアーメンバーの誰一人体調を崩すことなく、無事に乗り切っていること。
そして。
奈緒「マジで? ……プレッシャーかかるなあ」
楓「ふふっ、大丈夫。いつも通りでね」
奈緒「うあうあー」
すべての会場で満員御礼。これほどありがたいことはない。
確かに、手ごたえは大きい。
メディアに出れば、ブルーエのことを一番に訊かれ。
ネットでは、ツアーの感想が闊歩し。
周りの期待を、一身に背負っていることが感じられる。
奈緒ちゃんのプレッシャーももっともだ。
私だって、こんな過度とも思える期待にさらされたら、プレッシャーを感じずにはいられない。
でも。
楓「なんかね。すごく充実してるの」
奈緒「充実?」
楓「ええ」
970: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/17(金) 17:05:07.34 :7WKmSKv10
楓「経験したことないファンの数の前で歌うって、すごいプレッシャーはあるけど」
楓「でも、それだけのファンが会いに来てくれるっていうことが、うれしいの」
奈緒「……ああ、なんとなくわかるかも」
奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、トライアドのステージでたくさんのファンに囲まれてきた。
この多幸感と充実感は、わかってくれると思う。
凛「多ければ多いほど、燃えてくるからね。楽しいよ」
加蓮「なんか、凛って」
凛「ん?」
加蓮「今までも、自信にあふれてた感じだったけど」
加蓮「すごく、ゆるぎなきって感じになったね」
凛「そうかな?」
奈緒「いっそ、凛にリーダー任せたくなったよ」
奈緒ちゃんが笑う。
凛「いや、やっぱりトライアドのリーダーは奈緒だよ」
凛「なんだかんだ言って、私たちをまとめてくれてるし。リーダー向きだよ」
奈緒「そ、そうかな……」
そう言って奈緒ちゃんは照れた。
凛「あ、そうそう。楓さん」
楓「なに?」
凛「これ……読んだ?」
凛ちゃんはテーブルに雑誌を投げ出す。ぱさり。
加蓮「え? これ」
そこに書いてあった見出し。
『新しい愛? 俳優○○と新人女優の……』
楓「経験したことないファンの数の前で歌うって、すごいプレッシャーはあるけど」
楓「でも、それだけのファンが会いに来てくれるっていうことが、うれしいの」
奈緒「……ああ、なんとなくわかるかも」
奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、トライアドのステージでたくさんのファンに囲まれてきた。
この多幸感と充実感は、わかってくれると思う。
凛「多ければ多いほど、燃えてくるからね。楽しいよ」
加蓮「なんか、凛って」
凛「ん?」
加蓮「今までも、自信にあふれてた感じだったけど」
加蓮「すごく、ゆるぎなきって感じになったね」
凛「そうかな?」
奈緒「いっそ、凛にリーダー任せたくなったよ」
奈緒ちゃんが笑う。
凛「いや、やっぱりトライアドのリーダーは奈緒だよ」
凛「なんだかんだ言って、私たちをまとめてくれてるし。リーダー向きだよ」
奈緒「そ、そうかな……」
そう言って奈緒ちゃんは照れた。
凛「あ、そうそう。楓さん」
楓「なに?」
凛「これ……読んだ?」
凛ちゃんはテーブルに雑誌を投げ出す。ぱさり。
加蓮「え? これ」
そこに書いてあった見出し。
『新しい愛? 俳優○○と新人女優の……』
971: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/17(金) 17:05:51.83 :7WKmSKv10
件の人のゴシップ。
凛「懲りないよね、まったく」
私にとっては、深い傷を負った出来事であった。けど。
楓「……」
それを見たとき。
凛「楓さん?」
楓「……不思議、ね」
奈緒「何が?」
楓「……何も感じないの」
楓「ただ、そう、って」
凛「楓、さん……」
驚くほど、波立たない。
どきりとしたり、ざわめいたりも。
なにこれと、笑い飛ばしたりも、ない。
ただ、ありのままに受け入れている。
楓「凛ちゃん、奈緒ちゃん、加蓮ちゃん……本当に、ありがとう」
楓「過去のことは過去のこと、そう、思えるようになったんだね。いつの間にか」
私はそんな言葉を吐く。
トライアドの三人の顔が、うれしさと安堵の複雑な表情を見せている。
凛「……よかった」
自分が言うのも変だけど。たぶん、凛ちゃんは報われたのだ。
私が取り乱したときの、あの情景。
彼女もおそらく、どこか片隅に引っかかっていたのだろう。
私と凛ちゃんは、どちらからともなく見つめあい、微笑んだ。
がちゃり。
楓「あ、Pさん」
あの人が戻ってくる。
楓「あの、これ」
私は手に雑誌を持ち、あの人に見せた。
件の人のゴシップ。
凛「懲りないよね、まったく」
私にとっては、深い傷を負った出来事であった。けど。
楓「……」
それを見たとき。
凛「楓さん?」
楓「……不思議、ね」
奈緒「何が?」
楓「……何も感じないの」
楓「ただ、そう、って」
凛「楓、さん……」
驚くほど、波立たない。
どきりとしたり、ざわめいたりも。
なにこれと、笑い飛ばしたりも、ない。
ただ、ありのままに受け入れている。
楓「凛ちゃん、奈緒ちゃん、加蓮ちゃん……本当に、ありがとう」
楓「過去のことは過去のこと、そう、思えるようになったんだね。いつの間にか」
私はそんな言葉を吐く。
トライアドの三人の顔が、うれしさと安堵の複雑な表情を見せている。
凛「……よかった」
自分が言うのも変だけど。たぶん、凛ちゃんは報われたのだ。
私が取り乱したときの、あの情景。
彼女もおそらく、どこか片隅に引っかかっていたのだろう。
私と凛ちゃんは、どちらからともなく見つめあい、微笑んだ。
がちゃり。
楓「あ、Pさん」
あの人が戻ってくる。
楓「あの、これ」
私は手に雑誌を持ち、あの人に見せた。
972: ◆eBIiXi2191ZO:2014/01/17(金) 17:06:33.84 :7WKmSKv10
P「え? それ、は」
楓「Pさん」
楓「私、もう大丈夫です……大丈夫なんです」
あの人は驚きとためらいの表情を浮かべたけど、私の顔を見てすぐに柔和になる。
P「そうですか。うん、ならよかった」
ぽんぽん、と。あの人が私の頭に手をあてる。
P「ここにいるみんなと、ファンのみんなに、感謝しないとですね」
楓「ええ」
このツアーに向けてがんばってきたこと。ツアーに来てくれるファンの声援。
すべてが、私の癒しになっている。
奈緒ちゃんが、私に抱きついてきた。
奈緒「楓さん、よかった……ほんと」
その笑顔が、私を和ませる。そして加蓮ちゃんも。
加蓮「私も、一緒にがんばるね。絶対成功させるから」
ふたりまとめて抱きしめる。
凛「ちょっとふたりと……ま、いいか」
そう言う凛ちゃんの表情も明るい。
ああ、いいな。こういうの。
私はしばし、ふわふわした想いに浸っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
P「え? それ、は」
楓「Pさん」
楓「私、もう大丈夫です……大丈夫なんです」
あの人は驚きとためらいの表情を浮かべたけど、私の顔を見てすぐに柔和になる。
P「そうですか。うん、ならよかった」
ぽんぽん、と。あの人が私の頭に手をあてる。
P「ここにいるみんなと、ファンのみんなに、感謝しないとですね」
楓「ええ」
このツアーに向けてがんばってきたこと。ツアーに来てくれるファンの声援。
すべてが、私の癒しになっている。
奈緒ちゃんが、私に抱きついてきた。
奈緒「楓さん、よかった……ほんと」
その笑顔が、私を和ませる。そして加蓮ちゃんも。
加蓮「私も、一緒にがんばるね。絶対成功させるから」
ふたりまとめて抱きしめる。
凛「ちょっとふたりと……ま、いいか」
そう言う凛ちゃんの表情も明るい。
ああ、いいな。こういうの。
私はしばし、ふわふわした想いに浸っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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